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★凍 (著・沢木耕太郎)

★凍 (著・沢木耕太郎)

世界的なクライマー、山野井泰史さんと妙子さんというクライマー夫婦が2002年、ヒマラヤのギャチュンカン北壁を目指したノンフィクション。

心にくいっ、くいっ、と引っかかってくるものが多くて。
読み手のこちらがわのほうに、引っかけてしまう「突起」のようなものがそもそも多いテーマなのかもしれないけど、たぶん、それだけでなく、この本のクォリティーの高さによるものだと思う。

山野井さんが単独登頂直前に、雪と風の合間に見える一瞬の青空と頂をみつめながら、「早く頂上にたどり着きたい。しかし、この甘美が時間が味わえるのなら、まだたどりつかなくてもいい」と思うシーンなど、本当の意味では理解できないにしても、とても近付きたいというせっぱ詰まった思いにさせられました。
登頂した後の激しい疲労感の中で「無理をしすぎたかな」「生きて帰れるかな」「でもいい登頂だったな」と、ぽつんぽつんと思うあたりも。

でも、圧巻は、体調不良で頂上アタックはせずに下で待っていた妙子さんとの下降が始まる第7章「クライムダウン」からです。
雪崩に遭って、妙子さんが流されて、山野井さんとザイルでつながった先の妙子さんの生死が分からない状態で、山野井さんは「死んだのならザイルを切らねばならない」と冷静に考えるんですよね。でもザイルを残さねば自分も降りられなくなるから、妙子さんの死体のそばでザイルを切るしなかいな、と。
一方、意識がまだあった妙子さんは自分の意志で壁に張り付き、ザイルをカラビナから外し、「はずした先を見れば、山野井はすべて理解するだろう」と考える。実際、山野井さんは、引きちぎられたのではなく、外されたザイルの先を見て、「妙子は生きている」と確信するわけです。

登攀のパートナーであり、夫婦でもある、という関係って、私にはとても想像できないのだけど、何度も何度もため息が出てしまったのでした。
ため息といえば、最後の最後に妙子さんの姿を見失った時の山野井さんの判断にもため息がでました。
「自分は妙子が最後の最後まで頑張る女性だということを知っているし、パニックを起こす女性ではないことも知っている。妙子が頑張りきれずに死んだとしたら、他の誰も頑張れはしないのだ」「崖の中では死体を回収できないが、このモレーンではそれができる。死んでもまた会える」
ものすごい信頼感なんですね。

ニュージャーナリズムの旗手なんて呼ばれ、第一人称で語るジャーナリズムが魅力になっていた沢木さん。
95年出版の「壇」では、「火宅の人」壇一雄の妻が一人称で語る形式を採りました。最後の最後に「話を聞いてくださったお方が」と妻に語らせる形で、聞き手の沢木さんがさらりと登場するだけ。
今回の「凍」では、さらに、山野井さんの一人称語りではなく、完全な三人称形式で物語りを進めています。その分、あっさりとした感じがするし、その人の考え方を生の言葉で伝えるのではなく、一つひとつのささいなエピソードから静かににじみ出させることに成功していると思います。
この本の最後で、山野井夫婦は自分たちよりずっと年長の「知人」と、ギャチュンカン北壁のベスキャンプを再訪します。
最後の16行で、この知人男性が文章の主語に躍り出ます。
男性は、「座ったままギャチュンカンの北壁を眺め続け」、「今日は何日だろう、と思い」、山野井夫婦がテントでしゃべっている声を「聞く」。
文章には明記していないけど、これが沢木さんというわけで、とうとう沢木さんは自分をも「男性」という記述で三人称にしてしまったわけです。

「壇」との比較で「人称」の問題を考えると、「一人称か三人称か」というのはさして本質的な問題ではないことと、同時に、慎重に、意識的に、選び、取り扱うべき問題でもあるなあ、と感じました。

以下はそのほかに、心にとまったこと。

p48。
山野井さんはトランシーバーを装備に入れない。「どうせ俺が遭難しても、妙子(クライマーの妻)が救出できるわけでもないから」だ。このエピソード一つでも十分に、山野井さんの「できるだけ素のままで山に自らを放ちたい」というような考え方が透けて見える気がする。

p70。
山野井さんは小学校の卒業文集に、将来の夢として「無酸素でエベレストに登る」と記したという。当時、子ども向けの登山の本を読んだら、「酸素ボンベを使わずエベレスト山頂を登った人間はいません」と書いてあったからだ。小学校6年という段階で、すでに将来の夢をたぐりよせられる力を持った子がいるのだなあ、とちょっと感慨深かった。

p86。
妻妙子さん。かつて8481メートルのマカルーに挑戦し、無酸素登頂に成功したものの、重度の凍傷を負い、手の指を第二関節から10本すべて失い、足の指は2本を残して8本すべて失い、顔は鼻の頭を失った……という記述にも頭がクラクラしたが、もっと驚いたのは、妙子さんが、指を失ってからのほうが登攀技術をグイグイと伸ばした、というエピソード。圧倒されました。

p137~8。
ギャチュンカン北壁をアタックした時の装備一覧。むちゃくちゃ少ない。軽い。食料なんて重量850グラム! あらためてぞっとしました。食料が少ないのは、妙子さんが7000メートルを超えると酸素が薄くなり、ほとんど何も身体に入れられなくなるという特殊事情だからだそうで。でも、何も食べられないまま行動してしまえる妙子さんって、すごすぎる……。

ちなみに、この本では、妙子さんは理解を超えたものすごい強さと柔らかさを兼ね備えた存在として描かれています。きっとそれは事実なのでしょうが、沢木さん自身が男であり、山野井さんを理解して描こうとするのとは別の距離の取り方を、妙子さんに対してはしてしまったせいではないかな、と思います。

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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