2003年の夏の連載企画の一本。
亡くなった誰かを、今だから偲ぶ、という記事です。
■掲載年月日 2003年08月07日
■2003年夏・あの人に会いたい
■女優・京塚昌子さん
◇94年9月23日死去、享年64歳
◇今も生きていたら、迷える親たちに何というだろう
◇「今の世にこそ肝っ玉母さんのドラマが必要なのにねえ」
●台場一丁目商店街
新橋駅から「ゆりかもめ」に揺られ、お台場に向かう。コンピューターが運転する乗り物からは、汐留の高層ビル街やレインボーブリッジが一望できる。
大ヒット中の映画「踊る大捜査線」2作目の舞台でもある21世紀の街に、なぜか「台場一丁目商店街」はあった。昭和30年代の街並みを再現したという商店街に、駄菓子屋や銭湯、古いホーロー製の看板やダルマ型の郵便ポストが並ぶ。
しょせんまがい物、薄っぺらなレトロブーム、と内心反発しながらも、再現された古い民家の縁側には心が和む。縁側の奥にはお茶の間があり、ちゃぶ台や白黒テレビが並んでいる。
あの人はこういう空間に生きていたのだ、とふと思った。
●白い割烹着
あの人、とは「肝っ玉母さん」のこと。9年前に亡くなった女優、京塚昌子さんが主に昭和30〜40年代、ホームドラマで演じ続けた役柄だ。白い割烹着(かっぽうぎ)にふくよかな体。泣く時も笑う時も豪快で、子供にはいつも体当たり。情にもろいが、いざとなるとデンと構え動じない。
長崎市の男児誘拐殺人事件や東京・渋谷の4女児監禁事件があったからだろうか。親が動揺し、不安がる。あの「肝っ玉母さん」が今も生きていたら、迷える親たちに何というだろう。
●遠い記憶
TBSのドラマ「肝っ玉母さん」は1968年に始まった。夫に先立たれ、女手一つで東京下町のそば屋を切り盛りする50代の大正五三子(いさこ)役を、当時38歳の京塚さんが演じた。そそっかしくてお人よしの母親が長男長女と織りなす親子愛や、長男の嫁との嫁しゅうとめ問題など、家族の機微を描いた。
ドラマの中の母親といえば山の手の良妻賢母と決まっていた時代に、「庶民派の頼もしい母」という新しい母親像を生んだ。平均28%という高視聴率の結果、次シリーズが次々作られ、72年まで続いた。
京塚さんの素顔も、おおらかで温かかったようだ。68年9月15日号の「サンデー毎日」には「現在のあだ名は“かあさん”。そう呼ばれると誰にでも『はいよ』と気安く返事する」とある。また記者に「肝っ玉は大きい方?」と問われ、「自分じゃそんなに小さいほうじゃないって思ってます。でも太っているわりには神経質なんですよ」とちゃめっ気たっぷりに答えている。
しかし、私にとっての「肝っ玉母さん」の決定版はドラマ「ありがとう」4部(74年)の方だ。山岡久乃さんと水前寺清子さんが母娘を演じた1〜3部の後、4部に京塚さんがカレー屋のおかみで登場した。情感豊かで肝っ玉のある母さんぶりは、番組名こそ違うものの「肝っ玉母さん」そのものだった。
●1本のビデオ
台場に来る前、1本の古いビデオテープを見た。「ありがとう」4部の第1話のテープで番組制作会社が貸してくれた。4部の第1話は母娘の親子げんかで始まる。「およし!」「そっちこそおよしよ」と母娘が言い争った揚げ句、母親役の京塚さんが振り回したフライパンが仲裁に入った人の頭にパコーン。
ちゃぶ台に魔法瓶。野菜カレーは150円。割烹着で買い物する奥さん。「あいすみません」と電話の相手に頭を下げるおやじさん。他人の娘に遠慮なく「おやめ!」と怒鳴るご近所さん。子が親に口答えする時の決まり文句は「やなこったい」。
ビデオを見て台場一丁目商店街を思い出した。よく似ていると思った。台場にやってきたのはそんなわけだった。
「懐かしい」「超かわいい」。はしゃいだ声に振り向けば、若者たちが映画のセットのような民家の縁側で記念撮影している。生まれてなかったはずの彼らが、なぜ作り物の「昭和30年代」を懐かしがるのだろう。
台場の喧騒(けんそう)の中で思った。作り物でなく、本物の「昭和40年代」に行ければ、大勢の肝っ玉母さんに会えるだろうに。
●消えた「肝っ玉」
しかし、その思いこみは間違っていたのだった。「昭和40年代の肝っ玉母さんに会いたい」という私に、「肝っ玉母さん」や「ありがとう」など数多くのホームドラマを手がけた名プロデューサー、石井ふく子さん(76)はこう言った。
「昭和40年代はもう、そんな時代じゃなかったのよ。高度成長期で誰もが豊かさを求め、一方でモラルを失いつつあった。人間は小さくまとまっちゃって『肝っ玉』がない人も多かった。だからこそ、あの番組を作った。『肝っ玉母さん』は当時でもすでに、みんなのあこがれの存在だったのよ」
知らなかった。私はこっそりとため息をつく。
「京塚ママには生きていてほしかった。親がでんと構えていれば子供は安心できる。子供には遠慮せず、身体でぶつかっていかなきゃ。あのころもそうだったけど、今の世にこそ、肝っ玉母さんのドラマが必要なのにねえ」。自分より年下の京塚さんを今も「ママ」と呼ぶ石井さんは何度も何度もそう言った。
●長男の心
黒々とした太い柱が屋根を支えている。「みごとですね」と驚く私に、この家の主、俳優の山口崇さん(66)は「故郷の淡路島の松の木です」と教えてくれた。郷里の松林が松食い虫にやられる前に良い木を選んで切り出したという。「この松のせいでこの家を引っ越せません」。苦笑しながらも、山口さんは東京都世田谷区の自宅で、故郷から来た柱を優しくなでた。
山口さんは「肝っ玉母さん」の長男役だった。母親思いでまじめだが少々頼りない、そんな役柄だった。「京塚のママが演じた母親は、息子に頼る時はどっぷりと溺愛(できあい)し、しかる時には涙を流し身体を震わせる、そんな人だった」。山口さんは一瞬、淡路島に一人暮らす自身の母(87)を語る時の顔になる。
「どうも自分の母親と重ねてしまいます。似ているんです。戦争で夫を亡くし、寡婦だったのも同じです。母は、子供の目から見ても、むちゃだったりこっけいだったりしたけど、すごい信念で自分のモラルを貫き通した女性でした」
山口さんは「肝っ玉母さん」という存在自体が当時すでに「虚構」だったという。「虚構の存在にリアリティーを吹き込んだ京塚ママの演技力はすごかった」。思わず尋ねた。「虚構? 『肝っ玉母さん』は神話でしかないのでしょうか」
山口さんの穏やかな目が笑う。「白い割烹着はもう神話だとしてもね。神話は形を変えながら復活するものです。地球と月の間をロケットが往復する時代になったって母を慕う子の気持ちは永遠でしょう。だから今の世にだって姿形を変えた『肝っ玉母さん』はいるんじゃないかなあ。僕は信じてますよ」
●「母」という字
山口さん宅からの帰り道、サトウハチローさんの「母という字を書いてごらんなさい」という詩を思い出した。京塚さんが生前、愛した詩だという。
母という字を書いてごらんなさい
やさしいように見えて むづかしい字です
恰好(かっこう)のとれない字です
やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり
泣きくづれたり……笑ってしまったり
お母さんにはないしょですが ほんとうです 私は「肝っ玉母さん」に会いたい、という以上に、一人の母親として自分もそうなりたかったのかもしれない。ノートの片隅に「母」という字を書いてみた。その字はどうにも不格好で、それが妙に気恥ずかしくて、何だか笑ってしまった。