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▼マフマルバフ監督のインタビュー

昔の記事を1本。

▼マフマルバフ監督のインタビュー
(毎日新聞夕刊2002年1月掲載)

 タリバン政権下のアフガニスタンを描いたモフセン・マフマルバフ監督(44)の「カンダハール」を試写会で見た。美しい映像と、ジャーナリスティックなメッセージ。どんな思いでこれを撮ったのか、どうしても監督自身に尋ねたいと思った。封切り直前に来日したマフマルバフ監督を東京都内のホテルに訪ねた。

 映画「カンダハール」は、カナダに亡命したアフガニスタン人の女性ジャーナリストが、地雷で足を失った祖国の妹から自殺をほのめかす手紙を受け取った、という設定で始まる。女性がイランから国境を越えてカンダハルに向かう行程がドキュメンタリータッチで描かれる。
 撮影は一昨年。米同時多発テロよりずっと前の話だ。

 なぜ、アフガニスタンをテーマに選んだのですか。

 「世界の無関心を告発したかった。99年、アフガニスタンを訪れ、人々の苦しむ様を目の当たりにした。街道には男や少年が立っていて、車が近づくたびスコップで街道の穴を土で埋めては金を求めた。少女たちが隠れて勉強していると聞いた。女性がブルカの下から手を出し、マニキュアをしてもらっていた。地雷を踏んで足をなくした男が、スコップを体に縛り付け歩いていた。すべての光景に、映画の題材があった。
 しかし、ヘラートで死にひんした人々が通りを埋め尽くしているのを見た瞬間、私はもう『映画の題材がある』と言えなかった。映画をやめ、ほかの仕事を探したいとさえ思った」

 その時に見たもの、感じたことすべてを込めたのが、「カンダハール」だという。
 アフガニスタンではこの20年間で、5分に1人が死に、毎分1人が難民となってきた。

 「アフガニスタンを追いつめたのは、世界の国々の過去の干渉ではない。むしろ世界の無関心だ。全世界の人々はバーミヤンの仏像を守れと声高に叫んだが、干ばつと飢饉(ききん)で死にひんした100万人の存在には無関心だった。バーミヤンの仏像は、こんな世界に対する恥辱のために自ら崩れ落ちたのだ」

 しかし、アフガニスタンを取り巻く「世界の無関心」は、昨年9月11日を境に一変した。
 昨年5月、カンヌ映画祭で詩的な映像が高く評価されたこの映画も、テロ後はむしろ、世界で初めてアフガニスタンの困窮を訴える作品として、世界中の観客を集める結果となった。
 「9月11日」とその後の世界に、イラン映画界の巨匠はいったい何を感じたのだろうか。

 「人の痛みは『西洋の痛み』になって初めて世界に認めてもらえるのだと思い知った。『東洋の痛み』にとどまる限り、世界は痛みと認知しない。米国で数千人の人が亡くなるまで、アフガニスタンが20年間感じてきた痛みを世界中が無視してきたのだから」

 映画の中にこんなシーンがある。
 地雷で足を失い、義足を求める男たちの頭上で、赤十字のヘリコプターがパラシュートに付けられた義足を投下する。
 空中を舞う義足。
 それを追う杖(つえ)の男たちの目、目、目。
 現実にあったことですか?

 「あれは私の創作。アフガニスタンの現状を象徴したシーンだ。あの国には海はない。本来大地を踏みしめるはずの足が、この国では空からしかこない。1000万個の地雷が埋まるこの国で、足を持つことは夢に等しい。この国で、夢は空から降るのだ。それなのに今、この国の空からは爆弾が降り注いでいる」

 映画では、タリバン政権下の人々の暮らしも丹念に描かれる。
 女性は小さな穴を開けたカーテン越しにしか医師に診てもらえないこと。貧しい親は競って子供を神学校に入れようとすること。衣食住を保障された神学校で、飢えた子供たちはコーランと武器の使い方を学び、タリバン兵士に育っていく。

 「アフガニスタンでは、人々は干ばつのたびに国を離れ難民になった。国に残った者は武器を持ち、他部族を殺した。他に暮らしを支える手段を持たなかったからだ。
 世界が今行うべき支援は、アフガニスタンの経済基盤を整え、仕事というのは他国に出稼ぎに行くことでも、他人を殺すことでもない、と彼らに教えることだ」

 映画は、イランのアフガニスタン国境沿いの町で主に撮影された。
 職業俳優は起用していない。登場する「アフガン人」は難民キャンプに暮らすパシュトゥン人とハザラ人から選んだ。

 「俳優とエキストラ選びのためキャンプ入りした私たちは、最初の1時間、泣きながら難民にパンと果物を配り歩くしかなかった。撮影の数日間にも、昨日まで足があった人が、地雷を踏み、足を失い、苦痛に顔をゆがめるのを見た。彼らの苦痛が胸に迫り、苦しかった」

 撮影は難航した。

 「タリバン政権は映像すべてを禁じていたから、難民の多くはカメラの前に立つことを拒んだ。特に女性の抵抗感は強く、家族である夫や男兄弟、父親たちも身内の女性が映画の撮影にかかわることを不名誉と考えていた。仕方なくイラン人女性を起用したこともあった。また、部族間対立には手を焼いた。エキストラは、ある日はハザラ人、ある日はパシュトゥン人と、どちらか一方のみを選ぶしかなかった。国境周辺はタリバンによる暗殺が横行、私をつけねらう男たちから間一髪で逃れたこともあった。身を守るため、タリバンと同じような衣服を身につけ、ヒゲを伸ばしていた。
 イラン政府の横やりで撮影が中断されたこともあった。イランにいる約300万人ものアフガン難民が国内の労働者を圧迫している、と難民の強制帰国を求める政治家も多い。彼らが撮影をやめるべきだ、と言い出し、国会で問題となった」

 最近では、準主役のハッサン・タンタイ氏が「米国の過去の暗殺事件の実行犯だった」と欧米で盛んに報道された。

 「一連の報道には、映画の持つメッセージを妨げようとする悪意さえ感じる。彼の過去を私は知らない。しかし、国民の250万人が内戦で死んだとされるアフガニスタンで、もしカメラを回せば何人かの殺人者が画面に映ってしまうだろう。一番大切なのは、暴力と戦争はいけないという映画のメッセージに目を向けることではないか」

 アフガニスタンの惨状に、一度は「映画をやめて、他の仕事を探そう」とまで思い詰めたマフマルバフ監督。しかし、彼は結局、映画を完成させ、さらに「他の仕事」
にも着手した。

 「イランの難民キャンプにいる50万人の子供たちに識字と衛生教育を行うことになった。昨年、3カ月かけてイラン政府に働きかけた結果、難民にも教育の機会を与えるよう法改正された。私が難民4000人分の教育費を負担する。ハタミ大統領は5万人の教育費負担を約束してくれた。年内にはアフガンにも二つの女学校を建設する」

 なぜ今、教育なのですか。

 「教育ドキュメンタリー撮影のため、ユニセフの学校で学ぶアフガン難民の少女にデジタルカメラを向けた時、一人の少女がブルカを脱ぐことを拒否した。彼女が恐れていたのは、タリバンではなく、タリバンの生んだ『恐るべき神』だった。空爆でブルカの女性は解放できない。自由に導くためには教育こそ必要なんだ」「もしも過去の25年間、権力が人々の頭上に降らせていたのがミサイルではなく書物であったら、無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう。もしも人々の足もとに埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったなら、数百万人のアフガン人が死と難民への道をたどらずに済んだでしょう」

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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