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■スティーヴィー (監督・スティーヴ・ジェイムス)

■スティーヴィー (スティーヴ・ジェイムス監督)

私にはとんでもなく重いドキュメンタリー映画でした。数週間前に観たにもかかわらず、なかなか文章にまとめることができませんでした。
今でも、ネタバレ混じりの文章をグシャグシャと書き散らすくらいしかできません。それくらい重い映画でした。

なぜなら。主人公や登場する家族たちが口にするセリフがことごとく、少年非行やら自傷やら薬物依存の取材の中でこれまでに実際に耳にしたことがあるセリフばっかり。
これが何より、見ていて苦しかったです。
さらに、主人公のスティーヴィーがすでに少年ではなく、28歳で、日本人の目から見るともう「おっさん」の風貌で、だけど行動も言葉も心もたぶん、12歳くらいの少年のままの部分を残していて、そこの部分が苦しい苦しいと悲鳴を上げているのが、画面から伝わってくるからなのだと思います。

映画は最初、スティーヴ監督がかつてビッグブラザーとして関わった少年のもとを約10年ぶりに再訪するシーンから始まります。11歳だった少年はすでに24歳に成長。母親に捨てられ、施設を転々とし、荒れるに任せて、10年間に多くの犯罪を重ねていました。スティーブ監督は最初から、「この少年を途中で見捨ててしまった」という負い目を抱きつつ、撮影を始めるのです。
スティーヴ監督と妻は子連れでスティーヴィーのもとを訪ねているのだけど、幼い子どもたちがスティーヴィーの興奮した様子をなかば脅えながら見つめているシーンも印象に残りました。監督がさりげなく子どもたちを部屋の外に連れて行くところなども、なんだか身につまされました。私も何度か子連れ取材をしてきたので。

一方、監督の妻はカウンセラー。幼児へのレイプ犯の更正プログラムに携わっている。いわばその道のプロ。それは映画の中の彼女の行動をみているとよく分かります。
例えば、久しぶりに再会したスティーヴィーへの受容的な態度。「オレがキレたら大変さ。今は抑えてるけど」と興奮してしゃべり続けるスティーヴィーに、「えらいわ、ちゃんと抑えているのね」とほめる。その姿を見ただけで、「あ、プロだ」と思いました。プロだから受容力もあるけれど、揺るがなさすぎて、どこかで線を引いているような距離感が常に見えるんですよね。

監督はこの再訪のあと、また2年間、スティーヴィーを訪ねなかったそうです。彼の半生を映画にしよう、と再度彼と接触した時には、彼はもう女児への性的暴行罪で裁かれようとしているところでした。
私はストーリーよりも、スティーヴ監督がどんな風にスティーヴィーに関わるかばかりが気になってしまいました。
かつてのビッグブラザーとして、今は友として寄り添おうとし、一方で自身も被写体となりつつも映画監督として撮影する側の立場も維持し続けるスティーヴ・ジェイムス監督の立場が、私の取材スタンスにも重なったりして、身につまされました。
撮影の途中で「彼の人生を見せ物にしているだけではないか」と悩んだり、重すぎる現実に逃げ出したくなったり、それでも寄り添おうと心に折り合いをつけたりする心の軌跡が、映像からもう手に取るように伝わってきて、そういう意味でも見ていて苦しかったです。

例えばスティーヴィーに「金を貸してくれ」と言われた監督は、思わず100ドル貸すことを約束してしまいます。でもプロの妻はこれに反対。結局、監督は断ることにします。
お金を貸すか貸さないか、プロなら簡単に答えが出せる問題だったとしても、人と人との関係ができあがっている時はつらい。お金を貸してほしい、と言った取材相手に対して、「取材者としては貸すべきではないかもしれないけど、貸すんじゃなくて、シンナーをやめられたお祝いに私の気持ちとしてプレゼントしたい」。そんな風にお金を出したことだって、私もかつてあったっけな。

主人公スティーヴィーの母親とその妹へのインタビューも、たまらないものがあります。
虐待を否定しながら、「たまにたたいただけよ!」と言い張る母親。「だって大人にたてつく子どもなんて言語道断でしょ!」と。その母親もまた、貧しい地区でアルコール中毒の父親に殴られて育っているのです。だから妹はこう言う。「私はね、親に影響されないようにしようと暮らしてきたの」
スティーヴィーが暴行した相手が、この妹の娘(つまりスティーヴィーの姪っ子)というのがつらい。それでも姉との付き合いを続ける妹の複雑な思いまで、映像は映し出している。

スティーヴィーは11歳の時、施設に預けられた。里親には懐いたが、里親夫婦が個人的な都合で施設を去ってからは、親代わりを再び失い、施設内では何度も反省室に閉じこめられたり、レイプされたりして傷ついていく。結局、施設から追い出され、その後のグループホームでもなじめず、最後は精神病院へ。薬物療法で薬漬けになって……ともう、あまりに典型的なケースだけに、胸が苦しくなってしまう。

スティーヴィーの周囲にいる人の言葉や行動の一つひとつも胸を衝く。
交際中の彼女は少し精神遅滞がある。「(スティーヴィーといて)幸せじゃないけれど、別れたらもっとつらい」という。共依存ぎりぎりのところで寄り添っている。
スティーヴィーの妹は、虐待の連鎖を断ち切る勇気のある人。避妊治療にも懸命に取り組んでいる。親から受けた傷をすべて自分で咀嚼したうえで、なお漏らす「母のような人に(子どもが)できて、私に授からないなんて……」という言葉は重いです。
母親はどうか、といえば彼女なりに悩むのだけど、最後に頼るのが「魂の救済」で有名なナントカ教会。そのシーンには思わず「あんただけ勝手に救われんなよ!」と心でなじってしまいました。でも、教会に行くのを嫌がっていたスティーヴィーも、救いがほしくて結局洗礼を受けるのです。

スティーヴ監督とスティーヴィーの微妙な関係性の移り変わりも興味深かったです。監督が自分の母親にも取材していると知ったスティーヴィーは裏切られたと感じ、2人の仲が悪化する、なんて展開も身につまされました。逆に、いつまで経っても変わらないスティーヴィーにいらだったり憤りを感じたりするスティーヴ監督の感情の揺れ動きにも身につまされました。
最初から、カウンセラーだの精神科医だの、プロとして関わるなら、こんな時、揺れないのかもしれないし、揺れたらプロ失格なんだろう。
でも取材者はプロとはまた違う。その距離の取り方がいかに難しいか、私はリストカットの取材を随分と思い出してしまった。

そう。
この映画は、私にはとても映画としてみられなかった。
感想を求められて最初に出てきた一言は「きつかった……」でした。
公開されたらもう一回観ようと思っています。主人公や周囲の人たちの心の動き、そして自分自身の心の動き、取材者として関わっていくありよう、など、1度観ただけではとても心を整理しきることができなくて。
宿題の多い映画でした。


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プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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