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記事203◆連載「もういちど聴きたい平和のうた」…「こんにちは赤ちゃん」

■掲載年月日 2005年08月17日
■戦後60年・もういちど聴きたい平和のうた
■「こんにちは赤ちゃん」
■梓みちよさん


 六本木のイベントスペースに現れた梓みちよさん(62)は、深紅のロングドレスに深紅のハイヒール。42年前の大ヒット曲「こんにちは赤ちゃん」を歌う前、客席に打ち明けた。
 「この曲をいただいた19歳の私は、清く正しく美しく。色でいえば真っ白。黒や赤のドレスにあこがれたわ。カワイイだけのイメージがいやで、この曲を封印し、歌わなかった時期もありました。でも今さらながら気付いたの。この歌は私の一番の宝物だって」
 客がほろりとしたところで、今度は冗談ぽく言う。「気付くのが遅いわよね、私。手は早いのにさ」。どっと客席が沸く。舞台の梓さんも笑っている。

 しかし、この曲を再び歌うようになるまでの彼女の40年間を知る人は少ない。

 ●空前絶後のヒット

 「こんにちは赤ちゃん」は63年、NHKのバラエティー番組「夢であいましょう」の人気コーナー「今月の歌」から生まれた。折しも皇太子ご成婚(59年)、浩宮誕生(60年)とおめでたい話題も続いていた。
 高度成長を背景に、戦後生まれの若夫婦たちが「赤ちゃん」を核に幸せを温め始めた時代でもあった。新幹線開業や東京オリンピックを翌年に控え、日本は希望と夢に満ち満ち、「赤ちゃん」はその象徴だった。

 作詞した永六輔さん(72)はいう。「ちょど60年安保が挫折し、『歌では時代を変えられない』と思い知らされた時期だったから、家族の幸せを大事にしよう、という歌が世に受け入れられたのでしょう。パパ、ママという呼称も当時はまだ珍しかった。ニューファミリーの走りに当たる時代でした」。11月に発売されたにもかかわらず、わずか1カ月後には日本レコード大賞を受賞。日本中の若い母親が「私がママよ」と歌った。時代が歌を空前絶後のヒットソングへと押し上げていった。

 しかし梓さんの心中は晴れない。当時の梓さんはママどころか妻ですらない。「赤ちゃんを産んだママの気持ちなんてわからない」。この曲を歌ったゆえに染みついた「清純なママ」のイメージも重荷になった。「あの後、何を歌ってもあの曲を超えられなかった」
 結婚、そして離婚。活路を見いだせぬまま10年が過ぎた。31歳の時、「二人でお酒を」でようやくイメージチェンジに成功。赤いドレスが似合う少々悪ぶった女として再びスポットライトを浴びた梓さんは、「こんにちは赤ちゃん」を封印した。本当は赤ちゃんも子供も好きだったのに「子供? そんなの大嫌い」とうそぶいた。やっと手に入れた新しいイメージを壊すまいと必死だった。

 ディナーショーで求められても、この曲は歌わなかった。問われると「ショーのイメージに合わないから」と答えた。「でも心のどこかで叫んでいた。この曲はお酒の場所で聴く歌じゃないぞ」。屈折していたが自分なりのやりかたでこの曲を大事に守りたかったのかもしれない、と今になって思う。

 ●歌のモデル

 同じころ、この曲にわだかまりを抱いていた人がいる。作曲した中村八大さんの長男、中村力丸さん(42)である。
 そもそもこの曲は、力丸さん誕生を祝って、永六輔さんが八大さんに贈った歌詞から生まれた。「八大さんに初めての子が生まれたと聞いて、一緒に病院に駆けつけた。そしたら八大さんはガラス越しに赤ちゃんに『初めまして、おやじです』ってあいさつをするんだ。感動したね。思わずメモに書き付けたのがあの歌詞の元になった」と永さんは振り返る。だから元の歌詞は「私がママよ」ではなく「俺(おれ)がおやじだ」。父親になった男のための一曲だったのだ。

 力丸さんはそんなわけで、どこに行っても「あの曲のモデル」と言われた。「思春期のころは特に嫌でした。コンサートで『あの時の赤ちゃんです!』とスポットライトを当てられたりしたらどうしよう、と思ったりしてね」。だから、この曲に思い入れなどない、とかたくなに思い続けてきたのだった。

 しかし。

 あれは92年。61歳で亡くなった八大さんの葬儀の日のことだ。葬儀で八大さんのピアノのCDをBGMに流していたら、曲が「こんにちは赤ちゃん」に変わった。「その瞬間、涙が突然あふれてきた。僕は長男だし、葬儀ではそれまで涙一つ見せず気を張って頑張っていたのに。あの曲を聴いた途端、小さな子供に戻ってしまった」

 東京で音楽関係の出版社に勤める力丸さんは昨夏、父親になった。しかし1歳間近の娘に「こんにちは赤ちゃん」を歌ったことは、まだない。「もしも歌ったら泣いてしまいそうで。葬儀の時と同じように」

 親になって初めて知った。テレビで流れる戦争の映像よりも、どこかの国の親が子の幸せを願う、そんな平凡な映像のほうがリアルに共感できる。ああそうか、と気付いた。「こんにちは赤ちゃん」は平和につながる歌だったんだ、と。

 ●あなたの未来に

 梓さんは3年前、デビュー40周年のコンサートでようやく「こんにちは赤ちゃん」の封印を解いた。来し方を振り返り、この曲になんと失礼なことをしていたんだろうと気付いた。それ以来、後悔を胸に懸命に歌うことにしている。

 結局、自分では母親になれなかったが、8年前、犬を飼った。ポメラニアンのレイン君。「初めて私一人の責任で誰かを育て、ともに暮らすことで、やっと私は私自身になれた。作られた清純なイメージを嫌うでも、ゴージャスな悪女のイメージを守るでもなく、ただ自然体の私」。思えばなんと遠い回り道だっただろう。

 平井堅さんの「見上げてごらん夜の星を」など世のリバイバルブームを見るたび、「誰かこの曲を歌ってくれないかしら」と思う。
 しかし、合計特殊出生率1・29の少子化時代。政治家や経済人から少子化対策が声高に叫ばれる一方で、新聞を開けば児童虐待のニュースが目に飛び込んでくるこの国ではもう、この曲を明るい気持ちで無邪気に歌うことは難しいのかもしれない。

 「でもね。こんな時代だからこそ若い女の子には歌ってほしい。心からこの曲が歌えたなら虐待だってなくなる。親が子へ、またその子へと歌い継いだなら、いつか世の中も平和になる気がするの」

 自身に戦争の記憶はない。父親は戦病死したが、実業家として成功した母親のお陰で何の不自由もない戦後を送った。そんな梓さんが夢想する「平和」は、この曲の遠い果てにある。
 だから祈るように歌う。赤いドレスの日も、黒いドレスの日も、今はただ自然体で。

 あなたの生命(いのち)、あなたの未来に、と。

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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