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三陸鉄道に乗りに行った記事

遅ればせながら。
5月1日掲載で、こんな記事を書きました。

三陸鉄道に乗りに行く
http://mainichi.jp/feature/news/20120501dde012040014000c.html


ぶっつけ本番、仕込みなし。
子育て中ゆえ、わずか1泊の出張。
午前6時に上野を出て、2日目は5時半に宿を出て、1日12時間以上電車に乗り続けるものすごいスケジュールでしたが、お陰で、三陸鉄道の朝の顔も昼の顔も夕方の顔も夜の顔も、すべて見せていただけました。

何気なく歌ってきた、
「線路は続くよ、どこまでも」

の、「続く」という言葉の重みが、ひたすら胸に染みた旅でした。

「な」の力 (再投稿)

毎日新聞のコラム「発信箱」に2回目を書きました。
タイトルは、

「な」の力
http://mainichi.jp/opinion/news/20120417k0000m070141000c2.html

一度、ブログにさらりと書いたものを、あらためて書きなおしたものです。

今回は、コラムに書ききれなかったことを、ここに書いてみようと思います。

ずーっと分からないことがひとつありました。
どうして、自分は合唱を続けているんだろう、ってこと。
ご存知の通り (いや、知らない人も多いだろうけど)、自分勝手な性格です。
人と何か一緒にやることは苦手です。チーム取材も下手だし、仕事でもたいてい一匹狼。
他人と合わせる、なんてこと、できません。
ところが、合唱って、「他人と合わせる」 べきものですから。
どう考えても、私が続けていられるわけない、はずなんですよね。

今回、このコラムを書くにあたって、色々と考えているうちに、気づいたこと。
書く、ということを生業にして20年。ずーっと言葉にこだわり続け、言葉を信じ続けながら、一方で、言葉には持ち得ないような音楽の力に憧れてきた気がします。
だから、ピアノにもあんな風にはまったわけだし、合唱にも。
特に合唱は、ピアノやソロで歌うのと違って、自分が下手でも、周囲が上手だと、それで幸せになれますから。
(私が、木曽センセのピアノレッスンをあれほど愛したのは、彼女が自分で弾いてくれたから、だったのかも。木曽センセの奏でる音色を聴いているだけで幸せだったからなのかも)。
自分一人では絶対に生み出せないような音色に包まれて、音楽の力に励まされてきたから、今まで、言葉の世界にしがみついてこられたのかもしれないなあ、と思うわけです。

佐藤賢太郎さんの 「春の思い出」 を初見で歌った時の、あの不思議な感覚は、今でも生々しく覚えています。
なんというか、言葉と、音楽が、手をつないで一緒に歩いている感じ?
どの言葉をとっても、この音形しかありえないと思えたし、この音形には、この言葉しかありえないと思えました。
初見で、ちっとも満足に歌えなくても、ただただ、心地良い、と思った。
数回歌っただけで、音楽も歌詞も全部心の中で鳴り続けてくれる感じがしました。

今回、記事にした 「前へ」 の時もそうでした。
練習で、初見で、歌い始めたら、うまくいえないけれど、言葉が音楽になって、音楽が言葉になっていく、そんな感じがしたんです。

私は、言葉を仕事にしてるから、コラムの最後には、「言葉の力をあきらめない」 と書きました。
それは私の決意表明でもあるわけです。
でも、本当のところ、佐藤さんの 「な」 の力は、言葉の力でもあり、かつ、音楽の力でもあるのだと思います。そういうところに私は一番胸を衝かれたのだと思います。

音楽では、思うような表現はひとつもできない自分ですが、せめて、言葉だけはあきらめず、伝えることをあきらめず、どうにかやっていこう、と思っているところです。


2、3月の読書日記

恐ろしく忙しい2、3月でした。
おかげでちっとも、満足に本が読めなかった。読みたい本、目の前に山積み状態。とほほほほ。
それで3月後半、twitterのフォローをだいぶリストラし、twitterを読むのに遣っていた時間を読書にあてました。どうも私にはそっちのほうが向いているみたい。

今月のいちおしは、「河北新報の一番長い日」と「世代論のワナ」でしょうか。

*******

■青山・国連大学前ファーマーズマーケット男子野菜部「これからの野菜の食べ方」ファーマーズマーケットが教えてくれた30の真実

 書名も、著者名も、長すぎる……。というのはさておき。印象に残った彼らの主張を列挙しておきます。
・お客さんでも「化学肥料はいや」という意見を持つ人が増えました。しかし、色々な農家さんと触れ合う中で「有機肥料か化学肥料か」というだけで野菜の良し悪しを判断するのはモッタイナイのではないかと思い始めています。なぜなら有機肥料が必ず安全だとは言い切れないからです(略)よく知りもせずに否定するのはいやだなと思うのです。
・(無農薬だと断言することは誰にもできません。)現代の農家さんは、ほとんどのタネを種苗会社から購入していますが、そのタネのほとんどにあらかじめ農薬がかかってしまっています。(略)誤解を怖れずに言うならば、「無農薬ですか?」という質問だけではあまり意味がないように思います。
・Q 野菜を食べて東北を応援できますか? A 「応援したいから」より「おいしいから」が本当は嬉しいのです。
 写真やらレシピもところどころに入っています。
 福井で専業農家をしている義弟も作っている、黒や黄色のニンジンの写真も。彼の作るニンジン、本当においしかったなあ……。

■岩科司「花はふしぎ」

 日本で春を告げる花(マンサクやフクジュソウなど)はなぜ黄色いのか、という謎への答を探しているうちに行き会った本。

■山本直人「世代論のワナ」

・就職活動をRPGに例えて、このゲームに勝つ学生像(=ゲームに強いキャラクター)について「全体的な体力・気力がある/複数の特技やセールスポイントがある/圧迫面接などへの耐性が高い/一緒に頑張れる仲間がいる」を挙げる。RPGは、まず弱い敵を倒しながら、成長していく。いきなり人気企業だけに当たるのは、いきなりボスキャラに当たるのと同じこと。就職活動の中で徐々に成長し、強くなっていく、そのリズムに乗れた人が内定ゲッターになれるんだって。
・就職でやたら重宝がられる「コミュニケーション能力」について。コミュニケーション能力の高い若者の特徴とは? 内定ゲッターな学生たちに共通する特徴は、「自信を持っていて、伸び伸びと楽しんでいる(大学に入るまでに〝ダメ出し〟をされていない)/異性との接し方も自然/親が束縛も放任もせず、本人のコンプレックスになるようなダメ出しをしていない/」。つまり、自己肯定感が低くなるような育てられ方をされたり、学校で周囲にいじめられたりした人は圧倒的に不利、ということか。根が深い問題。
・著者は一方で、「伸び伸びした=コミュニケーション能力高そうな」学生ばかりを採用することの副作用についても述べている。一見「コミュニケーション能力の高い」若者に限って、「ダメ出し」された経験がないから、「打たれ弱い」。なるほどなあ。
・著者曰く「『コミュニケーション能力があって、かつ、タフな学生』が理想になる。しかしこの条件にかなうものはそういない。そもそも、そういう人物を『エリート』というのである。だから、ビジネス現場でやるべきことは、「ダメ出しされなかった若者を現場で鍛えていく」か「ダメ出しされた者に再度自信をあたえてやる」か。著者は「前者が起業の役割であり、後者は主に教育の役割だと思う。ただし、それは社会全体で支え合っていく問題だろう」と。
・実は就職シーンにおいては、家庭のバックグラウンドが大きな意味を持つ。著者によると、「親からダメ出しされていない」学生というのは、「親から信頼されている、と言う意識を持っている」学生なんだそうだ。「自信を持っている者は他者を信頼する」から、親子間で、「自信の相続」あるいは「自信喪失の相続」が起こっている、と。実はこれ、ものすごく大切な視点だと思う。

■橋本徹・堺屋太一「体制維新 大阪都」

■上橋菜穂子「狐笛のかなた」

守り人シリーズにはまった私が、日本に戻って、「こ、こんな本もあったの!」と遅ればせながら手に取った。やっぱり、上橋さん、いい。切ない。哀しすぎるエンディングにしたら、一生恨むぞ……と気持ち入れ込んでしまった。

■世代間格差  人口減少社会を問いなおす ちくま新書 加藤久和

データいっぱい。きちんと隅々まで読みたかったけれど、仕事が忙しくて、つまみ読みしかできなかった。後日もう一度読み直す予定。

■中下大樹「悲しむ力 2000人の死を見た僧侶が伝える30の言葉」

 ホスピスで働く僧侶が、「まだ生きてるのにお坊さんなんて縁起が悪い」などと言われつつも、終末医療に寄り添う中で感じたことを綴った本。出版直前に東日本大震災があったため、現地での活動も急遽盛り込まれた、らしい。詳しくは書かれていないが、著者自身が子ども時代、被虐待経験を持っており (たとえば、祖父から竹刀で殴られている間じゅう、痛みに耐えつつも、どこか冷静に、「あーあ、大樹くん、また殴られてるよ」と他人みたいに自分自身を眺めていたことを覚えています、なんて記述がありました。解離、ですよね)。
 東日本大震災の後に、「悲しむ力を大切にしよう」という本書のメッセージが気になって、手に取ってみました。前向きプレッシャーみたいなものが、ちょっと気になる今日このごろなので。
 大震災の後、「初めて生きる意味について考えた」という声を多く聞いたそうです。これが一時的なものなのか、そうでないのか、見極めたい、と本書に書いてありました。私も興味があります。
 著者のいう通り、日本に足りないのが「悲しむ力」だったとしたら、それは日本の宗教観と深く結びついている気がします。宗教心がなく、それゆえ、合唱なんかでも、第九も含め、宗教曲を歌うのが苦手な私にとって、信教することに信教しているようなアメリカでの4年間の経験は、とても考えさせられるものだったし、宗教の持つ力というのを考えることがとても多くなった気がします。

■「さかな記者が見た大震災 石巻賛歌」高成田享
 いきなり1ページ冒頭に、ワシントンDC時代の知り合いの名前が出てきてびっくり!

■「官報複合体 権力と一体化する新聞の大罪」牧野洋

■「大丈夫だよ、がんばろう! 私も、乳がんと闘っています」山田邦子
■「邦子の『しあわせ』哲学」山田邦子

■「日本人をやめる法」

■「震災死 生き証人たちの真実の告白」吉田典史

 遺族、検死医、消防団員、救助犬調教師、潜水士、防災学者……色々な立場の方々の証言を並べてあります。つまらない作り込みをしていない分、真っ直ぐな気持ちで読みたくなります。
 ものすごく良い本、という予感がします。なぜ、予感、と言うかというと、5分の1を読んだところで、図書館の貸し出し期限が切れてしまい(仕事がちょうど忙しかったの)、返却しなければいけなかったから。貸し出し予約手続きを取った上で、いったん図書館にお返ししました。今度順番が回ってきたときは、半日、時間を取って、じっくりと感じ取りながら読もうと思います。

■「迷走する両立支援 いま、子どもをもって働くということ」萩原久美子

 2006年刊行の本。気になったデータや指摘を列挙。新しい数字、今度探してみようっと。
*労務行政研究所のデータ「国内転勤をめぐる最新実態」(2005年)では、5年前より単身赴任者が増加した、と回答した社が30%に。生データが見たかったので探したら見つかった(http://www.zeniro.jp/cgi-local/siryou/upfile/tenkin.pdf)。これによると、減ったのが1割、残り6割が横ばい、って感じ? 最近のデータ探してみよう。
*夫と妻の育児時間について。読売新聞アンケート2003年。「夫が子どもの預かり先や保育の手配をする」と回答した妻はわずか14・4%。「夫が子どもの友人宅などの緊急時の連絡先を知っている」も22%。爆笑。ちなみにわが家では、息子が保育園~小学校時代、お世話になったベビーシッターさんの電話番号を3~4回ぐらい夫に教えたが、そのたびに夫は紛失。夫が直接シッターさんに電話し、手配したことは、ゼロ、です。ゼロッ!!!(今の若い世代のパパには絶対に理解できないだろうけど、わずか10年前だってこんなもんでしたよ)
*かなり古いデータだけど。2001年女性雇用比率について。「男女共同参画に関する調査 女性人材活用と企業の経済戦略の変化に関する調査」(2005年経産省)。育休取得者の比率が平均以上の企業(17・8%、A群とする)より、平均以下の企業(28・8%、同B群)のほうが、女性雇用比率は約10ポイントも高かった。しかも、同年の女性管理職比率も、A群ではわずか1.9%なのに、B群では5・4%。また、女性採用比率のほうもA群では1993年46%から96年37・3%、2001年は28・3%と年々落ちている(!!!)。B群では93年45・3%から、2001年46・9%と微増している。つまりだな、育休を取りやすい職場はそもそも、入り口で女性を絞り込んでるし、長く働けたとしても昇級昇格はなかなか難しい。一方、育休が取りにくい(というか、妊娠した時点で、両立モデルが見えなくて退職しちゃってるんだろうな、きっと)会社では、結構女性を採用してるけど、産んだ女性は辞めちゃって、結果的に昇進してる女性の割合が数字上高くなっちゃってる、とか? そういうことでしょーか。うむむ。
*238ページ、243ページなど。「両立支援」が、「女性社員に対する仕事と育児の両立支援」という脈略で語られていることの問題の指摘。本来ならば、「職場の男女間格差解消」や「男女共同参画」的なプランとして、行動計画策定を企業に義務づけるべきだったのではないか。この辺りの指摘、大事。いつのまにやら、「ワークライフバランス」って言葉が、女性だけの問題だと思っている男性社員の多いこと、多いこと!

■「いじめとは何か」森田洋司、中公新書

 いじめ概論をさくっと読める新書。新書だけにお手軽だけど、もっと突っ込んで知りたい人には物たりないかも。ちなみに、この著者の監修した「いじめの国際比較研究」(金子書房)はとても役に立つ本で、私はいまだ手元に置いてあります。

■「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙」 河北新報社

 報道に携わる人はやっぱり必読の書、と思いました。
*見出しに「死者」を使わず「犠牲『万単位に』」するまで、どんな議論があったか。
*販売店の方の体験。「これまで新聞を届けて『ありがとう』と言われたことはあっただろうか。『ごくろうさま』とはよく言われるが、『ありがとう』を耳にしたことはない」
*福島が持ち場だった若い記者が、一時的に社の方針で退避せざるをえなかった経験を経て、「自分の追い求めた理想の記者像とあまりにかけ離れ、その落差に言いようのない絶望感を覚えた」といって、退社したこと。
*南三陸町の3階建の防災対策庁舎ビルの屋上に、約30人が避難している写真と、ビル屋上に波がかぶり、退避していた人数が約10人に減っている連続写真。今なお有名なあの写真だが、共同通信社が配信したこの写真を、河北新報社はあえて載せない判断をした。判断を決めた一番の決め手は、現場で取材する記者の「その写真を地元の人が見たら、多分もたないと思います」という言葉だった。「われわれは被災者と共に」と。
*震災孤児の取材がもっとも辛かったという20代の記者。親をなくした中学生の話を聞いているうちに、途中、自分が何を聞いているんだか分からなくなり、頭が真っ白になった、という。「取材にあたって自分が彼らにしてあげたことは何ひとつなかった」と。
 一枚の写真、一つの記事、載せるか載せないか、一つ一つの判断について、今なお自問している、という記述が続く。そうだよなあ、と思うしかない。答えのでない自問が降り積もっていく仕事なんだよなあ、と。
 福島を退避したことを引きずり、最後は退社の決断をしたという若い女性記者さん、今どうしているのかなあ。

■「突然、僕は殺人犯にされた ネット中傷被害を受けた10年間」スマイリー・キクチ

*警察、弁護士、地検の検事……ほとんどの人が、被害を訴えるキクチさんに言った言葉。「だったらネットをみなきゃいいでしょ」「ブログなんてやってるから、中傷される。ブログをやめればいい」「実際に被害を受けたわけじゃないでしょ」。今なお(いや、数年前の言葉が混じっているにしても)、法に関わるそれなりの年代の人の、ネットに対する考え方がこの程度なのか、と愕然とした。なんという無知……。
*キクチさんに「あんた殺人犯。死ね」とか「鬼畜。地獄で焼かれろ」とか「殺す」とか書き、最終的に警視庁に摘発された十数人。その内訳は結構重い。社会的に地位ある人もいた一方、引きこもりなど、心に問題を抱えた人も4分の1近くいた、と。また、取り調べで警察から「キクチ氏はあの殺人事件とは無関係だ」と事実を告げられた時、彼らのほとんどが「ネットにだまされた」「悪いのは嘘の情報を流した人」「自分は被害者」と主張したという。怖い。自分もまた、嘘の情報を流し、中傷した、という事実への自覚があまりに欠如している。最終的に、犯行理由について「離婚してつらい時期だった」「人間関係の悩み」「暮らしがうまくいかずムシャクシャしていた」と供述したって。「キクチ氏が憎かった」みたいな理由じゃなかったことが、何より怖い。
*おまけに、不起訴処分に。この事件を担当した担当検事と、キクチ氏との会話はものすごい。ご本人、icリコーダーで録音していたらしいので、そう嘘はないと思う。ちなみにこの検事さん、キクチさんが「僕にどんな落ち度があったんですか」と問うたのに対し、「中傷されているのを知りながら、ネットを見たり、ブログを開設したりしたこと」「(過去の殺人事件との関連を疑われるような)足立区出身と公表したのも問題になるのでは」と言ったそうな。さすがに度肝を抜かれたキクチさんが「自分が生まれた街を公表して何が悪いのですか。じゃあ、足立区出身で僕と同世代の人はブログもネットもやるなってことですか」と問うたら、「う~ん、え~、そうですね……」と。
 自分が巻き込まれ、検事にこんなことを言われたら、いったいどうすればいいんだろ、と途方にくれてしまいます。
*自分の発言に責任持てない人、それを簡単に流布してしまう人、それはどの時代にもいるんだと思います。インターネットといのは、それを簡単に拡散し、おまけに増幅する機能を果たしてしまっているとも思います。でも、だからネットを批判するのではなく、そういう問題がいとも簡単に起こってしまうことを理解し、問題が起こるたびに早期に解決していける仕組みを作っていくしかないんじゃないか、と思ったりしました。

■「われ日本海の橋とならん 内から見た中国、外から見た日本 そして世界」加藤嘉一

 毀誉褒貶ある人、とはいいますが、私は彼の話、すごく面白いと思います。東大の学園祭で彼の話を聞いたのが初めてでした(http://gendai.ismedia.jp/articles/print/27935)。それで彼の著書を何冊か読んでみよう、となったわけ。彼の著書の中でどれか1冊を読む、というなら、これが一番お勧めかな、と思いました。

その他、ロバートホワイティング氏のインタビュー前に、彼の 「和をもって日本となす」「菊とバット」「イチロー革命」「さくらと星条旗」 など読み返す。特に
■「和をもって日本となす」 は日米相互理解の歴史に残る名著です。

南三陸町へのボランティアツアーに参加してみました

先週末、南三陸町へのボランティアツアーに参加しました。
1泊2日。土曜日の早朝に東京駅を出発し、新幹線とバスを乗継ぎ現地へ。
地元ボランティアセンターに登録し、その日の作業を割り振ってもらって、1日目は2時間ほど作業。
夜はホテル観洋に宿泊し、2日目は5時間ほど作業し、温泉で汗を流した後、新幹線で帰路へ、というツアーです。

昨年、東日本大震災をアメリカで迎えて以来、ずっと心にしこっていたもの。
昨夏、日本に戻って、家族で仙台の義父母宅を訪ねても、石巻などの被災地をめぐっても、あるいは取材で被災地に行っても、やっぱり納得できないものがずっと残っていました。
ボランティアツアーに参加しよう、と思いたち、それから、「もしかして、私みたいに今も迷っている人がいるなら、その人たちに届けられる記事になるのかも」 と気づき、職場の企画会議でも提案してみることにしました。
その結果、個人で参加するはずが、仕事として参加することになりました。

どうせなら、できるだけ、多くの人にとってハードルの低いツアーを選び、読者に届けてみよう、と思いました。
バスツアーではなく、新幹線利用に。
ホテル泊で、露天風呂のある温泉付きに。
それでも、新幹線で移動時間を短縮できる分、ボランティアの作業時間も2日間確保できるものに。
そんな基準で、JTBさんの今回のツアーを選んだのでした。

中身は、この記事に書いたとおりです。

東日本大震災 週末ボランティア体験記 一人じゃ何もできなくても
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120328dde012040060000c.html

新聞記者として参加した、というよりは、個人として参加したかった思いのほうが強かったので、今回はあえて、いわゆる取材行為のようなものをほとんどしていません。
私が記事中で紹介しているような話は、一緒にツアーで出かけた仲間全員がほぼ共有できている物語です。
夜の食事の時の自己紹介で、あるいは、温泉で湯につかりながら、あるいは、相部屋で布団を並べて、私たちは色々なことを語り合ったし、お互いに様々に切実な思いをかかえてこのツアーに参加したことを、知り合いました。
だから、記事の主語に、「私たち」 を使っています。
たぶん、「私たち」 なんて主語を新聞記事で使ったのは、私にとっては、初めてのことだと思います。

もっと貪欲にそれぞれの参加者や、南三陸町の方々の話を 「取材」 していれば、
あるいはもっと貪欲に、より良い写真を撮影することに時間を割いていれば、
もしかしたら、もっと意味のある、人々に伝わる記事になったのかもしれません。
そういう意味では、またしても、プロ失格だよなあ、という思いもあります。
でも今回は、私自身が参加者の一人であることのほうを優先したかったんです。
それが自分の立ち位置だったし。
「ボランティアに行ってみたい。でも行っていいのかしら。役に立てるのかしら」 と悩んだり迷ったりしている人にとっては、今回のボランティア経験を通して、「記者として見えたもの」よりも、「ツアーの一参加者として見えたもの」という情報の方が、意味を持つのではないか、とも思いました。

100人いれば、100通りの出会い方があっていいんだと思います。
自分の目で見て、自分の手で触れたことで、あらためて、「被災者」なんて言葉で束ねられない、束ねてはいけない人々の思いと暮らしに出会うことができました。
受け入れてくださった現地のボラセン、志津川の漁師の皆さん、ホテル観洋さん、JTBの皆さんらにも感謝します。それぞれの現場で、一人ひとりが、単なる仕事に終わらない思い入れを抱えて、動いておられることを知りました。

私がここに書いたのは、体力に自信がなくても、筋力に自信がなくても、特殊な資格や能力がなくても、その人なりにその土地に出会い、そこに暮らす人に出会える、ボランティアの「最初の一歩」のようなものです。
次の一歩がどんなものになるのか、まだわからないけれど、少しずつ探していこうと思います。

このツアーの仲間に、一人の看護婦さんがいらっしゃいました。
「職場の若い看護婦が、その職能を活かしたボランティア活動をするために、今も被災地に入ってます。私は職場では、それの後方支援。でも、今回は、看護婦としてではなく、ただの一主婦として、ボランティアをしてみたかったんです」
私の心のとても深いところに響いた言葉となりました。

私もたぶん同じ。
新聞記者としてではない形で、できることを探していたような気がします。

去年のあの日、うずめることのできなかった7000キロの距離を、こうやって一つひとつ、詰めていきたいと思っています。

MY AMERICAN FRIENDS-- a letter from Tokyo

Dear friends,

One year has passed since the earthquake and tsunami.
Some American friends of mine kindly sent me an email or sent me a message via Facebook on March 11th this year, and asked me how things really were in Japan.

Here are some updates of Japan, and my life.


This is a slideshow of 3.11 in Japan, with English captions.

http://jp.wsj.com/japanrealtime/blog/archives/9873/tab/slideshow/


I would like you all to look at this, especially the last photo. This is our saddest, toughest, but the most hopeful year we ever had.

I enjoy my job as a newspapers writer. I sometimes write about the earthquake and the tsunami. It is difficult. Whenever I write about it, I cannot help feeling a kind of guilt that I was not in Japan at that moment. This sense, which I felt for the first time on March 11th last year, still remains with me. It may never go away.

However, now I must decide to do what I can in Japan (especially as a journalist). I will keep on doing what I can do wherever I am. This is just the simplest but the most important goal for me.

By the way, I joined the Japanese chorus group at the beginning of February. Yes, I finally began to sing in Japan.
On March 11th, our chorus group entered a chorus contest held in a city near Mt. Fuji. We sang several songs. My favorite is Haru-no Ashioto written by Kentaro Satou, also known as Ken-P, a Japanese composer who has been in the U.S.

http://www.wisemanproject.com/score/KisetsunoShiori-1E-Spring-A4-no-copy.pdf (you can see some English words in the last page)

The words I fell in love with are

“I sing.
I sing yesterday’s wish,
and tomorrow’s dream.”


Whenever I sing this song, these words remind me of 3.11 and make me cry.
Please try and listen to the song.
This is its music filed on the composer’s website;

http://www.wisemanproject.com/mp3/110308-HarunoAshioto-OsakaChoralWorkshop.mp3


I believe you understand why I fell in love with this song.
We sang this song from our heart, and we won the 3rd prize at the concert.
We were very happy that we could share our message with listeners there.
Hopefully I can share it with you, too.

Love,
Ayako Oguni

あなたは長生きしたいですか?

長生き、について、あれこれ考えています。
実は最近、周囲の友人知人から、「あんまり長生きしたくないな」 って声を聞くことが増えました。
自分より若い世代からは、「年金も心配だし、長生きしてもロクなことがなさそう」 など。
上の世代からは、「長生きして、子どものお荷物になるの、嫌だしね」 みたいな。
こんなにたくさんの人が、「長生きしたくない」 と思ってしまう世の中って、いったい何なんでしょう。

7年前から、「死にたい」「切りたい」 という若い人たちの取材をしてきて、ふと思う。
「死にたい」 と 「長生きしたくない」 の間には、大きな大きな違いがきっとある。
でも、死にたいと思ったり、生きづらさを抱えている、私が取材してきた若い人たちにとって、世の中の多くの人が 「あまり長生きしたくない」 と思ってしまうような世の中が、生きやすいわけがないんじゃないか、って。

27歳の時、母が死んだ。
母は53歳だった。
ああ、きっと私も53歳で死ぬ。
人生折り返したなあ、と当時は思ったもんだ。

40歳過ぎた今、ええい、こうなったら100歳まで生きて、この世が、この国がどうなるのか、見届けてやるっ!
などと思っている私だけれど、
「長生き」 をネガティブに考えざるを得ない時代は、やっぱり嫌だ。
そして、願わくば、私がこれまで取材してきた、生きづらさを抱えた彼女、彼らが、より生き生きと暮らしていける社会であってほしい。
切にそう願う。

あなたは長生き、したいですか?

東京スカイツリーの影のてっぺんを歩く、という記事

こんな記事を書きました。
「東京スカイツリーの影のてっぺんを歩く」。

上から見上げるのではなく、影を追いかけるの。
ツリーよりも影を、影よりも人を主人公にした記事です。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120213dde012040006000c.html

冬至の日、新聞の一面を飾っていたスカイツリーの空撮写真を見たのがきっかけでした。
墨田川の向こう側、浅草の町にまで伸びる黒々とした影を見たら、あああ、この影がどんな風に動くか知りたい! と強烈に思ったのでした。
大真面目な顔で企画会議で、「スカイツリーの影のてっぺんをたどって1日じゅう歩きたい」と提案したら、上司にも同僚にも笑われまくった。笑われまくったけど、柔軟な編集部なので、「まあ、好きにやってみろや」となったのでした。
(なんと太っ腹だ……)。

それからが大変。
影のてっぺん、ってどうやって探せばよいのだろうか、と。
結局、三角関数に頼ることに。
図までは自力で描けたんだけど。
でも、高さと角度(太陽を仰ぎ見る仰角)から、どうやって底辺の長さを求めるか、どうしても思い出せなくて……結局理系の同僚に教えを乞うた。
で、できたのがこんな絵。




blogtree1_20120214163934.jpg



影の長さ=634m÷タンジェントθ

公式が分かればこっちのもの。
仰角はこのサイトで調べました。
http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/koyomix/koyomix.html

日時を入れて、「太陽の高度と方位」の計算をすると、仰角のほか、太陽の方位(真北をゼロ度とした方位)も出る。
で、仰角がわかってからは、このサイト。
http://keisan.casio.jp/has10/SpecExec.cgi?path=04000000%2e%90%94%8aw%8c%f6%8e%ae%8fW%2f02000100%2e%8eO%8ap%8a%d6%90%94%81i%93x%81j%2f10200200%2e%8ap%93x%82%c6%8d%82%82%b3%82%a9%82%e7%92%ea%95%d3%82%c6%8e%ce%95%d3%82%f0%8cv%8eZ%2fdefault%2exml


高さは634メートル。
角度のところに、仰角を入れたら、底辺aの長さが出る。これが影の長さ。
先に調べた方位と、影の長さから、その日時の影の先端のある地点を導き出す、ってわけ。

1月31日。
雲一つない、完璧な 「影さんぽ日和」。
でもむちゃくちゃ寒かった……。
最初に影を捕まえるまでは、街の中をおろおろ。とても心許なかった。
影を見つけた時は本当にうれしかった。だから一人で興奮してしまったし、道行くおじさんに 「変な名人」 と思われちゃったんだろうな。


sumidagawakage.jpg

(自転車の向こう側に見える影が、土手にほぼ垂直に落ちたツリーの第一展望台と第二展望台の間あたりの影)


「スカイツリーを見上げて、ツリーの向こう側に太陽があったら、そのとき、あなたはツリーの影の中にいる」 という理屈が分かれば、後はひたすら歩き回るのみ。

たくさんの人とも話をした。
「影を追いかけて歩いてるんです」
と正直にいうたび、

変な人扱いされたり、
面白がってもらえたり、
一緒になってツリーの向こうの太陽を見上げたり、
ツリーにまつわる話をあれこれ聞かせてくれたり……。
ツリーに関係ない昔話をあれこれ聞かせてくれたり……。

最初は、影を主人公に記事を書くつもりだったのに、偶然に出会う人出会う人が、それぞれに心に染みる話をしてくださるもんだから、結局、影のめぐる街に暮らす人々が主人公となっちゃいました。
最初は影を追いかけることが目的だったのに。
東京スカイツリーのふもとに、みんなこんな風に暮らしてるんだぞ、ってそんなことが無性に伝えたくなりました。
東京タワーのふもとで、たくさんの人々の物語が生まれたみたいに、
これからは私たちが新しい物語を生んでいくんだぞ、って。


sumidagawa2.jpg




最初は、3日間くらいかけて、丁寧に丁寧に取材して回るつもりだったのに、途中から、影がどんな風に動くのが知りたくて知りたくてたまらなくなり、結局、日没まで歩き回ってしまったのでした。
あまりに歩きすぎて、その後3日間、まともに歩けませんでした。
フラフラになったけれども、寒かったけれども、ずっとワクワクできる取材でした。

荒川土手では、カメラに人生掛けたオジサンたちに、思い切りあきれられてしまいました。
「影を探して? 浅草から? 朝から歩いてる? 変なこと考えるねえ」 とか。「スカイツリーで影といえば、せめて、水面に映る影を映すとか、そういうもんでしょう。本当の影を撮影してどうするわけ?」 と真顔で尋ねられたりもしました。

でも、私に言わせれば、あの方々のカメラに掛ける根性のほうがずーーーーっとすさまじいと思います。「何回ぐらい撮影に通うんですか?」 と尋ねたら、「納得いく写真が撮れるまで……って、何年かけても、その1枚が撮れないんだけどさ」 だもの。

機会があったら、こんなお散歩、みなさんもどうですか。
小さな路地が薄いぼんやりした影に包まれ、そしてすーっと日差しが戻る瞬間は、なんだかすごく不思議な感じです。
思い切りお天気の良い日がおすすめです。
ただし、一発で目をやられますから、お気をつけて。
(私は翌日、パソコンの画面が見られませんでした)。


以下は番外編。
今一番気になっているのは、季節ごとの影の先端の軌跡の変化です。
上記の計算式で、夏至や春分・秋分のデータも算出してみました。


blogtree2_20120214164828.jpg




夏至はなるほど、図の「夏」と書いた紫色の線をたどるみたい。つまりカーブが冬とは逆になるわけですね。
一方、問題は、春分と秋分。
どうやら……一直線になるみたい。

でも、どうしても分からないのがここから。
春分や秋分って真東から太陽が昇って、真西に太陽が沈むといわれるじゃないですか。
ってことは、当然、影は図の2番の線になると思うのです。
が、影の長さを考えると、むしろ1番の線なのかも。
あるいは、スカイツリーほど高い物体の影だと、影の先端の軌跡は決して一直線を描かないとか?

すでに、別のテーマの取材に取りかかっているものの、ここ数日、この問題が気になって気になって……。
ちょっと、時間を見つけて、さらに、調べてみようと思っています。
ひたすら歩く取材って、好き。



春の記事、掲載されました。

先日のブログのエントリーで、春のおすそわけを少ししましたが。
春を探しに行った、の記事、ようやく掲載されました。

特集ワイド:春を探しに東京・小石川植物園へ 黄色とともに
(http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120202dde012040003000c.html)

小石川植物園に、都合4回くらい通い詰めたんじゃないかな。
掲載がちょっと遅かったこともあり、「まだつぼみ」 と書いた花が、掲載前に咲いちゃうかも、と。
一部そういうこともあり、少しずつ手直しをしていく作業自体が、春の訪れでありました。

結果的に、掲載日前日に、日本のあちこちで大雪の被害が出て、人の命が奪われるような事故まで起こり、さすがに悩みました。自分なりに切実に書いたつもりではあっても、春を待つ記事なんて載せる時期なのか、って。
デスクに相談したら、彼女もそのあたり理解してくださって、二人でウンウンウンと。
でも、言い訳みたいに、雪の被害について触れるのもやっぱり違うだろう、ということになり、このまま掲載しました。

長野に4年間いたとき、くる日もくる日も雪景色で、春の訪れを一番感じたのは、雨の音だったことを思い出しました。(冬の間は雨は降りようがないの。雪になっちゃうから)。
色とりどりの花を見るより、何より、雨音を聞いて、「ああ、ようやく春が来てくれた」 と、自分で自分を抱きしめたくなるような気持ちになったあの年の春が、私には一番印象深かったなあ、と。
そんなことも思い出しました。

最後に。
小石川植物園でいつも見に行った花の写真を。
アテツマンサク。
シナマンサクより花期が遅いので、まだこんな感じ。
くるくると固く巻いた花びらを四方に伸ばしたら、春はすぐそこ。

atetumansaku.jpg




春のおすそわけ

kankoubai.jpg

寒紅梅。
数輪、咲いていた。
今年は春が遅いね。


tanpopo.jpg

おひさしぶり! 日本のタンポポ。
去年まで、こんなのを見つけたら、家族で血眼になって、必死で抜いてたのにねえ。
日本の春は、タンポポを大切に出来るからうれしい。

(アメリカでは、タンポポは、青い芝生をダメにする史上最悪の雑草、なのです。
除草剤のラベルには、たいてい、タンポポの絵が載ってるくらいに)。


shinamansaku.jpg

私が一番大好きな早春の花。
ふふふふふ。
まんず、咲く、ってやつです。

1月に読んだ本 (備忘録)

もはや1冊1冊、きちんと書評を書く余裕もないもので、今年からは、自分の備忘録代わりに、読んだ本を並べておくことにします。以下、順不同。
ゼッタイお勧め本には、★印、つけますね。

■小倉千加子「結婚の条件」


■駒崎弘樹 「働き方革命 あなたが今日から日本を変える方法」

・興味深かったのは、このエピソード。
 在宅勤務で効率を上げようと導入したところ、企画スタッフらの効率が逆に下がってきて「何か、寂しいんですよね……」と。「集中できるんで、作業は効率的です。ただ、雰囲気というか、自分だけでやっていると気詰まりというか、息詰まるときがあるんですよ」と。それで企画スタッフは、在宅勤務は週2日まで、と。
(フリーランスから、会社員に戻ってみて、一番痛感するのはこれ。ちょっとした仲間とのやりとりで生まれるアイデアってあるのね。だからこそ、職場環境とか雰囲気って、ものすごく大事なんだと気付いた次第)。

■駒崎弘樹 「『社会を変える』を仕事にする」
 (以下、自分のための読書メモ。あとで読んだら、意味不明?)
・「運動によって社会問題を解決する」から「事業によって社会問題を解決する」へ@アメリカ。
・榊原清則@慶応大の言葉。「全体を救うイノベーションは、つねに多様性から生まれる」

 ★★→社会起業に興味のある人にも、ない人にもお勧め。中高生にも読ませてみたい。

■竹井善昭「社会貢献でメシを食う。」
 (自分のための読書メモ)
・日本ファンドレイジング協会、という存在
・「ソーシャル・イノベーションやソーシャル・ビジネスを『資本主義の対極』に位置づける考え方の危うさ」
・社会貢献系の雑誌「sympress」「alterna(オルタナ)」。こんなのあるのね。
・プロボノに挑むなら、サービス・グラントという会社も

■毛丹青「にっぽんやっぱり虫の眼で見たい」

■大野更紗「困っている人」

■長田弘「詩ふたつ」
 あとがきにある言葉。「一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます」と長田弘さんが。2009年に亡くなった奥様の思い出をこめて作られた詩集のようです。詩の中にある、「病に苦しんで/なくなった母は、/死んで、また元気になった。/死ではなく、その人が/じぶんのなかにのこしていった/たしかな記憶を、わたしは信じる。」

■高橋秀実「からくり民主主義」

■山口文憲「日本ばかちん巡り」

■阿部三郎「破産者オウム真理教 管財人12年の闘い」

■森達也「A3」

■竹内精一「上九一色村発 オウム2000日戦争―富士山麓の戦い」

■熊本日日新聞社「オウム真理教とムラの論理」

■NHK放送文化研究所「現代日本人の意識構造 第七版」
 とりあえず5年に1度調査しているので、日本にいなかった4年間の変化をデータで知りたいなあ、と思って図書館で借りた。手元においておくと、なにかと便利そうなので買おうかな。
 若者の間に「奇跡」を信じる人が増えていて、いよいよその数38%! って辺りは結構驚いた。次の調査は2013年。大震災の影響がどんな風に出るのか。

■加藤嘉一「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」

 彼の場合は、本で読むより、直接、講演などを聴くほうが100倍面白い……と思った。いや、本がつまらなかった、とは言っていません。彼の講演が面白すぎるだけです。印象に残った部分をざくっと箇条書きに。

・「(中国に比べ)日本の若者の方が、自立して生きていく力が比較的高い」
・社会を拘束するもの。欧米では神。日本では「世間」。中国では何もない。
・中国人の愛国と欧米崇拝は両立する(!)。日本には愛国も欧米崇拝ももはやない。
・日本が戦後、一度の戦争にも参加せず、自衛隊は一人も殺していない、という事実を中国人は知らない。
・政治的自由と発展、どちらを優先するか、と尋ねると、北京大学など最高学府では95%が発展。自由は5%。これが「北京のシリコンバレー」と呼ばれる中関村のショッピングセンターでは、発展99%、自由1%に。
・中国にいじめという文化はない。(これはさすがにちょっと違うと思うぞ)。
・中国に来た日本人が「意外と中国って自由だね」という。「日本の社会には、空気も含めて、有形無形のお決まりが多すぎるんだろう。中国人は空気なんて読まない」「政治的、制度的には、日本が自由で中国が不自由なはずなのに、生活面というか、心理的には、中五億が自由で日本が自由でないような、そんな感じさえ受けている」
(→中国人とアメリカ人って似てる、個人主義的なところが、とよく思ったもんだったなあ、と思い出した)。
・中国人は臨機応変。「計画は変更に追いつかない」と信じている。(なるほど)

■大嶋寧子「不安家族 働けない転落社会を克服せよ」

・データが新しいので、貴重な資料
・途中、「共働き、というのは貧困防止の手段となりにくい」という項がある。世帯内で働く人の数が減ると貧困に突入する確率は高まるという。(これはもちろん、当たり前だ)。ところが逆に、世帯内で働く人の数が増えても、貧困に突入する確率が低くなる、とはならないんだって。統計的に影響を与えないんだって。うーん、なぜだろう? 本書では、「雇用の不安定化のためではないか」と書かれてるけど、それで説明つくか? もっと突っ込んでほしかったです。
・最後にちゃんと政策提言してくれているのがよかった。それも、あれをやれ、これをやれ、と提言するけど、財源確保のアイデアは出さず終い、って本とは違い、きちんと財源確保のための提言もしている。この点、とても信頼できると思った。ちなみに、筆者の挙げている、財源確保のための提言は……。

1、消費税率引き上げ 2020年までに15%まで。
(逆進性対策としては、給付付き税額控除。食品などに軽減税率を適用する方法は、所得再配分効果が小さいので、採らない)
2、相続税の強化
3、社会保障費の抑制。高齢期に貧困率が高いのは事実だが、現役世代をこれ以上疲弊させるわけにはいかない。ゆえに、年金給付額のマイナス改定に加え、年金収入への課税強化。

図書館で借りたんだけど、時間切れで丁寧に読みきれなかったので、あらためて買おうかなあ、と思う。

■海老原 嗣生「『若者はかわいそう』論のウソ」

■池澤夏樹ら「脱原発社会を創る30人の提言」

■池澤夏樹「春を恨んだりはしない」
 昨年末から今年初めにかけて、何度も読み直した本。静かに心に染みていく本。★★おすすめ。
 インタビュー時にうかがった言葉の一つひとつも、とても印象的でした。

プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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