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記事233◆赤瀬川原平さんとのお仕事3

□掲載年月日 2006年06月21日
□第11回 東京・本郷
■同行記者のなるほどなぁ

 赤瀬川さんの知人の画廊「ヴァリエテ本六」から散歩を始めた。ここは「文人の街」だ。本郷5、6丁目の狭い界隈(かいわい)を歩くだけでも坪内逍遥、石川啄木、宮沢賢治、樋口一葉らの旧居跡に行き当たる。近くにあった高級下宿「菊富士ホテル」には谷崎潤一郎、坂口安吾、三木清らが宿泊していた。すごい「密度」だ。
 なぜか。まず東大があった。そのため下宿屋や旅館が多かった。出版社も多かった。坂道が多く、江戸時代の薫りの残る雰囲気が文人たちを魅了した。通信事情も悪かった当時、同郷人や友人を頼るうち、自然と集中したのだろう。
 旧居跡めぐりが少々寂しいのは、「跡」しかないこと。樋口一葉の旧居跡近くには彼女ゆかりの井戸や、通った質屋の建物も残るが、多くの場合、今に残るのは案内板のみ。建物も、暮らす人も違う。旧居跡を巡るわれわれの方も、彼らの作品をどれほど読んだかと問われると自信がない。
 一方、木造三階建て下宿の本郷館は今も現役。黒光りする壮観な建物だ。築101年で、石川啄木が本郷に暮らしたころから建っていた。こちらは「跡」ではなく現役の住まいだから、お散歩の際は節度を持って。


□掲載年月日 2006年06月28日
□第12回 東京・吉祥寺
■同行記者のなるほどなぁ
 吉祥寺に、吉祥寺という寺はない。しかし文京区本駒込には吉祥寺という寺がある。なぜか。
 寺はもともと、今の千代田区神田駿河台辺りに建っていた。しかし1657年の明暦の大火で被災し駒込の今の場所に移転。一方、門前の住民は今の武蔵野市に移住した。これが吉祥寺の始まりだ。
 井の頭恩賜公園の井の頭池は、江戸時代に引かれた日本初の上水道「神田上水」の大事な水源だった。「井の頭」の地名も、徳川三代将軍家光が「一番の井戸だ」と絶賛したことで付いたといわれている。
 公園の広さは約38ヘクタール。井の頭池を一周すると半時間~1時間の散歩だ。路上パフォーマンスやギターをかき鳴らす若者を観察するのも楽しいが、市民の寄付金で設置された153基の「思い出ベンチ」もいい。
 背もたれに刻まれた寄付主のメッセージを読みながら、その日の気分で座るベンチを選ぶ。この日は「ここで待っててくださいね。私もきっと参ります」。妻から夫への言葉だろうか。座ると背中がほんの少し温かくなった気がした。
 「思い出ベンチ」は今、都内の公園や霊園、動物園に433基ある。東京は思い出でいっぱいだ。


□掲載年月日 2006年07月05日
□第13回 田園調布と自由が丘
■同行記者のなるほどなぁ

 英国のE・ハワードは約100年前、「都市と農村の結婚」を掲げ、都市と農村両方の利点を兼ね備えた「田園都市」を提唱した。これに共感した実業家、渋沢栄一とその息子が開発したのが田園調布だ。日本初の計画都市である。放射状に延びる道路はパリの凱旋(がいせん)門周辺を模した。住民が憲章を定め、屋根や外壁の色に指針を設けるなど、高邁(こうまい)な思想に貫かれた街なのだ。
 この街で赤瀬川さんが一番見たいと望んだのは「お手伝いさん」という存在。「豪邸は金があれば建てられる。まねできないのは人間のほうだ」と。でも実は私、下見の時に見たのである。高級車が走り去った後、車庫の奥で深々とお辞儀するエプロン姿を。あの瞬間、「メード喫茶も執事カフェもしょせんニセモノ。本物にはかなわない」と感動した。が本番では遭遇できず。ああ、残念。
 一方、自由が丘はマリクレール通り、カトレア通りなど横文字の名前であふれる街。ゴンドラや水路が有名な商業施設「ラ・ヴィータ(自由が丘のベニス)」は90年開業というからバブルの落とし子か。ペット関連ショップも充実している。「すてきな子供服!」と近寄ると小型犬用の洋服だったり、逆だったりするのだ。


□掲載年月日 2006年07月12日
□第14回 等々力渓谷
■同行記者のなるほどなぁ

 等々力渓谷に必ずと言っていいほどついて回る肩書が、「東京23区内に残る唯一の渓谷」だ。奥多摩まで足を延ばせばより深い谷川や湧水があるわけで、「町の真ん中にこんな所が!」という意外性こそがこの渓谷の最大の持ち味なのだ。
 赤瀬川さんの「ディズニーランドじゃあるまいし」ではないが、街は今、「川もどき」や「滝もどき」で満ちている。おまけに、ニセモノの方が上手に演出され、それらしく見えることすらある。一方、等々力渓谷はホンモノゆえにつらい。頭上を環状8号線が横切り、車の騒音が絶えない。鬱蒼とした谷底から崖の上へと続く長い階段を上れば、そこはもう住宅地。崖っぷちまで「街」が攻めてきている感じなのだ。
 だからだろう。歩くうちに「こんな所に渓谷!?」という驚きは「よく残ったものだ」という感心へと変わる。渓谷保存に尽力する人々に頭が下がる。
 多摩川が長い年月をかけて武蔵野台地を削り取ってできた「国分寺崖線(がいせん)」と呼ばれる崖を、谷沢川が浸食してできたのがこの渓谷。全長約1キロ。深さは約10メートル。20カ所もの湧水地点が集中している。


□掲載年月日 2006年07月19日
□第15回 豪徳寺
■同行記者のなるほどなぁ

 豪徳寺周辺は招き猫でいっぱいだ。駅前の商店街の店先では猫があっちこっちで片手を上げている。時折、街角に生きた猫を見つけると「ホンモノだっ!」と声を上げたくなってしまうほどなのだ。
 ちなみに、豪徳寺の招き猫は白猫で右手を上げている。寺によると「福を招く、すなわち願い事すべての成就を招く」という。通説では、右手を上げた招き猫は「金運」を、左手を上げた猫は「人(客)」を招くのが一般的らしい。もっとも、両手を上げて金運と客の両方を招こうというあつかましい招き猫も、最近はあるそうだ。
 赤瀬川さんを「江ノ電」の気分にさせた世田谷区の緑道は現在、区内に16カ所あり、総延長は20キロを超える。暗渠を緑あふれる小道として整備したもので、住宅地の裏をすり抜ける細い路地やサイクリングを楽しめる道、せせらぎを取り戻した場所まで、変化があって楽しい。
 少し足を延ばせばボロ市(12月15、16日と1月15、16日)で有名な「ボロ市通り」。行ってみたが、普段は変哲のない普通の商店街だった。

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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