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記事275◆裸の大将、10年ぶりにお茶の間へ

■掲載年月日 2007年06月12日
■愛すべき「裸の大将」、10年ぶり、お茶の間に復活
■無欲が、魅力なんだな

 「放浪の画家」「日本のゴッホ」と呼ばれた山下清さんが10年ぶりにお茶の間に戻ってくる。故芦屋雁之助さんの主演で17年間続いたテレビドラマ「裸の大将放浪記」が今夏、リメーク放送される。清さんが亡くなってからすでに36年。放浪自体は半世紀も前の話というのに「裸の大将」はなぜ今も日本人の心に愛されるのだろうか。

□人情メルヘン

 今夏放送予定のフジテレビ系ドラマ「裸の大将 放浪の虫が動き出したので(仮題)」で、清役を演じるお笑いコンビ「ドランクドラゴン」の塚地武雅さん(35)を東京都世田谷区のスタジオに訪ねた。撮影中の塚地さんは「裸の大将」のトレードマークのランニングシャツに半ズボン姿。清さんの体形をさらに誇張したような見事な太鼓腹を揺すり、「この体形を保っていてよかった」としみじみと言った。
 塚地さんは子ども時代、ドラマ「裸の大将」を見て育った。「主人公が線路を歩く姿にあこがれ、小学生の友達の家まで線路づたいに歩いたっけ」。清さんの<放浪>が好きだったという。「本当は誰だって逃げたい時がある。僕もそう。でも世間の常識やしがらみに縛られ、できない。だから自由に放浪する姿に、あこがれてしまう」

 前作にもかかわり、今作の牽引(けんいん)役でもある東阪企画プロデューサーの内丸摂子さん(38)は「『番組を復活させて』という視聴者の声は途切れずありました。再放送を見た10代の女の子から『父と一緒に見た唯一のドラマ』と聞かされ、絶対に復活させようと思ったんです」。

 しかし、半世紀も前の放浪記が今の視聴者に果たして受け入れられるのか。内丸さんは「映画『三丁目の夕日』や『フラガール』の成功を見るまでもなく、むしろ今こそ『裸の大将』という人情メルヘンが求められているはず」と断言する。

 清さんの関連書籍は今もじわじわと増刷が続く。死去から20年以上後の90年代に出版された「ヨーロッパぶらりぶらり」「日本ぶらりぶらり」(山下清著、ともにちくま文庫)は合計5万5000部を超えた。「山下清のすべて」(00年、サンマーク出版)の担当編集者は「年配者向けを想定していたが読者層の中心は20~30代だった。雁之助さんのドラマすら知らない若者や若い母親たちが『感動した』と言う」と不思議がる。

 内丸さんは語る。「『男はつらいよ』の寅さんには『女にもてたい』という欲があり、それが人間らしい魅力だった。一方、裸の大将は『おにぎりがほしい』という以外は無欲な存在。それが現代人が忘れかけたものを思い出させてくれるのかも」

□「水そそげ」

 清さんが張り絵を学んだ千葉県市川市の知的障害児施設「八幡(やわた)学園」を訪ねた。「暖かくなると清さんが浴衣を干し始め、職員たちは『そろそろかね』とささやき合った。ある朝やっぱり清さんは旅立っていたそうです」。久保寺玲園長(51)が、初代園長夫人だった祖母から聞いたエピソードだ。

 学園の展示室には、清さんと同時期に入園していた当時の園児たちの絵が展示されていた。戦災孤児で右目が見えなかった石川謙二さんは、言葉も発さず文字も書けなかったが、100点以上のクレパス画を残した。虐待を受けて育ち、重い障害のあった沼祐一さんの作品はポップで大胆。清さんら園児の作品を初めて世間に紹介した早稲田大心理学教室教授(当時)の戸川行男さんも「衣服を裂いたり、ボタンを引きちぎったり」する沼さんに「絵が描けるなど、誰も想像しなかった」と書いている。「清さんより重い障害を持ちながらも同じように素晴らしい作品を残し、10~20代で夭折(ようせつ)した園児たちがいたことを、もっと多くの人に知ってほしい」と久保寺園長は言う。

 静岡市清水区在住の松岡さん(70)は、46年前、清さんの展覧会事業に身を投じ、清さんともよく行動を共にした人だ。今は石川さんや沼さんらの絵画展も企画する。「彼らの絵を通して子どもたちの可能性を信じ、育てることの大切さを伝えたい」と熱っぽく語る。
 学園の玄関に建つ石碑には「福祉」という言葉すら存在しなかった時代に初代園長が掲げたという「踏むな 育てよ 水そそげ」の標語が刻まれていた。

□時代を超えて

 放浪と緻密(ちみつ)で素朴な張り絵に加え、人々の心をつかんだのが、清さんの言葉だった。「兵隊の位で言えば……」は流行語にもなった。花火が好きで、亡くなる前の最後の言葉は「今年はどこの花火に行こうかな」。花火といえば、こんな言葉も残る。「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」
 無垢(むく)で無欲な放浪画家――それが人々が愛した山下清像だった。一方、清さんと11年間同居したおいの浩さん(46)は「清は虚像とのはざまでジレンマも抱えていた」と打ち明ける。「周囲がおもしろいことを言うのを期待しているから、それが時々つらいな」と漏らしたのを今も忘れられない。

 それでも浩さんは最近、ドラマの「裸の大将」は虚像でも構わないと思えるようになった。「人々がひかれるのは、清の存在だけでなく、彼の放浪を受け入れた当時の日本の社会ではないでしょうか。握り飯を求め歩く男に食事を与え、雇う人たち。性善説の時代です。今では不審者と騒がれ通報されて終わりでしょう。私は清をお笑いネタにせず愛すべき存在として描いてくれるなら、本人とかけ離れていてももう構わないと思う」

 ふと、作家の小沢信男さんの著書「裸の大将一代記」(筑摩書房)の一節を思い出した。

 <山下清という存在は、時と処(ところ)をこえて多様な人々の、夢や願いを盛りこむことのできる、自在な器でもあるらしかった>

 私たちは半世紀を経てなお「裸の大将」の放浪や生き方に、郷愁やあこがれや希望を重ねてしまうんだな。やっぱり――。

…………………………………………

 ◆「日本のゴッホ」2度の放浪
 ◇やました・きよし
 1922年東京・浅草生まれ。11歳で八幡学園に入所し、張り絵を学んで才能を開花させた。17歳で開いた個展には人々が殺到し、画廊の床が抜けたというエピソードも。
 1940年、18歳で放浪が始まった。線路づたいに街から街へ。「みなしご」とウソをつき、食事や雇い口を求めた。3年後、ふらりと舞い戻ると、学園で放浪日記をつづり、張り絵を作った。51年、29歳から3年間、今度は北海道から屋久島まで全国を放浪。「日本のゴッホ、今どこに?」と新聞に報じられて人気が再燃した。放浪日記が映画化、舞台化され、一大ブームに。
 放浪をやめてからは家族と暮らした。71年夏、49歳で逝去。その後も雁之助さん主演のドラマ「裸の大将放浪記」(80~97年)が大ヒット。放浪先で、いがみ合う人々に分け入り、人情を呼び覚ます「水戸黄門」のごとき姿が愛された。
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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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