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★下流志向 (著・内田樹)

★下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち (著・内田樹)

これまた遅ればせながら読みました。それも泥酔状態で読んだので、本書の論理構成をきちんとつかまず、表面的に、気になったところだけ記憶に刻む、というような読み方になってしまった気がします。反省。

どういう本かというと、今の日本の子どもたちは世界で最も勉強しなくなってきている。積極的に学ぶことや働くことから逃避しており、逃避することに価値を置いている。勉強しないほうが、働かないほうが、エライんだ、というように。そして「自分探し」をしながら階層下降している……というような話。(だったと思う)

なぜ、それが起こっているのか、という背景や原因について、子どもたちが未就学児の段階ですでに「消費主体」として確率し、学びの現場に立つからだ、と著者は書いています。この部分が、どうも私、実感としてピンと来なかったのです。
やっぱり、泥酔状態で読んじゃダメね。

一番興味深かったのは、内田さんの「自分探し」についての考察です。
「自分はほんとうは何者なのか?」「自分は本当は何をしたいのか?」という問いを軽々しく口にする人間が人格的に成長する可能性はあまり高くない、と内田さんは書きます。
「自分探し」の本当の目的は「出会う」ことになく、むしろ、「私についてのこれまでの外部評価をリセットする」ことになるのではないか、と。「自分探し」というのは、自己評価と外部評価のあいだに乗り越えがたい「ずれ」がある人に固有の出来事ではないか、と。
内田さんは書きます。

「ほんとうの私」というものがもしあるとすれば、それは共同的な作業を通じて、私が「余人をもって代え難い」機能を果たしたあとになって、事後的にまわりの人たちから追認されて、はじめてかたちをとるものです。
(中略)
ですから、「自分探し」という行為がほんとうにありうるとしたら、それは「私自身を含むネットワークはどのような構造を持ち、その中で私はどのような機能を担っているのか?」という問いのかたちをとるはずです。


そして、今の若者の「自分探し」について、「彼らの視線は自分の外ではなく、ひたすら自分の内側に向かう」ことの問題を指摘しています。社会的に見てどうか、より、「オレ的に見て」どうかで判断するという手荒な価値づけが、実は、教育の崩壊のいちばん根元にある、と指摘するのです。

また、子どもたちが教室で教師の命令を聞こうとしない、無秩序な状態にあることをは、子どもたちの「無為」の結果ではなく、「無為であれ」という命令に必死で従った結果である、という分析をしているのも興味深いです。

いま学校に繁殖している「無為な子どもたち」は、「無為」の定型を律儀に守り抜こうとします。「無為」な人間に見えるように、できるだけだるそうな表情や発声をし、制服の着方を微妙に崩し、「無為な人間」であることをショウオフできるような記号的なふるまいの数々をテレビや雑誌から熱心に学習し、それを模倣し、より「無為」に見えるようにさまざまな改善を加えることさえ厭いません。

と書き、こういった子どもたちは「無為」ではなく、むしろ「勤勉」なのだ、と結論づけます。
彼らが全力であらがっているのは、彼らを「学び」へ誘う流れなのだ、と。

最後に、「二十四の瞳」についての言及も笑えました。
映画「二十四の瞳」を取り上げ、「大石先生」がかつては情熱あふれる理想的な先生と描かれていたように思ったけれども、今見てみたら、単に、何もできない、女学校出たての若い先生で、オロオロと泣くしかできない。「大石先生」を今の小学校に連れてきたら、あっという間に学級崩壊するだろう、というような話。
おまけに今の保護者たちは、「大石先生」に我慢しないだろう、「教師としての責務を果たせていない」と抗議が殺到するのではないか、とも。
よい先生の条件を実定的に列挙していくと、そのリストは無限に長くなり、教師は苦しくなるし、子も親も「この教師はダメだ」と引き算の評価しかしなくなる、とも。
うむむ、難しいなあ。

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個人内評価

こんにちは。
いつも読ませていただいております。
書くのがうまいなぁ、さすがだなぁ、と思っています。

>「彼らの視線は自分の外ではなく、ひたすら自分の内側
>に向かう」ことの問題を指摘しています。社会的に見て
>どうか、より、「オレ的に見て」どうかで判断するとい
>う手荒な価値づけが、実は、教育の崩壊のいちばん根元
>にある、と指摘するのです。

このことは、ある意味では、学校教育における評価方法の
変化によるところも大きいかもしれません。

相対評価から絶対評価へ。
評定(数値による成績)以外の、観点別評価。
この観点別評価は原則「個人内評価」です。

競争することではなく、個人を高めることが教育である、
というのは理想的な教育のありかただと思います。
今の自分に甘んじることなく、より自分を高めるために
向上心を持ち続ける。

向上心を持ち続けることができればいいのですが、
相対的な自分の位置を知らずにすむための、隠れ蓑にも
なりかねません。

私もこの本を読んでみようと思いました。




ひろこさん。

コメントありがとう。

じゅんぺいさん。

先日は良きものを感謝。といっても、子どもより親のほうが「へええ、おもしろいもんだなあー」と熱心に聴いているかも。

この本に書かれているような状況の背景に、評価方法の変化がある、というご指摘には、うむむーとうなってしまいました。

難しいんですねえ。教育って。
また、今度お会いした時にでも、色々と教育のお話、聴かせてくださいね!

プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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