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記事192◆歌手・平原綾香さんロングインタビュー

■掲載年月日 2005年05月23~26日連載
■この人、この時
■歌手・平原綾香さん
■この歌が届けば

◇勇気--自分の価値を見つけた

 <父親は現役のサックス奏者。祖父もトランペット奏者だった。常にそばに音楽があった。>

 幼いころピアノを習っていましたが、本格的に音楽を始めたのは中学校の吹奏楽部でのサックスです。父の影響か、サックスの音は幼いころから楽器の音というより「声」のように聞こえました。ピアノは「音」だけどサックスは私の「声」。
 子供のころは、サウンドトラックをよく聴きました。楽器の音だけの世界に浸り、自分なりのメロディーを考えるのが好きでした。でも、歌はだめ。私、中学1年の時に親せきや親と行ったカラオケですら歌えなかったんです。歌は大好きで、自分が歌えることも知っていたのに。親にも聞かれたくなくて、こっそり一人で歌っていました。
 きっとプライドがあったのでしょうね。音楽にはいつも完ぺきを求めていたかった。音楽以外でも完ぺき主義だったみたい。中学校の先生も「手を抜くことを知らない。自分を休ませることも必要」と母に語ったそうです。

 歌えなかった理由はもう一つ。それは「歌うことの価値」が見えていなかったからです。
 小学校6年生の学芸会で「龍の子太郎」の劇をしました。配役を決める時、それまでずっと引っ込み思案だった私がなぜかヒロイン役に立候補したんです。それはヒロインの名前が「あや」だったから。「あたしが演じなきゃ!」と思った。「演じる価値」を見いだせたから勇気を出せた。
 あの日以来、私は「龍の子太郎」で見つけた勇気をずっと大切に守ってきたんだと思う。だから高校でも生徒会長に立候補したり、学校主催のミュージカルの役に挑戦できたんです。

 「歌う価値」を見つけたのは、高校3年で学校主催のミュージカルの舞台に立った日。独唱したら、観客の思いがダイレクトに体中に伝わってきた。その瞬間、やっとわかった。「私が歌うことにも価値がある!」と。だから心を決めた。歌おう、って。

 <この舞台がプロデューサーに見いだされ03年、デビューを果たし
た。>

◇試練--前向きに生きたいだけ

<高校3年でデビューが決まり、作詞作曲を始めた。「胸を刺す苦しい過去も、いつかすべて私の力になるから」(「Any more」より)。前向きでまっすぐな歌詞が印象的だ。>

 あれは高校時代の私自身の思いです。思春期って誰もが悩む時期でしょう。私も学校に行きたくない日々がありました。でも自分に負けたくなかったから、意地でも登校したっけ。あの日々を乗り越えたから、デビューできたし、今の私がいる気がします。
 「ジャンプするにはしゃがまなきゃいけない」って言葉、知ってます? 苦しい時は「私は今しゃがむ時期なんだ」って思うの。「神様は試練は与えるけど、苦しみは与えない」という言葉も好き。苦しいのは勝手に人間が苦しんでいるから。つらい時、この言葉を思い出すと「もうちょっとがんばれる」って思える。

 強くなろうとしているわけでも我慢しているわけでもない。ただ前向きに生きたい。それだけ。

 それに消したくても心の傷は簡単には消えない。だから私は無理に傷を癒やそうと思いません。だって、革のかばんや服と同じ。人間だって傷つくほどに味が出るから。つらかった過去を悲劇のヒロインみたいに語ったりもしたくない。誰にも言わず、思い切り心の奥にしまっておいて、人間の「味」にするの。

 苦しい時期、支えてくれたのは家族。感謝している。
 家族は善悪を超えて私のことを受け入れてくれる存在。母は「どんなことがあっても、お母さんはあーやの味方だよ」って言ってくれた。
 小学校の先生だった母からは人としての生き方を教わった。父からは人間として、音楽家としてあるべき道を教わった。例えば、最近父から注意されたのは「仕事には絶対遅刻するな」です。スタジオミュージシャンが一人遅刻すれば、オーケストラ全員を待たせてしまう。遅刻は即、職を失うことを意味する。厳しい世界だぞ、って。

 父と母に一番伝えたい言葉。それは「しかってくれてありがとう」です。

◇世界--多くの人に出会うため

 <ニューヨークの街には格別の思い入れがある。>

 高校2年の夏休み、留学中の姉を訪ね、家族で米国に行きました。ニューヨークの現地ツアーに参加し、マンハッタンのハーレム地区にある「アポロシアター」に行ったんです。その劇場は観客が舞台に上がり、アドリブで踊るダンスコンテストでも有名でした。
 ツアーバスでガイドさんが「日本人は尻込みして踊らないから盛り下がる。誰か踊って」と呼びかけた時も、最初は恥ずかしくてうつむいていました。でも、ガイドさんに「あなた、お願い」と指名された途端、不思議と勇気がわいてきた。11年間もクラシックバレエを習ったんだもん、なんとかなるさ、って。

 劇場で「日本人、誰か踊って!」と司会に呼ばれ、大急ぎで舞台に走り出た。バンドの音楽に乗ってアドリブで踊ったら、大きな拍手をもらった。何だか快感でした。おまけに、観客の拍手の大小で決まる賞ももらった。うれしかったなあ。
 「すてきでした」と現地の子供が英語で言ってくれた。劇場の支配人らしき黒人女性から握手を求められた。ああ、この国はすごい。頑張ってる人に感動を素直に伝えてくれる、と感動しました。

 <今はフランス語と韓国語を学ぶ。ファーストアルバム「ODYSSEY」は03年、日本語CDが解禁された韓国でも同時発売された。>

 韓国は街中が元気。人も仲良くなると、とことん優しく情が深い。大好きな国です。韓国で歌った時、解禁されたからといって日本語歌詞のCDを売るだけでは、ただの「押しつけ」じゃないかなあ、と思った。
 だって言葉は文化だから。言葉を学ぶことを通して、その国の文化を学び、もっと分かり合いたいんです。
 もちろん音楽活動の可能性を広げるためでもあるけど、私が外国語を勉強する一番の理由は、たくさんの人々に出会いたいから。だって、私が音楽の道を選んだのだって、音楽を通していろいろな人たちに出会いたかったからなんです。

◇夢--死ぬまでずっと音楽を

 <ホルストの組曲「惑星」の「木星」に日本語詩をつけたのが、最初のシングルCD「ジュピター」。90万枚以上売れた。>

 大学の授業であの曲を初めて聴いた時、迷わずに心を決めた。誰が何と言おうと、この曲は私が歌おうと。
 あのころの私は自分がこれからどうなっていくのか不安でいっぱいだった。世界に目を向ければ、米国同時多発テロの後で、世の中は悲しいニュースで満ちていた。この曲なら、私の思いを乗せて人々の心に届けられる気がしたんです。時代がこの曲を求めてる、という確信もありました。

 でも実際に歌い始めて、「歌に出合って人生が変わりました」とか「救われました」という反響が届いた時は、あまりの責任の重さにちょっと怖くなってしまいました。母にも言われました。「あなたには社会的責任がある。発言や歌に影響される人たちがいっぱいいるんだから、責任を持っておやりなさい」って。

 <25日発売のシングルCD「Eternally(エターナリー)」は、6月公開の映画「四日間の奇蹟」の主題歌だ。>

 つい最近、自宅で母とこの曲を聴きました。ちょうどJR福知山線の脱線事故のころで。だからでしょうか。一緒に今回作詞してくれた作詞家の松井五郎さんの言葉をふと思い出しました。「人の思いっていうのは永遠に消えない。肉体に限りはあっても、人間の生きた証しは絶対に消えないんだ」って。

 今、悲しい思いをしている人たちの心にも、この曲が届けばいいなあ、と思います。

 <将来の夢――。>

 うふふ、何でしょう。保育園時代から夢だった「音楽家になること」は、もうかなえてしまったし。結婚……じゃないですもんねえ(笑い)。世界平和? これは大きすぎますし。でも、平和が一番ですよ。うん。
 何より周りの人が幸せであること。それから、音楽を死ぬまで続けられたら、本当に幸せです。

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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