スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

★累犯障害者 (著・山本譲司)

★累犯障害者 (著・山本譲司)

考えさせられるところの多い本でした。
……と一言で言ってしまうのは、卑怯か。
メディアに身を置く者として、身につまされる指摘がたくさんありました。正直なところ。

逮捕された元国会議員の著者が、刑務所で「これまで生きてきた中で、ここが一番暮らしやすかった……」 とつぶやいた障碍者の姿に衝撃を受け、出所後、「障碍者が起こした事件」の現場を訪ね歩く、という本。

障碍ゆえに犯罪を犯した、と読者が誤読しないよう、何度も何度も、表現を変え、説いていることは、障碍者が犯罪を起こしやすい、ということでは決してなく、犯罪に吹き寄せられてしまうような背景が今の日本にあるのだ、そういう意味で彼らもまた被害者なのだ、という点でした。

心に残った記述をいくつか。

この国の司法はいま、彼ら知的障害者の内面を伺う術を持ち合わせていない。結果的に彼らは、反省なき人間として社会から排除され、行き着く果てが刑務所になる。
(知的障碍を持つ人々が、コミュニケーションを苦手をすることから、人との交流を通して身につけるはずの倫理的基準がなかなか知識として備わらず、そのため、法を犯した後も容易に反省に結びつかず、「改悛の情」を示せない結果、刑期満了まで仮釈放されることもない現実を指摘して)

ろうあ者が用いる手話は日本語とは別の言語であって、健常者が学習する手話と比べ、文法や表現方法に大きな違いがある。健常者である聴者が使う、いわゆる日本語対応手話は、中途失聴者向けには有効かもしれないが、生まれながらのろうあ者には外国語のように思えてしまい、非常に分かりづらい。
(取り調べや公判で、手話通訳を介してもなお、事実がねじ曲げられている現実を指摘して)

日本のマスコミは、努力する障害者については、美談として頻繁に取り上げる。障害にも負けず仕事に頑張る障害者、パラリンピックを目指してスポーツに汗する障害者、芸術活動に才能を発揮する障害者などなど。(中略)障害者が起こした犯罪そのものをマスコミが隠蔽しているため、多くの福祉関係者は、近辺に触法障害者があらわれたとしても、彼らを極めて特異な存在として受け取り、福祉的支援の対象から外してしまうのだ。
(触法障碍者が出所後、社会福祉施設になかなか受け入れられることのない現状とその理由についての指摘として。あるいは、著者自身が服役中に出会った知的障碍者を追跡調査した時、2人が、福祉の支援を受けることなく、医療的治療など必要ないはずであるにもかかわらず、精神科病院の閉鎖病棟に収容されている現実を指摘して)

著者自身が、出版社のサイトに、「たくさんのクレームがほしい」と書かれていて、それもまた、心に染みました。色々と考えてみます。





スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

ほんの少しだけだけれど障害者問題と日々向き合わざるを得ない場所にいる私にとって大変興味深い本ですね。
早速書店で取り寄せをお願いしました。

生まれつきの障害なのか、中途障害者なのか、外見からわかる障害なのか、わからない障害なのか、聾者なのか聴覚障害なのか、日本語手話なのか日本語対応手話なのか、聾学校なのか一般の就学経験があるのかなどなど、
知らない事が多すぎますね。

触法障害者と言う言葉をはじめて知りましたが、本当に複雑です。
私自身患者なのか、障害者なのか…受け止めきれずいます。
本が届きましたら、感想お伝えします。

障害があることが障害なのではなく、健常者が基準の社会が、しょうがい者を創り出しているのだ・・・と、「みんなが手話で話した島」ノーラ・E・グロース著(築地書店)をよみすすめていて、考え始めていたときに、ブログを読みました。

Mimさん

私は、新聞記者になる前は、高校時代、しばらくの間、養護学校の先生を目指してたんですよね。ところが、大学生の途中で養護学校義務化って本当によかったんだろうか、とか反発達論とかに触れて、自己矛盾を起こして、進路を転じてしまった。
そんな経緯もあるので、すごく考え込んじゃうテーマなのでした。

でも、私にとっては、MimはMimだわ。
それが真っ先にすとんと胸になじむ感じ。

ポッキーさん。

書き込みありがとうございます。

>障害があることが障害なのではなく、健常者が基準
>の社会が、しょうがい者を創り出しているのだ・・・
>と、「みんなが手話で話した島」ノーラ・E・グロー
>ス著(築地書店)をよみすすめていて、考え始めて
>いたときに、ブログを読みました。

御本の紹介も感謝です。
機会をみつけて読んでみますね。

> ところが、大学生の途中で養護学校義務化って本当によかったんだろうか、とか反発達論とかに触れて、自己矛盾を起こして、進路を転じてしまった。

そうだったんですか....
今更ながら、中西正司・上野千鶴子の共著「当事者主権」を読み始めている今日この頃。あの頃、ボヤきながら先輩の代理で入るだけだった「障碍者介護」に、こんな深い意義があったとは....自らの主体性の無さに引き比べ、当時からおぐにさんは「大人」だったんだなあ~。

今頃おぐにちゃんのコメントに気づきました。ごめんなさい。
MimはMimという言葉が心から嬉しいです。

やっと手元に本が届いて、早速私のブログにアップしてみました。いろいろ考えさせられる1冊でした。
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
RSSリンクの表示
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。