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記事214◆数学者の森毅さんインタビュー

京大時代、この人にはお世話になりました。教養部で「単位楽勝講座」として有名だった森教授の数学。当然、私も受講し、試験のレポートに中国旅行記を適当に提出したのですが……。
数日後、学内の掲示板に、私の青刷りコピーの中国旅行記がペタンと貼ってあって、「これを提出した人は僕の研究室に来るように。名前が書いてありません!」と添え書きが……。
大恥かきながら、レポートを掲示板からはがし、研究室に謝りに行ったのでした。無事、単位はいただきました。
この場を借りて、御礼申し上げます。

■掲載年月日 2005年11月11日
■この国はどこへ行こうとしているのか
■数学者・森毅さん
■「ええんちゃうの」の反骨心--京都からの発言

□だまさへん政府、学校なんか不可能よ。
□だますもんやと思って、
□だまされへんように考えるほうが大事でしょ。


 高瀬川を左手に見ながら、やってきたのは四条木屋町の裏路地、喫茶店「フランソア」。1934(昭和9)年の創業で、国の有形文化財にも登録されているという建物だ。中に入るとドーム形の天井にアーチ。ステンドグラスまである。

 数学者で京大名誉教授の森毅さん(77)は、ステンドグラスを背にビロード張りの小さなイスにひょいと座った。白髪にステンドグラス越しの柔らかい光が落ちると、そこだけ昭和モダンの色になる。「この店には三高時代によう来ましてなあ。夕方になると起き出して、学生仲間とぶらぶら歩いて。一番安いカルピスにストロー3本注文し、3人で1杯を回し飲みしつつ議論したもんよ」

 この日注文したのはコーヒーと洋なしのタルト。小さなテーブルで肩を丸め、ケーキをつつきながら、まずは若者談議となった。森さんは34年間、京大生と付き合ってきた若者ウオッチャーでもある。退官から14年。喜寿を迎えた森さんの目に、今の若者はどう映るのか。

 「幼く見えませんか」と尋ねたら、早速、人をけむに巻く語り口で「むしろ『おじさん化』が進んでるねえ」。「おじさん化」とは何ぞや。

 「やたら『みんなこうするもんや』とか『誰でもこうしてるんや』と物事を単純に断定したがる人のこと。世間のおじさんは一番忙しい年齢層やから、ああでもない、こうでもない、と考えをめぐらせるヒマもないのよ。こんなおじさんの言説を原資に、時代の常識は作られているわけ」

 そこで、ぷかりと一服。

 「そやけど若者は違う。若者が『おじさん』になったら時代は止まってしまう。若者の良さは時代に背を向け、行動すること。学生運動かてそう。若者の勢いで世の中って案外動くんよ。だから若者は時代からちょっとずれてるのがよろしい。ところが今の若い人は言うことなすこと、おじさんそのものや」

●やぎさん郵便

 かと言って若者に怒るわけでも世を憂うわけでもない。飄逸(ひょういつ)である。決めゼリフはいつも「ええんちゃうの」。
 例えば郵政民営化の是非を聞いても「ええんちゃうの」。「衆院選の『小泉圧勝』現象は?」と話を振っても「人は、はやってるものに固まるのよ。昔の京大もそうや。『今はヘルメットの季節や!』いうて学生が固まったやんか」と笑う。

 どうもこのインタビュー、森さんの手のひらで転がされている気がする。「この国はどこへ行こうとしているのか」とこちらがまなじりを決しても、のらりくらり、のれんに腕押し。

 「僕は、小泉さんのプロデューサーとしての才能を買ってるの。政治家も当たる興行を打たなあかん。今回の自民党圧勝は時代の節目のお祭り。どうってことないわ。小泉さんは祭りの音頭取りやから、僕らもそれにうまいこと付き合ったらええ」。これが森さんの小泉論。

 郵政民営化問題では、「何十年か後に、童謡の『やぎさん郵便』を歌いながら『昔は郵便局っていうのがあったんやなあ』と懐かしがったらええ。『村の渡しの船頭さん』や『村の鍛冶(かじ)屋』と同じよ。国鉄も民営化したら懐かしさが募って『鉄道員(ぽっぽや)』がはやった。郵便局も今後、興行的には受けるんとちゃう? 僕かて古いもんは好きやけど、好きやから残そう、というのは間違い。無理やもの。世の中は変わっていくもんなのよ」

●だまされへん用意

 インタビューが始まってはや3時間。森さんは延々と、京大の学生運動から米国の戦後占領政策、17世紀のオランダ文化、フーリエの「情念」理論まで持ち出して持論を展開し続ける。それらが全部、専門の数学と分野が違うというのだからまさに博覧強記だ。
 それでいて、どうも森さんの本音にたどりつけていない気がする。肩すかしのユニークな言説こそが森さんの持ち味と知ってはいるけれど、何かもどかしい。最後はやぶれかぶれで「直球」を投げてみた。

 「でも『ええんちゃうの』で戦争を止められますか?」

 そしたら森さん、跳ねっ返りの学生を諭すかのように静かにこう話し始めた。

 「そりゃ、あんた、無理やでえ。そんな力あらへんもん。戦争はいややけど」

 それから、ほう、と一つため息をつき、言葉を継いだ。
 「戦後平和教育の失敗やろなあ。成功してたら、こんなに戦争好きの人で世の中いっぱいになるはずない。世の中が『闘争心を持つのはいいことや』と言い過ぎてないか? いつの世にも戦争が好きなやつと嫌いなやつはおる。仕方ないのよ。僕は嫌いやった。戦中でも闘争心はゼロ。軟弱非国少年なりに、その時代をいかに生きるかを僕は必死で考えたのよ」

 言葉が段々と熱を帯びる。喫茶店に流れるBGMは、ベートーベンの交響曲。バイオリンの音色が空気を緊張させる。

 「軍国主義を警戒するのも必要やけどな。もしも軍国主義になった場合、生き残るためにはどうしたらいいのかを考えるのも、大事とちゃうやろか。原体験があるのよ。戦争が終わった後、大人はアホやと僕は思ったよ。何が『国民をだまさない政府を作ろう』や。何が『子どもをだまさない学校を作ろう』や。アホ言うな。政府も学校もだますもんよ。だまさへん政府や学校なんか不可能よ。だますもんや、と思って、だまされへんように考えるほうが大事でしょ。国民はねえ、だまされへん用意をせなあかん」

 意外なほど「直球」の返事にドギマギする私に気付いたか、森さんはすぐに笑顔に戻り、軽くこう付け加えたのであった。「だまされん用意ってのは、まあ、振り込め詐欺に強い大阪のオバチャンみたいなもんよ。ほっほっほ」

 好々爺(こうこうや)然とした語り口も、ひょうひょうとした風貌(ふうぼう)も、絶妙なバランス感覚も、他人をけむに巻くユーモアも、意外と戦争体験の果てに生み出された生活の知恵なのかも、とふと思った。

●路地の掃除のごとく

 「戦争中はみんな愛国心に燃えてた、なんて、あれウソや。愛国少年と非国少年を分けたら世間でも6対4。三高の中は4対6で、非国少年が多数派やった。イデオロギーが違っても、お互いに議論できた。むしろ戦後のほうがきつかったよ。『みんな仲間。一致団結、がんばろー』みたいな仲間の強制力は戦後、逆に強まったんとちゃうのかな? 今はそれがもっと強くなってるね。戦争中よりも、今みたいに価値観が多様化する時代のほうが、『同じであれ』という強制力が強いのよ。なぜなら、多様化する社会の中で多様性を維持するのは実は大変だから。みんなが不安になるからね。多様化の時代だからこそ、人は不安になって統一を求める。安心したくなる」

 それから森さん、おもむろにこんな話を始めた。「大阪の下町には世話焼きバアサンがいて、両隣の家の前の路地まで掃除する。ありがたいけどうっとうしい。一方、東京ではきっかり自分の家の前の路地だけ。気楽だけど冷たい。京都人はどうするか。『ついはずみで』って感じで時々、思い出したように他人の家の前も掃除する。常に境目が揺らぐ。極端に走らない。『ほどほど』を知ってるのよ。僕がこの街で生きやすいのはそのせいかなあ」

 つまり「ええかげん」に見えて「良い加減」ということか。

 「大事なのは多様性。極端にどちらかに偏らないこと。生態系もそうよ。森で棲(す)むやつは、鳥は鳥、虫は虫のリズムで生きてる。だからお互い食い違うに決まってる。違いをなんとかやりくりして生きている。みんなが一緒になったらあかんのよ。人の心も。いろいろあったほうがいい」

 ふと気付けばいつの間にか時計は進み、バロック様式の店内は、昼の客から夜の客へと変わろうとしていた。あわてて店を出てしばらく歩けば、そこはもう四条の繁華街。京都は新旧を上手に取り混ぜた街なのだった。

 鴨川越しに夕焼けを見ながらの別れ際、森さんは教え子を案ずるかのように、最後にこう言った。「僕もおしゃべりやから、つい、ぎょうさんしゃべってしまったけどね、新聞記事には一つか二つ選んで、あとは適当でええんよ。無理して全部入れようとしたら大変よ。ほどほどでええのやからね」
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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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