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カレッジ授業報告 子どもを生まないかもしれない理由

最近、カレッジの先生の英語だけでなく、最初はわけの分からなかった若者英語が少しずつ分かるようになってきた。
お陰で、ディスカッションにも随分と参加できるようになり……と書きたいところだが、むしろ逆。
若い彼らが何を言っているかわかり始めたら、逆に議論に参加する意欲が失せ始めた。
だって……。

たとえば、「結婚とは何か」 みたいな話を議論する時に、
結婚の持つ、社会的な機能だとかそういう議論にまったくならず、日本の教室の常識では信じがたいほど活発にかわされる議論というのがこんな感じ。

「お金のために結婚するのって、誠実じゃないと思うわー」
「お金だけのためではなくても、やっぱりお金って大事よ」
「私は絶対に、愛が大事だと思う!」

うむむ。
結婚とは何か、なんて考えたことなかったよ。
考えることもないまま、すでに結婚して、15年だよ。
「愛か、金か」?
んなもん、どっちでもいいじゃん……。
あんた、我が家なんかもう、日々戦いよ。

などと、
ついつい、ようやく聴き取れるようになった議論を、妙にほほえましく眺めてしまうのだ。
ハッと気づけば、それはもはや、母親目線。
いやあねえ、オバサン学生って。

今日もそんな感じで始まった。
先生の質問は、
「アメリカ人の若者男女の9割以上が、『いつか子どもがほしい』 という。君たちの場合はどうだい? 子どもをほしいと思うのは、どうしてだろう?」
それから、念のため、という感じで言い足すのだ。
「あるいは、子どもを生んだのは、どうしてだろう?」
ははは、オバサン学生への気遣い、だろうか。

なぜ、子どもを生んだか?
子ども産んだのって、もう10年以上前のことで、色々ありすぎて、一言で 「なぜ」 なんて言えるわけないじゃん。
だから、またしても聞き役。

「子どもを生むことは、家族を作る者として当然だもの」 とある女の子がいい、
「自分が子育てを通して成長できるの」 と別の女の子が言う。
日本の学生さんに聞いても、似たような答えが返ってくるだろうなあ、などと思う。

サントール先生はさらに問う。
「じゃあ、逆に、子どもを生まないかもしれない、と思う人。どんな理由のためなんだろう?」

別の女の子が、「なんか、まだ、子育てなんてする自信ないし」 と言い、
その隣の女の子が、「Party is over !!! ってのもねえ……」 と言い……。

ここで 「あら、あなた、子育てってホント、おもしろいわよー」 と言ったら、ただのオバサンの若者への説教だわ、と内心苦笑いしながら、「子どもを持つか、持たないか」 をめぐるアメリカの若者の意見を、実に楽しく聞かせていただいたのだった。

そんな今日の授業の中で、ただ一つ、どきりとさせられた意見があった。
「子どもを生まないかもしれない理由」 を挙げた、黒人の女の子の発言だ。

「生まないかも。というか生む自信がないな。だって、一人で育てる自信がないんですもん

サントール先生が、「どうして、一人で育てる、って言うの? どういう意味?」 と問いかけたら、返ってきた答はこうだった。

「だって、私たちの人種って、男は子育てに参加せず、そのままいなくなっちゃうからね」

当たり前のように、さらりと言った彼女のセリフに、二重の意味でドキリとさせられた。
一つは、「自分の将来のパートナーは黒人男性である」 ということを、前提とした発言であること。
もう一つは、「黒人の男は子育てをせず、いなくなる」 ことを、現実に肌身に感じての発言であること。

確かにデータを見ても、アジア人やラティーノと白人との interracial marriage に比べ、黒人と白人の結婚は、米国では少ないと言われている。
また、黒人家庭における 「一人親家庭」 の割合は、1970年には36%だったのが、2003年には60%に増えている。(白人も増えているが、10%から27%)。
同棲が多いということもあるが、いわゆる 「未婚の母」 のもとに生まれる新生児の割合は、白人の間では29%、黒人の間では68%という。

そんなデータ自体は知っていたけれど。
目の前で、20歳そこそこの女の子が、将来子どもを生んだなら、それは、「一人で子育てする」 ということなのだ、という 「現実」 を当たり前のことのように受け止め、将来を考え、そんな思いをサラリと口にするのには、さすがに圧倒された。
そもそも、母親目線だったから、正直なところ、胸が切なくなったよ。

私なんか40歳を過ぎてなお、「一人で子育てする自信、全然ありません」 を理由に、夫の海外赴任と同時に会社を辞めちゃったんだもんなあ。何も言える立場にありません、って感じ。
私の日本の友人の中には、すごく素敵に 「一人で子育て」 してるママがいっぱいいる。
でも、子どもを生む前から、それも20歳そこそこで 「子どもを生む=一人で育てる」 と受け止め、「自分は一人で子育てできるか」 と自問しているような日本の女の子って、あまりいないんじゃないかな。
ガツン、とやられた感じ。
いやはや、参った参った。

時々、こんな意見に巡り会えるから、
やっぱり、アメリカのカレッジっておもしろい。


カレッジ授業報告 成人しても親と住むという現象

そんなわけで、颯爽と、本日のカレッジ報告。
本日の授業は、「社会学によって分かった今のアメリカにおける家族と結婚」 がテーマだったと言おうか。
つまり、若い学生さんたちに、「社会学で家族や結婚を取り扱うというのがどういうことか」 をイメージしてもらうための導入授業だったんだと思うのだけれど、これは、まさに、外国人ジャーナリストがアメリカの家族や結婚のアウトラインをつかむのに、ちょうど良い内容で、結構楽しめた。

具体的には、社会学的な調査の結果、導き出された8つの事実を列挙し、現在のアメリカの家族や結婚がどんな風に変わってきたか、それがどんなデータによって裏付けられているか、について学んだというわけ。

せっかくだから、簡単に内容をまとめておくと……。

1、結婚する人が減った

 1990年には成人の62%が結婚していたのに、
 今は52%。この20年足らずで10%も減った。

2、結婚する年齢が上がった

 1970年の平均結婚年齢は男が23.5才、女が20.8才。
 2005年のデータでは、男は27才、女は25.8才。

3、結婚せずに一緒に暮らす(いわゆる同棲)するようになった

 1990年から2000年の間に、同棲するカップルは2倍に増えているらしい。

4、ゲイやレズビアンの同棲が増えている

 過去のデータがないので、「増えている」 を裏付けるのは難しい。
 しかし、ゲイカップルの22%、レズビアンカップルの34%が子どものいる家庭を築いている。

5、一人暮らしが増えている

 現在、アメリカ人の4分の1以上もの人が、独居らしい。

6、成人した後も親と暮らす子どもが増えている

 18-24才の男の52%、女の42%が親と同居し、親のすねをかじっている。
 25-34才でも、男で14%、女で7%に上る。

7、子どもを持つ年齢が上がっている

 ちなみに、1人の女性が生涯に生む子どもの数は、1967年で3.6だったのが、
 1976年にはなんと1.7まで落ちた。でも今はだいたい2人くらい、ってな話。
 出生率は持ち直したが、核家族化は進む一方なので、一家族あたりの平均
 人数は2.5人だそうだ。

8、結婚せずに子育てしている割合が再び増えている

 これは50年代にいったん増え、60年代後半から70年代にいったん減少し、
 再び80年代半ばから増え始めているそうだ。
 いったん減少したのは主に、避妊などの知識や技術が広がったため、という。
 いわゆるピルの発売がもたらした変化、というわけだろう。

まあそんな話をもとに、あれこれディスカッションした後、どの事実が一番驚いたか、という話になった。一番発言しやすそうな場面だったので、私も、一言しゃべっておいた。

「私が一番驚いたのは6番目です。日本では、アメリカは個人主義が浸透していて、親は子どもの独立をうながし、子どもも早く独立したがっている、と言われています。だから、成人してもなお、親と住む子どもが増えているってのは、日本だけの現象かと思ってました。まして、男のほうが多い、というのはビックリ。日本では、確か女のほうが多かったはずです」

で、思ったよりサラサラといえたので、ついつい調子に乗って、

「だいたい、今の日本の若い女の子たちは、そもそも、両親と同居しているような男性とは結婚したがりませんもん」

と付け足し、笑いもしっかり取っておいた。
しかし……。

授業を終え、家を帰ってから、大変なことが判明した!
なんと、この授業における記念すべき私の初発言が、大ウソだと分かったのだ。

かつて、山田昌弘氏が 「パラサイトシングル」 ってな本を書いて、大ヒットした頃、確か、彼は、「20代半ばから30代半ばの独身男性の60%、独身女性の80%が、親と同居し、親のすねをかじっている」 みたなことを言っていたと思うの。
日本ではそもそも、女のほうが、「早く自立しなさい」 と言われない傾向にもあるし、いざとなれば 「家事手伝い」 扱いしてもらえるので、女性のパラサイトのほうが多い、というのは当たり前だ、と思ったことも記憶している。

ところがっ!
21世紀に入って、事態は徐々に変化しているらしい。
ある調査によると、「パラサイト」 な若者の男女比を見ると、今や男性のほうが多いんだって。
2003年のデータによると、親と同居している独身男女の割合は、男が55.8%、女が44.2%。おまけに男性のほうが増え方も著しく、30才を過ぎても同居状態が解消しないケースもまた、男性の間で増えている、という。そもそも、親にパラサイトする男性のうち、3分の1が、30才以上らしい。

なーんてデータをみて、ひええええ、と自分の間違いに気づき、自宅から慌てて先生にメールしたのだった。
あ、今回の先生の名前はちなみに、サントール先生、ね。

「サントール先生へ
間違いに気づいたので、あわててメールしてます。
授業中、日本では、親と同居する成人した子どもは、アメリカと違って女性に多い、と言いましたが、どうやら間違いだったようです」

で、2003年のデータについて少し説明し、

「日本では、そもそも10年ほど前に、『パラサイト・シングル』 と呼ばれ、社会問題になったんですよね。というのも、この現象こそが、晩婚化の原因と思われていたし、晩婚化こそが少子化の原因と思われていたからです。この言葉が流行った時代には、多くの識者がこの現象を 『これは日本に特有の現象だ』 と言ってました。そもそも、年功序列ゆえに親世代のほうが若者世代より圧倒的に給料がいい、という社会が背景にある、と指摘されていたんです。中には、『アメリカを見てみろ。アメリカでは、親は子どもに自立を促すし、子どももまた、親元を早く離れようとしている。親元を離れ、早く自立することは、アメリカにおける社会規範だからだ』 なーんてよく言ったもんです」

「ところで、アメリカではこの現象のことを、ブーメラン世代とか言ったそうですが、今でもその用語を使ってますか?」

「しっかしまさか、アメリカでも同じ現象が起こっているとは。やっぱり先入観を取り除くとともに、知識を常にアップデートしなきゃダメだなあ、と本日の授業でつくづく学びました。どうもどうも」

みたいなメール。

しかし、これからは、さらなる予習が必要だ。
議論に参加しよう、とすれば、当然、「日本では……」 というような切り口で話すことも増えてくるだろう。その時に、ウソばっかりついてたら、さすがにまずいもんねえ。
今期この講座でアメリカの家族や結婚の状況について学ぶということは、それぞれについて、「日本はどうだったっけ?」 とデータを探しまくる作業につながるわけで、こりゃ、結構大変な作業を強いられそうだ。

ま、何はともあれ。
「ディスカッションに参加するぞ!」 という今期目標を、本日きちんと達成したものの、結果的にはウソをしゃべっちゃっていた、という、情けない結果となったのだった。
来週は頑張るぞー。

カレッジの秋がスタート

いよいよ、カレッジの秋学期が始まった。
「アメリカにおける宗教の社会学」 など、取ってみたい授業はいくつもあったんだけど、結局、子育て中の身ゆえ、出席できる時間帯は限られており、その中から選んだのが、以下の2つのクラスだった。

1、「アメリカにおける家族・結婚の社会学」
2、「アメリカのスポーツの歴史」

1は、アメリカの家族やら結婚に絡む新しめのデータやら、簡単な歴史的変遷を、さくっと理解しておきたかったから。それに人種や民族がどう絡むか、なんかも。
いかんせん、政治や経済なんか以上に、家族のこととか、結婚のことって、知り合いに単刀直入に聞きづらいもんだ。宗教や人種問題に近いところがある。
ならば、カレッジで勉強するのにちょうど良いかな、と。

2のほうは、息子の野球を通して、スポーツ、特に野球というものをきちんと系統立てて考えるとアメリカが見えてくるだろうな、という直感があったこと。
たとえば、日米の野球における文化差みたいなものって、すごく日本人の国民性に直結していると思うし。
ならば、アメリカにおけるスポーツ史というのは、案外面白いテーマじゃないかな、と思ったのだった。

ただし、一学期に2クラスをこなすほど、私もヒマではないので。
1週間、受講した上で、どちらかをドロップし、受講料を払い戻してもらうつもりなのだった。

で、本日、最初の授業があった。
まずは、「アメリカにおける家族・結婚の社会学」。
まず、先生の英語の発音が極めてクリアで、CNNのニュースキャスター以上に聴き取りやすいことに感動した。
ニューヨーク生まれのニューヨーク育ち、らしい。

とにかく、好印象を持てる先生だった。
実はこの先生、ネット上の評判は決して良くない。
アメリカには、「大学の先生を採点する」 というようなサイトがいくつかあるんだけど、この手のサイトでもかなり低得点だ。
学生から挙がる不満のいくつかは、

「パワーポイントを使ってくれないから、ノートをとるのが大変」
「テストでは、かなり微に入り細に入り、うるさいところを突いてくる」 などなど。

何しろ、去年の 「アメリカの政治における人種・民族問題」 というクラスで出会った、ズーク先生は、テキストも使わず、パワーポイントも使わず、板書すらせず、ひたすらしゃべる、というタイプの授業だったから、そもそも英語の聞き取り能力の低い私は、エライ目にあったのだ。
おまけにものすごいモゴモゴしゃべりの英語で、ひどい時は、何のテーマでディスカッションしてるのかも分からない時だってあったもんなあ (恥)。

そんなわけで、テストが難しかろうと、私にしてみれば、「明瞭な発音で英語をしゃべれる、小声ではない先生」 というだけで、かなりうれしいのだった。
とりあえず、今日の授業だけでいうと、9割以上、理解できたし。

ネット上の先生の噂を調べてきたらしい学生さんの1人が、手を挙げてこんな質問をしていた。

「先生のテストって、detail-oriented (細かい中身まで重視するタイプ)ですか?」

ズバリ聞くその姿勢に、大笑いしてしまった。

自己紹介のほうも、いわゆるフツーの、まっすぐなタイプの自己紹介だったので、助かった。
隣の人と5分間会話して、「他己紹介」 しろ、だの、鞄の中のものを1つ選んで、自分の人となりをユーモアたっぷりに紹介しろ、だの、凝った自己紹介はすごーく苦手なのだ。

「渡米より2年ほどたつ、日本のジャーナリストです。アメリカ社会のことを理解したいと思っているのだけれど、家族とか結婚の話って、案外相手にずばっと聞きにくいテーマなので、カレッジで勉強してみようかと思ったわけです」
とまあ、そんな感じに自己紹介をした。
ジャーナリストだ、と言っただけで、「日本の新聞社に勤めていたの?」 と言われたのでちょっと驚いた。そういえば、出席を取る時、この先生は私の名前を、子音はもちろん、間違いやすい母音まで、ほぼ完璧に発音していたっけ?
案外、日本に詳しい人なのかも。
まあ、そのあたりはおいおい分かってくるだろう。

成績の付け方を見てみたら、新聞記事を集めて分析して書くレポートと、もう少しインフォーマルなレポートと、「書く宿題」 で成績の45%が決まることが分かった。あとは、テストで50%、残りの5%は出席だ。ははは、まるで私のための成績配分だ。
プレゼン10%、とか、クラスディスカッションへの参加度15%とか、そういうのより、ずっとラクチンだわ。

ということで、この授業は、取ることにした。
となると、スポーツ史のほうを落とすしかない。
もはや、キャンセルする意志を固めた上で、それでも午後の 「アメリカのスポーツ史」 の授業ものぞいてみた。
うっかり3分くらい遅刻したのだけれど、これがまずかった。

いきなりホワイトボードに3つの質問が書かれている。

・アメリカにおいて、野球が組織的なスポーツとしてどのように発生したか?
・ピート・ローズは HOF に入るべきか?
・Vick は NFL でプレイして良いか?

ちょっとした授業の導入として、これら3つのテーマでクラスディスカッションをしよう、という試みらしい。
が、困った。
最初の問題はまだいい。確か、野球殿堂があるクーパーズタウンのあたりが、野球の発祥の地と聞いたことがある。が、細かいことは分からないので、聞き手に徹することにした。
問題は残りの2つ。

ピートローズ。
聞いたことはあるぞ。
どこで聞いたっけ?

……思い出して、思わず苦笑するしかなかった。
なんとなんと、20年近く前の、大学時代に受けた共同通信の一次試験なのだった。
当時からスポーツオンチで、野球の試合などまともに見たこともなく、相撲なんて横綱と大関とどっちが強いかすら知らなかった私は、共同通信社のスポーツ関連の選択問題で頭がまっ白になった。
そこに挙がっている名前のうち、ほとんど誰も知らなかったからだ。
で、そのうちの1人がピートローズだった。
当然、試験は落ちた。

「だいたいさー、試験が難しすぎるのよ。誰もピートローズなんて、知らないよねえ!」 と大学の友だち連中に愚痴をこぼしたら、相手にことごとくバカにされた。
「おまえ、ピートローズ、知らないのかよ?」 と。
折しも、賭博で問題になり、メディアをにぎわせていた時期だったみたいだ。
(ということは、実はさっき、自宅で調べてようやく知った)。

その 「ピートローズ」 という因縁の名前に、20年ぶりに再会しちゃったというわけ。
でもまあ、ここまではいい。
問題はこれ。
いったい、 HOF って何だよ?
(家に帰って調べてみたら、「野球殿堂」 というヤツだった。そんなの知らないよねえ、ふつう……)

遅刻した手前、質問するのもはばかられ、おまけに、圧倒的にスポーツ系男子の多いそのクラスディスカッションでは、ほとんどのスポーツ青年(たぶん) の英語が聞き取れず、今ひとつ、何が議論の対象になっているのかさえ分からない。

さらに、最後の問題。
Vick って誰だよ?
NFLって何だっけ? バスケ? それともアメフト?
そんな状態なので、まったくお手上げだった。
(これも後で調べてみると、Michael Vick というフットボール選手のこと。闘犬賭博で起訴され、NFLから無期限出場停止の処分を受けたのに、その処分がこの夏解除され、話題になっていたらしい。知らんぞ、そんなこと!)

ひしひし思い知った。
この授業は、だめだー。

そもそも、最初の授業で、先生の言うことが9割以上分かってしまった私は、ひそかに、「ひええ。実は私の英語力って、なんか飛躍的に伸びちゃってる?」 と勘違いしていたわけだけど、やっぱり現実は、まだまだ厳しいのだった。
おまけに、このスポーツ史の先生は、シニカルで、絶対に腹を割って話すと面白い相手だと思うんだけれど、こともあろうに、「つぶやき」系なのだ。
自分の言ったことに、自分でつっこんで、つぶやきながら、突っ込んだりぼけたりしながら、1人で悦に入ってるタイプ。
こういうタイプの英語は、まだまだ私には歯が立たない。

あっさり白旗をあげて、こちらをドロップすることに決定。
というわけで、今期は、「アメリカにおける家族と結婚の社会学」 であります。
目標は、下手な英語でも、とことん頑張ってディスカッションに食らいつくこと。
去年は、人種と民族問題、というかなりビミョーな話題だっただけに、ディスカッションに参加しようにも、ちょっと構える部分があった。おまけに、人種や民族問題を日本で学んできた背景がないだけに、多民族国家に生まれ育った若者と丁々発止のやりとりをする自信もなかった。

でも、今期の私は違うのだ。
なにしろ、テーマは、「家族と結婚」 だもんね。
ははは、そこらの18才とか21才の娘っこに負けてたまるか。
こっちは、結婚もしてれば、子どももいて、どうにも逃れられない家庭だって持ってるってもんよ。
教科書のテーマを見てみれば、母親の就業率が上がって家族がどんな風に変わったか、なんてテーマもあるじゃない!
ははは、まるで私のためのテーマだよ。
何しろ、ワーキングマザー歴10年超だもんね~。

今に見ていろ、若者よ。
今度こそ、ギャフンと言わせてやるぜ。
ところで。
この 「ギャフン」 って何なんだろうね。
実際に、「ギャフン」 なんて言った人、見たことないぞ。

やったぜ Grade A

息子のスランプごときで暗くなっていてはいけないのだ。
息子は息子。
私は私。
そんなわけで、カチャカチャとパソコンでカレッジのサイトをあれこれ見ていたら、この春受講した Race and Enthnicity in U.S. Politics という講義の成績がアップされていた。
半分あきらめていたけど、やった~、Aをもらえた~。

いや、アホだってね、わかってます。
別に、正規のフルタイム学生というわけでもなく、まして、学位目的の受講でもなく。
周囲は18歳とか20歳くらいの、おへそや、胸の谷間や、お尻の割れ目を平気で出した高校出たてのお姉ちゃんたちであり、しょせん近所のコミュニティーカレッジであり……。
そんなところで、A判定を取れたのがそこまでうれしいか、とか、そもそも、40歳過ぎて、テストの点数を気にするなよ、とか、自分でも冷静になればなるほど、自分の愚かさが身に染みるわけですが……。

でもやっぱり。

うれしいぞーーーーっ!

まして、英語が聴き取れないせいで、ことごとく授業中に固有名詞(判決や人物や土地の名前など)を聞き漏らし、中間テストでは、それらの固有名詞の中身についての選択問題を半分落とすという情けない結果を体験し、中間テストの段階での判定が 「B」 だったわけだから。

やっぱり、

う、う、うれしい……。(落涙)。

とはいえ。
Aを取るために勉強してきたわけでもないので、今日、ズーク先生にメールを出しました。

1、人種や民族についてもう少しざくっと勉強できるようなテキストを何冊か紹介してください。できれば、引用文献の索引がきちんとついているけれど、英語は平易な、高校生向けのテキストとかがいいなあ。

2、来期にどんな授業を取れば面白いか、お勧めがあったら、ご助言ください。目下の興味エリアは、人種や民族が与える若者の心理面への影響。

3、先生自身が、若者に人種や民族といった普段はパーティーでしゃべっちゃいけないような話題を、授業で教える経験から、どんな体験をされてきたのか、ぜひお話を聞かせてください。私自身は、今回、先生の授業からだけでなく、多様な若い学生さんたちの発言からも多くを学ぶことができたので。

というわけで、授業も試験も終わり、成績も出終わった後の、私なりのこの授業への落とし前を、これから付けてみようと思ってます。

カレッジ授業報告 リサーチ・ペーパーの巻・後編

前編に続き、リサーチペーパーについて。
以下が、英文で書いたペーパーを、思い切り意訳し、あちこち小難しいところは細かい部分を略し、さらに、細かい引用部分を削除し、日本語訳し、さらにブログ風文章にした 「ブログ」版です。
英文でちょうど3600字くらい。
3冊の本からの引用が義務づけられていたりして、かなり疲れる作業でした。
途中、先生に 「思い切り、アカデミックなものを要求してます? つまり、主語を I とかにして、主張がいっぱい入ったようなのは、リサーチペーパーとして認めない、とか言います? そういう先生もいるので念のため」 と聞いたら、「僕は、アカデミックなものより、主義主張が入ってるほうがいいな。もちろん、I を主語に何でも書いて」 と言われたので、内容も、全然アカデミックじゃありません。

*********リサーチペーパー・ブログ版************

アメリカに来て、気軽に使えなくなった言葉が一つある。
「アメリカ人」 という言葉。
日本じゃ、あんなに気楽に使ってたのにね。
今、ぶち当たった大きな問題はコレ。
「『アメリカ人』 って誰?」

アメリカに来て以来、何度も聞かれた。「アメリカの市民権取って、『アメリカ人』 になる気がる?」 と。本当にびっくりした。だって、逆はありえないもの。
日本で良い仕事に就き、日本語を学び、日本人と結婚し、たとえ日本国籍を取ったとしても、やっぱり、日本という国では 「日本人」 になれないんじゃないかな。
せいぜい 「親日派の外国人」 ってところだろう。
これは日本だけじゃない。
たぶん、中国でも、イギリスでも、やっぱりそうだと思う。
でもアメリカは違う。
もしも本当にそれを望めば、この国じゃ、誰だってアメリカ人になれるのだ。少なくとも、理論的にはね。そして、それこそが、アメリカという国の一番の魅力なんだと思う。

ならば、いったい、何が人を 「アメリカ人」 たらしめるのだろう?
市民権の取得、というのを別にすれば、結局のところ、やっぱり、英語をしゃべる、ということなんじゃないかな。
英語を話す、ということは、この国では、自由という価値観を信じることと同じくらい大切で、この2つのことが、これほど多様な民族・人種の集まるこの社会を、一つにまとめているようなところがあるんじゃないかな。
そういう意味では、英語を話す、ということは、アメリカという国のアイデンティティーと深く関わってる。
移民が英語を習得することは、この国では、単なる言語の習得以上の意味を持つことなんだ。

数年前、こんな話を聞いたことがある。
もう10年くらい前のことじゃないかな。
知人がアメリカに駐在していたころ、小学生だった娘さんが、なかなか現地校になじめなかった。
サイレントピリオド (英語をしゃべろうとしない時期) は2年を突破した。娘さんは間違いなく英語を理解していたのに、それでも、教室で、一言の英語もしゃべろうとしなかったらしい。
そんな時、校長先生が知人夫婦を呼んで、こう問いただした。

「お父さんやお母さんが、家庭で英語をちゃんと使ってますか?」

知人夫婦はびっくり仰天。「は?」 である。
なんで、家族全員日本人なのに、わざわざ英語を使わなきゃいけないわけ? と。
そしたら校長先生はこう言った。

「家庭で英語を使わないのは、児童虐待です。子どもの、英語を学ぶ権利を侵害しているのです」 と。

知人夫婦の戸惑いっていったらなかった。
だって、例えば、アメリカ人の家庭が日本に駐在したとして、どこの小学校の先生が 「家庭で日本語を使ってない? 英語をしゃべってる? それは児童虐待ですっ!」 というだろう。

実は私も似たような経験をしている。
息子のサイレントピリオドが半年くらい続いていたころ、アメリカ人の友人が 「家庭で英語しゃべればいいじゃん」 と言ったのだ。同席していた別の友人が、「いや、アヤコの家庭の場合は、数年で日本に帰るんだから、そりゃまずいよ。こっちに永遠に暮らすんじゃないんだから」 と反論した。
でも、もしも私たち一家がずっとアメリカに暮らしていくつもりなら、家庭で英語をしゃべるのが一番、と2人とも思っている様子だった。
ちなみに2人とも、すごーくリベラルで、移民受け入れ自体には寛容な人たちだ。
「俺のばあちゃんは、家庭で英語をしゃべってた。だからうちの両親はすぐに英語を習得できたんだ。俺はまあ、こっちで生まれたからネイティブだしな」 という彼は、おばあちゃんの母国語だったイタリア語を、まったく話せない。
話せないことを、みじんも悲しんでもいない。

これらの体験を通して、ふと思い出したことがある。
1980年代、この国を席巻したEnglish Only という運動だ。
実は日本でもちょこちょこと報道されたこともあったんだけど、少なくとも、その当時、そういう記事を読むたび、「はは~ん、どうせ白人主導の移民排斥運動ね」 という理解を私はしていた。
でも、少なくとも、私に、あるいは知人夫婦に、「家庭で英語をしゃべれば?」 と言った人たちは、移民にむしろ寛容な人たちだった。
だからこそ、親身になって、「英語を家庭で話さなきゃ!」 と励ましてくれたわけだ。

この国に来て、移民への嫌悪感とはまったく無縁のところで、「アメリカに来たからには、英語を話せるようにならなきゃ」 と主張する人にたくさん会った。
英語を話せない移民が増えることを、極端に不安がる人にも。
たぶん、English Only という運動があれほど広く、大衆の支持を得たのは、アメリカという国のアイデンティティーが揺るがされているような不安が、広がっていたからなんだろう。

English Only という運動は、そもそも、移民に彼らの母国語を話させないことを目指したものだった。
それは、運動を推進したハヤカワ氏という日系人の元上院議員が 「ヒスパニックがアメリカに同化するのを拒否し、スペイン語などの外国語を維持しようという攻撃的な運動は、不健康で行き過ぎだ」 と述べてたことでも明らかだ。

でも、じゃあ、誰がこの運動を支持したか、といえば、案外、いろいろな人が広範囲にわたって支持していたことも確かみたいだ。
言語的なマイノリティーグループの74%がこの運動を支持してた、なんて世論調査もあるくらいだ。
例えば、カリフォルニア州の Proposition 227 (俗に 「English for the Children」 の名でも知られている) なんかが典型例だ。
学校でのバイリンガル教育を禁じようとしたこの提案を、当初、84%のラティーノたちが賛成したという。投票時点では、その支持は37%までに落ちたにしても。

でも、このPropositionの文面を読んで、しみじみ、これに賛成したラティーノたちの気持ちがよく分かったよ。
「子どもは思いきり英語にさらされたら、もっと流ちょうに英語を話せるようになるはずだ。それができてないのは、学校の責任だ。移民の子どもたちができるだけ早く、流ちょうな英語を話せるように、学校は努力しろーっ!」
と言ってるわけだから。

自分自身が英語の壁に苦しんでいるだろう親たちの誰が、この提案に反対できるだろう。
だいたい、この国は、英語を話せればそれでいい、というだけじゃないらしい。もちろん、英語は単なる言語で、発音より、会話のコンテンツのほうが大事だ。それは本当。
でもね。
たとえば、こんな研究だってある。
ディズニー映画のキャラクターを調べてみたら、外国語のアクセントを持つキャラクターの4割が、映画の中の悪役だったんだって。ちなみに、アメリカ英語のアクセントを持つキャラクターのうち、悪役だったのは2割だけ。その差は歴然!

幼いうちから、現地校で、アメリカ英語に触れさせて、自分たちみたいなスペイン語のアクセントを引きずらない英語を学んでほしい、というのが、親心なんだろう。
子どもたちに、自分たちが今しているような苦労をさせたくないから。

インターネットでこんな面白い調査を見つけた。
「英語を話すことは、『アメリカ人になること』 に不可欠な要素だと思いますか?」 という質問。
これに、Yes と答えたアメリカ人の英語ネイティブスピーカーはわずか35%。
一方、英語以外が母国語の人の62%が、Yesと答えてる。
(実は、中でも、アジア人の中で、Yesと答えた人の割合が極端に高いらしい。興味深い話だけれど、それ以上の分析はこの調査の中にはなかった)。

この国に暮らす移民は、多かれ少なかれ、英語を話すことがこの国に暮らす上で持つ意味を、肌身に滲みて感じているのだ。

もちろん、English Only に反発する動きがまったくなかったわけじゃない。
1985年ころには、English-Plus という運動が主にラティーノ移民たちの側から生まれた。

「私たちがほしいのは、English Only じゃない。English plus math であり、English plus science であり、Plus equal educational opportunities なんだ!」 と。

English Only ほど大きな運動にはなりえなかったけれど、それでもこの考え方を反映して、いくつかの州で新しい法が生まれたりもした。
「このアメリカという国の強さの根っこのところにあるのは、人々の多様性じゃあないか!」 という主張は、私にはすごーく説得力があるんだけどなぁ。

実際のところ、英語教育はむずかしい。
どういうやり方が一番、効果があるか、なんて一概に言えるわけないのだ。
何歳でこの国に来たのか、母国の文化はどんなか、どんな環境の学校に入ったか、近くに同じ母国語を話す友人がいるか、などの条件に加え、これが一番実は大きい気がするけれど、その本人がどういう性格か、というのも左右する。
例えばうちの息子の場合、週数回のESOLで英語を習うほかは、英語での各教科の授業にどっぷり、というやり方よりも、むしろ、望めるものなら、日本語によるバイリンガル指導を最初の2カ月くらい受けられたら、飛躍的に適応は早かった気がする。
何しろ息子にしてみれば、英語を教えてくれてる先生のしゃべってる英語が、まーーーーったくわからなくて、それが怖くて怖くて仕方なかったんだから。
「子どもは言語習得が早いから、Sink or Swim 方式で大丈夫」 というのは、いささか乱暴だよな、というのが実感。

それより、むしろ私が気になったのは、母国語の維持のほうだ。
特に、子ども時代にアメリカにやってきた世代がとても気になる。
大人になってからアメリカに移住した移民たちの間では、心の病の発生率はむしろ低いんだそうだ。それが、その子どもの世代に、急に高くなり、そして、さらに次の世代で、落ち着く。
なぜかって、やっぱり、子ども時代にアメリカにやってきた世代が一番、アイデンティティ形成途上で苦しむからだろう。
ほとんどの人が、「子どもは早いよー。英語なんかすぐペラペラよ」 と言うけれど、本当はそんなに簡単なことじゃないのだ。

例えば、ラティーノ家庭で一番よく言われるのは、こういうパターンだ。
ラティーノの家庭では、比較的お父さんの権威が強い。決断するのはお父さん。お父さんは尊敬されるべき存在。
ところがところが。
アメリカに来る。お父さんは英語をしゃべれない。あんなに強かったお父さんが、アメリカではしゅんとしてしまっている。言語習得は、概して女性のほうが早いから、お母さんのほうが気づけば主導権を握っていたりする。
英語をしゃべる場面ではしゅんとしているお父さんが、家庭の中でスペイン語をひとたびしゃべり出すと、いきなりエラソーになる。

一方、子どもはどんどん英語をしゃべれるようになっていく。
親の片言英語が恥ずかしくなったりもする。
思春期になって、あれこれ悩みがあっても、スペイン語ではもはや親にうまく話せない。英語でしゃべったら親に分かってもらえない。
深いところで会話できる言語が、家庭の中で失われてしまう。

学校に行けば、アメリカ文化。
家庭にいれば、別の文化。
両方をどうにかこなしながら、大人になっていかねばならない。

かつてこのブログでも紹介したけれど、ワシントンポストの記事で、12-17歳のラティーノの少女の4人に1人が自殺を考えたことがあり、15%が試みたことがある、という調査があった。
これは結構衝撃だった。
だって、この手の問題は、むしろ、ミドルクラスの白人家庭に多いものだと、多くの研究者が心のどこかで思っていたから。
ことほどさように、子どものころにアメリカにやってきた移民たちは、むずかしい思春期を過ごすもんなんだ。
多くの研究によって、母国語の維持や、母国の文化への誇りこそが、難しい思春期の中でアイデンティティを形成していく若い移民たちを支えてくれるのだと、明らかになっているという。

English Only という流れは、実はとてもとても危険なんだ。
「英語をしゃべれることが、アメリカ社会で成功する近道で、だから、下手に母国語維持などさせず、英語漬けにすることこそが、本人のためなのだ」 という主張には、実は、大きな落とし穴があったのだ。

正直なところ、アメリカって国は、何も、英語という言語がないと、バラバラになってしまうほど、やわには見えないんだけどなぁ。
つまり何がいいたいかというとね。
むしろ、この国で、色々な人と話してみて、一番、この国を一つにまとめているものって、自由への信念とか、多様な人々であふれる国のありように対する誇りだとか、そういうものなんじゃないかな、ってこと。

******************

なーんて感じかな。
かなりはしょってありますが。
それにしても、引用なしで、おまけに日本語で書く作業って、なんと簡単なんだろう!
やっぱり私は、アカデミックなのより、フツーのエッセイのほうが書いてて楽しいわ。

カレッジ授業報告 リサーチペーパーの巻・前編

もはや2週間以上も前の話なのだけれど。
カレッジで受けている 「アメリカ政治における人種・民族問題」 という講義のリサーチペーパーの宿題の締め切りがあった。
課題は、こんな感じ。

「アメリカの人種・民族問題に絡む政策を一つ取り上げ、その政策を推進すべく活動した個人あるいは団体の主張を説明し、その政策が各人種・民族グループにどのような影響を与えたか、利益や不利益を得たのはどういう人種・民族グループだったか、などを分析し、さらに、自分なりに、より良き政策を検討せよ」

ははは。
一番困ったのは、
「私、アメリカの政策なんて、ほとんど何にも知らないじゃーん」
ということ。

それでも、たまたま、ゼポリアとの対話の中で出てきた、English Only Policy を取り上げてみることにした。

English Only は、1980年代、移民の大量流入 (具体的には、スペイン語を話す中南米からの移民たちの流入) を背景に、「このままでは、英語の危機だ」 「一つの国に一つの言語、の原則を守ろう」 などという国民感情を原動力にして、勢力を伸ばした政治運動だ。
この運動を推進した団体、U.S.English は、実は日系人のハヤカワという上院議員が、議員を辞めた後、立ち上げたんだそうだ。

1960年以降の公民権運動の高まりを受けて、移民の子どもたちの教育を受ける権利を後押しするような動きや最高裁判決もあって、その当時は、あちこちの州で、「バイリンガル教育」 が実施されていた。日本人にとって、バイリンガル教育、というと、何か、幼い頃から、英語漬けにして、日本語と英語の両方を将来話せるようにしましょー、というニュアンスがあるけれど、アメリカにおけるバイリンガル教育は、ちょっと違う。
スペイン語しか話せない子どもたちに、英語で算数や理科や社会を教えるのは、これらの子どもたちの学ぶ権利を侵害している、という考え方に基づいて、外国人向けの英語授業と同時並行で、スペイン語による算数や理科や社会の授業を行い、子どもたちがスペイン語で内容を理解したのを確認しつつ、その都度、英語でそれらをどう表現するのか、教えていきましょう、というかなり画期的な教育のあり方だったのだ。

1980年代のEnglish Only運動は、ある意味、これらのバイリンガル教育に対する反発、という側面が強かった。一言で言ってしまうなら、「アメリカに来た限り、英語を話せよ」 である。

よく、日本人の駐在家庭が、アメリカの小中学校のESOLあるいはESLのプログラム (外国人生徒のための英語授業) に触れ、「さすがはアメリカ!」 と感心する姿を見る。
確かに、日本でこれと同じことをしているかといったら、全然していない。外国人の生徒がよほど多い学校でもなければ、基本的には、「ほったらかし」 だ。
そんな日本に比べると、アメリカの 「手とり足とり英語を教えてあげましょう」 的な学校の雰囲気は、確かに外国人家庭にはとーーーーーってもありがたい。

でも、最近ようやく分かってきたのだけれど、そもそも、言語に対する概念が日本とアメリカでは違うのだ。
例えば、日本にやってきた外国人一家に、日本人が 「日本に来た限り、ちゃんと日本語しゃべりなさいよ」 と言うかといえば、絶対に言わない。
「仕方ないよー。ガイジンさんだもの~」 というのが平均的な反応じゃないかな。
もしも、フランス人同士が街角でフランス語で盛り上がっているのを見たとして、「何だよ、あいつら、日本語でしゃべれよ」 と思う人なんて、ほとんどいないんじゃないかな。

でも、アメリカは違う。
主に白人からよく聞く 「ラティーノ批判」 に、「どうしてなんだろうね。俺らだって、全員、移民の子だよ。でも、家庭ですら母国語をしゃべらず、英語をしゃべってきた。英語をしゃべろうと努力した。だから成功できたのさ。どうして、ヒスパニックの奴らは、英語をしゃべろうとしないのかね。数ばっかり多くて、だからスペイン語だけで生活できて……。これじゃ、アメリカがバラバラになってしまう」 というのがある。
今回、リポートを書くにあたって引用した本の中に、「実は、現在の中南米からの移民たちの英語習得スピードは、かつて欧州から来た移民たちの習得スピードとほとんど差はない。それでも 『ラティーノは英語をしゃべろうとしない』 と言われるのは、ひとえに、英語をしゃべれない新しい移民が今なお、間断なく、流入し続けているからに過ぎない」 という分析があって、なるほどなあ、と思ったのだけれど。
これをもって、「ラティーノ批判」する友人に何度か反論を試みたけど、たいていの人は 「本当かなぁ。やっぱり、彼らは英語をしゃべろうという意志がないように見える」 と言うのよね。

ま、何はともあれ。
とにかく、アメリカという国は、「英語をしゃべりなさいよ」 プレッシャーが強い。

とどのつまりは、移民国家のアメリカで、人をアメリカ人たらしめるのは何か、という問題なんだろう。
私自身、アメリカに来て一番驚いたことの一つが、「あやこは、将来、ここに暮らして、アメリカ人になるつもり? それとも日本に帰るの?」 という質問を何度も受けていること。
ひええええ、と卒倒しそうになったもの。
「あ、あたし、アメリカ人になれるのか~っ」 って。

私がそんなことにビックリしたということ自体に、アメリカ人の友人たちはビックリする。
だから彼らに時々、説明する。
「日本でもしもあなたが結構いい仕事を見つけて、日本に何年も住んで、日本人と結婚して、たとえ日本国籍を取ったとしても、多くの日本人にとって、あなたは 『日本人』 ではなく、せいぜい 『親日的な外国人』 だろうね」 って。

ならば、「アメリカ人」 って何なんだろう。
実はこの問いって、アメリカ人の学者自身が、何度も何度も繰り返し議論してきた問いでもあるんだよね。色々な人が色々なことを言っていて、「英語をしゃべり、アメリカ的価値観を習得すること」 が人をアメリカ人たらしめる、なんて説明をする人も多いわけだけど。
いずれにせよ、この国で 「英語をしゃべる」 というのは、単なる言語習得以上の意味を持っているってことだけは、間違いないと思うな。

だからこそ、English Only という運動が生まれたわけで、国民の間に広く共感を得もしたわけ。
この運動をきっかけに、州レベルやカウンティーレベルで新しい規則や法律が生まれた。
例えば、あるカウンティー(郡)では、交通標識が英語とスペイン語の両方の表記だったのが違法とされた。投票の仕方を説明するリーフレットのスペイン語版を、ラティーノたちに配ることすら違法とされた。
ある州では、バイリンガル教育が違法とされ、学校で先生がスペイン語などの外国語をしゃべったら、それだけで法律に触れるような自体になっちゃった。
……とここまでならば、「白人主導の移民排斥運動か」 なんて誤解されるかもしれないけれど、この手の法律が住民投票でどんどん可決されていったのよね。
特にバイリンガル教育を否定するようなルールは、むしろ、当事者のラティーノ・コミュニティーから支持される傾向があったんだって。

せっかく、移民たちに良かれと思って、充実がはかられてきたバイリンガル教育が、それを享受する側から、否定されてしまった、というわけ。

なぜか。
何年も、バイリンガル教育を受けていたんじゃ、英語がちっとも上手にならない、と親たちが反発したからだ。「どっぷり英語に漬けてくれ。早く英語をしゃべれるようにしてくれ。ラティーノのアクセントが残らないように、幼いうちに英語漬けにしてくれ」 と。

これはこれで、本当に切実な声なのだった。
なぜって、親の世代は、みな、英語ができないから、スペイン語のアクセントが強いから、良い仕事を得られない。社会に受け入れてもらえない、という思いが強くある。
せめて子どもにだけは、スペイン語のアクセントのない英語をしゃべれるようになってほしい。
だから、学校でスペイン語の授業なんて、しないでほしい。

そんな、「英語」をめぐる短い歴史が見えてきて、ああ、これをテーマにレポートを書こう、と思ったのだった。
ということで、何を書いたかについては、後編につづく。
内容が、前編と一部重複するけれど、お許しを。






カレッジ授業報告 affirmative actionの巻

「集団おさぼり」事件の次の授業には、さすがに、みんなやってきた。
そこにズーク先生が登場し、「なぜかこの前は、参加者が少なかったので、先週予定していたaffirmative actionについての授業を、今日行うことにします」 と説明した。

ええ~っ!
と悲鳴でも上がるかと思ったが、おさぼりメンバーもさすがに、平然と笑顔で座ってる。

というわけで affirmative action についての授業がいよいよ始まった。

ズーク先生のことだから、最初は、キング牧師の Why We Can't Wait からの引用をもとに、話し合いを進めていきたかったんだろうけれど、どうやら、クラスの誰も読んできてないことを薄々感じ取ったらしく、結局は、フツーに、pros&cons (良い点と悪い点) を挙げていくことから始めた。

まず成績トップのユダヤ人娘が、「false sense of entitlement」 と答えた。誤った権利意識、というわけだ。もちろん、これは cons (悪い点) の方。
さらに、公民権運動の知識では抜群のアフリカンアメリカンな娘が 「creates animosity」 と続ける。つまり、敵対意識を生んでしまう……ということか。
なるほどなぁ。
彼女は、色々と考えて、あえて cons から先に挙げた気がした。
また、animosity を挙げたあたりも、この問題に絡んで、白人たちから 「逆差別だ」 などと随分 「敵意」をぶつけられた経験があるのかもしれない。
そんな気もした。

cons が2つ並んだところで、ようやく別の子が、「creates opportunity」 と言った。機会を与えられる、というから、もちろん、prosだ。

と、ここで、授業おさぼり隊の首謀者の白人の男の子が、「slow reaction」 を挙げた。差別是正効果がゆっくりしか現れない、というような意味で。
これに、さっきのアフリカン・アメリカン娘がくってかかる。
「そうとは限らないわ。べらべらべらべら……」
(べらべらべら……は、席が遠かったのと、早かったので、意味不明。あーあ)。

彼女の鋭い反証に、途端にクラスから意見が出にくくなった。
なんとなく、分かりやすい展開。
結局、あとはズーク先生があれこれ挙げるだけになってしまった。
曰く、

(良い点)
・学校や職場に多様性をもたらすことができる
・若いマイノリティーに、ロールモデルや希望を与えられる

(悪い点)
・グループベースの政策ゆえ、アメリカの価値観である「個人主義」を侵害する。
・「いつまでこの政策が必要なのか」
・「逆差別だ」という批判がある

などなど。
今ひとつ、議論が盛り上がらず、深まらず、終わってしまったのだった。
まあ、それに一つも参加できず、聞き役に回ってた私も私なんだけどさ……。

あとは、ひたすら、ズーク先生が、キング牧師の著書からあっちこっち引用しまくり、彼の考え方を説明しまくってくれた。
彼が 「quote」と言うたび、なるほど、引用だな、とは分かるのだけれど、なにしろ、ものすごい早口だし、抑揚もないし、かなりつらかった。
本って、目で追って読むと分かる文章でも、いきなり早口の口頭で引用されちゃうと、どこからどこまでが引用かの把握をする程度がせいいっぱいで、引用の中身をメモに取ることはもちろん、内容を正確に聞き取ることだって苦しい~。

よく授業を録音して、自宅で聴き直せば……とアドバイスされるんだけれど、もしも私の1日が40時間だったら、そういうこともできたかも。
でも、とてもとても、録音を聴き直すような時間的余裕はないのだった。
うーむ。

つまり、このエントリーを一読しただけで分かるように、この授業、大事な部分はほとんど分からなかった、という顛末でした。ちゃんちゃん。




カレッジ授業報告 集団おさぼり事件の巻

これは1週間くらい前の話。
カレッジの授業で、ズーク先生が、いよいよ、affirmative action を取り上げるという。
リーディングの課題は、マーティン・ルーサー・キング牧師の、Why We Can't Wait。
これを読んで、affirmative action がスタートするより前に亡くなったキング牧師は、affirmative actionのような政策にどのような考えを持っていたのかを考察してみよう、というのが授業のポイント、のはずだった。

前夜。
リサーチペーパーの締め切りとほぼ同時期に、本なんか読めるわけないだろー、状態。
というか、本なんか手に入れてません、状態。
とりあえず、日本語で、キング牧師とアファーマティブアクションについてあれこれ調べ、彼の著書 Why We Can't Wait というのは、保守論客がアファーマティブアクション廃止を唱える時、根拠として、引っ張ってくる文献らしいことが見えてきた。
中身が段々読みたくなってきて、結局、google book search (ほんと、世の中便利になったモンだ!)で該当本を検索し、一部、ネットで読める部分だけざっと読んでみた。

語句を一つひとつ取り上げて解釈し始めたら、聖書の分析みたいな世界で、どうとでも解釈可能な部分もいっぱいありそうで、そんな面倒な作業はとても今さらできないわ、と結局、すべてあきらめて、授業に臨んだ。
最後の最後まで、実は、さぼってしまいたい誘惑に駆られた。
どうせ分からない議論ならば、家でレポートを書いていたほうがいいんじゃないか、とか。
おまけにこの日は、息子は春休み。
私がカレッジに行っている間、自宅に一人残していくしかなかった。

どうしよーかなー。
やめとこーかなー。

弱気になりつつも、結局、最後、カレッジに足を向けてしまったのは、やっぱりトピックがaffirmative actionの話だったからだ。
少しでも、知っておきたかったからね。
若い人たちの色々な見方を聴かせてもらえるだけでも、勉強になると思ったのだった。
(もっとも、聴き取れれば、の話なんだけど)。

ところが。
授業開始10分前、教室の前に着いてみれば、クラス唯一の男の子が、おとなしくてこれまで一度も発言したことのないラティーノの女の子と、イラン人娘の片割れと3人で、なにやら相談中。

「キング牧師の本読んだ?」
「まさか~、全然!」
「もう、オレ、いいよ、この授業落としても」
「さぼるか?」
「いいね~」
「本読んでないし、議論してもつまんないもんねー」
「でも、欠席になっちゃうよ」
「いいよ、ズーク先生って出欠を取ったりしたことないだろ」

そこで、3人で顔を見合わして、不安げにしてるから、ついつい老婆心で、

「そりゃホントだよ。ズーク先生はこれまで一度も出欠を取ってたことはないよ」 と口をはさんでしまった。ははは、おさぼり計画の背中を押しちゃったというわけ。

今回の 「おさぼり事件」 の首謀者は、この白人青年だ。どう考えても、この手の授業では妙に肩身が狭いだろうし、おまけに、奴隷政策や civil right movement など過去の歴史の話ならばともかく、affirmative action は今の、自分たちの問題だ。
これを議論するとなると、それぞれの置かれている立場が鮮明となり、もっとキツイ。
なんとなく、授業をおさぼりしたくなる気持ちがあったんじゃないか、と思うな。

さて、ここに西海岸出身の超厳格なカトリックのプライベートハイスクール出身の女の子がやってきた。ユダヤ人少女の次に成績優秀、と思われる、まじめな子だ。
みんなの 「おさぼり」計画に、一瞬、えええ!という顔をする。

「ねえ、一緒にさぼろうよ~」
「ええ……でも困るわ。私、リサーチぺーパーのことでズーク先生と話があるし」
「そんなのいいじゃない。先生にはメールで相談しなよ」
「でも、先生は、なかなかメールのチェックしないかもしれないし……」

といった押し問答の末、イラン人娘に、「わかったわよ。じゃあ、ジャンケンしましょ。私が勝ったら、みんなでおさぼり。あなたが勝ったら、ここに残りなよ」 と押し切られた。
なんで、こうなるのか、よく分からないけど、個人主義アメリカでも、やっぱりティーンエイジャーのピアプレッシャーというのは強いのだ、と再確認。

で、ジャンケンの結果は、イラン人娘の勝ち。
ちょいと迷惑そうな顔をしながらも、西海岸娘も 「おさぼり」計画に合流することにしたみたい。
なーんだ、こういうシチュエーションで、NOと言えないのは、日米共通か~。
ちょっと笑ってしまった。

「楽しんでね~」 と手を振って少年少女たちを送り出したら、「先生に絶対に言わないでね」 とイラン人娘が返してきた。「当たり前じゃん。というか、説明のしようがないでしょ」 と苦笑いしたら、大笑いしてた。

みなが立ち去った廊下で、一人ぽつねん。
おいおい、もしかして、私と先生のマンツーマンになっちゃったら、どうしよ……。
一瞬、びびってたら、クラスでオピニオンリーダー的な黒人娘と、成績トップのユダヤ人娘の2人が現れた。
「あれれ、どうして誰もいないの?」
と聞かれたが、答えられるわけもなく……。

さらにそこに、ズーク先生、登場。
生徒が3人しかいないのに驚いて、気の毒なほど動揺して、カレッジのホームページをチェックし、何か大イベントでもあるのかも、なんて確認したりして、ものすごーく黙っていることで罪悪感に駆られた。
まいったなあ。
「楽しんでおいで」 なんて訳知り顔のオバサンっぽく送り出したけど、人間、ウソをつくのって、すごいストレスフルなのだ。

そんなわけで、この日の授業はほとんど成立しなかった。
ズーク先生は、「今日はaffirmative actionのことを話し合うのはやめておこう。コレは本当に大事なテーマだし、みなで話し合うことが大事だからね」 と。
その気持ち、思いは、本当によく分かった。
「じゃあ今日は特別に、出席してくれた3人に、出席ポイントをダブルでプレゼントしよう」 とズーク先生。私自身、今の計算だと、5ポイントくらいでA評定かB評定かギリギリ、というような所にいると思われるので、せこい話だけど、ちょっとありがたかったのだった。

でも、出席ポイントをもらえたことより、今日、一番面白かった体験は、この国の若者が授業をさぼるにあたって見せてくれた関係性のダイナミクスみたいなものだったりして。
世界中を見渡しても、集団への同調性が高いといわれる日本人と、逆に、その対極と思われているアメリカ人。でも、やっぱり若者に限っては、なかなか同調圧力に抗うのはむずかしいんだな、ということを実感する出来事だった。
これじゃ、日本人の中高生が苦労するのは当たり前だよなぁ。

カレッジ授業報告 フィールドリサーチ編

これまた1カ月前の話ですが。
たまりにたまったカレッジ報告、今回は「フィールドリサーチ」編。
ライティングの課題として出されたのが、コレだった。

「自分がマイノリティーとなるような宗教的な場所、すなわち教会とかシナゴーグとかモスクに行って、そこでの体験をレポートする」

なかなか面白い課題なのだった。
が、問題は、「宗教絡み」という点だ。
なにしろ、私は平均的な日本人。
初詣は神社で、結婚式は教会で、葬式は寺で。
ナンミョーホーレンゲキョウとナムアミダブツの区別すら付かない。
こんな「無宗教」な私は、どこに行っても、マイノリティー。
でも。
日頃から自分が信仰している宗教がない、ということは、どこに行ってみたところで、それを比較したり判断したりする基準となる「自分の日頃の体験」もない、ということだ。
こりゃ、書くのが相当むずかしそう……。

結局選んだのは近所のルーテル教会。ここでは、英語による礼拝と、中国語による礼拝を行っている。この両方に出れば、さすがにいくら宗教オンチな私でも、どうにかこうにか書けるだろう、という安易な計画なのだった。
念のため、前もってこの教会に行ってみた。
そしたら、中国人のルー牧師がニコニコと迎えてくれた。
「いや、信仰心とかとまったく無関係に、カレッジの宿題なので、英語と中国語の両方の礼拝に参加させてもらいたいんだけれど……」と頼むと、「この場はすべての人に開かれています。あなたの信仰心の有無などは問いません。ぜひおいでください」と、猛烈にウエルカムなのだった。

さて。当日。まずは英語の礼拝から。
いやはや、緊張した~。
扉を開けたら、100人以上もの信者たち。妙に厳かな雰囲気。聖歌隊がいて、オルガン弾きがいて、牧師さんがいて、ずらり白人ばかりの信者が、珍しくフォーマルな着こなしで並んでいたのだった。
第一印象は、「ひえええ、この人たち、クラシックのコンサートでもジーンズはいてるくせに、教会では結構フォーマルな服装でやってくるのねえ」。

その日の進行表みたいなのをもらったので、字面を追っていたら、驚いた。
なんとなんと、そこには牧師のセリフはもちろん、私たち参加者のセリフも書いてある。つまりは、「台本」だ。

例えばこんな感じ。Pは pastor牧師、Cは congregation信徒の略だ。

P:Now is the acceptable time, now is the day of salvation.
May the frace of God, through Christ our salvation, be with you all.

C:And also with you.

これらの台本に加え、座ったり立ったりする場所や、十字を切る場所まで、全部書いてある。こりゃすごい。私でも、ついていけそう!
というわけで、気付けば、必死で台本の英語を読み上げていた私なのだった。
なんか、教会というより、英会話教室で教科書を読んでる感じだ。
そうこうするうちに、賛美歌を歌う段になった。楽譜か何かないかな、と探したら、机に巨大な賛美歌の本が置いてあるじゃないか!
喜び勇んで、ページを開き、一緒になって賛美歌を歌ったのだった。

基本的に楽譜を見ると「初見で歌ってやる~」という征服欲が自動的にムラムラと沸いてきてしまう私は、賛美歌を歌うのにはつくづく向いてないと思う。
全然心洗われることなく、それどころか歌詞を頭で吟味する余裕すらなく、ただただ征服欲だけで歌い上げ、それなりに歌えたからって、妙に征服欲が満たされ、満足しちゃうって、どう考えても、賛美歌の目的から大きく外れちゃってるもんね。

まあ、そんなこんなで、今度は牧師のsermonが始まった。
これが何というか、激しいんだわ。
もっとも、オバマ大統領がかつて通っていたという教会のライト牧師みたいに、God damn America! みたいな強烈な激しさはないけれど、でもやっぱり、なんというか、すごーいアジテーション。
「神の目は見てるぞ。我々を見てるんだぞ! この世は今、神が望んだ世の中なのかっ! この世を神の目が見てるんだぞっ!」と繰り返し怒鳴られてもなあ。
それを、夫婦が、親子が、肩を抱き合い、頬を寄せ合い、切実そうな顔で聞いているのを見ていると、ああ、私はこの国のことを全然分かってなかったなあ、と改めて思うしかない。

やっぱりアメリカは宗教国家なんだよなぁ。
憲法で国教の制定を禁じる一方で、大統領はいっつも「May God bless America」って言うわけだし、でも、大統領の口にする「God」がどの宗教の神かは、「それは突っ込まないのがお約束」というわけだし、なんというか、アメリカって、「信仰心を持つこと自体を信仰してる」みたいなところがあるなあ、としみじみ思う。

ま、それはそれとして。
一番、困ったのは、その後の sharing of the peace というのが始まった時だ。

牧師が「The peace of the Lord be with you」といい、信徒たちが「And also with you」と言ったその瞬間、バタバタバタっと信徒たちが立ち上がったかと思うと、感動的なほど陰りのない笑顔で、お互いに握手を交わし始めたのだ。よくよく聞いてみると、「Peace be with you」とか言ってるみたい。

途方にくれていたら、突然、目の前の女性がクルリとこちらを振り向き、まるで私のことを10年前から知ってるみたいなうれしそうな満面の笑顔で、「Peace be with you」というと、握手を求めてきたのだ。
思わず凍り付く私。
怖いよー。
なんなんだよー、これ!

それでも、どうにかこうにか、「Peace もごもごもご with you...」みたいな言葉をどうにか猿真似で言い、握手をし、作り笑いで乗り切った。
肩でゼイゼイと息をしそうなほど緊張してたら、おっと、今度は左から敵が攻めてきた。
ひええええ、今度はじいちゃんだ。
孫を見るような温かな目で、握手を求めてくるよー。
あーん、次は後ろの家族連れ。
勘弁して、怖いよー。

……というようなわけで、あまりの緊張と恐怖とでぐったりしてしまった。
何が怖いって、理由も分からないのに、無垢な笑顔を浮かべてしまえる人が怖い。
私の名前も、私のバックグラウンドも何も知らないまま、知ろうともしないまま、平気で 「Peace」 を私とシェアしよう、という、その真意がただただ気持ち悪い。
これが宗教的良心だ、とか言われたら、そりゃそうなんだろうけれど、でも私の知ってる人間関係は、こういうんじゃない。

まず相手を知るところから、フツー始めるだろ?
ついつい思ってしまう。
そもそも、あんたたち、私に興味ある?
この教会から一歩出た道ばたで、「見知らぬアジア人」の私を見ても、同じような笑顔をくれますか?

だから私、宗教への苦手心があるんだろうなあ。

次は The offering。
いわゆる、寄付みたいなやつ。前のほうから、大きなお皿みたいなのが回ってくる。みんなは小切手だか何かを入れて持参してきた封筒を、順々にそこに置いていく。でも、よく観察すると、何も置かないまま、次の人に回している人もいっぱいいた。よかった~。
正直いって、全員がもしもむき出しの10ドル札をポンポン出してたら、私、その場の雰囲気に抗えず、自分も10ドル出してた気がする……。
ピア・プレッシャーに弱い日本人の典型なのよね。

さらにお次は、みんなが次々に席を立ち、牧師さんの前にひざまずき始めた。
ひええ、これ、私もやるの?
よくよく見ると、こりゃ全員参加みたい。
覚悟を決める。周りに合わせて、同じ行動を取るしかないよなあ。
とうとう順番が回ってきた。隣の人について前に出て、隣の人と同じようにひざまずいた。そしたら、差し出した手に、牧師さんが薄っぺらい紙みたいなのをくれた。これをみんな食べている。
うまいのか?
まずいのか?
考える余裕もなく、私もパクリ。
全然うまくないが、食えないものではない。
と、次に小さなコップに水が回ってきた。
観察していると、断る人もいれば、受け取って飲む人もいる。
さあ、どうしよう。
……って迷った時は、とにかくトライ!
やったことのないことは、とりあえずやってみるほうが楽しい、と世の中決まってるのだ。
小さなコップを受け取り、水を飲む……って、おいおい、これ水じゃない。

白ワインだーっ!

思わず、「おかわり」と言いそうになった。
結構、うまかった。

なんか妙に居心地が悪かったし、すごーく緊張したけれど、白ワイン飲めたし、まあ、いいか~、ってな感じで礼拝が終わった。

それから20分後、今度は中国語の礼拝に参加した。

こっちは、なんというか、むちゃくちゃアットホームだった。
何しろ、人数は30人。そのうち10人は子どもだ。
実質、大人は20人というわけ。
みーんな中国人で、見た目は私と変わらない。
黙ってたら、溶け込んじゃう。

ところが、だ。
礼拝が始まってみたら、ホントに何も分からない。
賛美歌を歌おうにも、中国語だと、歌詞が全然読めない。
おまけに中国の楽譜って、数字で音階を書いてあるものなんかもあって、結構苦しい。「ラ」が「1」として……と、頭で数学しなきゃ、音が取れない。
それでも、しかたないから、ルルルで全曲、歌ってやったぜ。
結局、新しい楽譜を目にすると、征服欲が先に立って、歌わずにいられないのだ。こりゃほとんど、病気だなあ。

中国語の礼拝は、人数が少ないためか、それとも中国の教会の礼拝様式にならったものなのか、よくわからないけれど、とにかくとってもシンプルだった。賛美歌をいくつか歌ったら、あとは、むちゃくちゃ長い牧師さんのsermon。
全部、中国語ですから。
分かったのは、どうやら「神の愛」について語っているらしい、ということだけ。
途中で、「中国人も、日本人も、アメリカ人もない、神の愛はうんたらかんたら」というようなことを言っていた。そこだけビミョーに聴き取れた。
そっか。ルー牧師には一度挨拶をしたから、ちゃんと彼は私を覚えていて、私がいるから、「日本人」と言い足したのだ、と分かった。

変なもので、言葉は英語のほうがずっと分かるのに、中国語の礼拝のほうが妙にリラックスできる。それって、ルー牧師を前もって知っているから?
それとも同じアジア人だから?

なーんてことを考えていたら、いきなり、彼が「日本人」と言うのが聞こえた。
私のわかる中国語は、旅行で使う片言だけだが、さすがに「日本人」と言われれば、それくらいは分かるのだ。
それから、彼はいきなり英語になり、「ちょっと自己紹介してくれますか」と私に言ったのだった。

ひええええ。
予期せぬ展開!
周囲がみんな、「ええっ! 彼女、中国人じゃなかったの? 日本人だったんだ!」という顔をしている。
ええい、と覚悟を決め、思わず片言の中国語で自己紹介してみた。
といっても、私が言えるのは、
「私の名前は、小国綾子といいます。大小の『小』、中国の『国』と書きます。大学時代、少し中国語を勉強したけれど、ぜーんぶ忘れてしまいました」。
ここまでで、ギブアップ。

あとは英語に切り替え、大学の課題でここに来たこと、宗教には無縁に暮らしてきたこと、でも、この場に参加できてとてもうれしいと思っていることを簡単にしゃべった。

そしたら、笑顔がぱーっと広がって、あちこちから日本語が飛んできた。
「こんにちは!」
「ようこそ!」
「かんげいします!」

なんかあとはもう、ほとんど、「おぐに歓迎会状態」で、礼拝が終わったのだった。
人前で自己紹介させられたのには参ったけれど、でも、自己紹介した途端、すーっと身体の固さが取れて、リラックスできたのが自分でも分かった。
だって、人間関係ってフツー、そうじゃない?
まず挨拶して、名前を言い合って、お互いの小さな共通点を見つけては喜びあって、そんな風に知り合っていくうちに、笑顔が自然と沸いてくるもんじゃない?

相手のことをまったく知らなくても、相手が誰であっても、同じ無垢な笑顔で平和をシェアするのは、私には、少々無理が過ぎた。
もっとも、これは英語をしゃべる信徒たちと、中国人の信徒たちの差というよりは、信徒の数にも左右される礼拝の全体の雰囲気の差でもあるし、そもそも、私が前もってルー牧師には挨拶をしていた、というのも大きかったんだと思う。

英語での礼拝の中で自己紹介の機会を与えられなかったとしても、私にその気があれば、礼拝の後で、何人かの信徒たちに自分から挨拶することはできたわけで、そうすればきっと、彼ら彼女らも、今度は私に心からの笑顔をくれたに違いない。

その日の結論。
宗教ってどこか排他的なものだ、という思い込みがあった私だけれど、そういう私の考え方自体もまた、案外排他的だったよな、ということ。
宗教はたぶん、他者を排除したり、segregateする根拠にもなりうるけれど、一方で、他者をuniteすることもできるのかもしれないなあ、ということ。
(たとえば、今回参加した教会は、夏に中国文化紹介みたいなサマーキャンプを実施していて、中国の子どもたちと、白人の子どもたちが一緒に中国の食べ物や踊りを楽しんだりもしてるらしい。)

要は、どこまで想像力を働かせて、宗教の枠組みを乗り越えて、他者を知りたい、と思えるかなんだろう。

ほら、マザーテレサも言ってたじゃん。
愛の反対は、無関心だって。

ちなみに、この教会突撃レポートには後日談がありまして……。
このレポートの提出日だった授業で、ズーク先生が「それぞれの体験を少しここでシェアしてみようか」というので、久しぶりに発言しておこう、と手を挙げた。

とりあえず、日本の宗教事情を軽く説明し、とある新聞の世論調査に対し、75%が自分は無宗教だと答えていること、でも一方で、仏壇や神棚を持っている人の数は日本人の人口の2倍近くに上り、つまり、両方とも持ってる人がかなりいること。仏壇や神棚を持っていても、平気で「無宗教」と自分で答えるのが日本の宗教事情なんだ、という説明をした後で、私は教会での体験をしゃべってみた。
何かというと、sharing of peace の話。

「突然、私の回りの信徒たちが立ち上がったかと思うと、握手を交わし始めたの。なんだ、これ、とあわててたら、突然、目の前の人がこっちを向いて、ものすごくイノセントな笑顔で、握手を求めてくるわけ。次から次へと、ものすごい笑顔で握手を求めてくるんだもの。その時の私ったら……」

で、思わず、ホンネで言ってしまった。

I was so TERRIFIED !

そしたらね、へへへ。
クソ面白くもない顔で聞いてた若いクラスメートが一瞬、どどーーーーっと大笑いしたの。机を叩いて笑ってる子もいた。
わ、ウケちゃったかも!
ちょっと……うれしいかも~。

かつて私は、アメリカ滞在中の目標の一つとして、「アメリカ人たちを自分の英語で腹がよじれるまで大笑いさせてやる」というのを掲げたことがあった。
エントリー「最初のカレッジ授業」の一番最後の部分参照)。

予期せず、それをちょっぴり達成してしまったというわけ。
思わず、心の中で小さくガッツポーズしちゃったのだった。
……ってまあ、笑ってもらえてものすごいうれしい場面、ってわけでもなかったんだけどさ。

カレッジ授業報告 中間試験の無惨な結果、の巻

もう1カ月も前の話になるけれど、話題が尻切れトンボになっているのも気になるので、一応ご報告しておきます。
カレッジで受けている「アメリカ政治における人種・民族問題」というクラスの中間テストの話。

いやはや、参った。
エッセイ問題は、9割以上の点を取れているのに、結局足を引っ張ってくれたのは選択問題。なんとなんと、選択問題の半分を見事に落とした。まいった、まいった。
これで合計点が76点、とかだったかな。
ちなみに、クラスで一番ちゃんとノートを取っているユダヤ人の女の子は92点だった。
(チラリと見えちゃったのよ、って20歳も年下の姉ちゃんのテスト結果なんか盗み見するなよ~>じぶん)。
さらに、ちなみに、例のイラン人娘2人組は68点と72点だったらしい。つまり、私がどんなに頑張ったところで、授業がちゃんと聞けない限り、授業を 「聞いてない」 彼女たちと、ほとんど変わんない、ってわけ。
もう1カ月も前の話だから、今やすっかり立ち直っているけれど、しばらく落ち込んだぜ。

諸悪の根源は、先のエントリーに書いた通り、「○○○について正しい記述を選べ」の類の選択問題。問題にある「○○○」をそもそも見たことも聞いたこともない、というこの現実。いかに授業を耳で聞き取れてないか、という現実にぶち当たったのだった。

せめて授業が板書中心だったならば、とか。
せめてテキストがあれば、とか。
未練がましくウジウジしてしまうが、まあ、レクチャーとビデオクリップのみの授業なんだから、「耳」のみで戦うしかないわけだ。

こういう経験も40過ぎれば「貴重な思い出さ」と思いつつ、しかし、「このままでは、Aを取れないかも」という厳しい現実にウームとうなるばかり。
夫には、「アホか、いまさらカレッジでAを取ろうと、Bを取ろうと、どうでもいいだろ」と笑われているし、それは本当に真っ当な意見だと思うのだけれど、基本的に勝負事には負けたくない私としては、やっぱり悔しい。

結局、ズーク先生にお願いに行ったのだった。
「センセ、実は私、思った以上に先生の講義の内容をわかってないみたいです。そこでお願いなんですが、期末試験も終わって、評定付け終わってからでいいので、先生が授業で自分用に作ってるメモのコピーをいただけませんか? センセの授業、むちゃくちゃ面白いので、わからない部分をいっぱい残したままで終わるのはとても悔しいんです。全部理解したいんです」
まだ少年みたいな顔したズーク先生は、とても困った顔をして、「でもなあ、僕のメモって本当にメモだから、ちょこっと情報を書き殴ってるだけで、それだけ読んでもなんの勉強にもならないと思うんだよね。それなら、テキストとして使えそうな本を選んであげるよ」と。
ま、しかたないよなー、って感じ。
ほんと、今回しみじみ思ったのは、日本人は人種問題(それとたぶん宗教問題)について、ほとんど教育を受けてないに等しいなあ、ってこと。
アメリカの子たちは、日頃は授業中にせっせと携帯電話でテキストメッセージ(日本で言うところのケータイメールね)を送ってるせよ、いざ、人種を語らせたら、かなり面白い。この多民族国家の中で、子どものころから、色々な体験をし、当事者として人種や民族の問題を考えてきた歴史があるからなんだろう。
これには、なかなか敵わない。

そんな話を、このカレッジにいる日本人女性の先生にしたら、「そうでもないわよ」と笑われた。
私の暮らしているモンゴメリーカウンティーは、アメリカでも最も民族的に多様性のある地域で、さらに、そこのコミュニティーカレッジとなると、いつか4年制大学に編入するため、授業料の安いコミュカレでまず単位をかき集めようという、経済的にはあまり恵まれていない子が集まってくるわけで、となるとこれはもう、当然、移民の子たちがいーーーっぱいいるわけだ。
「東海岸のプレッピーな大学で人種の授業をやったことがあるけれど、白人学生ばっかりで、ものすごーく『自分は関係ないし』みたいな雰囲気があって、やりにくかったのよ」と教えてもらった。
なるほどなあ。
アメリカ全体が、私のカレッジみたいな具合ではないのだ。

さて、肝心のズーク先生の授業、その後、ですが……。
試験の後は1時間半の授業を2回分もつかって、なんと、映画「マルコムX」(スパイクリ監督)の第二、第三セクションを全編通して見た。つまり、マルコムXが刑務所の中でブラック・ムスリム運動の活動家に影響を受け、出所後、黒人解放運動の活動家として、「ネイションズオブイスラム」の顔として活躍するところから、同団体の指導者に絶望して、独自の道を歩み始めたさなかに、同団体のメンバーに暗殺されるまで。
クラスメートの中には、この映画を観たことのある人もいたし、相変わらず、携帯電話でテキストメッセージを送るのに忙しい女の子たちも何人かいたけれど、私自身は、興味深く全編見せてもらった、って感じ。
といっても、やっぱり「耳」問題は残るわけだけどね。

なんというか、ネイションズオブイスラムの運動に傾倒していくときの姿は、なかなか痛々しいもので、誰がそもそも、彼をここまで追い込んじまったんだよ、というような思いがした。
しかし、この前の「Do the Right Thing」といい、今回のマルコムXといい、ズーク先生はスパイク・リー監督が好きなんだろうな。
あ、ちなみに、オバマ大統領とミシェルの初デートだか初期のデートだかで、一緒に見にいった映画が、ここで以前紹介したDo the Right Thingだったそうな。
なんだか、ちょっと分かるよねー。

プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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