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記事268◆ダニエル・カールさんインタビュー

■掲載年月日 2007年03月16日
■この国はどこへ行こうとしているのか
■ふるさと
■ダニエル・カールさん

◇足りないものは「時間」だ
◇心に余裕あれば、地元を守っていく大切さに気づくはず

 マンサクの黄色い花が寒風に揺れていた。「まず咲く」という意味の、春を告げる花。桜のつぼみは小さく、まだ固い。山形県米沢市にある上杉神社の境内には、2月の雪灯籠(どうろう)祭りの名残だろうか、解けかかった雪の灯籠がいくつも並んでいた。

 東京の事務所でお会いした時、ダニエル・カールさん(46)が「山形の春はいいスよー」とあまり言うものだから、つい新幹線に乗ってしまった。わずか2時間。東京・上野では早咲きの桜が散り始めていたのに、こちらでは除雪車が雪を噴き上げている。
 雪の参道に上杉鷹山(ようざん)の銅像を見つけた。出羽国米沢藩9代目藩主。傾いた藩財政を立て直した江戸時代屈指の名君。「為(な)せば成る為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」の歌も有名だ。これが座右の銘というダニエルさん、「銅像の前で鷹山さんと同じポーズを取り、『今日は米沢にいますっ!』って、テレビで何百回とリポートしたなあ」。

   *

米国カリフォルニア州出身。高校の1年間は奈良県の私立高で、大学時代には4カ月、関西外大で学んだ。京都の二尊院にホームステイしたり、佐渡島で文弥人形つかいに弟子入りしたことも。だから81年夏、文部省の英語指導主事助手として山形県に赴任した時には、関西弁も佐渡弁も話せた。言葉には自信があった。ところが……。
 山形で「んだ、んだ」という相づちを聞き、「ん、で始まる日本語はないのではないのかっ!」と茫然(ぼうぜん)自失。猛勉強し、県内の地域ごとの方言の違いまでマスターした。

 米沢出身の妻と上杉神社で結婚式を挙げ、84年春に上京。セールスマン、翻訳・通訳会社社長を経て、テレビのリポーターや司会でお茶の間の人気者に。並みいる「外人タレント」の中で異彩を放ったのも、山形弁のお陰だ。
 「ガイジン」と「東北弁」の取り合わせを笑うテレビ界。しかし山形弁に愛着を持ち、胸張ってしゃべるダニエルさんの姿は、誰より地元山形の人々を勇気づけた。「方言を恥ずかしがることはなかったんだなあ」と。

 大場登・山形市教育長は、ダニエルさんが山形赴任中、県教育庁指導主事として彼の面倒をみた人だ。「彼がテレビに出演し始めると、山形では多くの人が『山形弁を教えたのはおれだ』『オラも』と喜んだ。土地の言葉をよその人が努力して覚えてくれたのが、本当にうれしかったんだ。地元の人は今も彼を山形の代表だと思ってます。外の世界を知ってる外国の人が山形自慢をしてくれるっていうのが、また格別なんでしょうね」

 外国の人に自分のふるさとをほめられる喜び。「自慢していいのだ」という自信。この国には、外国人が見いだした「ふるさと」を尊ぶようなところがある。英国人宣教師ウォルター・ウェストンが紹介した日本アルプス、カナダ人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーが保養地として見いだした軽井沢……。

 山形も多くの外国人を魅了した土地だ。明治初期、米沢を旅した英国人旅行家イザベラ・バードは、豊かな野菜と親切な人々に感激し、「東洋のアルカディア(桃源郷)」とたたえた。駐日米大使だったライシャワー氏は山形を「もう一つの日本」と呼び、自然と人間との調和の取れた街のありようをほめた。
 ダニエルさんの好きな上杉鷹山を有名にしたのはJ・F・ケネディ元米大統領だ。日本人記者団から日本で尊敬する政治家を尋ねられ、大統領は鷹山の名を挙げた。記者たちは誰も鷹山を知らなかった、というオチもある。

   *

山形に暮らしたのはわずか3年足らず。東京暮らしの方がずっと長いのに、今も山形を「心のふるさと」と呼び続ける。事務所の名前は「DOMOS」、つまり山形弁の「どうもっす」。月に何度も山形に足を向け、毎秋の芋煮会も欠かさない。
 「芋煮はいい。秋はいい季節だあ、山の神様に感謝だあ、って気持ちがこもってる。大自然の恵みをいただいて生きていられる。昔は日本人全員が持っていた感覚だべ。どの山にも川にも木にも神様がいた。山形にはそんな感覚がまだ残っていて、それを感じるたび、山形がますます好きになる」

 翻って、東京はどうか。
 「子育てする所じゃねえ。特にマンション暮らしはダメだっづ!」。強く言い切ってから、ペコリと頭を下げ、「ごめんなさい、でも、僕も東京のマンション暮らしで子育てしてます」。

 だから「オアシス運動」を始めた。「当時、山形県内の多くの学校で取り組み始めていた運動です。『オ』はおはよう。『ア』はありがとう。『シ』はしつれいします。『ス』はすみません。東京さ来て、驚いたのは『あいさつを全然交わさない、冷てーな』ってこと。だから自分の暮らすマンションでは『おばんですー』と自分からあいさつしてみたんだ」。最初は「東北なまりの変なガイジン」と敬遠されもした。しかし今ではマンション中で、自然にあいさつが生まれている。

 自身がビジネスをやってみたくて上京した身だから、東京一極集中は仕方ないと思う。それでも東京から山形に戻るたび、体中の細胞がよみがえり、食欲がわいてくる。「オラのふるさと」と強く感じる。だから将来、テレビの仕事を引退したら、山形で暮らすと決めている。「山奥で隠居して、上杉鷹山先生の研究をするのが夢なんだー」

 毎日のように地方と東京を飛行機で往復しながら、思う。「空から見ると日本って変だ。高速道があって、数メートル隣にバイパス、さらに農道が何本も走ってる。道路に切り取られた長細い田んぼ以外は全部コンクリート。これじゃ生き物も人間も生きにくい」

 東京にいて、ふるさとを思う。思うことはたやすいが、守ることは難しい。
 「今、日本人に一番必要なのはモノじゃない。時間だ。引退後の悠々自適な暮らしのために、今働き過ぎちゃう。何にも不足のないこの国で、時間だけが足りない。人々に時間がもっとあれば、ふるさとを大事にする心の余裕が生まれ、ふるさとを守っていく大切さに、皆がもっと気づくんじゃないかなあ」

 米沢駅への帰り道、雪が舞った。ダニエルさんがこよなく愛する「長い長いトンネルを抜けた後みたいにきっぱりと訪れる北国の春」が待ち遠しい。

……………………………………………………………………

 ■人物略歴
 1960年米国カリフォルニア州出身。初恋の相手が日本人で、日本に関心を持った。パシフィック大卒業。4月から、岩手県が舞台のNHK朝の連続テレビ小説「どんど晴れ」に大学の先生役で出演。妻と中学3年の息子の3人暮らし。
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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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