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記事240◆詩人が死んでゆく、という記事

たぶん、この年に書いた記事の中では一番深く心に残っている記事です。茨木のり子さんが亡くなり、さらに宗左近さんが亡くなった時、
「詩人が死んでいく」という一文が頭に浮かび、この喪失感をただ記事に書きたい、と強く思ったのでした。


□掲載年月日 2006年07月27日
□詩人逝く、この喪失感
□茨木のり子さん、宗左近さん
□言葉の力刻み続けたい

 詩人が死んでいく。2月には茨木のり子さん(79)、6月には宗左近さん(87)。戦争体験を自分の言葉で書きつづった詩人たちの相次ぐ死に、こみ上げてくるこの喪失感は何なのか。

■根府川の海

 長梅雨にぬれた根府川(ねぶかわ)駅(神奈川県小田原市)に降りた。がけの上のホームから見下ろすと、一面に淡く光る太平洋。大ぶりのカンナの花が咲き乱れている。少女時代の茨木さんが車窓から見たのもこの花の色、海の色だったのだろうか。

根府川
東海道の小駅
赤いカンナの咲いている駅
たっぷり栄養のある
大きな花の向うに
いつもまっさおな海がひろがっていた
(「根府川の海」より)

 東京から1時間半かけて海を見に来たのは、詩人たちの死に感じた喪失感の正体を自分なりに見極めたかったからだ。
 15歳で開戦、19歳で敗戦を迎えた茨木さん。「あふれるような青春をリュックにつめこみ動員令をポケットにゆられていった」時も「燃えさかる東京をあとにネーブルの花の白かったふるさとへたどりつく」時も、車窓からこの海を見た。戦争と隣り合わせの青春。この海にどんな思いを閉じこめたのか。

 無人の駅舎には、この詩の額縁が飾られている。今もこの詩に導かれて駅に降り立つ人が絶えないという。がけを下りればそこは平和な海。ダイビングする若者が笑い合っていた。

■ブラウスをまくり

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
(「わたしが一番きれいだったとき」より)

 中学生の時、茨木さんのこの詩を教科書で読んだ。父はよく戦後の貧困を私に物語った。祖父は戦死、祖母は被爆者手帳を持っていた。でも高度成長期に生まれた身には、戦争はどこか昔話だった。けれども、この詩は不思議と胸に届いた。自身が青春の入り口にいたからだろうか。踏みにじられた季節。それでも「のし歩く」力強さ。これが彼女の詩との出合いだった。

 一方、宗さんとは03年暮れに実際にお会いした。千葉県市川市の彼の書斎で江戸川に燃え落ちる夕日を見ながら、戦争の話を聞かせてもらった。
 東京大空襲で母を亡くした。助けられなかった。炎に溶けていく母を見つつ、置き去りにして逃げた。67年、詩集「炎(も)える母」を発表。

母よ呪ってください息子であるわたしを
あなたを生きながら焼いたことをではなく
あなたを生きながら焼いたのにもかかわらず
そのことのために生きながら焼かれていないわたしを
 (「炎える母」より)

 3年前のあの日、宗さんは言った。
 「平和憲法の下には戦死者が埋まっている」。
 戦死者とは死んだ母や親友たちのことだったろう。その2日後の12月19日、航空自衛隊にイラクへの先遣隊派遣命令が下ったのだった。

■9・11の後だから

 死の1週間前、病床の宗さんは回らぬ口で「助ケテクレ。俺(おれ)ハ書キタイ。書キタイ」と叫び続けた。妻、香さん(73)が「宗左近はたくさん書いてきた! 休んでもいいの」と必死で語りかけると、宗さんは静かに眠った。「叫び疲れては眠り、起きてまた叫び。最期まで詩句のような言葉を口にし続けました」と香さん。書き留めた言葉は大学ノート2冊になった。

 一方、1人暮らしだった茨木さんは「倚(よ)りかかるとすればそれは椅子の背もたれだけ」と詩に書いた通り、一人で死んでいった。生前に準備してあった「死亡の挨拶(あいさつ)」は死後、遺族の手で知人たちの元に届けられた。

 会ったこともない茨木さんや一度会っただけの宗さんの死を悲しむことの独り善がりを自覚してもなお、喪失感が消えない。感受性豊かな若い時代を戦下に過ごし、そこに詩句を積み重ねた詩人たちが今、次々と鬼籍に入っていく。それが心細い。

 喪失感の理由はきっと、親から語り継がれた戦争を我が子に語り継ぐ自信がないからだ。この国にいてイラク戦争を自分の言葉で語る自信もないからだ。

 2人と親交があった詩人、新川和江さん(77)は「難しいわね」と首を振る。「だって、あなたは日露戦争の話に時代の空気を感じられる?」。……確かに。今の子供たちと太平洋戦争は、私と日露戦争ほども遠い。

 在野の哲学者、長谷川宏さん(66)は茨木さんとの共著「思索の淵にて」で「わたしが一番きれいだったとき」を取り上げ「(若い一女性が)とにかく生きたい、生きつづけたい、という強い意志をもちつづけるとき、死と破壊への道を突きすすむ戦争の残虐さがくっきり浮かび上がる」と書いた。これを読み、長谷川さんに電話した。
 長谷川さんは優しく言った。「僕は9・11の米国同時多発テロの後だから、この文章を書いたんだ。彼女の詩は世代を超えて伝わっていきますよ。だって今の時代にも戦争は、そしてこの詩は決して遠くなってないでしょう?」

■ばかものよ

 新川さんがさらりと言った。「詩人は死んでも作品は消えないの」。虚を突かれた。新聞記者になった時、心に据えた茨木さんの詩がよみがえった。

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
(「自分の感受性くらい」より)

 「茨木さんはね、自分を励ますためにこの詩を書いたのよ」

 ばかものよ。ばかものよ。心で繰り返したら泣けてきた。
 宗さんの一行詩を思った。

 「横倒しされた永遠 水平線」

 詩の題名は「未来」だったっけ。

 言葉に本当に時代を超える力があるのなら――。海の青、カンナの赤い色とともに、何度でもその言葉を胸に刻もう。


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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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