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gifted child って?

息子の現地校転入からまだ間もない頃の話。私の携帯電話に自動音声でこんな電話がかかってきた。
「お子さんの gifted and talented program への申請締め切りは明日です。予定しているならお早めに」
どうやら教育委員会だか学校が、地区の全生徒の家庭に一斉に連絡を回していたらしい。

渡米前にも、gifted child という言葉は聞いたことがあった。ただ、何となく 「お勉強がずば抜けてできて、飛び級して勉強する優秀な子」 を想像していた。
ところが米国では全然違うらしい。

もちろん、この国でも gifted の定義をめぐっては様々な議論があるわけだけど、概してgifted が意味するのは、生まれつき天賦の才能を持ち、それゆえ能力を伸ばすために特別な教育を必要とする子のことであり、例えば日本でよく見られる 「早期教育や先取り教育で同世代の子どもよりお勉強が進んでいる子」(いわゆる highly achieved かな) とは概念がまったく異なるという。

先日、こんな雑誌記事を読んだ。

雑誌の名は、「gifted child today」。
そのものずばりの雑誌があるなんて。gifted を見出しては、飛び級させたり、違う学校に行かせて特別な教育を与えたりするのが当たり前のこの国らしい。
この雑誌の07年秋号にあったのが、「Gifted Dropouts」 という記事。
つまり、一度は gifted として見出され、特別な学級や飛び級で学んだ子が、高校でドロップアウトする、という話だ。
記事では、高校中退した14人の gifted children の研究結果を報告していた。

14人の多くが高校中退の主な理由として挙げたのが次の2つ。

「学校はつまらない。ちっとも、challenging でない」
「先生やクラスメートは、gifted である自分を respect してくれない」

例えば、ある少女は「学校は何も新しいことを教えてくれなかった。先生もクラスメートも誰も私をrespectしてくれなかった」といい、高校で成績優秀者のためのコースに入れなかったことで挫折した別の少女は、「普通のカリキュラムではレベルの低い子に囲まれ、興味や関心が誰とも共有できなかった」 と語った。なかなか友だちができなかった時にせっかく仲良しになれた子が先に退学したので、「その子といつも一緒にいたい」と後追い退学したケースもあった。

一方、男の子はこんな感じだ。
ある少年は「高校は自分向きじゃない」と中退し、カレッジに進学した。別の子は両親の離婚を機に転校したことから、能力のある自分よりも地元の良い家庭の子が大事にされる土地柄になじめず、「誰も自分をrespectしてくれない」と中退。ほかにも、教師に過小評価され、友だちにばかにされていた時、別の友人たちからドラッグに誘われ、薬物依存になって退学させられた子や、「先生に misjudge されている」と不満を募らせ、辞めた子など。

いわゆる 「昔天才、今凡才」 といったのんきな話では全然ない。
この14人の若者への詳細な調査で浮かび上がったのは、多くの子がドロップアウトする前に友人や親せきなど身近な人の死を体験していたこと。その時の喪失感やショックを、家族とも友人とも学校の教師とも共有できず、孤独なまま苦しみ、少なからぬ子が薬物やアルコール依存、自殺未遂なども経験していたこと。
研究者たちは、学校や周囲から自分への過小評価への不満や、孤独への脆弱さなどの背景に、gifted child によく見られる過度な sensitivity (感じやすさ) を指摘している。

……と、ここまでくれば、私としては新聞の社会面記事風に話を展開させてみたくなる。
例えば、

<gifted な子に応じた教育を施したはずが、結果的に、能力や成績の異なる多様な同世代集団の中で学ぶ機会や、同世代集団への帰属意識を高める機会を奪い、孤独な子どもを創り出しているのではないか>

だとか、

<gifted 教育は、他人から常に十分に評価されないと自己肯定感を維持できない子を産んでいないか>

とか。

<多様な同世代のいる普通の学級で学ぶ経験が少ないために、孤独や喪失感に対して精神的にとても弱くなってしまうのではないか>

とか。
つまり、「過度な能力別教育の弊害ではないか」 といった問題提起をしたくなってしまう。
gifted child の生きづらさの原因とされる sensitivity も、単に先天的なものだけではなく、その後の教育などが影響しているのではないか、とね。
たぶん私だけじゃない。
日本の新聞の社会面記事ならば、たいていそうなってしまうと思う。

ところが。
今回の雑誌記事は私の予想を裏切り、こんな提言で締めくくられていた。

曰く、
・学校や学級は gifted child を prize する環境を整えるべきだ。
・gifted child の教育に無知な教師は、gifted 向けの教育法について学ぶべきだ。
・gifted child に対して受容的な環境下で、やりがいを感じるに足るカリキュラムを提供するべきだ。
・gifted child の多くが抱える過度な sensitivity (感じやすさ) を前向きに評価し、本人たちがそんな自己を受容し、自己表現できるよう手助けし、その上でそれを克服していけるよう手助けするべきだ。
・身近な死などの喪失体験を乗り越える手助けをするべきだ。

など。
そうくるかー、という感じ。

「能力平等主義」の日本に長く暮らしてきたせいだろうか。
子どもの能力が生まれながらに異なるのは当たり前で、その子その子に応じた教育を与えることが 「機会平等」 なのだ、という米国流の考え方は、頭では分かっていても、時々心がついていかないことがある。

もっとも、中学高校では能力別授業が当たり前というこの米国でも、1990年代ごろから detracking という動きが起こっている。つまりは、能力別をやめ、同じ教室で学習させてみよう、という試みだ。
現行の能力別授業が人種格差や学力格差を拡大している、といった根強い批判を背景に生まれた運動らしい。
いくつかの研究の結果、能力別授業を廃止し、detracking を進めた結果、生徒全体の学力は向上した、というような結論もすでに導き出されているという。しかし、常に 「能力の高い生徒を犠牲を強いているのではないか」「本当に能力のある子を伸ばせないのではないか」 という批判や懸念もあるようだ。

日本では今、むしろ「習熟度別授業」の拡大の方向にあるわけで、米国の detracking という一つの運動はそれはそれで興味深い。
そういえば息子のいた日本の小学校でも、算数の授業は 「習熟度別」 だったっけ。「習熟度別」とは言っても、「どんどんコース」 だの 「のんびりコース」 だの (はっきりは思い出せないが) といった曖昧な名前をつけ、おまけに子どもたちに自分でコースを選ばせいた気がする。「能力別」 という言葉を嫌い、「習熟度別」 という言葉にこだわり続けている日本らしい話だ。

どちらが良いとか悪いとか、そんなことはまだ分からない。
ただ一つ思うのは、米国式の gifted プログラムは、とうてい日本にそのまま導入できないだろうな、ということ。
なぜなら 「子どもの能力は生まれつきというよりは、その後の教育で決まる」 という考えが根強い日本では、我が子を gifte プログラムに入れようと必死になる親が出るだろうし、今以上に早期教育が加熱するに違いないから。
また、能力によって選別されるということ自体を、日本では親も子もなかなか前向きに受け止められないだろう。
たぶん私もその一人。

現地校3年の息子のクラスは、算数の授業で能力別に3コースに分かれている。
英語が分からず、文章題がまったく解けない息子ですら、真ん中のコースにいるらしい。自分たちの下にまだ誰かいるという余裕からか、息子は平気でこんなことを言う。
「『よくできる子』 と 『普通の子』 と 『ダメな子』 に分かれてるんだよ」。

「ダメな子、ってわけじゃないでしょ。ゆっくり時間をかけて勉強したほうが良い子、ってことなんじゃない?」
などと言ってしまう私は、まさに 「能力別」 という言葉を避けて 「習熟度別」 という言葉に固執する日本の教育そのままなのかもなあ……。

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20代のころどうしても行きたくて行ったアメリカ出張のテーマが、「special education」でした。当時の日本の特殊教育が、retartedを対象にしていたのに対し、アメリカの場合、specialの対象はgifted、talentedも入り、場合によってはアレルギーやLDも入っていたから。でもその大前提に、子ども1人1人に対する診断があって、私はその徹底しているところを見て回り、アメリカ式をそのまま日本で導入するのは無理ねと実感した。教育を評価するって難しいよねえ。その後の異動でフォローできてないのだけれど、気になるテーマだわ。
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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