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記事178◆歌手、加藤登紀子さんロングインタビュー

■掲載年月日 2004年11月29日~12月3日連載
■この人、この時:歌手・加藤登紀子さん
■あしたを越えて

□一人--揺れても倒れない木に

 <2002年7月、夫藤本敏夫さんが亡くなった。すでに娘3人も独立。一人ぼっちの登紀子さんの今は?>

 私は今、千葉県鴨川市民です。夫が残した「鴨川自然王国」という農場で、1カ月の5分の1ぐらい暮らしています。田植えやミーティングなど忙しいけれど、ふっと誰もいない日、鴨川には豊かな時間が流れるの。
 自然の音しか聞こえない場所で楽器に、そしてノートに向かう。自分を空っぽにして、向こうからやってくる言葉を受け止め、自然とわき出すメロディーに身を任せる。 夫は鴨川暮らし、私は仕事のため東京のマンション暮らしで、随分別居生活も長かったけれど、今は私、夫の生前よりずっと長く鴨川にいる。あちこちに夫の気配が残っています。森を一人で歩いていれば、無限の時間に会うことができます。
 大学生のころにも「一人」をずっと意識していました。「一人」をイメージして何度か歌も作りました。でも若いころの「一人」には、途方に暮れてたたずむ心細さがありました。
 藤本と出会った後でさえ、学生運動をする藤本やその仲間が時に遠く見えたし、歌手として聴衆を前に歌う時も敵に立ち向かっているような孤独感があった。どこにも所属できない孤独感をいつも感じていました。

 <今の「一人」は若いころの「一人」と違いますか?>

 全然違います。
 今の「一人」は「営む一人」。子育てを経験し、藤本が残してくれた鴨川に暮らす中で、たくさんの豊かな時間が私の中に何かを残してくれた。土の上に立ち、一歩ずつ歩いている、生きている実感が心の中にあるから。
 1本の木と同じかもしれない。若木のころはすべてが心細い。嵐が吹けば折れてしまいそうで。
 でも、挫折やいろいろな人との出会い、別れの歳月が降り積もり、風化し、土になり、根っこを育て、私の土台となっていく。
 そして今、揺れても倒れはしない1本の木。そんな「一人」。悪くないでしょ?

□夫の死--私は「全部」になった

 夫は自分で最期の時を決めました。
 肝臓をがんに侵されたあとも「絶対に生きるぞ」と言い続けた。病状が悪化してからも、出会うべき人全員に会えるまで、病室で苦しくともがんばってくれた。
 でも最期の日、寝返りではずれた酸素マスクをつけてあげようとしたら、夫はそれを止め、大きな声で言ったのです。「もう、いいだろう」と。
 私は彼に何度もほおずりをしました。彼を抱きしめ、彼も私を抱き返してくれた。「あなた、よくがんばった。すてきだったわよ」とささやいたのを覚えています。
 息をしない、という意思表示をし、最期の時を自分で決め、それを受け入れた夫の姿に私は本当に圧倒されました。

 <間もなく取材が殺到し、登紀子さんはコメントを発表した。「2人の人生は今からまた別の形で始まる」と>

 葬儀の準備で病院から自宅に戻る車の中、とっさに出たのがあの言葉でした。今でもよく、あんな言葉を書いたな、と驚いてしまう。だってあの言葉はこれまで、何度も私をかき立ててくれた。「始まりなんだ、これは始まりなんだ」と。

 <始まったのは何だったのか>

 あきらかに違う時間が私の中に流れ始めました。もしもリンゴ半分ずつが夫婦なら、片方がいなくなったことで、私は「全部」になった。彼がいない欠落感より、ほかにはもういない、すべて自分の中にある、自分が丸ごと自分になった、という感覚が生まれました。
 それから私、生きていることが「途中」でなくなった。若いころの私は自分自身を「仮の姿」だと思っていた。どこか行くべき場所があって、その目的のために生きている「途中」だって。とりあえず生きているような感覚から逃れられなかった。

 でも夫の死を目の当たりにして、分かった。人はどこか遠いところ、目的を目指すために生きているんじゃない。生まれた時からもうすべてなんだって。すべての時が「途中」なんかではないんです。

□若き孤独--時代見つめる女の歌を

 <1968年、登紀子さんは東大を卒業した。卒業式が行われなかった年だ。>

 実は女性誌から「卒業式は振り袖姿でよろしく」と頼まれていたんです。「わかりました」と答えたものの、卒業式前日のテレビでは卒業式ボイコットのため座り込む全共闘の学生たちが映っていました。
 迷った末、ジーンズ姿で安田講堂に行きました。迷いながらも、座り込みの輪に入っていった。昔の友達が声をかけてくれて、知った顔がいくつも輪の中にあった。うれしかったですね。

 <しかし翌69年1月、東大安田講堂に機動隊が突入したとき、登紀子さんは遠巻きに取り囲む群衆の中にいた。>

 1年前にはあんなにみずみずしかった学生たちが追いつめられ、傷つけられ、自らもゆがんでいくのを見て、立ちすくむしかありませんでした。
 孤独でしたね。警察の側にはもちろん、学生の側にも自分の居場所はなかったから。
 ある時、成田空港建設に揺れていた三里塚の空港反対派集会で歌ったことがありました。誰かが「みんなの登紀子じゃいやだ。テレビでおなじみの登紀子じゃいやだ。おれたちの登紀子になれ!」と叫んだ。でも私は「おれたちの登紀子」にはなれなかった。

 後に夫となった全共闘副委員長、藤本(敏夫)に初めて出会った時、彼は「集会で歌ってくれ」と私に言った。高校時代には学生運動をしていた私が、それでも「いやよ」と断った。
 学生たちが好き勝手なことを言える特権階級のように見えて、そちら側のジャンヌ・ダルクみたいになっちゃいけない、と思ったからだと思う。

 あちら側でもこちら側でもない歌を歌いたい。どちら側にも届く歌を歌いたい。この時代をひとりぽっちで見つめている女の歌を作ろう、と思いました。だからどこにも所属しない。立場や思想を超えた歌もあると、信じていたかった。「知床旅情」なんて、当時真っ向から対立していた学生たちとおっさんたちの両方が好きだったもの。

□子育て--自分の命の出発点見えた

 <3人の娘を育てた。保育園のお迎えは計13年間にも。
 子育ては、果てしないトンネルみたい。いつ終わるか先が見えない。迷っても答えがない>

 幼い子を抱え、曲作りに焦っていた時、母親に「仕事があるから」とうそをついてまで子供を預け、新宿の町にふらりと遊びに出たことがある。でもちっとも楽しくなくて、結局泣きながらトボトボ家へと帰ったこともあったな。子供に早く寝てほしくて、背中をトントンする手にあまりに力が入りすぎ、余計に泣かれちゃったり。ありましたよ、私だって。

 <しかし3人の娘が巣立った今、思うことは……>

 今でもお日様が顔を出すたびに思う。子供がいたころは、お弁当を作って散歩せずにいられなかったなあって。
 今、子供がいなくなるともう、散歩する気にもなれない。夕暮れの市場を歩いていて、ふと子育ての時代を思い出し、懐かしくて嗚咽(おえつ)してしまうこともあるの。もう、あの暮らしは戻ってこないって。
 当時は、保育園にお迎えに行って、買い物をして、料理をして……。あれもしたい、これもしたいとイライラしていたのにねえ。今は子供と歩いた道、一緒にお風呂に入った日々、子供がいるだけでほかのすべてのことが消えてしまう、そういうひたむきな時間がこんなにも懐かしい。

 <今、女性の生き方ばかり取りざたされる。「負け犬」とか「少子
化」とか>

 「少子化」を理由に女性に産むことを強いるのには反対。でも、産むのって本当に「有り難い」経験なんですよ。
 私は子供を産んだことで自分の命の出発点が見えた。それが見えないから人間はとても不安定なのね。子供を産むとこんなふうに愛してもらったのか、と自分の命の出発点も見えてくる。
 子供を産んだ三女がこの前、手紙をくれました。「初めて自分が幸せだったと気付き、お母さんにありがとうと言いたい気分になった」と。一緒にいてやれる時間が一番少なかった娘なんですけど。

□男たちへ--生きるのに目的いらない

 <デビュー40年目。男性に届けるメッセージとは>

 特に団塊世代の男性、元気がないですね。間近に迫る定年退職、そんなに心配かしら。定年はチャンス。今まで生きてきた時間を生かすため、仕切り直しをして、元気を出さないともったいないよね。
 女はこれまでも、とても短いサイクルで生きてきた。ご飯作って食べて、洗濯してまた汚して。進歩がないように見え、若いころはうんざりしたけど、毎日創(つく)り出して毎日ゼロに戻す営みをしぶとく積み重ねたことが、今、強みになっている。
 男たちは進歩したり、増やしていくことに価値を置いてきたから、定年で白紙に戻されるのがつらいのでしょう。毎日プラスマイナスゼロで生きる生活感が必要ではないかしら。残る人生で、男性に「営む」ことを経験してほしいな。
 私自身は「なぜ家事は女なの」と思いながらも自分でやってしまった。本当はもっと夫にやらせてあげればよかった。夫は鴨川自然王国の1人暮らしで家事に出合い、営むことも経験できた。随分変わりましたよ。

 <10月、東大安田講堂で歌った。卒業生向けの行事だったため、会場は背広姿の男ばかり>

 男性の多いコンサートで、うれしかった。今年の歌のターゲットは男性と若者と決めている。女性はもう大丈夫だものね。男性の心の殻は厚い。歌詞や声、仕草などささいなことで歌をはね返してしまう。だからこそ届けたい。殻を破ってみたい。
 若者も悩んでいます。生きる意味を考え過ぎ、歩き出せなくなる人もいる。でも気付いてほしい。鳥はなぜ飛んでいるの? 飛ぶように生まれてきたから。人間はなぜ生きているの? 生きるようにできているから。理由なんていらない。おなかがすいたら食べる。けがすれば癒やす。生きることに目的も理由もいらない。生きることの中に答えがある。
 それが命だから。
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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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