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記事167◆旧制一高同窓会、活動に終止符、の記事

■掲載年月日 2004年10月28日
■旧制一高同窓会、活動に終止符
■卒業生の胸に去来するのは

 旧制第一高等学校(一高・現東大教養学部)の同窓会が11月、高齢化を理由に長い歴史の幕を閉じる。旧制高校が消えて半世紀。近代日本を支えた超エリート校「一高」とは何だったのか。元一高生の目に今の東大はどう映るのか。東大駒場キャンパス(東京都目黒区駒場)を歩いた。

■文武両道

 道案内は一高同窓会資料委員長の奥田さん(85)と同副委員長の辻さん(77)。雨で足元がぬれるのも構わず2人が踏み込んだのは、なぜか植え込みの中。そこに1本の木があった。
 「橄欖(かんらん)、つまりオリーブの木です」。樹齢100年近いという。さらに進むと2本のカシワの木。オリーブとカシワの葉は一高校章にあしらわれた文武両道の象徴だ。「構内にオリーブとカシワがあるなんて誰も知らないでしょうなあ」と笑う2人の傍らを、若い東大生たちが無関心そうに通り過ぎてゆく。

 「一高」の起源は1874(明治7)年の「東京英語学校」までさかのぼる。94(同27)年の高等学校令で3年間の「第一高等学校」となり、1950年の廃止まで川端康成(かわばたやすなり)、谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)ら作家やノーベル物理学賞の小柴昌俊(こしばまさとし)さん、岸信介(きしのぶすけ)ら8人の首相など、数え切れない人材を輩出した。

 2人から聞く当時の一高生のエリートぶりはすごい。合格すれば地元紙に記事が載る。女子学生のあこがれを一身に浴び、白線の入った制帽をかぶればどこでも特別扱い。1学年わずか300人程度の少数精鋭。今の東大の10分の1だ。竹内洋・京大大学院教育学研究科教授が「学歴貴族」と呼んだ旧制高校生のまさに頂点にいたのだ。

■皆寄宿制

 次にやってきたのは、2001年取り壊された駒場寮跡地。10年間も廃寮をめぐって大学側と寮生が対立したが、今は建物のほんの一部が残るのみ。奥田さんは「残ったここは地下道への入り口でした。昔は地下道で図書館や教室にも行けたんですよ」。

 そう。一高の神髄は寮にある。八高までのナンバースクールの中でも、一高だけが「皆寄宿制」、つまり全員が寮で集団生活を行うシステムを採用した。生徒自身が運営する「自治寮」の暮らしとはどんなものだったのか。

 三高(現京大)が「自由」なら一高の校風は「自治」。入退寮者の選定から風紀の維持、懲罰まで生徒に委ねられていた。天下の秀才たちが受ける最初の「洗礼」が寮委員長の入寮演説だ。「馬鹿(ばか)になれ!」などと始まるこの演説、昭和初期には7~8時間に及んだそうだ。

 20畳足らずの寝室に約10人が枕を並べる。自習部屋では暗い電灯の光を分け合って勉強した。自治や一高生としてのありようをめぐって、何時間でも議論した。
 深夜には「ストーム」。「立て自治寮の健男児」で始まる寮歌をがなりたて、他人の部屋を急襲しては暴力をふるい、ガラスを割り、説教をする。何度も「ストーム禁止」が議論されたが、大抵きん差で否決された。
 「寮雨(りょうう)」、つまり上階からの放尿も名物だった。「僕らのころはなかったなあ」と否定しようとする奥田さんに、辻さんは「いいえ、よくやってました」ときっぱり。「入寮初日から南京虫に悩まされた」と奥田さんが言えば、「僕らのころはシラミ」と辻さん。

 一方、トイレの落書きについては2人の言い分が一致した。「卑猥なものは一切なかった。哲学論議とかね。毎日、読みたくてトイレが楽しみだったものです」

 雨宿りをかねて、構内のファカルティハウスという建物でお茶を飲んだ。中庭の石碑には、有名な寮歌「嗚呼(ああ)玉杯に花うけて」の歌詞が刻まれていた。一高には校歌はなかったが、寮歌は300曲以上もあった。この数もまた、旧制高校の中では群を抜いている。
 今も年2回、構内で寮歌祭が開かれ、100人以上集まる。白線入りの制帽をかぶって来る人も目立つ。100曲以上そらで歌える「生き字引」や地域の寮歌祭をはしごする「強者(つわもの)」もいるそうだ。

 奥田さんは1935(昭和10)年入学。一高が本郷から駒場へ移転した日、3時間余の武装行進も体験した。一方、辻さんは45(同20)年入学。空襲で燃える校舎を手押しポンプで消火した経験を持つ。
 10年の年月に隔たれているはずなのに、2人はまるで同じ青春を過ごしたように語り合う。「寮で寝食を共にし、切磋琢磨(せっさたくま)し合って今の僕らがある」と奥田さんが言えば、「初対面でも一高出身と分かると、空白の年月が一瞬にして消え、兄弟に会った気がする」と辻さんも言う。

 2人は同窓会で知り合った。同窓会は年1回の総会や懇話会はもちろん、雑誌の発行も続けてきた。事務局のある東京・赤坂の事務所には毎日のように同窓生が集い、旧交を温め合う。しかし最盛期には1万人いた会員も今では3000人。最年少でも72歳。年々300人近くが死んでいく。
 結局、「自然消滅よりはさわやかな幕切れを」と11月1日の創立130周年記念大会で活動を終えることにした。古い写真や資料を収めたDVDやビデオ制作も決まり、2人は今、大忙しなのだ。

 それにしても、かつてエリート中のエリートだった2人の目に、今の東大はどんなふうに映るのだろう。大学の大衆化を嘆くか、それとも「もっと気概を」と息巻くのか。しかし2人は「いえいえ、東大はもう一高とは別の学校。そんな感慨はありません。ただ女の子が多いねえ。我々の時代は女人禁制が戒律でしたから。隔世の感がありますよ」。

 見渡せば、ふわり秋の装いの女子大生らがキャンパスをかっ歩しているのだった。
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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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