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記事204◆俳優の加山雄三さんロングインタビュー

■掲載年月日 2005年08月29日~9月2日連載
■この人、この時
■俳優・加山雄三さん
■若大将人生

◇生涯現役--誰かのために突っ走りたい

 <60年のデビュー翌年、若大将シリーズもスタート。毎回のように観客動員数が300万人を超えるヒットとなった>

 あのシリーズは「大学の若大将」から始まり「銀座の若大将」「日本一の若大将」と続き、さらにハワイやリオ(デジャネイロ)、ニュージーランドなど世界中が舞台になった。
 今でこそ大リーグにイチロー選手や松井秀喜選手がいるが、当時は、日本人の若者が世界で活躍するなんて夢物語だったからね。そういうところも喜ばれたと思う。
 僕は大学時代、バンドでギターを弾き、スキーや水泳などスポーツも大好きだったから、「スポーツ万能でエレキも弾ける」という若大将の設定は素顔に近かった。でも素だったわけではなく、演じる時は常に「30年後のヒーロー」を意識していた。時代を先取りしたいと思っていたんだ。

 <今年でデビュー45周年を迎えた>

 ある時期、随分悩んだ。僕が生まれた理由っていったい何だろう、と。毎朝自問した。好きなことをして好きなモノを食って、好きなように死んでいくだけでは、むなしいじゃないか。
 最近、やっと答えを見つけたんだ。僕が一番うれしいのは誰かを喜ばせた時。いいステージをやって、みんながハッピーになってくれれば、僕もすごくハッピー。僕の絵を見たり、僕の手料理を食べて、誰かが喜んでくれるのが何より幸せなんだ。
 人のために懸命になっている時、僕は結構いい顔をしているし、疲れ知らずになれるんだよ。
 これをかみさんに話したら、「それが天職じゃないの」って笑ってました。僕は言った。「だったらオレは生涯現役だ」と。かみさんは「そう願いたいわね」だってさ。はっはっは。オレが現役でいる限り、メシ食っていけるっていうわけさ。
 人間は希望とともに燃え、あきらめとともに朽ちる、という。だったら燃えている間はいつも青春だ。どうせいつか死ぬなら、最後まであきらめず、誰かのために突っ走っていたい。

◇父--12年越しの約束の一曲

<父は往年の二枚目俳優、上原謙さん>

 よくぶん殴られたな。女性にもてる人だったから、お袋は随分泣かされていた。そんなおやじに反発し、僕は中高生まで頭を丸坊主にしていたんだ。「女性なんかと付き合わないぞ」って。
 僕は結局、おやじと違うことばかり選んでやってきた気がするなあ。おやじが好きだったゴルフやマージャンを僕はやらない。おやじは船酔いするが、僕は海を選んだ。おやじは作曲をしないが、僕は音楽に傾倒した。おやじをどこかで意識してたんだろうね。
 作曲を始めた中学生時代、おやじが声をかけてきた。「父さんにピアノコンチェルトをプレゼントしてくれないか」と。僕は「いいよ」と答えたものの約束を忘れてしまった。何十年か後に、おやじに「約束を覚えてるか」と聞かれ、「忘れていた」と告げると、おやじは寂しそうな顔をしてね。つい「わかった、やるよ」と言ってしまった。
 それからが大変。心に浮かんだメロディーを繰り返し発展させ、慣れない楽譜に書き留めていった。1楽章を仕上げるのに半年。2、3楽章完成させたときには12年もたっていた。おやじの喜寿祝いに贈ったら、泣いて喜んでね。

 <上原さんは妻で女優の小桜葉子さんと70年5月に死別後、再婚。82歳で亡くなる半年前に離婚した。離婚する1年ほど前から加山さん宅に身を寄せた>

 おやじの最期の1年4カ月を同居できたことは、僕の宝物です。酒を飲めないおやじが、80歳を過ぎて初めて僕と一緒にビールを飲んだ。「うまいもんだな」といった時のおやじの真っ赤な顔は、今も忘れない。
 ずっと心にわだかまっていた問いを、おやじにぶつけた。「お袋を本当に愛してたのかい」と。50歳にしてやっと尋ねる勇気を持てたんだ。おやじは「一番愛していたさ」と。80歳にして初めて口にした一言だったんだろうなあ。自分が愛の結果、命を受けた存在だと確認できて、僕はうれしかった。それまでのわだかまりが、すっと氷解していった。

◇どんぞこ結婚--卵1個を分け合って

 <母親の小桜葉子さんが亡くなった直後の70年7月には親類が経営するホテルが倒産。役員だった加山さんは23億円の借金を抱え込む。結婚したのはその年の9月のこと。>

 まさに「どんぞこ」結婚でした。仕事もなく、チヤホヤしていた人たちもみんな去っていった。貧しかったな。生活費は月5万円。一つの卵を夫婦2人で分け合って卵ご飯にして食べたっけ。
 僕は「生まれてこなければよかったんだ」「いっそ死んでしまいたい」と口走っては一日中酒を飲んでいた。「地球なんか壊れてしまえ」と酔っては地面を殴る僕の血だらけの手に、妻はそっと包帯を巻いてくれた。涙をぽろぽろ流しながら、僕が正気を取り戻すのを待っていてくれたんだ。
 それでも、どんぞこにいたからこそ、夫婦2人でお互いのことや将来のこと、生き方について、何だってとことん語り合うことができた。
 少し経済状況が改善したころ、長男信宏が生まれた。赤ん坊は決して無力じゃない。存在自体が人に力をくれる。「あなたに生きがいをプレゼントしたかったの」。後日、妻はそう言った。
 早産で1420グラムしかない未熟児でね。3時間ごとのミルクを交代でやればお互い6時間ずつ寝られるぞ、と夫婦で工夫したっけ。オムツ替えも一緒に頑張った。「こいつは僕がいないと生きていけないんだ」と思うことで、僕は生き返ることができた。
 僕ら夫婦には、すごい勲章があるんだ。それは子供4人全員が小学校で皆勤賞だったこと。12年もの間、嫁さんが子供たちの健康管理をしっかりやったお陰だ。でも、嫁さんが40度の熱を出して倒れた日には、僕が朝食も弁当も作ったんだよ。

 <加山家の夫婦の寝室には英語の家訓が飾られている。>

 日本語に訳すと「私は船長だ。けれど女房は提督である」。これが我が家の夫婦円満の秘けつなんだ。
 女房は怖いくらいがちょうどいいと思うなあ。怖くさせちゃうのは、僕が悪いんだろうけどさ。

◇同世代へ--逆風でも帆を上げて

 <多趣味で知られている。絵画はプロ級とも>

 一番の趣味はもちろん音楽です。次が絵画かな。最近は陶芸も。45周年を記念した絵画展には、今回初めて備前焼や清水焼の染め付けも出展しました。
 船の設計は中学時代からずっと続けている。設計のアイデアは頭にいっぱい詰まっているが、時間がなくてねえ。料理もかなりの腕前。フレンチからイタリアン、中華、和食の会席料理まで300ぐらい作れるよ。あとはゲーム。新しいソフトは発売と同時にたいていクリアしてしまう。
 スポーツは、航海に出た時にジェットスキーやダイビングをやる程度。でも今年は10月の米国コンサートのリハーサルがあるので夏休みは返上。航海もできないな。
 僕と同世代で、定年後の趣味が見つからない、なんて話を聞くと、信じられないよ。

 <だから同世代の人々に伝えたい>

 僕は30代で「どんぞこ」を味わえて良かった。20代で映画デビューし、黒沢明監督の映画にも出してもらい、映画「若大将シリーズ」は大ヒット。趣味で始めた歌はミリオンセラー。でもそんな絶頂期にも、僕はずっと不安だった。細い竿(さお)の上に乗せられているような気持ち。竿はいつか倒れ、僕は地に落ちてしまうだろう、と。
 「千里一日五里二十日」という言葉がある。人生を帆走に例えた言葉。風があれば1日千里走るが、風がないと5里走るにも20日かかる。何をやってもうまくいかない時はある。
 でも、「どんぞこ」を味わったからこそ思うんだ。たとえ逆風でも僕は帆を上げていたい。満帆に風を受け、船を進めたい。船の方向を見失わないように、冷静に、そして懸命に舵(かじ)を取るのさ。
 僕は人一倍、怒り、泣き、悔しい思いをしてきた。同時に、芸能人だからと、それを人一倍抑えてもきた。でも生きることは荒波の中、舵を取って進むこと。その充実感こそが、生きる意味だと僕は思うんだ。

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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