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★「待つ」ということ (著・鷲田清一)

★「待つ」ということ (著・鷲田清一)

待たなくてよい社会になった。
待つことが出来ない社会になった。


の2行で始まる「まえがき」は散文詩みたいに美しかった。
この人の文章、実はとても好きだ。
哲学を心の隅からすみまで全部を使って理解できるほど、教養などない私だけれど、鷲田さんの文章は本当に大好き。

この本のスタート地点は、上記の2行。

現代は、待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。例えば携帯電話の登場で、待ち合わせの際のじりじりと待つ経験を私たちは失った。意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をなくしはじめたのではないか。

というような問題意識から、なんと「待つ」ということだけを入り口に人生の隅々まで語ってしまう、という意欲的な本なのです。

まえがきの最後のほうにこんな一文もあります。

せっかちは、息せききって現在を駆り、未来に向けて深い前傾姿勢をとっているようにみえて、じつは未来を視野に入れていない。未来というものの訪れを待ち受けるということがなく、いったん決めたものの枠内で一刻も早くその決着を見ようとする。待つというより迎えにゆくのだが、迎えようとしているのは未来ではない。ちょっと前に決めたことの結末である。決めたときに視野になかったものは、最後まで視野に入らない。頑なであり、不寛容でもある。

極めて重大な問題提起だな、と受け止めました。

もう1点。
「待つ」ことの痛々しさをやりすごすにはどうすればいいのか。
「待つ」ことができないなあ、と思ったのは、リストカットの取材をしていた時に、若い子たちとメールのやりとりをした時のこと。メールの返事を1日後に返したら、「もう返事が来ないかと思いました」と言われたり、メールをもらって数時間後には「やっぱりもういいです。私なんか生きている価値ないし」みたいなメールもらったり。
え? もしかして5分後とかにメールを返さなければいけなかったの? と驚いたものです。
それ以来、若い人を取材する時は、「メールは通常でも2~3日かかると思ってね」と最初から念押しする癖がつきました。
そうしないと、「待つ」ことがとてもつらくなってしまう子、いっぱいいるように思うのです。

本書に、そのやり過ごし方の一つとして、「無数の小さな問題にかかずらうことでかろうじてしのぐ」という方法を、V・E・フランクルの「夜と霧」を引用し、語っています。
つまり、「生きることの意味」とか「ほんとうの私」とかではなく、今夜のおかずにかかずらわれ、という話。
さらに、吉本隆明が老いてから書いた「幸福論」からこんな一文を引用しています。

幸不幸とかも、長く大きくとらえないで、短く、小さな事でも、一日の中でも移り変わりがあるんだよと小刻みにとらえて、大きな幸せとか大きな不幸というふうには考えない。小さなことだって、幸不幸はいつでも体験してるんだ、と考える。そういうふうに大きさを切り刻むということ、時間を細かく刻んで、その都度いい気分だったら幸福だと思い、悪い気分だったら不幸だと思う。

あるいは、「中心をほんの少しでも自分自身から外す」こと。次はパールバック「母よ嘆くなかれ」からの引用。

私が自分を中心にものごとを考えたり、したりしている限り、人生は私にとって耐えられないものでありました。そして私がその中心をほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時、哀しみはたとえ容易に耐えられるものではないにしても、耐えられる可能性のあるものだということを理解できるようになったのでありました。

これは、いわば「夜回り先生」こと水谷修氏がよく指摘することに近いと思います。

この後、コーピングについても言及しているのだけれど、自傷の専門書などを読むと、自傷行為自体がコーピングの一つ、というとらえ方をしている本もありますよね。
切らずにやりすごすため、水谷氏のいう「自分病」から脱する、という
のは一つの方策なのでしょう。


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僕のやっているお店のお客さまにも、「ココロに傷を持つ」子たちが増えてきたのは最近のことです。

20代の女の子。仕事のお客から友人になったという同年代の男性が、メールを返さなかったり携帯に出なかったりすると、何度も掛けてきて怒る、と。彼じゃなくて友人で。
「あ、忙しくて出られないんだ。」って気遣ってくれるのが男でしょ、って言ったんですが、その子自身、相手が怒ることを不自然だと思っていないようだし。メールや携帯でつながる人間関係が基本になってる。携帯が脳になってる。それは自分自身じゃないのに。会って目を見て話さなければ伝わらないことがいっぱいあるのに。

「未来を視野に入れていない。結末を迎えに行っているだけ」・・・
今の子たちの人間関係は、自分のさみしさを埋めるために必死、淋しさを埋めるという結末のために相手がいる、そんな感じに思えます。主役は自分。

人間関係って、0(ゼロ)から積み重ねていくものじゃないのかな。そこには+(プラス=未来)しかない。
淋しさを“埋める”ため、はマイナスからだもの。

先日、水谷さんとお話しする機会があって、そのときに感じたこととおぐにさんの文章がリンクしてしまいました。長文、失礼いたしました!


noriさん。

>人間関係って、0(ゼロ)から積み重ねていくものじゃないのかな。
>そこには+(プラス=未来)しかない。
>淋しさを“埋める”ため、はマイナスからだもの。

ええ。なんとなくおっしゃること、わかります。
自分自身、高校時代を振り返ると、似たようなところに追いつめられたりしてましたけれどね。
そこから外に向かって開かれていくまでに、昔以上に今は時間がかかる時代なのかな、という気がします。
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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