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記事269◆加藤登紀子さん、エスカルゴを語る

■掲載年月日 2007年04月03日
■しあわせ食堂
■加藤登紀子さんの 「エスカルゴ」


 私とエスカルゴの関係は、私とシャンソンとの関係に似ています。
 エスカルゴを初めて食べたのは、シャンソンコンクールで優勝した21歳の夏。シャンソンの先生に連れられて行った銀座の高級フランス料理店で“食べるカタツムリ”に出会ったの。
 当時は世間知らずの大学生。シャンソンは好きでも「フランスかぶれ」ではなかったから、エスカルゴなんて知りませんでした。高級な雰囲気に緊張し、何度もフランスパンがのどに詰まりそうになりましたっけ。

 あのころの私は、シャンソンを歌っていくことに迷いがありました。借り物の歌を背伸びして歌っているようで。悩み抜いた末、一度はシャンソンから遠ざかりました。「私が私であるために、自分で作った歌を歌おう」と。だから長い間、シャンソンのレコーディングも、フランスに行くことも避けていたんです。
 ところが88年、ニューヨークのカーネギーホールでコンサートを開いた時、地元紙が「シャントゥーズ(シャンソン歌手)の声だ」と書いてくれた。沖縄や韓国などアジアの歌が中心で、シャンソンなど一曲も歌わなかったのに。
 わだかまっていたフランスやシャンソンへの何かブレーキみたいなものが、心の中で溶けていった。翌89年、「シャントゥーズ」の一言に背中を押されるようにパリに行き、初めてレコーディングをしました。
 レコーディングしていた時期に、フランスでエスカルゴを久しぶりに食べました。お気に入りの家庭的なレストランで、一番よく注文したのがエスカルゴでした。フランス人は猫舌だから、熱々のお料理ってあまり出てこない。でもエスカルゴなら必ず熱々で、外れがない。
 不思議ね。初めて食べた時は、あんなに緊張したのに。フランスでは素直においしいと思えたんです。

 さらにデビュー40周年を過ぎ、夫の三回忌を終えて……。今、気づけば目の前にシャンソンがある。誰かに伝えたい言葉を自然に歌えば、シャンソンになる。フランス人シャンソン歌手のエディット・ピアフにあんなにあこがれたけれど、ふと気づけば、いつの間にか私は、ピアフが死んだ47歳という年齢をすっかり越えてしまっている。「あなたも大変だったよね」と、同じ一人の女として今なら語りかけられる。

 去年、シャンソンの歌詞を自分で日本語に訳し、歌ったアルバム「シャントゥーズTOKIKO~仏蘭西情歌~」を出しました。今年5月にはアルバム「シャントゥーズ2~野ばらの夢~」を出します。日本のロック畑のミュージシャンが、私のためにシャンソン風の曲を作ってくれたんです。いわば、さざえをエスカルゴ風にお料理した、って感じかしら?

 だから今、私は自然体。エスカルゴを食べる時も、シャンソンを歌う時も。

■ごちそうさま(取材を終えて)

 家族でドギマギしつつしゃれたフランス料理店に初めて入った日を思い出した。ビールを注文した父は「当店はワインだけ」と出はなをくじかれ、ぶぜん。白けた場を盛り上げようと、私と母はオニオンスープに感嘆の声を上げたが、本当は苦いだけだった。今はただ懐かしい、大切な思い出だ。(おぐに)

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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