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記事113◆加藤登紀子さんのコンサートを聴きに行く、の記事

かつて団塊世代のマドンナだった加藤登紀子さんを、今、男女がどんな風に聴いているのかが知りたくて、取材してみました。


■掲載年月日 2002年12月19日
■2002年の「心情」を聴きに行く
■加藤登紀子・ほろ酔いコン

 加藤登紀子さんは舞台に現れると、激しいラテンのステップを踏み始めた。真っ白い衣装が揺れる。はじけるライトがまぶしい。客席をうめる50代、60代の女たちも負けてはいない。上半身がリズムに乗って激しく揺れている。鼻柱にはもう汗が浮いている。

 圧倒された。予想していたオープニングとあまりに違い過ぎたからだ。ここは登紀子さんの年末恒例「ほろ酔いコンサート」。開演前、客には日本酒が振る舞われ、登紀子さん自身も舞台で飲みつつ歌うことからその名が付いた。「これがないと年が越せない」という常連さんも多い。だから私は考えた。1曲目はきっと古いバラード。客は70年代の歌に青春時代を思い返し、涙する……。ところが実際は全然違ったのだった。
 「知床旅情」目当てで来た客は、度肝を抜かれただろうな。そう思って周囲を見回したら、斜め後ろの席に3人の男性が並んで座っていた。3人とも腕組みしている。表情が硬い。圧倒的多数の女たちに囲まれ、いかにも居心地悪そうなのだった。

 ふと、開演10分前の光景を思い出した。まるで女向けの居酒屋状態だった。ロビーはどこを見ても女、女、女。みな紙コップ片手にぐいぐいやっている。つまみ持参のつわものもいる。60代の女性グループは口々に言うのだ。「昔を懐かしむために来てるって? 冗談じゃないわ。大切なのは今よ」「そうそう。新しい音楽に次々挑戦する今のお登紀さんの生き方に共感できるのよね」「衣装もすてきだし」
 「ご主人とは来ないんですか」と尋ねたら、「あの人、仕事人間だから面白くないもの」とばっさり。話題はたちまち夫への不満と変わってしまった。

 一方、男性客の方はと言えば「彼女の歌は心に染みるね。じーんとくる。もちろん泣きはしないけど」「古い曲だけど、知床旅情が一番好きです」。45歳と53歳の職場の同僚だという。「泣きはしない」の一言が妙に哀愁を帯びていたっけ。
 お仕事、大変ですか。
 「明日はリストラの身。しがない中間管理職ですよ」。2人、はははと笑ったのだった。

    ◆   ◆

 「ほろ酔いコンサート」は毎年年末に全国各地で開かれてきたが、とりわけ今年は特別なものとなった。30周年、というだけではない。今年7月、元反帝全学連委員長の夫・藤本敏夫さんが亡くなった。結婚して30年目の夏だった。
 登紀子さんは「世代」や「時代」でよく語られる。「加藤登紀子の歌には時代背景が浮かび出ている」と語ったのは、ほかならぬ夫・藤本さんだ。デビューは65年。東大安田講堂攻防の69年に「ひとり寝の子守唄」がヒットし、連合赤軍の浅間山荘事件の72年には藤本さんと獄中結婚した。今も登紀子さんの歌に青春を重ね合わせる団塊世代の男たちは少なくない。
 1947~49年のベビーブームに生まれた団塊世代。受験戦争にもまれ、全共闘を担い、企業に入っては日本経済をけん引する一方、ニューファミリーなど新しいコンセプトをも生んだ。しかし今、彼らはリストラの最前線にいる。数が多いゆえ、ポストが足りない。退職金支払いで会社がパンクする、と早期退職を強いられてもいる。

 横浜でほろ酔いコンサートを主催する横浜音楽鑑賞協会の浜永広生事務局長は「70年代は若い男性客ばかりでした」という。つまり若かりし日の団塊の男たちである。「女性客が男性客を圧倒するようになったのは80年代から。バブルの時代、男は忙しすぎたんでしょう。最近地方で男性客が戻り始めています。不況のせいでしょうか」

 事務所トキコプランニングの加藤幸子さん(62)も「男性ファンは奥さんに誘われてようやくやってくる。自分の方が熱烈なファンでも、握手会では奥さんの陰に隠れてしまう。一方で70年代を引きずり、そのころのカセットテープを擦り切れるまで聴いている男性も多いようです」と教えてくれた。

   ◆   ◆

 「心と体で参加して。頭はいらないから」と登紀子さんの声。コンサートの30周年を記念し、過去30年分の曲のメドレーが始まったのだ。最初の曲は「知床旅情」。「しれーとこーのみさーきにー」。気付けば誰もが歌っている。体内のアルコールが涙腺を緩ませる。ハンカチを握り締め、客がすすり泣く。
 その時だ。「おときさーん!」。誰かが叫んだ。男の声だ。そしてまた一人。「おときさーん」。これも男性。不思議だ。さっきまで女たちに押され、元気なく見えたのに、開演からわずか半時間で舞台に叫ぶのもまた、男たちの方なのだ。

 声の主は、横浜市の男性公務員(53)だった。「コンサートは72年の日比谷野外音楽堂以来です。ご主人を亡くしたお登紀さんを励ましたくて。30年分のメドレーに青春時代が走馬灯のように思い出され、胸がいっぱいになったんです」。彼は登紀子さんと一緒に東京・本郷でデモに参加したこともあるという。「僕らの世代の男は学生運動が不完全燃焼だったからか、元気のないやつが多いかも。もっと男が元気にならないとね」
 ふと振り返ると、斜め後ろの3人の男たちがいつの間にか腕組みを解き、手をたたいていた。少し調子外れの手拍子が妙に心に染みた。

   ◆   ◆

 「子育てを終え、これから互いに向かい合える時がきたのに。子も巣立ち、藤本が逝き、私は急に一人になってしまった」と語る登紀子さん。藤本さんが千葉県で無農薬農業をやる、と言い出した時、登紀子さんは迷った末、幼い子供と東京に残ることに決めた。2人とも自由を求め、やりたいことも無限にあったから、平たんな夫婦生活ではなかった。
 「ほろ酔いコンサート」でも、時には夫婦の難しさを語り、夜帰らない思春期の娘を玄関先で待ち続けた体験を語った。女性ファンたちが「お登紀さんと一緒に結婚、子育て、子離れをしてきた気がします」と言うのもそのためだろう。

 一見明るく見える女性ファンたちもまた、心の奥に重いものを抱えている。「乳がんで入院した時、『元気になってコンサートに行こう』という思いを支えに闘病した」「7年前に26歳の息子を亡くした時、彼女の歌に涙が止まらなくて……」

 今は何かが壊れ
 何かが生まれようと
 している時代。
 女は1本の
 大きな木です。

 登紀子さんは2002年の師走をこんなふうに見つめている。「今は、何かが壊れ、何かが生まれようとしている時代。女は1本の大きな木です。もしも葉を枯らしても、地面に深く根を張り、春がくれば芽生える。だけど男は違う。高い塔を作ろうと、時間の積み木を積んでいる。崩壊の時は、本当にすべてが崩れてしまう。今の時代、女の感性は救いじゃないかしら」

     ◆   ◆

 アンコール。ギター1本で歌が始まる。目を閉じると、歌声に抱かれている気がする。彼女は舞台で結局、夫の死に具体的には触れなかった。でも目尻を何度もぬぐった。「愛することって本当に大変だから。もう、きっとしないと思うわ」。泣いているような笑顔で彼女がそういうと、客席はその日一番温かい拍手で彼女を包もうとした。
 最後の曲は「花筐(はながたみ)」。亡き夫への思いを込めた一曲だ。登紀子さんが酒杯を掲げ「乾杯」と叫ぶと次々と女たちが立ち上がる。つられて男たちも立ち上がる。登紀子さんは歌う。
 
 何かがはじまるわ
 時間は動いてる
 誰にも止められない
 歩き出した 明日(あした)への足音
 
 2002年は不安の年だったと人はいう。日本は冬の時代だと。新しい年、私たちが向かう先はまだ見えない。それでも登紀子さんは歌う。客席も歌う。
 
 春が夏に変わるように
 夏が秋に変わるように
 冬もいつか
 花の季節によみがえる
 
 振り向くと最初は腕組みしていた3人の男たちが笑顔で肩を揺らし踊っていた。「冬」を背負う男が女が、今はただ「花の季節」を願い歌っている。
(JASRAC 出0216315―201)


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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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