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★家族の痕跡 いちばん最後に残るもの(著・斎藤環)

★家族の痕跡 いちばん最後に残るもの(著・斎藤環)

私には少々難解な本でしたが、最後の最後のほうで、斎藤氏が家族という関係について「諸悪の根元ではあるが、ほかのいかなる人間関係よりもマシな形態」と言い切っているところに、不思議な生々しさを感じ、興味深くおもいました。
マシ、という表現がいかにも清々しいですし。

また、いちばんマシ、という理由として、「人間が生存していくうえで、あるいは子どもを養育していくうえで、あるいは相互扶助し合う大義名分として、これほど機能的で一般性が高い形態はほかにない」「家族は子どもにさまざまな『欲望』を与え、またこの点が重要なのだが、欲望と同じ手続きで『規範』を、あるいは『価値観』を与えることができる。洗脳と説得以外のやり方で、つまり『教育』というやり方で、価値観を形成する手段はほかにないとすら思う」と語っています。
「相互扶助し合う大義名分」というところに、なるほどなあ、と膝を打ってしまった次第。

ということで、最終章のこの文を読む限り、これは斎藤氏の「家族」擁護論なのでしょう。

が、いきなり第一章のタイトルは「母親は『諸悪の根源』である」ですからねー。

前半で語られる「ダブルバインド」論は興味深いです。くだいて言うと、「言語によるメッセージと、態度から伝わるメッセージとは矛盾している時のコミュニケーションは逃げ場がない」ということになるのかな。特に母子密着におけるコミュニケーションは、「日本的ダブルバインド」だ、と斎藤氏は指摘してます。例えば、ひきこもる息子に「早く自立しなさい」と言いつつ我が子の生活をあいまいに支え続けること。
「否定の言葉とともに抱きしめることがいかに人を束縛するか」という斎藤氏の言葉は、なるほど、私も含め、世のお母さんたちには耳が痛いところじゃないかしら。

斎藤氏の治療経験から、身体的な暴力をともなうような虐待のほうが、ダブルバインドの矛盾をはらんでいない分、トラウマ化されやすく、だからそこから起こる症状の道のりも単純で、一方、過剰期待などの「条件付きの愛」のほうがダブルバインドの矛盾をはらんでしまう分、通常の虐待よりも複雑な症状を呈してしまう、と語っているのも興味深いです。

また、「問題のある家族から必然的に問題のある子どもが生じる」のではなく、「子どもの抱えてしまった問題というフィルターを通して、『問題ある家族』がたまたま見えてしまう」のだ、という理屈も、取材経験から共感できる部分でした。

本書の中で斎藤氏が絶賛しているマンガ「黄色い本」(高野文子)は未読。読んでみたいと思いました。

全般的には、私、半分くらいしか理解できてないとおもいます。書き下ろしではないため、本1冊としての構成をもう少し考えてくれたら読みやすかったのに、という思いも残ります。

bk1のサイトで、斎藤氏自身のレビューが読めます。「家族論を語ることは恥ずかしい」と斎藤氏が書いているのを見て、無条件にこの本に飛びついた私ですが、うーん、どこを恥じているのか全然分からないのであった。


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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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