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記事158◆西田敏行さんロングインタビュー、の記事

■4回連載。「この人、この時」
■ど役者

■2004年08月16日
■1回 ハマちゃん

 <「男はつらいよ」なき今、実写で唯一の国民的シリーズ映画である「釣りバカ日誌」。バブル絶頂期の88年にシリーズを開始して以来、主人公「ハマちゃん」を演じ、はや16年になる>

 「ハマちゃん」は僕にとって、いつもそばにいるとうるさくて疲れるけど、いないと寂しい友だちのような存在です。一方、世の中にとっては、社会のキャパシティーを測る物差しみたいな存在ではないですかね。
 今作品では「ハマちゃん」にもリストラの危機が訪れます。成果主義のこの厳しい時代にも、「ハマちゃん」がサラリーマンでいられるのかどうか。社会にそれだけの余裕があるかどうか。職場や学校に「ハマちゃん」みたいな人が居続けられ、周囲もその存在をいとおしいと思い、それなりに付き合っていける、そんな世の中こそが人間にとって一番幸せだと僕は思うんです。

 <自身は団塊世代である。年間3万人が自殺するこの国で、ノルマ主義やリストラに擦り切れた同世代の男たちにこんなことを呼びかける>

 僕ら、もう十分に闘ってきたじゃないですか。幼いころから何にでも「地獄」や「戦争」がついていた世代でした。受験地獄に就職戦争。競争率はいつも過去最高。でも50代後半となった今だから、人生をもっと突き放し、遠望してもいいんじゃないか。
 背負っているものは重い。でも次世代に譲れば結構やってくれるもんです。あきらめるな、でも頑張るな、ってね。

 <ところで万年ヒラ社員のハマちゃん、今後はどうなる。まさかこのまま定年なんてことも?>

 彼はいくつになっても周囲に「プチ迷惑」をかけながら、自分の好きなことを貫いて、奥さんを夢中で愛していくんじゃないかなあ。達観したり枯れたりしない気がします。だって魚が釣れない場面で、彼が静かに「ボウズでもいい」とか「釣り糸を垂れること自体に喜びがある」とか言い出したら……なんかつらいじゃないですか。(つづく)

■2004年08月17日
■2回 夢見少年

 <9歳で映画俳優にあこがれ「言葉のなまりを直したい」と15歳で単身上京。原点にあるのは父に連れられて見た何十本もの映画だ>

 地方公務員だった父は、土曜日の昼に仕事を終えると必ず僕を自転車に乗せ、映画館に連れて行ってくれた。嵐寛寿郎(あらしかんじゅうろう)なんかが好きでね、軍隊に入らなければ俳優になりたかった、と晩年に打ち明けたほど、映画好きだったんです。
 僕は、見終わった映画の最初から最後までをセリフや身ぶり手ぶりを交えて友人たちに話して聞かせるのが好きでした。友だちはみな喜んでくれた。「映画も見たけど西田(にしだ)の話のほうがおもしろい」とか「西田の話を聞いたら映画はもう見なくていいや」という友だちもいたほどです。

 幼いころから常に演技を意識しているような子供でした。実は僕、5歳で実母の姉のところに養子に行ったんです。父も母も、実の親のように一生懸命育ててくれた。でも子供は鋭いからその努力が見えてしまう。
 「ここで甘えたほうが母は喜ぶだろうな」とか「親子ゲンカっぽいこともしたほうがいいかな」とか、幼心に計算している僕がいた。いつの間にか演技性が身についてしまったんでしょうね。

 <しかし夢見少年は東京で挫折する。東北なまりを学友に笑われ、学校で一切話せない日が続いた>

 話せなくなったのは笑われるのが怖かったからです。アクセント辞典を買って勉強したり、ラジオを聴いて練習したり、故郷の友人が来ても言葉が戻るのが怖くて会わなかったり。すっかりホームシックにもかかった。
 中学校の修学旅行で行ったことがあった上野動物園にはよく通いました。石川啄木(いしかわたくぼく)ではないが、上野では故郷のなまりも聞けたから。動物園にいる「ブルブル」という名のゴリラが唯一の友だちでした。何時間もゴリラの顔を見ていました。自分の内面をゴリラに投影していたのでしょう。でも今思えば、将来役者になる人間にとっては貴重な時間でした。一番多感な時期に自分と向かい合えたわけだから。(つづく)

■2004年08月18日
■3回 舞台

 <03年3月、急性心筋梗塞(こうそく)で倒れ、「死の淵(ふち)」をのぞきこんだ>

 生まれて初めて、自分の命にも限りがあるんだと思い知らされました。倒れてようやく、自分の暮らしや仕事がどれほど多くの人々にかかわっているのかも痛感しました。人間は社会的に生きているんだ、と初めて実感したわけです。
 だから健康管理は自分のためだけでなく、僕にかかわる人々のためにもやろう、と決めた。1日50~60本吸っていたたばこもやめました。
 病床ではいろいろ考えました。このまま死んだら僕の遺作は「ゲロッパ」(井筒和幸(いづつかずゆき)監督、同年8月公開)と「釣りバカ」か。格好つかないな、「あの風の向こうに」みたいなしゃれたタイトルなら良かったのに、とね。
 第一、弔辞を読む人が気の毒だ。「君の『ゲロッパ』における功績は」とか「一方、『釣りバカ日誌』においては」ではねえ。葬式で笑いが起こるよ、きっと。

 <たばこ以外にやめたものがもう一つ。若い日から大スターにのし上がった後も所属し続けてきた劇団「青年座」だ>

 病気のせいで舞台に穴を開け、迷惑をかけたし、体が悲鳴を上げていて、すべてを背負い込むことはできないと思った。仕方のない選択でした。
 でも「舞台」は何よりかけがえのない存在でした。テレビや映画で仕事していても、ひとたび舞台に立てば役者としての志や原点を取り戻すことができた。僕にとっては軌道修正できる場所だったんです。
 劇団活動に終止符を打ったこれからは、やりたい仕事、やるべき仕事を自分自身で見据え、残された役者人生を考えなければ、と思っています。

 <西郷隆盛(さいごうたかもり)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)、徳川吉宗(とくがわよしむね)……。歴史に名を残す男を数々演じた。今一番演じたい男は誰か>

 田中角栄(たなかかくえい)さんをやりたい。ロッキード事件にいたるまで権力の中枢にいた男の内面や、日中国交回復で周恩来(しゅうおんらい)と体当たりでマオタイ酒を交わした名場面を、日本人の総括として演じてみたいのです。(つづく)

■2004年08月19日
■4回 寅さん

 <若き日には「ブラウン管の寅(とら)さん」とも評された。映画「釣りバカ日誌」は今や、ポスト「寅さん」的存在だ>

 「寅さん」が大好きだった。俳優としての渥美清(あつみきよし)さんとの出会いは19歳のとき。渥美さんが先生役で僕は生徒役。ロケでご一緒したときは、もう金魚のフンみたいについて回ったものです。
 まだ無名のころ、劇団の先輩から「映画俳優を目指すなら、一度は山田洋次(やまだようじ)監督にしごかれたほうがいい」と言われ、「寅さん」映画に出たい一心で山田監督の自宅に電話したことがあるんです。緊張しましたよ。電話口に出た娘さんに「おとうさんはいません!」と言われ、「し、失礼しました!どうかよろしくお伝えください」なんてわけのわからないこと言っちゃってねえ。
 渥美さんとは映画「学校」(山田監督、93年)で共演させていただいたし、「男はつらいよ」では、「釣りバカ日誌」の「ハマちゃん」姿で通行人もやらせてもらった。でも、僕はやっぱり「寅さん」である渥美さんに「おい、兄ちゃん」と声かけられるような役をやりたかった。
 実は「男はつらいよ」シリーズの49作目への出演が決まってたんです。「おれは『寅さん』に出るんだ」とワクワクしてました。そんな96年8月、渥美さんの訃報(ふほう)が届きました。あのときのつらさっていったらありませんでした。

 <「寅さん」と「ハマちゃん」。生き様は対照的だが、ともに国民的映画の主人公である>

 渥美さんの「寅さん」を心から尊敬する一方で、「ハマちゃん」は「寅さん」にはなれないんだ、と心に防波堤を築いている。寅さんは渡世の人。「幸せに暮らせよ、たっしゃでな」で終わる。いわば「背中」で終わる映画です。一方、ハマちゃんは毎日「ただいま」の人。サラリーマンで家族もいる。いわば「顔」で終わる映画です。
 その顔が寅さん的な叙情に濡(ぬ)れていてはいけない。キートンとチャプリンの狭間(はざま)くらいの乾きかげんがちょうどいい、と僕は思っているんです。(つづく)

■2004年08月20日
■5回 虚業

 <シリアスからコメディーまで、役柄の幅の広さには定評がある。おかしくてやがて悲しく、悲しくてやがておかしい。自由自在である>

 僕は両方を演じ分けてるわけじゃない。笑ってもらおうとか、泣いてもらおうとか、そんなふうに役を生きているわけじゃない。ただ演じた結果が、笑いになり、涙にもなっているだけ。
 例えば炎天下に赤ん坊を背負って横断歩道を渡っている中年男を演じるとき、汗だくで歩く姿はコメディーにもシリアスにもなりうる。それが役者の質感なんだと思う。僕はコメディーとシリアスの両方の質感を意図的に身につけていたいなあと思う。
 目指すのは「ど役者」です。尊敬する藤山寛美(ふじやまかんび)さんがそうでした。「ど」が付くほど役者に徹し、良い部分も悪い部分も丸ごと役者。日常生活と芝居を切り離せない役者。僕の志はそこにあります。

 <長年、自己破滅型の役者を憧憬(しょうけい)してきた。家族を愛(いと)おしむゆえ、そうなりきれない自分がもどかしかった時期もある>

 でも最近、諦観(ていかん)ということではありませんが、自己破滅型ではない役者の生き方があっていいじゃないかと思い始めた。錨(いかり)を下ろし、潮に流されない船のようにね。
 いつまでも人間を演じられる役者でいたい。今はコンピューターグラフィックスの映像がどんどん増えている。でも血肉の部分は譲れない。せめて人間を演じる行為だけはいつまでもアナログでいてほしい。人の血肉を表現できる限り、人間は人間らしくいられるから。
 文明は進むばかりだが、人間の精神は文明に追いついているのかな。むしろ精神は荒廃しているのではないか。
 「実業」の人は文明を追いかけたくなるものです。だからこそ僕ら「虚業」の役者が、人間の精神を見極める目を持たなければ。この時代のバランスを取るためにも。それが今を生きる役者の役割だと思います。(おわり)

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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