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「あの日」という記事

先日、新聞の憂楽帳というコラム欄にこんな記事を書きました。
ここのエントリー「おめでとうばかりじゃなかったよね」の後、紆余曲折を経て、この秋から数カ月間担当することになったコラム欄にて書いた、というわけです。

色々な批判を覚悟で書いた記事ですが、予想に反して、会社に寄せられた手紙、電話、メールのほとんどが好意的なものでした。
一方、先のエントリーのほうに何通か、「命の誕生を『おめでとう』と祝福することがいけないことですか?」などの批判をいただいてます。こちらもまた、いい勉強になりました。

今回の記事で書きたかったのは、祝福の是非ではなく、「街の声」という取材についてでした。
「おめでとう」の笑顔にも、その人その人で様々な祝福の形があったろうに、それをメディアの「街の声」取材はきちんと拾うことができていただろうか、という疑問です。
これは今回のことに限らず、私自身が新聞記者になって何度も直面した問題です。

社会部時代、何度も「街の声を拾って」とデスクに言われ、行き交う人に声をかけては、短いインタビューをしたものです。
是非が問われている問題では、賛否に偏りが出ないように談話を集めました。
渋谷では若者、新橋ならサラリーマン、山村ならば農業を営む人たち……その街の典型的な談話をつい探してしまう自分がいました。
せいぜい11字詰め10行足らずの談話は、「いかにも」の記号みたいなもので、その人でなければ語れない言葉だとか、その人が本当に語りたかった言葉を、とうていすくえてはいない、と痛感し、取材するたび、考え込んでました。
「街の声」をどう報道していくのかについては、私自身、まだすっきりと答を出せていません。

また、今回の記事を書くにあたって、一番、自分の中で最後まであったモヤモヤは、「メディアの中にいる者がメディアを外側から批判するような書き方ってどうだろう」という点でした。
でも、字数に限りがあったことで、その点に言及するのはあきらめました。今回、自分なりに自分の部署で書こうと努力を重ねた末に1カ月かかってようやく文字にしたように、こちらも今後の自分の宿題にしていくしかないなあ、と踏ん切りをつけました。

「命の誕生を『おめでとう』と祝福することがいけないことですか?」などの批判については、原稿を読んでくださると分かるように、私自身はまずは新しい命の誕生に「おめでとう」と思いましたし、誰かが「おめでとう」と思うことを抑えつけるような社会は私ももちろんいやです。
祝福の色々な温度差や多様性を受容できる社会であってほしい、とも思います。
また、「薄っぺら」だと私が書いたのは、主にテレビの「街の声」の報じ方のほうで、「おめでとう」と思った方々のことではありません。

反省点を一つ。
「社会も、人間ももっと多様だよね」「メディアに身を置くものとして、できるだけ紋切り型のコメントを並べたような記事ではなく、多様な人と社会を描きたい」という思いで書いた記事の中で、「メディア」と「女たち」をひとくくりにしたのは、失敗だったな、と今読み返して思います。
短い行数の中で、それでも「ひとくくり」をできるだけ避けてどう書いていくのか。これまた私の宿題です。

色々な人が、色々な思いを守り、生きている社会であってほしいし、
それを「わかりやすい物語」に頼らず描いていきたいなあ、と。
今回の記事にさまざまな反響やご助言をいただいたことで、よりそんな思いを強くできました。
ということで、みなさま、感謝!。
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先日も書かせていただきましたが、この文章を読ませていただいても、釈然としない気持ちは、残りましたので、もう一度書かせていただきます
小国さんはメディアの伝えるいわゆる「街の声」の問題として伝えたかったということですが、どうして「街の声」の問題を取り上げる例として特定の1人の女性の妊娠と出産の問題を選んだのか
いくらでも他に適切な例はあったと思うのです

少なくとも私にはこのブログや記事を書かれた真の動機が単なる「街の声」報道の問題ではないように思えたのです
小国さんは記事やブログで報道される「街の声」との違いとしてご自分の周囲の女性の言葉を多く採り上げ、ご自分の経験も書かれておられました
ブログの方にはかなりきついご同僚の意見としてかなりきつい批判的言葉もありました

それらの意見ははむしろ批判一辺倒で、これはもう祝福の温度差とか多様性を示すというよりは、結局この紀子さまの懐妊と出産批判をなさりたかったのではないか、とさえ感じ取れました

もちろんこれは私の思い違いなのでしょう
でも、いずれにせよ「街の声」報道のあり方、温度差や多様性を考えるのに、出産に対する祝福を例にとるのはおかしいと思うのです
そもそも子供が生まれた祝福が、心からのものであろうが、おざなりな形式的なものであろうが、それを詮索するのは野暮というものです
祝福をして、あなたと他の人の祝福と温度差は、などといわれたら迷惑です
しかもこれは特定の1人の女性の出産の話ですから、その女性を傷つけることにもなりかねないのです
私が以前、紀子さまは傷つけてもいいのかと尋ねたのはそういうことです

長くなりましたが、最後に、今回のご懐妊出産に対する報道から受けた印象は、私の考えをいえば、到底小国さんのいうようにお祝い一辺倒ではなかったように思います
街の声であからさまに「雅子様がおかわいそう」というものがあったり、典範問題と絡めて批判したり、出産の時には、まるで追悼番組のような特集番組を作ったりと、まぁ、これこそ温度差と多様性ということなのでしょうが、そんなことよりも私は紀子さまはじめ秋篠宮御一家が大変お気の毒に思いました
報道というのはそんな人の心を斟酌する必要はないということなのかもしれません

長文失礼いたしました

私も勉強になりました

文章を書くって、本当に難しいことなんだなぁ、と、今回私もとてもお勉強になりました。
私は文章を書く仕事ではありませんが。
(もちろん仕事しているからレポートその他、書く機会はありますけどね。)

小国さんの記事が、「紀子さんを傷つけることになる」と何人もの方が指摘されていることは、かなりカルチャーショックでした。(実は、いまだにその意味が理解できていないのですが)そういう捉え方もあるのか、という事を知った事は、大きいかなと思います。私の日常生活では、たぶんそういう視点は一生もてないまま過ぎていた事でしょう。

誰も傷つけずに過ごす事なんて不可能だと思うけど、それでも、自分が傷つけている可能性にひとつでも多く気付けた方がいいですよね。新しい視点をいただきました。


個人的には、せっかくこれだけ「妊娠・出産」というものに注目が集まった機会に、もう少し、妊婦・産婦の大変さや、無事出産に至る事が当たり前ではないのだ、という事も世間一般に理解してもらえたら良かったのにな、という思いはあります。

芸能人の出産でも思うことですが、退院時にはきちんとスーツを着てお化粧もして記者会見。自分が出産を経験してみて、その事の大変さが身にしみますよね。

子どもが減っていて、更に人間関係も希薄になっている今の時代、身近に出産を経験した事の無い人にとっては、思いもよらない大変さがたくさんあると思います。(昔だってあったはずだけど、当たり前の事も知らない人は確実に増えていると思う。)前置胎盤という問題もあったのだから、もっと知らせる事で、世の中の妊婦さん達が少しでも周りの理解を得られやすくなったらよかったのに、と思うとちょっと残念です。一番効果がある機会だったと思うだけに。

もしかしたらそうではないのかもしれませんが、記事を読んでも、ブログを読んでも
私には今回のご出産を心から祝福してる人の文章には思えませんでした。
小国さんの『おめでとう』が、それこそ『薄っぺら』だと感じてしまいます。
いろいろな意見があるのは、いいことだと思うんです。
でも、皇室の人たちは、小国さんの様にブログで釈明することなど出来ないですよね。
マスコミの人は自分達が、強者であることを分かってほしいと思います

街の声って誰の声?

「おめでとうばかりじゃなかったよね」のほうで、もやもや感についてコメントをしたので、ここでは「街の声」についてのみ記載します。

私は報道において街の声は不必要だと思います。事実を淡々と正確に伝えることが報道の使命だと思います。
30代(女性)という肩書きの無記名&無責任な街の声には何の意義も見出せません。
新聞社としての意見は社説に、個人の意見はおたより欄に記名入りで掲載すべきと考えます。

無記名な意見を掲載したいのであれば、一定数以上のアンケート結果を掲載すべきです。街の声を装った報道側の誘導記事ではとも感じます。
「親王様の誕生をどう思いますか?」と誰が何処で誰に問いたのか?
この質問の前にどんな話題が提示されたのか、質問者の声の調子や表情はどうだったのか?
組み合わせにより、好みの答えを引き出すことが可能でしょう。

街の声で済ますのは、報道側の怠慢であるか、捏造ではないかと感じます。「街の声」といいながら、意見表明をしていませんか?

じゃー雅子様の海外静養に対しメディアでの「よかったですねー」という好意的な「街の声」は?
これだって、『よかったですね』ばかりじゃなかったよね。

「街の声」の報道に疑問を呈したつもりだと言いますが、ならばもう少し違った書き方があったはず。
小国さん、あれはどうみても紀子様のご出産にケチつけてる記事にしか読めませんよ。

KKさん。

>今回のご懐妊出産に対する報道から受けた印象は、私の考えをいえば、到底小国さ
>んのいうようにお祝い一辺倒ではなかったように思います

この点、どんなメディアに触れるかにもよるのでしょうが、なるほど、色々な感じ方をされた人がいたようですね。私も勉強になりました。

A子さん。

>個人的には、せっかくこれだけ「妊娠・出産」というものに注目が集まった機会に、
>もう少し、妊婦・産婦の大変さや、無事出産に至る事が当たり前ではないのだ、
>という事も世間一般に理解してもらえたら良かったのにな、という思いはあります。

なるほど。そうですよね。
確かに、妊娠・出産絡みのニュースがここまで老若男女の受け手に届く事例も、なかなかないですものね。貴重な視点、いただきました。感謝。

匿名投稿者さん。

>記事を読んでも、ブログを読んでも
>私には今回のご出産を心から祝福してる人の文章には思えませんでした。

何度も書いているように、おめでとう、と思いましたよ。

R子さん。

「街の声」は不要、というご意見、よくわかります。
私もテレビの一視聴者としては、いつもそう思ってしまうほうなので。
「街の声」報道はメディアの怠慢……そういった面もあると思います。
ねつ造はしませんが、「世論誘導」みたいな危うさを感じることがあります。

ダンさん。

>じゃー雅子様の海外静養に対しメディアでの
>「よかったですねー」という好意的な「街の声」は?
>これだって、『よかったですね』ばかりじゃなかったよね。

雅子さんの海外静養ニュースの「街の声」報道というのは、ちゃんと観てないのですが、どんなテーマであっても、「よかったですねー」一色の「街の声」報道よりは、「よかったですねー」だけでは済まない人々の思いをも拾い上げる報道のほうが、私は好きです。
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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