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「鉄火巻」 のその後

「鉄火巻」 の話を先日書いた。
今回は、その結末について。

「今は、クラスのみんなの前で日本の話はしたくない」 とそんな風に言い、
プレゼン週間開始の前夜には追いつめられ、涙目になって 「学校に行かない」 と訴えたはずだったのに、
ひとたび、先生から、「みんなとシェアしたくないことは、しなくていいのよ。好きな本の一節とかを読むだけで十分だから」 などと言ってもらえたら、それだけで随分と安心したらしい。

「で、どの本のどの部分を読むつもりなの?」 と息子に聞いたら、息子はちょっと考え込んで、こういうのである。
「うーん、どうしようかなあ。俺、やっぱり、ツナロールの話でプレゼンしようかなぁ」
だって。

さて、その心理とは?

【仮説1】 先生に、「無理にしなくてもいいよ」 と言われ、安心したら、心に余裕が生まれた。余裕を持った心であらためて自分の 「鉄火巻き」物語を読むと、クラスメートの前でそれを読み上げるのが、ものすごく嫌だという気持ちが段々と薄れてきた。
いうなれば、「また一つ乗り越えて、エスニックアイデンティティーの確立に一歩近づいたね」 説

【仮説2】 先生に、「本からの一節を読み上げるだけでいいよ」 なんて言われちゃって、あらためて気づいたのは、「これから、本を探して、どこを読むか決めたり、準備しなきゃなんないのかよー。げげ。面倒じゃん」 ってこと。面倒なことをするくらいなら、人前で日本の話をする抵抗感なんて、どうってことないや……などと思ったのではないか。
つまり、「俺、面倒なのが一番嫌いだし」 説

【仮説3】 プレゼン週間が実際に始まり、クラスメートの発表を聞いているうちに、「なーんだ、あんなのでいいのか。どうってことないじゃん」 と気が楽になったのではないか。「○○くんは、人前で発表するのが嫌で泣いちゃったんだよ」「みんな、長いのを読み上げようとして、制限時間の2分に収まらなくて、どれも尻切れトンボなの」 とか、言ってたもんな。
題して、「そんなのでいいなら、俺だって 『鉄火巻き』 でOK」説

たぶん、この3つの仮説のうちのどれか、というのではなく、どれも当たってると思うなぁ。

何となくみんなの前で、日本の話をするのが嫌で、それでも、せっかく書いた鉄火巻話には愛着と誇りがあって、せっかく書いたものがあるのに、わざわざ別のものを用意するのも面倒で、おまけに他のクラスメートの発表を聞いてると、なんかみんな結構テキトーで、

なーんだ。
じゃあ、俺も、これでいいかな。


みたいな。

そんなわけで本日、無事にプレゼンが終了したそうです。
本人曰く、「あ? うん、鉄火巻きの話を読んだよ」。
あっさりしたもんなのだった。

2分ちょうどで読み上げられたらしい。
「クラスメートから、マグロになる場面の描写が良かった、とか、ほめられた」 とちょっとうれしそうだった。
めでたし、めでたし。
(ご心配くださったみなさま、ほんとにありがとうございました!)

民族アイデンティティーと思春期

この手の話は、息子のプライバシーに関わるので、書くまいと思っていたんだけど。
異文化とか、民族アイデンティティーとか、そういうテーマに関心のある私には、自分の子どもの話でなくても極めて興味深い出来事だったので、やっぱり書き留めておこうと思う。

後日、もし息子がこれを読んで、「どうして俺の恥をさらす?」 と詰め寄ってきたら、

・モデル料500円やるから、それで手を打て。
・母ちゃんはこの件について、あんたが恥じねばならぬような話ではない、と考えている。

の2点で乗り切ろうと思う。
よし。
準備オーライ。

久しぶりに息子の学校の話である。
のんびりした学校で、アメリカのわりには、プロジェクト系の宿題や課題が少ない小学校なのだけれど、最近息子がやっているのが、ライティング (作文) のプロジェクトだ。

まず、テーマを選ぶ。
それについて、何を書くかアイデアを見出す。
作文の形式はどんなものでも良い。

物語でもよければ、長めの詩でも、芝居の台本でも、スピーチ用原稿でも、自叙伝でも、手紙形式でも、歌の歌詞の作詞でも。
そして、文章で誰にどんなことを伝えたいかを具体的に考える。
たとえば、政治家達を説得する文章でもよければ、クラスメートに聞かせる物語でもいい。家族を大笑いさせるとんち話でもよければ、新聞や雑誌の編集者相手に経験を伝える投稿文、という設定であってもいい。

最初に学校からの配布物を見た時は、なかなかの難題だなあ、と思った。
昨年の、「国を作り、地図を作り、挙げ句の果てに国歌まで作り、そして歌う」 に比べたら、ずっと地味だけれど、その分、英語の不自由な生徒にはごまかしようがない。

すぐに私なり、英語の家庭教師に泣きつくかと思ったら、意外なことに違った。
「大丈夫。学校の先生もいろいろ助けてくれるし、自分独りでやれるから」 と言って、どんなものを書いているかすら教えてくれない。
それでも。
案外息子がこのプロジェクトを楽しんでいることだけは、傍目にも分かった。

どうやらナンセンス物語を書いたらしい。
テーマは、Tuna Roll。 つまり本人の好物の、鉄火巻きだ。
何度頼んでも見せてくれない。
そのくせ、「部屋のどこかに隠したから、見つけたら読んでもいいよ」 などという。
恥ずかしいけど、ちょっと自信作なんだろう。

息子の目を盗んで、こっそり読んだところ、こんな話だった。
(翻訳・おぐに)

それは、いつもと同じフツーの日に始まったんだ。
突然、僕の身体が変わり始めた。
足が全部なくなって、代わりにたくさんのヒレが出てきた。
気づいたら、僕は大海を泳ぐ魚になっていた。海を泳ぐマグロ。

マグロになって1カ月が過ぎたころのこと。大きな影が僕らの上を横切った。
僕は何が起こったか分からなかったんだけど、仲間のマグロたちはみな、狂ったように泳ぎ始めた。
「いったい何?」 と僕。
「漁船が俺等を捕まえにきた!」
マグロたちが口々に叫んだ。
僕らは必死で泳いだ。すごいスピードで。
でも、船はもっと速かったんだ。
僕らは海中を泳いだけれど、結局捕まってしまった。
僕は気を失った。

次に気づいたら、僕は、大きな水槽の中にいた。
周囲を見渡し、気づいた。僕は、僕の大好きな場所にいるらしい。
寿司屋だ!
人間時代の僕は、寿司が大好きだったのだ。
それから気づいた。ああ、そうか、僕は、マグロ。
鉄火巻きになるんだな、きっと。
悪い気はしなかった。
だって鉄火巻きは、僕の大好物だったからね。

板前さんが僕を使って鉄火巻きを作っている間、僕は辺りを見渡して、驚いた。
だってそこには、僕がいたから。
人間の僕は、うれしそうに、鉄火巻きを注文した。
人間の僕は言った。
「鉄火巻きが食べられるなんてうれしいな。すごくお腹が空いてるんだ。早く来ないかなあ!」
ついに、鉄火巻きは出来上がった。
すごくおいしそうだ。
人間の僕は、一口で鉄火巻きの僕を食べた。
「おいしい~っ!」
僕はそう叫びそうになった。
ほんとにそれは、素晴らしいごちそうだったんだ。

そして、次の日。
僕はまた、魚になっていた。


つまり、永遠に輪廻していくナンセンス物語、ってわけだ。
妙に奇妙な、味のある話で、私は一目で気に入った。
英文のほうは、先生にかなり直してもらったんだろうが、発想はまさに、息子らしいものだったから。

そんなわけで、息子の久しぶりのプロジェクト系課題は、親も英語の家庭教師の手も借りず、あっさり自力で完成し、めでたし、めでたし、となるはずだった。
ところが……。

きのうの夜、息子が突然、こう言った。
「明日は学校に行かない」

「行きたくない」 ではない。
「行かない」。もはや、宣言、である。
理由を尋ねたが、どうもよく分からない。
そうこうするうち、涙目になり始めた。

それでもどうにか聞き出したところによると、明日とあさって、学校で、それぞれの生徒が書いたライティングプロジェクトのプレゼンがあるらしい。
自分の書いた文章について、2分間、クラスメートにプレゼンする、というわけだ。
最初は、息子が例のごとく、人前でしゃべるのを嫌がっているのかと思った。
あるいは、英語でどんな風にプレゼンしていいか分からず、不安がっているのかと思った。
でも、本人はどちらも否定する。

「今回の作文を書く時、先生は、それを最後に、みんなの前で発表する、なんてことを言わなかった。だから俺は、このテーマを選んだんだ。もしも、みんなの前で発表するって分かってたら、こんなテーマなんか選ばなかったもん。絶対に、俺嫌だ。絶対に、俺、発表なんかしない」

Tuna Roll というテーマを披露するのが嫌なんだ、という息子の主張を聞いて、ドキリとした。
思ったより、これは、根が深い問題なのかも、と。
とりあえず、その夜は、
「本気でそのテーマで話せないと思うなら、先生にそう説明しなさい。どうして話したくないのか、相手を説得してみなさい」 と息子に説いた。

さて、翌朝。
息子は、しばらく 「学校に行かない」 宣言を繰り返していたが、最後は覚悟を決めたのか、暗い表情で朝ご飯を食べ始めた。
「先生に、絶対発表しないと主張することにした」 という。
そうか、自分で結論を出したか。

学校に送り出す時に、一応聞いてみた。
「親の手助けがあったほうがいい? 先生にメールを送るくらいのことはできるよ。その代わり、私が先生にメールを出すとしても、『息子に発表させないでください』 とは書かない。
親から先生に伝えられるのはせいぜい、あんたにやる気がないわけじゃない、と抗弁することくらいだよ。
『息子は人前で話したくないのではなく、そのテーマをクラスメートの前で話すのが嫌だと言っています。だから、あと1~2週間息子に与えてやってください。代わりのテーマで、本人は努力して別のものを書き直すと思います』 という路線ならば、口添えもできるけど、どう?」 と。
息子は一言、「それ、お願い」 と言った。

「じゃあ、母ちゃんにもちゃんと、どうしてそのテーマで話したくないのかを、分かるように、きちんと言葉で説明してよ」 と促すと、ちょっと困ったような表情で、息子は、こう言ったのだった。

「なんかさ。俺、
クラスメートの前で、今、
あんまり日本のこととか話したくないんだよね」


たぶん、そういうことなんだろう、と予想していたから、「了解了解」 と息子を送り出したのだった。
息子は私と別れ際、こう強調した。

「俺、あの作文をみんなの前で話すのは嫌だけど、廊下の壁に掲示されたりするのは別にいいんだ」

このあたりがアンビバレントなところだ。
クラスメートの前で、あまり日本のことや、日本人であることを強調したくない。でも、自分の書いた文章には愛着があるし、それを恥じる気持ちもない。
私は、それはそれでいいじゃん、と素直に受け止められた。

大急ぎで、ライティングの先生にメールした。
先生に、メール一本で連絡できるのが、アメリカの学校のホント、助かるところだ。

事情をかいつまんで説明した上で、

「だから、息子は今回に限っては、人前でしゃべるのが嫌、ということではなく、そのテーマをアメリカ人のクラスメートに話すのが嫌ということのようです。今はあえて、日本のことや、日本人であることを、みなの前で強調したくない、ということだと思います。
この手の反応というのは、多くの外国人の生徒がアメリカになじんでいく過程で、よく見られるもののように思います。成長の一段階と、親としては理解しております。こんな風に心を揺らしながらも、将来的には、より安定した、自信に満ちた民族アイデンティティーを獲得していくことと信じます。
何か発表する必要があるようならば、息子に1~2週間の時間を下されば、別のテーマで書くと本人も言っております。その時にも息子は、きちんと努力して、別のものを仕上げると思います」

先生からはすぐに返事が来た。
(授業中でも返事をくれるから、助かる)

「おっしゃること、了解です。
息子さんが話したくないことを、クラスで話す必要は一切ありません。
スピーキングの点数は、詩の朗読だとか、好きな本からの短い引用だとか、そういうものの発表でも構いません。
息子さんと、話してみますね」

すっと理解してもらえたことに、ほっとした。
この先生自身、東欧系(たぶん)の移民一世だ。この国で子育てもしている。
当たり前のように、息子の思いを受け止めてくれたのには、そういう背景もあるのだろうか。

日本だったらどうかなあ。
「みんなやるんだから、あなたもやりなさい」 的な指導をする先生もいるだろうし、逆に、その生徒を哀れんで、「何も発表しなくていいわよ」 と言ってしまう先生もいるんじゃないかな。
「話したくないことを、無理に話す必要なんてないのよ」 と生徒に言ってくれる先生って、やっぱり、とてもアメリカちっくだなあ、と思う。

全然話は変わるが、たとえば、息子の5年生になって初めての社会の授業は、米国の憲法の修正第一項だ。

第1修正(信教、言論、出版、集会の自由、請願権) 
連邦議会は、国教を樹立し、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに人民が平穏に集会する権利、および苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。

息子の持ち帰った宿題には、こんな問題が載っていた。

「次のあなたの行為は、憲法修正第一項によって、それを行う自由が守られていますか?」

問題として挙げられたシチュエーションも面白い。

「あなたと友だちとの間で、イラク戦争に対する意見が割れました。その時、それぞれが自分の意見を主張する権利はありますか? それはなぜですか?」

「あなたは学校の方針に不満があります。その時に、先生に意見したり、地元の新聞に投書する権利があなたにはありますか? それはなぜですか?」

学校の授業で、「学校の方針に不満がある時は、先生に意見してもいいし、地元紙に投書してもいい。そういう権利が君たちにはあるんだ」 と教えるあたり、やっぱり、アメリカらしいなあ、とちょっと感服したのだった。

それはそうとして。
民族アイデンティティーの話。
この国に来て、いろいろな子どもを見てきた。
日本人だけに限っても、実にいろいろな子がいた。
あるいは、いろいろな時期があった、と言ったほうがいいかもしれない。
同じ子が、その時々で、少しずつ変わっていくのも見てきたから。

日本語でしか話そうとしなかった時期のあった子、なかった子。
英語を話そうとしない時期が長かった子、短かった子。
ママの作る黒々とした海苔で巻いたオニギリを、学校に持っていくのが平気な子、恥ずかしいという子。
日本のことが授業で取り上げられることを誇らしく感じる子、身を固くしてしまう子。
アメリカのことが全部嫌いになる時期のあった子、日本のことが全部嫌いになる時期のあった子。
日本で暮らしたことがほとんどないのに、日本人であるということが常に心の支えになっている子。
いつか日本に帰ることがもう、怖くて怖くて仕方なくなっている子。

年齢によって、性別によって、家庭環境によって、周囲の友だち関係によって、そしてシチュエーションによって、それぞれに事情があるから、どっちが成長途上にあって、どちらがより成長しているかなんてことは、一切一般化できないと思う。

たとえば息子はちょっと前まで、オニギリを持参するのは平気だったが、今年は 「ちょっとそういう雰囲気じゃないだよなー」 という。
学校には持っていけないオニギリを、野球の練習には、案外平気で持っていったりもする。
野球のチームメートに好きな選手を聞かれても、あえて日本人選手の名前を挙げない一方で、
ヤンキースの松井選手のワールドシリーズでの活躍に、根っから勇気づけられたり。
教室の壁に貼ってある年表に、広島に落とされた原爆のキノコ雲の写真を見つけて、その日の授業を今から不安がったり。
アメリカの友だちから、「日本語を教えて」 と言われ、わざと 「クリスマス」 と 「バースデーケーキ」 という日本語を教えてやったら、ビックリしてたぜ、と大笑いしたかと思ったら、
アメリカの友だちの前で、日本語で話しかけられるのを嫌がったり。

その時々に、あっちに揺れたり、こっちに揺れたりしながら、
この国の子どもたちは少しずつ、自分の民族アイデンティティーをつかんでいくんだろう。

息子が、鉄火巻きの話をアメリカの友だちの前でしたくない、と強く拒否することも、一方で、自分の書いた鉄火巻きの話に深い愛着を抱いていることも、どちらも息子にとって、たどり着くべき場所に向かっての大事なステップなのだと思う。
だから、私は今、息子に、「日本に誇りを持ちなさい」 なんてわざわざ言いたくないし、
言う必要も、ないのだ。
きっと。

息子に関しては、思春期の本当に難しい時期に突入する前に、日本に帰ることになるだろうから、とさしてその辺りについては心配していなかったのだけれど。
それでももう、11歳だもんなあ。


ジョージ・ブッシュの運転……

息子が音楽の宿題をしている。
なにやら、音符を読んだり、書いたりする練習らしい。
息子は学校で楽器プログラムに参加していて、トランペットの練習をしているわけだけれど、何しろ、ピアノだのバイオリンだのを幼少期から習っているお子さんと違い、そういう素養が一切ないため、はっきり言って楽譜がまったく読めない。

ト音記号もヘ音記号も知らない。
ドレミファソラシド、という言葉は分かるし、それに対応する英語として、

CDEFGABC

というのも分かっているけれど (英語読みするので、「エービーシー」 なのです。決して、「ツェーデーエー」 とか読んでるわけじゃあ、ありません!)、

たとえば、ト音記号のついた楽譜に、ファの音符を書け、とか、ドの音符を書け、とか言われると、まったく一つもできないありさま。
帰国したら大変だろうなあ。
中学校の授業でも、音楽ってついて回るんだっけ?
ああ、不安。

そんな息子が、五線紙に、必死で楽譜を書き込んでいる。
が、なぜか妙なことを口にしているのだ。

Even George Bush Drives Fast...

な、なんだ?
なぜ音楽の宿題に、ジョージ・ブッシュ前大統領 (あるいはパパブッシュの元大統領?) が出てくるわけ?

息子に聞いたら、こういう図を見せられた。

blogABC.jpg

これ、五線紙に、英語のドレミファソラシドを落としたものなんだけど。
この右側の列、つまり、EGBDF (ミソシレファ) を覚えるゴロ合わせなんだって。

Even George Bush Drives Fast……

いいのか、こんなことで?
音符覚えるのに、大統領まで引っ張り出してきていいのか (それも、子どもが、President Bush とかではなく、George Bush とか呼び捨てで……) という問題もあるけど、それ以前に、
こういう音符の覚え方でいいんだろうか……?

左側の FACE (ファラドミ) は単に face(顔) と覚えるらしい。

息子は、Even George Bush... の E (つまり低い方の 「ミ」) と、
Face の E (つまり1オクターブ高い 「ミ」 ) との関係すら分からず、

「ジョージ・ブッシュですら、速く運転するんだぜ」

とか、やっているわけで。
ああ、暗澹……。
帰国後の音楽の授業で落ちこぼれていく様子がまざまざと見えるようだ~っ。

ちなみに、この手の語呂合わせは、ジョージ・ブッシュだけじゃないらしい。

Every Good Bird Does Fly あたりはキレイよね。
Empty Garbage Before Dad Flips  は、妙に光景が想像できて笑える。

ほかにも何個も似たような語呂合わせはあるらしいのに、それでもなお、音楽の先生は、子どもにとって一番印象的で、覚えやすいものとして、ジョージ・ブッシュを選んだのだ。
そこのところが、やっぱり、笑えるのだった。

言葉が生まれ出る時

渡米から1年と11カ月。
つまり、ほとんど2年、というところで、息子に変化が現れた。
自分から、自分のことを、英語で話し始めたのだ。

「おいおい、渡米後2年もたって、まだ英語をしゃべらなかったのかい?」 と言われそうな話だが、実際のところ、それに近かった。
すでに、耳はいい。
最近はもう、レストランやらお店で、何かペラペラペラーと突然話しかけられたような場面で、私が一瞬、「へ? 今、なんていったの?」 と思うような時、息子は、当たり前のようにそれを理解している。

「母ちゃん、○○って言ってんだよ」 とか、
「ホントに今の、分からなかったの?」 などと信じられないモノを見る目つきで言われることだって、すでに日常茶飯事なのだ。

それでもなお、息子の英語はひたすら、受け身であり続けた。
誰かに何かを聞かれるのを待っていて、それに、答える。
Yes や No で済む質問なら、それ以上答えない。
肯定や否定だけじゃ済まない質問に対しても、最低限の単語でポツンと答えるだけ。
なかなか文章にならなかった。

私はそれを見て、たんに英語力がない、ということなのだと思っていた。
結局、このあたりの英語力、というか会話力がどの程度のスピードで伸びるかは、ひたすら性格によるところが大きい。

たとえば私。
いまだに、客観的な事実を述べるのはムチャクチャ苦手だ。
でも、ひとたび、主語が I (私) という一人称になると、なぜだろう、日本語でしゃべっているのとあまり変わらないくらい楽にしゃべることができる。
特に、好きなこと、面白かったこと、すごい体験をしたこと、目から鱗のビックリ体験なんかは、もうしゃべりたくてしゃべりたくて仕方なくて、気づけば、下手な英語でベラベラとしゃべりまくっているのだ。
が、ひとたび、自分以外を主語にしなければならない話になったとする。
あるいは、自分が主語だったとしても、もう少し言いづらい話とか、遠慮しつつ言わねばならない話とか、日本語だったとしても、言い方に工夫が必要な話になると、途端にしゃべれなくなる。

つまり、会話の総合力がアップしているわけじゃあない。
単に、自分の言いたい話、しゃべりたい話、内側からポコポコと沸いてくる話をする能力だけが、本当にただそれだけが、すすすーっと竹が伸びるように伸びてしまった感じだ。

息子の場合は、これがなかった。
「結局、しゃべりたいことがないんだろうか」 と何度も思ったもんだ。

ところが。
この数週間くらいを境に、息子が、I (私) を主語に、少しずつ話し始めたのである。

相手は、最近頻繁にあう、野球のチームメートのザックなんだけどね。
我が家とザックの家は、カープール(送迎の協力体制) をしている。
ザックと息子を後部座席に乗せ、野球の練習や試合に送り迎えすることが多い。
最初、ザックを後ろに乗せた時は悲惨だった。
いや、ザックも相当に気まずかったと思う。

ちょうどこの頃のことを書いたエントリーが、「チェンバロ事件」 だったわけなんだけど。

ザックは、これは、うちの息子が英語をしゃべらないと気づいてからは、あっさりと、言葉で遊ぶのを辞めた。
それ以来、この2人が編み出した、「言葉のいらない車中の遊び」 というのは、なかなかすごい。

頭をもたれかける座席の一部分 (ネックレスト、とか言うんだっけ?) を取り外し、「テディーベア」 と呼びながら、お互いの 「テディーベア」 でボクシングしたり、投げ合ったり……。
(危ないぞ)。

窓を開けては、道行く人に、
「Hello !」
とか、
「How are you? 」
とか、大声で叫んでは、大笑いし合うとか。
(実は私、これのお陰で息子は大声で英語を叫ぶことに抵抗がなくなったんじゃないか、と踏んでいる)

最近だと、車の窓から、あっちこっちの運転手に手を振りまくって、手を振ってもらえたら勝ち、みたいな勝負事でやたら盛り上がったり。

言葉なしで友だちと遊べる才能のあるヤツ、というのは、どの国にもいるらしい。
息子に手を差し伸べてくれたアメリカの子どもたちは、たいていこの才能を持っていた。

そんなわけで、息子は1年近く、ザックと車の中で2人きりのことが多かったのに、会話を楽しむというようなことはほとんどなかった。
ザックがしゃべることがたいてい理解できるようになってからも、フンフンと言ってるだけで、「うなづき専門」 だったのだ。

ところがここ数週間で、妙に息子がザックに自分から話しかけたり、あるいはザックが何か言ってきた話に対して、「僕はね……」 と答えることが増えてきたのだ。
昨日なんか、2人の会話に耳をそばだててたけど、結局、まったく何をしゃべってるか分からなかった。
あとで色々聞いてみたら、Wii というゲームの、大リーグ系ソフトで、チームをそれぞれ育てている2人が、何人もの大リーガーの固有名詞を挙げながら、「○○○がケガしちゃったよ」 「▽▽▽を入れたら、チームが弱くなった」 なーんて話をし合っていたのだった。

それにしても。
この変化のきっかけは何なんだろ。
しばらく考えてみた。
一つの仮定。
実は、例の、5泊6日のカル・リプケンキャンプだったのではないか、という気がする。

もちろん、キャンプ中、息子はひたすら 「受け身英語」 の少年だったはずだ。
自分から何かをしゃべる、ということもなかっただろう。
何しろ、出会ったばかりの仲間に、あれこれしゃべるわけがない。
クラスメートやチームメートにだって、それはできずに来たわけだから。

ところが。
カルリプケンキャンプから帰ると、野球のチームメートからあれこれキャンプについて聞かれたらしい。
何しろ、野球少年の間ではかなり有名なキャンプだし、「来年あたり、行ってみたいな」 と思っていたら、チームメートの、しかも英語もまともにしゃべれない日本人が、単身で乗り込んだ、と聞いて、みな、土産話を待っていたわけだ。

「トライアウト(選抜試験) とか、あるの?」
「野球はおもしろかった?」
「どんなことしたの?」

色々と聞かれたらしい。

おまけに、
「おい、おまえ、テレビのコマーシャルに出てただろ」
(ワールドシリーズのCMに起用された件)
なんて場面もあったらしく。

誰もしたことのない経験を、自分だけが経験して、ちょっと胸張って、自分の経験を誰かにしゃべってみたい、という気持ちになれたのかもしれない。
それを、自信のようなものが、後押ししてくれたのかもしれない。
結局、人間なんて、自分の中に話したいことがあって、それを聞きたいと思ってくれる相手がいて、初めて、言葉が沸いてくるものなのだろう。

やっぱり言葉っておもしろい。

息子、クラス替えの季節

いよいよ8月31日から、息子の学校が始まる。
息子は、秋から現地校の5年生。
誕生日からいえば、本当は、6年生、つまりミドルスクールに行くべき歳なのだけれど、渡米時に学年を1つ落としたもんだから、これからようやく5年生、となるわけ。
ちなみに、日本の学校ならば、5年生の半分が過ぎたところ、って感じか。

アメリカの学校ではたいてい、夏休みの最後に、Sneak Preview なるイベントがある。
そこでいよいよ、クラス替え発表があり、親子で先生へのご挨拶なんかもできる。
息子と2人で出かけたのだが、午前中の先生 (英語と理科) が去年に続き、グラムズィンスキー先生という女性、午後の先生 (算数と社会) が新しく、ネルソン先生 (おっと、アメリカで初めての男先生だぜ) と決まった。

実はこの夏は、息子の交友関係に大きな変化があった。
まず、渡米以来ずっと一緒にいた日本人のお友達2人が、この夏、日本に帰国してしまったのだ。学校にいる日本人の友だちは、これで1人もいなくなってしまったことになる。
おまけに、一番の仲良しだったボリビア生まれのケビンが、家庭の事情で転校してしまった。
残された仲良しといえば、パパとママはインド人、本人はサウジアラビア生まれ、というファイークが残るだけ。
そんなわけで、親としては、「ファイークと同じクラスかなあ」 と結構気にしていたのだけれど、なんだか息子はどっちでも良かったようだ。

結論からいえば、午前中のクラスはファイークと別々、午後のクラスは一緒、というような結果だった。
息子の学校では、4年生から、午前午後で担当の先生が異なる、というシステムを採っている。
クラス替え発表の紙を見ながら、息子は 「げげっ。あいつとまた一緒かよ。げーっ、あいつまでいる……。むちゃくちゃ selfish で嫌なヤツなんだよなー」 などと、愚痴っている。
でも、「仲良し友だちが一緒かどうか」 はあまり気にしてないみたい。
ちょっと拍子抜けなのだった。

なぜなら。

渡米半年ぐらい経ったころなんて大変だった。
まだ日本人の友だちとばかりくっついていたころ、息子に、「あんた、あと1年も経てば、日本人のお友達は全員日本に帰って、あんた1人になるんだからね」 と言い渡したら、息子はこういって打ち震えた。

「母ちゃん、そんな怖いこと言わないで。想像するだけで、怖くなってきた」

それくらい、日本の友だちが学校からいなくなることを恐れていた時期もあったのだ。

1年前の前回のクラス替えだって、まだまだ大変だった。
なにしろ、日本では小規模校にいて、一度のクラス替えも経験したことのないヤツなのだ。
生まれて初めての 「クラス替え」 が言葉の通じないアメリカだった、ってわけ。

だから、クラス替えをきっかけに、友だちの輪が広がるように、適度に日本の友だちとクラスを離してほしいだとか、仲良くなり始めていたファイークと一緒のクラスのしてやってほしいとか、親としてもさんざ学校に要望を出し、学校からもあれこれ、「それなら、英語のサマースクールをきちんと受けてください」 とか 「家庭教師を夏の間つけてください」 なんて指導されながら、まさに学校と親とが二人三脚で 「初のクラス替え」 を乗り切ったのだ。

あの時はもう、息子がどうにかアメリカの学校に適応できるように、と親としても必死だったし、そもそも、息子のほうも、思った以上に適応に時間がかかり、いったいどうなることやら、という状態だったっけ。

あれから1年。
6月ごろ、息子に、「どうする? クラス替えについて何か要望を出しておく?」 と尋ねたら、「別にどっちでもいいよ」 といったのだった。
強がっているのか、仲良しがみんないなくなることの実感がわいてないのか、どういうことなんだろう、と不思議だったのだけれど、本当に、彼にとってもう、「どっちでもいい」 ことになっていたのかもしれない。

あともう一つは、学校のクラス制度によるところも大きいのかも。
日本の学校では、高校になってもなお、担任だとかクラスだとかが持つ意味が大きい。
特に小学校の間なんか、習熟度別授業も少ないし、選択授業もほとんどなきに等しいから、朝から夕方までまったく同じメンバーで同じ教室で暮らすことになる。
おまけに食事まで、この教室の中だ。
となれば当然、クラスの中に友だちができないと相当つらい。
クラス替えとか、担任教師の 「当たりはずれ」 が人生を決める (といっても1年間だけど)
ようなところがある。
おまけに1年間、同じメンバーで過ごすと思うから、他人の目も気になるし、その空間で排除されないよう、浮かないよう、ついつい努力せざるをえない。

アメリカでは、ミドルスクールにもなれば、選択授業が多いこともあり、クラスなんてあってないようなもんらしい。授業と授業の間は、まともな休み時間もなく、ひたすら教室を移動するだけ。で、受ける授業ごとに、生徒の顔ぶれも違う。
ランチは当然カフェテリアで食べるから、クラスの友だちの中に友だちがいなくても平気だ。

息子の小学校の4、5年生は、午前と午後ですでに担任の先生も違えば教室も違う。午前と午後でクラスメートの顔ぶれも違う。そして、昼休み以外には、休み時間なんかもない。
そんなわけで、授業を受ける教室でずっと 「仲良し」 と一緒かどうかは、実際、子どもの暮らしにそれほど大きな意味を持たないように見える。

すでにあちこちで書いてきたけれど、日本のいじめ問題なんかも、案外、クラス制度を解体しちゃえば、解決するケースもある気がする。
というか、同じメンバーで同じ教室の中で、ずっと朝から夕方まで過ごす、というのは、実は大人でも結構ツライのではないか?

とまあ、話が随分脱線しちゃったけれど。
今日、学校に久しぶりに行ったら、息子は、午前も午後もクラスが一緒になったらしいクリストファーという男の子から早速話しかけられていた。
「秋も野球やるの?」
「うん、やるよ。おまえは?」
「おれも、やる!」
なんて会話。
聞いてみれば、郡(カウンティー)内の野球リーグに参加しているRBBAのトラベルチームのメンバーらしい。
いつの間にか、「ランチタイムに一緒にご飯を食べる仲良しグループ」 以外にも、普通に話ができる友だちの輪が、随分と広がっていたということなんだろう。
めでたしめでたし。

かとおもえば、一方で、日本への帰国への恐怖感がじわじわと息子の心に芽生え始めている。

「帰国したくない」
「日本に帰るのは怖いな」

などと言い出している。
相手がアメリカであろうと、日本であろうと、「新しい環境が怖い」 というオリジナルな性格は、とうてい変わるわけがない、ってことなんだろう。

「DIVE」は小学生に早いか?

まずった。
アメリカに来て1年半を過ぎ、もはやカタカナすら忘れ、書けない文字がある息子に、少しでも日本語の本を読ませたい、という一心で、つい、勧めてしまった。

「カラフル」 以来、大ファンの森絵都さんの、「DIVE」1~4巻。
スポーツものだしね、息子でも、漫画感覚で読めるんじゃあないか、と。

そしたら、見事にはまってくれた。
「母ちゃん、これ、おもしろいよ」 と1巻をものすごい集中力で読破。
現在、2巻の前半にいる。

息子が、登場人物の中では、「要一」 が一番好き、というのだが、数年前にこれを読んだ私は、すっかりあらすじなど忘れちゃっていて、「要一」 がどういうヤツだったか思い出せない。
それで、今、一気に、1~4巻を読破してみたのだった。

要一、は、なんというか、重たいキャラクターだった。
スポーツマンタイプではなく、一つひとつ、考え込んでしまうタイプで、圧倒的な努力家タイプで、いわゆる、スポ根モノでは必ず脇役に回る運命の、「根っからまっさらな、荒削りだけれどどこかキラリと光る、天性のスポーツ少年」 とはまるで逆の、高校生だった。
なんで息子が、こいつに思い入れたのか、ちょっと聞くのが怖いのだった。

それはそれとして。
ま、ま、まずい! とびびったのは別の話。
2巻の、息子が読みかけている箇所から、ほんの数十ページ先に、高校生の少年がカノジョとやたら毎晩セックスするシーンが出てくるのだ。
………。
小学生に勧めちゃいけない小説だったんだろうか。

息子には、昆虫やら動物を飼う中、交尾についてはそれなりに教えてきたつもりだ。
特に、カタツムリの交尾というのは強烈だった。
なにしろ、2匹のカタツムリが、それぞれに雌雄同体らしく、びよよーんと長い長い生殖管を伸ばし、お互いに相手の穴に突っ込むという、実に凄まじい光景。
おまけにこれが、何時間も続くのだ。
ひええええ。
この光景を前に、とりあえず、5歳とか6歳だった息子に、「昆虫の結婚」 について、ひとくさり語った記憶はある。

しかし。
人間については、なかなか、語ることもできず。
性教育には手つかずのまま、11歳を迎えてしまった。
うーむ。
困った。

しかし、今さら、「続きは読むな」 というわけにもいかないしなあ。
こうなったら、知らぬ存ぜぬを決め込み、息子が4巻まで読み進めるのを見守るしかなかろう。
でもって、「母ちゃん、セックスって何?」 とか 「性欲って何?」 とか聞いてきたら、大真面目な顔で、説明を試みるしかなかろう。
が、11歳ともなると、きっと素直に、「これって何?」 と聞いてくれない可能性のほうが高いし、そうなれば、父親の出番とばかりに、夫に何らかの 「男同士の会話」 をしてもらうしかないか。

あれこれ思うけど、まあ、いいや。
おもしろい小説だしね。
つまらん雑誌や、友だちとの会話の中であれこれ知る前に、小説でちょっとくらい耳年増になるのも悪くなかろう。

実は、森絵都さんの小説では、「カラフル」 のほうは、まだ、怖くて、息子に勧められていない。
やっぱり、自殺、というテーマを、息子に読ませるのが、親としては怖くて。
下手に、「なぜ生きているのか」 とか 「自分って何なんだろう」 とか、早いうちから悩む少年にしたくなくて。自分がそれで苦労したもんだから。

しっかし、まいったな。
「DIVE」 のほうは、ただのスポ根だと思ってたんだよな~。
そっかー。セックスシーンがあったとは。
それも、結構、しつこく。
いやはや。
まいったまいった。

息子、初のお泊まりキャンプ・下

いよいよ、息子のカルリプケンキャンプも最終日。
金曜日のこの日、正午から閉会式を行い、解散、という流れ。
ところが、スケジュールをよく見ると、午前中にも練習試合を1回やるらしい。
「見にいってもいいですか?」
と事務所に問い合わせると、「ぜひぜひ、どうぞ」 とのこと。
そんなわけで、朝7時半に家を出て、ハイウェイをぶっとばして、アバディーンまで出掛けたのだった。

見事な球場設備をフラフラしていると、息子たちのチームを見つけた。
なんか声を掛けて良いものかどうか、一瞬迷ってしまった。
みながスパイクに履き替え、練習試合のある球場へと移動していく。
息子は、スパイクの紐がなかなか結べなくて、きっちりやっているうちに、仲間から大きく遅れ、1人ぼっちで大きなバットバックを担ぎながら、その球場へと歩いていくのだった。
一人ぼっちの姿がちょっと痛々しくて、心配で、見たくないような、見ていてやりたいような。
それでも仕方なく、ついつい、その後ろを着いていってしまった。
途中見つかりそうになって、思わず隠れてしまった。
……って、私、いったい何をやってんだろう。
あまりに愚かな母ちゃんなのだった。

試合は、息子たちの Reds と、ライバルの Pirates の間で行われる。
この2チームは、これまでに2試合戦っているが、さすがは、初日にレベルチェックを行ってチーム分けしただけあって、一勝一敗、という結果だったらしい。
そうこうするうちに、息子に見つかってしまった。
「俺、これまでの2試合で出っぱなしだったから、今日は2イニングほど、ベンチで休憩だからね!」
わざわざ教えてくれる。
というか、いつも控え選手に甘んじている、と誤解されたくなかったんだろうな。

打順もぐるぐると入れ替えるそうで、この日は11人中10番目。
確かに息子に前もって一言聞いていなければ、「打順10番の控え選手」 = 「ああ、トラベルチームの苦悩再び!」 ってな感じで、母ちゃんはまたしても、深く悩んでいたことだろう。

さて。
試合が始まった。
相手の先発ピッチャーは、マイケル。
息子のルームメートだ。
親は夫婦で試合観戦に来ている。
コネティカット州から、わざわざ大変ね、と声をかけると、「私たち、1週間、こっちにホテル住まいなの」 だって。ひえええ。驚いた。息子を5泊6日のお泊まりキャンプに入れておいて、夫婦で羽根を伸ばすこともなく、野球キャンプの地元のホテルに宿を取り、毎日、息子の様子を見に来てるんだって!
ここにもいたな、野球バカ夫婦! って感じ。
案の定、マイケルはせっかく好投しているのに、キャッチャーが下手で、ストライクのボールすら捕れず、パスボールでばしばし点数が入る様子に、マイケルパパは怒り心頭。
もはや声を掛けられる雰囲気でもなくなっちゃったのだった。

一方、息子は打順10番ながら、初打席はセンター前にポテンヒットとはいえ、一応、センター前ヒット。2打席目は、ライト越えかと思わせる流し打ち。チームメートの半分が三振や内野ゴロに倒れまくっている中で、なーんだ、打ちまくってるじゃん、と私はほっとしたのだった。
もっとも、あとで息子に聞いたら、その前の2試合は、ファーボールが多かったこともあって、ノーヒットだったらしく、毎日打ちまくっていた、というわけじゃあなかったらしいが。
おまけに、途中でマウンドにも登った。
ものすごく球が走っている、というわけではなく、レフト越えの長打を1本打たれてしまったけれど、あとは外野フライ1本と、いくつかの内野ゴロ。内野ゴロは、エラーがいくつかあって、2点失ったものの、そう悪いピッチングではなかった。
レフト越えの長打は、2ストライクまで追い込んで (それも、2ストライク目を内角高めにものすごく絶妙な形で決めていたにもかかわらず)、そこからど真ん中に投げたもんで、見事に引っ張られた。
バ、バカめ。

息子より1~2歳大きい子という話だったが、息子もちゃんと負けずにプレイしており、打撃も決して周囲に見劣りしないし、ピッチングでも、あまりに遅くて目も当てられない、というほどではなかった。
本人も自信がついただろー、とちょっと一安心。

相変わらず、ベンチでほかの子と絡んでいる光景はあまり見られなかったけれど、それでも、時々、笑顔で談笑している姿もあった。
これまた、一安心。

さて、試合が終わって、いよいよ閉会式。
各チームから優秀選手賞の発表があった。
「こういうのに、ウソでも、ぽんと選んでもらえたら、息子なんか単純だから、『母ちゃん!来年も行きたい!』 なんて言うだろうになあ」
などと、身勝手なことを考えていたら、なんとなんと、ホントに息子の名前が呼ばれて驚いた。
24チーム300人から選ばれた24人には、それぞれ、スポンサーのゲータレード (スポーツ飲料会社) から、Tシャツやタオル、水筒と賞状が送られた。

blogprize.jpg
(息子も含め、背番号は全部3か7か8。これは、カルリプケン、カルリプケンジュニア、ビルリプケンの親子3人の背番号らしい)


それから、司会者が、

「さあ、君たちには、メジャーリーグの選手が最初に体験することを、やってもらおう。初めてメジャー入りした選手が最初にやられるのが、パイを顔にぶつけられる、ってヤツなんだけどね……」

みれば、まっ白なクリームパイが20個以上並んでいる。
ひええええ、息子はああいう、ベタベタとか、ドロドロとか、大嫌いなのだ。
あかん、これで一気に、このキャンプのことが嫌いになっちゃうぞ……。

思わず、ガーン、とショックを受けていたら、司会者の言葉はこう続いた。

「ということで、君たちには、僕の顔に、パイをぶつけさせてあげるよ!」

さて、子どもたちは大喜び。
みるみるうちに、白いパイ人間が出来上がった。
なんと盛り上げるのが上手なんだろう。
ちなみに、白いクリームは、シェービングクリームであって、ホイップクリームなんかではなかったらしい。
なるほど~。

blogcream.jpg



ということで、無事、息子のキャンプが終わった。
チームから、優秀賞に選んでももらった。
なんと息子によると、300人の参加者の中から、7人ほど選ばれて、「カルリプケンリーグの世界シリーズ」 のコマーシャル撮影にも参加させてもらったらしい。

「えっとね。カルリプケンとビルリプケンの2人が話していて、俺等子どもが、『イエーイ!』 とか叫ぶの」

息子によると、そんな単純なコマーシャルらしく、メジャーリーグチャンネルで週末に放映されるらしい。
息子は、「野球が上手な子が選ばれた」 と信じているらしいが、それはいくらなんでも、厚かましすぎる。思うに、「世界シリーズ」 のコマーシャルだし、多種多様な民族・人種の子どもが選ばれた、ってことだったんだろう。
なんだかんだと、アジア人はほかにいなかったらしく、マイノリティーだということで、結構おいしい思いをさせてもらったらしい。

ほかにも息子は、いくつか楽しかったことを報告してくれた。

曰く、「あのね、母ちゃんが来たカムデンヤードで、あの後、オリオールズの上原投手を見たんだよ!」

なんでも、子どもたちがランチを食べていたら、上原投手がほかの数人の大リーガーと一緒にランニングをしていたんだそうだ。
故障者リスト入りしてるから、ボルティモアに残っていたってことなんだろう。

「それでみんなが、『Koji, Koji !!』 って叫びだしてさ。『誰か日本語しゃべれるヤツいないか?』 って誰かが言ったから、『俺、しゃべれるよ』 って言ったの。そしたら、『サイン下さい、って日本語でなんていうの』 って聞かれたから、教えてあげた」

だって。

「1人の人は上手に、『ウエハラ、サイン、ク~ダサイ』、って言えたんだけど、これを真似した次の子が、『ウエハラ、サイン、クッサーイ!』 って言ったから、俺、大笑いしちゃった」

だって。
なんか、楽しそうじゃないか。
それに、上原投手に会えるなんて、ああ、本気でうらやましい。
手を振ってもらったらしい。
ああ、上原投手さま、ありがとうございます。

ほかにも、ルームメートのマイケルは冷房が入った部屋なのに、「暑い」 といって上半身裸で寝てたとか、ジャックは野球のユニフォーム姿のまま、バットを抱いて寝てたとか、いびきがすごかったとか、ジャックのいびきを止めようとして、ジョシュアと2人でああでもない、こうでもない、と手をたたいたり、色々作戦を立てたとか、部屋では部屋で、それなりに楽しくやっていたみたいだ。

おまけに、キャンプに参加してもらえたプレゼントがこれまたすごい。

新品のバットバック。
スパイク一足。
野球ズボン1本。
野球Tシャツ3枚。
カルリプケンリーグのロゴ入りキャップが1個。
キャンプ中のチームキャップが1個。
カムデンヤードで撮った数枚の写真と、カルリプケンのサイン。
それぞれの選手のバッティングフォームを撮影し、カルリプケンのフォームと比較しながら、コーチがコメントしてくれたDVD一枚。

もう、これでもか、これでもか、のお土産三昧。
はっきり言って、親の立場にしてみれば、お土産なんかいらないから、キャンプ費用をもっと安くしてくれ、って感じ。

でもまあ、ここまで楽しい体験ができて、カムデンヤードでプレイまでできて、優秀賞までもらって、おまけにコマーシャルにまで出演できて、お土産三昧で、それでもなお、「やっぱり行きたくなかった」 なんて言わないだろう……と母ちゃんもタカをくくっていたら、甘かった。

「もう1回行きたい、って感じ?」 と聞いた私に息子は即答。

「ぜんぜん!」

はぁ?
はぁ~?

息子によれば、こうだ。
「夜、やっぱり、寂しくて、俺、泣いちゃったよ」

ジャックのいびきがどうとか、ジョシュアのおならがクサイとか、友だちと大笑いした後でも、布団にもぐり込めばやっぱり、寂しくて、泣けたんだという。

でも、息子がほんとにつらかったのは、寂しいことだけじゃなかったらしい。

「俺、やっぱり、アメリカの食べ物はダメ。朝食なんか、トーストはあったけど、まずくて食えないし、シリアルはあったけど、赤とか青とか緑とか色がついてて気持ち悪いし、牛乳はあったけど、ローファットや脂肪2%で、ホールミルクはなくて、まずくて飲めないし、結局フルーツちょっとしか食えなかった。で、いつも腹減らしてた」

「夕飯も、ピザパーティーの日は自分のお金でピザを注文できて、これはうまかったけど、あとはタコスくらいかな。ほかは、パスタだっていうから期待したら、肉団子パスタで、肉団子はフリーズドライみたいだし、パスタはべちゃべちゃだし、すげえまずかった。だから夜中もずっとお腹が空いて、気分が悪くて、吐きそうだった」

うーん。
どうやっても乗り越えられない、食文化の違い、というヤツか。
それにしても、2%のミルクまでダメとは、いくらなんでもワガママ過ぎないか?

さらにさらに。
息子が大変心配していた、「ウォシュレットなしのトイレで大丈夫か?」 問題については、もっと大変なことに、「俺、最初の3日間、一度も大きいのが出なかった」 だって。
まともに、朝も夜も食べないので、出るものすらなかったのか。
それとも緊張のせいで、超便秘になっていたのか。
いずれにしても、なかなか、つらい暮らしだった、ってことなんだろう。

なんと軟弱な。
情けない。
でもまあ、それも含めて、良い経験だよな。

そもそも、すっかりキャンプが気に入って、「来年も行きたい!」 と言われても、こっちのお財布事情が許してくれなさそうだし。
とにかく。
それでも5泊6日、行って帰ってこられたのだ。
それで良しとして、ほめてやることにした。

帰り道、たくさんの子どもたちに、息子は声を掛けてもらっていた。
みんな、ちゃんと息子の名前をきれいに発音してくれていた。
「あんた、人気者じゃん」 と言ったら、
「日本人で物珍しいからか、みんな話しかけてくれた」 だって。
こういうところ、アメリカっていいなあ、と思う。
ほんと、ありがたいなあ、と思う。
違うことを、大事にしてくれるから。

「そうそう。母ちゃん。キャンプで会った子に聞いたんだけど、なんか去年のカルリプケンキャンプには、イチローの子どもが来てたんだって。で、俺も、レッドソックスの斉藤隆投手の子どもなの? って聞かれちゃったよ」

イチローの息子さん、って何だよ、それ?
私の知る限り、イチロー選手って、子どもがいないはず。
で、イチロー選手が 「息子」 と読んでいるのは、実は、愛犬 「一弓」 のこと、という話題もあったっけ。
犬が来たのか? もしかして。
んな、アホな。
でもまあ、イチローの息子も来たキャンプに参加した、と思いこめるのも幸せなのかも。
しばらく黙っていようっと。

追記:
アメリカに来て以来、コメント欄にコメントをいただいても、お返事は書かないというルールでブログを運営しております。ネット環境も不安定なので、ビミョーなやりとりになると、しかるべきタイミングできちんと返事をできない可能性があるからです。
そんなもので、追記の形ですが、先日の、ケン様のコメントは、日本のリトルリーグや野球の様子がよく分かって、とても勉強になりました。
ちょうど今、日米の少年野球について色々調べている最中なので、とても参考になりました。感謝です。
以前のコメントで、リトルリーグの世界大会の話もご紹介くださいましたが、今年は同じ時期に、カルリプケンリーグの世界シリーズもあるようで、カルリプケンのほうが我が家から距離的に近いこともあって、今回はこちらに行ってみようかな、と思っております。
また、ご報告しますね>ケン様および、野球なみなさま。

息子、初のお泊まりキャンプ・中

日曜日から金曜日までの5泊6日の野球キャンプには色々なイベントが組み込まれていた。

午前と午後は、メリーランド州アバディーンにある、カルリプケンの野球場 (これまた素晴らしい施設だ!) で、ポジションごとの練習やら、チームごとの練習試合。
一方、夜のイベントは、

・ボルティモアの水族館
・プロのアメフトのチームがいつも試合しているフットボール場で、タッチフットボールのトーナメント。
・プロ野球試合観戦
・ピザパーティー

など、これまた、盛りだくさん。

しかし、この5泊6日のキャンプで、一番のイベントといえば、やっぱりこれだろう。

大リーグ球場でプレイする。

最初に聞いた時は、ウソだろ、と思った。
何しろ、普通に球場が主宰する 「球場ツアー」 なんかに高いお金を払って参加したって、「芝生には絶対に触らないでください!」 なんて注意され、フィールドの隅のほうを若干歩かせてもらえる程度だ。それなのに、子どもたちが、大リーグ球場でプレイできる???

どう客観的に見ても、息子が将来、大リーグの球場でプレイすることなんて、もう一生、あるはずもないわけで、親のほうが、興奮しちゃったのだった。

案の定、キャンプ主催者であるリプケン・アカデミーのほうも心得たもので、「保護者のみなさんは、外野席から見物ください」 だって。いわば、野球キャンプの保護者参観、ってわけだ。
もちろん、行ってきましたよ。ビデオとデジカメの両方を抱えて、ボルティモアのオリオールズの球場まで。

オリオールズのカムデンヤードは、その美しさが有名で、全米でも屈指の人気球場だったりする。
火曜日、1時間以上ものドライブの果てに、球場正門の前にたどりついてみたら、ひええええ、ものすごい親の数。
なんとこのキャンプ、息子が申し込んだ10-12歳だけでなく、8-9歳のデイキャンパーや、13-15歳の子も同時に練習するので、昼間のキャンパー人口はなんと約300人!
東海岸だけでなく、西海岸からの参加者もいる人気で、ほかにもメキシコあたりからも参加しているらしい。今回は 「47州5カ国からの参加」 とか言っていた。
恐るべし。

そんなわけで、親のほうも熱心なもんだ。
200ミリ、300ミリとも思える望遠レンズ持参の親多数。
ママだけでなく、パパの多いこと多いこと。
……って、あなた、平日の朝なんですけど。
みなさん、お仕事なんて休みまくって、わざわざ、「息子の一大イベント」 に駆けつけたってことらしい。

外野席からでは、ほとんど豆粒にしか見えない子どもを必死に追う親たち。
子どもはここで初めて、前日の実力テストの後、それぞれのチームに配属される。
場内アナウンスで、1人ひとり、子どもの名前が呼ばれ、チーム名が発表される。
息子の名が呼ばれた。
チームは、Reds、だ。

チームごとに、ベンチ前に集まっている300人の子どもの中から、ホームビデオの望遠機能を使って、どうにかこうにか息子を探し出す。
親の執念、というヤツである。
ようやく見出した息子は……ああ、なんとも所在なげ。
1人、ぽつんとチームメートから離れ、きょろきょろしている。
だ、大丈夫か?

カムデンヤードでの練習は、3チームごとに8種類の練習を15分ずつこなしていく、という流れだ。
息子のチームはこんな感じ。

1、球場内のバッティングケージで、プロのオフィシャルボールを使って打撃練習。
2、記者会見場で、数人のオリオールズの大リーガーを相手に質疑応答し、カルリプケン氏にサインをもらう。
3、フィールドに上がり、トスバッティング
4、大リーガーがいつも投げてるブルペンで、投球練習!
5、外野越えのフライを捕る練習
6、外野フライを捕る練習
7、球場整備の道具室見学。
8、いよいよ、内野でノック。ダブルプレーの練習など。

なんとうらやましいんだろう。
私が代わりに参加したいくらいだよ。
……っていっても、私じゃ、外野フライなんか、取れないけどね。
何しろ、人数が多いので、ブルペンで投げるのだって1回ずつだし、外野フライだって1回ずつしか捕れないんだけど、それでも、野球少年にとっては本当にドキドキする体験だったと思う。

ブルペンに向かう途中で、息子が外野席の私に気づいた。
その時の写真がこれ。

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ブルペン練習の後、2人一組でキャッチボールをする段になって、息子ともう1人の少年のイキが妙に合っているのに気づいた。そしたら案の定、キャッチボールの後は、ずっと息子とその少年は一緒に行動していた。

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(息子の隣にいるのは、ジョシュア。実は、宿泊所のルームメートでもあった。
 キャンプを通じて一番仲良くなれたのが彼だったらしい)

何となく、「仲良しの友だち」 もチームにできたみたいで、親としては、ホッ。

へええ、と驚いたのは、キャンパーたちの野球のレベル。
トライアウトも何もないキャンプだし、上手な子から下手な子まで色々だろう、とたかをくくっていたのだけれど、見たところ、そう下手な子はいない。
内野から高く高く上げられる外野フライを、ほとんどの子が難なく捕っていく。
時には、すごい突っ込んで、スライディングキャッチする子も。
頑張りすぎて、けがして運ばれる子も……。

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(外野越えフライを追いかけ、走ってる息子。豆粒ほどの大きさ)

あとで息子に聞いたところによると、チームメートのほとんどが12歳で、どこかのトラベルチームに所属している子も多かったらしい。
「おまえ、あのトーナメントに出たの?」 「俺もあの時いたんだぜ」 みたいな会話がよく交わされていたらしい。

午前の練習が終わって、カルリプケンと大リーガーと一緒に記念撮影、という段になって、親は退場させられた。

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(後部1列が大リーガー。真ん中の白シャツが、鉄人カル・リプケン・ジュニア)。

ちぇっ、残念!
でも、ま、いいか。
とにかく、野球さえあれば、息子はどうにかなりそうだし、友だちもできるんだ、ということだけはちゃんと見せてもらったもんね。

母ちゃんは、あと数日の自由な夜を謳歌するぜ。
(ははは、毎晩飲み歩いちゃったよ)

息子、初のお泊まりキャンプ・上

息子が、カルリプケンというメリーランド州では大英雄の元大リーガーらが主宰する5泊6日のサマーキャンプに参加した。
ということで、不良母ちゃんの私は、毎晩飲み歩いているわけである。
鉄人カル・リプケン、と呼ばれるのは、「2632試合連続出場」 という記録のためらしい。

そもそもの始まりは数週間前。
そういえば、カルリプケンが主宰するサマーキャンプがあったな~なんて、ウェブ検索したのがきっかけ。
そしたら、こんなページが出てきた。
日本の旅行代理店が、日本の野球少年を募って、カルリプケンのキャンプに参加させよう、というページ。
そのお値段たるや、おお、なんと、交通費別で約30万円!

実はこのカルリプケンの5泊6日のキャンプは、お値段も1500ドルほどして、ひええええ、とひるんでいたのだけれど、日本から参加させたら、倍以上かかるわけである。
ならば……と思わず、カルリプケン・アカデミーにメールしてみたのであった。

そもそも、息子が参加できるのは8月上旬の1週だけであり、でもそこはすでに満杯で、募集を締め切っていた。そこをあえて、「空きはありませんか?」と聞いてみた。
そしたら案の定、「その週はもう、いっぱいなんです。でも、その前の週なら空きはあります。どうですか?」 と来た。
ここで引き下がらないのは、アメリカで得た生活の知恵だ。
2つほどエサを撒いてみた。
曰く、

「その前の週は、息子は、スミスバーグのトーナメントに出ているので参加できそうにありません。というのも火曜日に決勝戦が予定されているからです。息子のチームは、すでにエルクリッジ、RBBA、Cove Creek Park といったトーナメントですべて優勝しており、スミスバーグのトーナメントでも決勝戦進出は固いと思われます。それゆえ、空きのある週には参加は不可能です」

さらに、

「息子は1年半前にアメリカに来ました。アメリカという国になじみ、この国を好きになれたのは、すべて野球のお陰です。だからこそ、ぜひ、アメリカにいるうちに、カルリプケンのキャンプに参加させたいと思ったのです。息子は来年夏、アメリカにいるかどうか分かりません。ぜひ、今年中に、アメリカならではの体験をさせたいのですが……」

と。
そしたら、びっくり。
わずか5分後に返事が来た。
「息子さんを、ご希望の週で受け入れます」

さて。
私の撒いた2つのエサのどっちが功を奏したんだろうか?
いまだに不明。
もしかしたら、それなりに強いトラベルチームに所属する少年であれば、カルリプケンのサマーキャンプだけでなく、今後もプライベートレッスンなど色々な局面で、「おいしいお客さん」 になるだろう、という読みをされたのかもしれないし。
あるいは、全米、というより、諸外国からも野球少年がやってくる、というのがこのキャンプのウリでもあるので、こういう毛色の違う子どもを受け入れたい、ということだったのか。
いまだもって不明。
しかし、はっきりしたことは、「すでに売り切れ」とか、「応募締め切り」とか書いてあっても、ああでもない、こうでもない、とアプローチすれば、結構、門が開いちゃうのがアメリカなのだ。
まさに 「言ったもん勝ち」 の世界。
というか、きちんと自己主張や自己アピールできないと、なかなか門は開かない。

日本だとこうはいかないと思う。
どっちが良いかは別にしても、ね。

ということで、「受け入れます」のメールをもらった段階で息子に相談した。
「あんた、行ってみない?」と。
たぶん嫌がると思った。
息子は、ものすごく引っ込み思案で、こういう普通のサマーキャンプでも、チームメートやクラスメートがいないと参加したがらない。それが今回は、チームメートもクラスメートも誰も知り合いのいないキャンプに、それも、息子としては初めてのオーバーナイトキャンプだ。おまけに5泊6日。
ちょっと初心者にはキツイかな~、という感じでもある。

ところが息子はみょうなところに関心を示した。
「ここすごいね。キャンプに参加したら、ジャージーにベースボールパンツにスパイク、おまけにカルリプケンのサイン入りの写真までもらえるんだって! ほしいなあ。行く! 俺、行くよ!」
驚いた。
まさか、自分から行きたがるとは思ってなかったから。
物欲とは、こうも人間を変えるのか?

それで申し込んでしまった。
1500ドルだよ。
おまけにリファンド不可。
ひええええ、なのだ。

キャンプが近づくにつれ、案の定、息子が怖がり始めた。
いよいよ、彼の本領発揮、と言うべきか。
「母ちゃん、やっぱりいやになってきた」 と朝も夜もなく口にし、
「ああ、どうして、調子に乗って、『行きたい』なんて言っちゃったんだろー。あの時、行きたくない、と言っていれば人生変わっていたのに!」
と、あれこれ言った挙げ句は、泣きべそをかき、
「母ちゃんと一緒にいたいよー。父ちゃんと一緒にいたいよー」。
ああ、もう、へなへなへな~。
なんちゅう、軟弱な!

それでも、母親とは弱いもので、ついつい、「ここまで嫌がるんじゃ、無理かも」 なーんて一瞬、思ってしまった。
そしたら、夫が、あきれた顔で言う。
「おまえ、そりゃ問題だぞ。なにかって、君のほうの問題。こういうのは、パーンと突き放して、無理やりでも行かせる選択肢しかないだろ?」
そう言われて、あらためて、気を引き締めたのだった。
泣かれようと、何と言われようと、たたき込んでやる!

キャンプの前の2週間は、親としてはなかなかスリリングだった。
スムーズにキャンプに行けるか、前日あたりから不安が高じて熱を出さないか。
おまけに、数日前に、猫のいるお宅に遊びにいったら、猫アレルギーだったらしく、夜中に喘息発作のような状態になったりもして、あわてて医者に行き、いざという時のための薬を用意したり、むちゃくちゃ忙しい日々だった。

息子はといえば、
ある夜は泣き、
ある夜は諦観し、
そのくせ、この夏最後のトーナメント試合の後、チームメートのブランドンのパパから 「とうとう1カ月のオフだね。野球は全然やらないのかい?」 と聞かれた時は、平然と、「あ、僕、カルリプケンのキャンプに行くんです」 なーんて答えちゃっていた。
ブランドンのパパから、「そうか! ブランドンを来年行かせたいと思っていたところだから、ぜひぜひ、どんなだったか報告してくれよ」 なーんて肩をたたかれ、ますます後戻りできないのだった。
ははは、ざまーみろ。

さらに、いよいよ出発日の前日にあたる土曜日は、夫婦して、名付けて 「不安になる余裕すら与えないで、ぐったりと疲れさせて、眠らせてしまおう」 計画を実行。
すなわち、お友達の日本人家族と一緒にデイキャンプ。炎天下、ボートを漕ぎまくった上、バーベキューをし、雨の中テントに避難したり、草っぱらで子ども同士で走り回ったり……。
結局、親子でヘロヘロになるまで遊び倒したお陰で、出発前夜の土曜日、息子は、「怖いよー」 と言う余裕すらなく、爆睡した。
翌日の証言によると、さすがの息子も、「俺、一瞬にして寝ちゃったよ」 だったそうである。
作戦成功!

というわけで、日曜日、息子を車で1時間ちょっとの所にあるキャンプ会場まで連れて行った。
息子は完全に緊張しまくっており、ほとんど、親の話す言葉さえ、耳に入らない様子。
じゃあね、と言うと、あっさり、「うん」 と手を振った。
さすがに情けなさそうな顔一つしなかった。
見栄があったのか、あるいは、緊張のあまり、無表情になるしかなかったのか。
どっちにしても、まあ、不安なこと、怖いこと、嫌なこと、全部ひっくるめて良い経験となるだろう。

部屋は4人部屋。
2段ベッド2つだったんだけど、すでに下段は2つとも先客で埋まっていて、「ひえええ、これじゃ息子、落ちちゃうわ。とにかくとんでもなく寝相が悪いのよー」 などと言ってみたら、ルームメートの子どものパパが機転を利かせて、ベッドをあっさり解体し、下のベッドの隣に上のベッドを並べてくれた。
こういうところの行動力は、本当に、アメリカ人はすごい、といつも思う。
日本だったら、「まずキャンプのスタッフに、上のベッドを移動させていいか、相談してから」 となるし、その作業も、スタッフの人と相談して……となるだろう。
でも、こっちじゃ、「あ、このベッド、はずせるよ。解体して、2つ並べたらどうだろ」 と言いながら、すでにベッドを下ろしてるもの。

今回のキャンプ、息子が一番不安がっているのは次の3つ。

・日本食が食べられない。アメリカの食事を5泊6日も食べ続けられるか?
・ウォシュレットがない。自宅のウォシュレットに慣れきったお尻が、それなしに排便できるか?
・友だちがいない。

親としては、一番心配なのは3番目なんだけど、息子はむしろ、1番目と2番目を本気で心配している。あいかわらず、変なヤツだ。

親がなぜ、3番目が心配かというと、息子の性格のせいだ。
自分から誰かに話しかけて友だちを作っていく、というのが、とても苦手なヤツだ。
そういうソーシャルスキルを段々と身につけていくべき小学校中学年で、アメリカにやって来て、言葉の壁にひるみ、おまけに 「外国人で言葉ができないんだから仕方ない」 という言い訳まで自分で身につけて、結局、自分から話しかけて友だちを作る、ということがいまだにできずにいる。
もはやこの性格は変わらないかのようにも見える。

でも、短期決戦には弱くても、長期戦になれば、なんとなく、いつも友だちに恵まれるヤツでもある。
2泊3日のキャンプじゃ無理でも、5泊6日もすれば、どこかに自分の居場所を見つけるだろう。
……というのが親の希望的観測。
ああ、どうなることやら。

アメリカで、もろきゅう弁当

息子の夏休みも2週目に入った。
今週から、野球キャンプ (日帰りで9時から3時まで、お遊び野球で遊ぶサマーキャンプ) にたたき込んであるため、母ちゃんは、毎朝の弁当作り以外は、超お気楽生活~。

野球キャンプも今年で2年目。
去年は、まだ一緒に参加する友だちもいなくて、おまけに、小さな子どもがいっぱいいたこともあって、実につまらなそうな顔で、それでもやっぱり野球ができることがうれしくて、結局、ほとんど英語ができない状態で通い続けたのだっけ。
その時に書いたエントリーがこれ
まあ、なんて懐かしい!

今年は、トラベルチーム仲間のザックが一緒に参加するので、周囲のレベルにどんなにばらつきがあっても、とりあえず、ザックとキャッチボールしていれば、たいくつしないはず。
おまけに、ザックのママとカープールできるから、送迎の手間も半減!
ああ、この1年で、親子ともに進歩したもんだわー。

さらに、問題の弁当。
去年は、酢飯の代わりに、塩と白飯を使って、見た目は巻きずし、でも味はおにぎり、という作品を発明し、「おにぎりが食べたいけれど、黒い海苔を巻いたおにぎりはちょっと……」 という息子に持たせたんだっけ。
「これ何? と聞かれたら、堂々と胸を張って、『スシ』 と答えなさい」 と息子を励ましたんだっけなあ。
なんて、できた母ちゃんだったんだろう!

今年は、ずばり、ただのおにぎり路線。
「これ何? と聞かれたら、堂々と 『ライスボール』 と言いなさい」 なーんて息子を励まさなくても、息子自身が、平然とした顔で、「ライスボールだよーん」 と周囲の子どもたちに言えるようになったもんだから。

今朝は、ご飯にふりかけ2種を混ぜ込み、2食おにぎり。海苔なし。
それだけじゃなんだなーと思って、ジップロックにトマトを洗って入れた。
それから、息子の大好物である、もろきゅうを持たせようとして、はたと気づいた。

キュウリを縦に半分に切る。これをジップロックの袋に入れる。ここまでは良し。
味噌を小さなタッパーに入れて持たせようと、タッパーに味噌を少し入れたところで……。
私は思わず、ふきだしてしまった。

小さなタッパーに入った味噌の塊というのが、なんというか、似ているのである。
つまりは、うん○に。

出勤直前の夫に、「見て、見て~。これ、何かに似てない?」
夫は本気で、「おまえ、こりゃまずいよ。絶対にあいつに持たせたら、アメリカの子どもに笑い倒されるぞ」 という。
いや、私もそう思うけど。

検便じゃああるまいし、さすがに、小さなタッパーに味噌、というのはマズかろう、と思い、路線変更。
2つ割りしたキュウリに薄く味噌を塗り、「味噌サンド」 のような状態にしてみた。
これなら、はさまれた味噌はほとんど見えない。
息子に、「これだったら恥ずかしくない?」 と聞くと、息子も 「大丈夫大丈夫」 という。
そんなわけで、「もろきゅう味きゅうり味噌サンド」 を息子のランチに持たせたのだった。

さて。
半日後、息子が持ち帰った弁当袋を見て、あ然。
キュウリがまるまま、残っている。
それもそのはず。
味噌をサンドしたキュウリからは水分が出まくってる。
ラップこそしていたが、無惨にも、味噌まみれのキュウリ、状態。
これがなんというか、見ようによっては、うん○まみれのキュウリ、にも見えるわけで。
息子が、アメリカの子どもたちの前で、これを食べられなかったわけだ。
というか、日本の友だちの前でも、これを出す勇気はないよな。

おいしく出来上がった、この、みそ漬けキュウリは、息子が帰宅後、冷蔵庫に冷やし直して、あとでおいしくいただきました。
ちゃんちゃん。
もろきゅうを見た目美しく、アメリカで弁当 (というかジップロックの袋に入れて) に持っていくにはどうすればいいかなあ。

プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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