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「おめでとう」ばかりじゃなかったよね

名前が決まったね。
悠仁くんだってね。
もちろん、新しい命の誕生は、素晴らしいこと。
それが誰であっても、いつも素直に「おめでとう」と言える自分でいたい。
だから、本当におめでとう。
この世にようこそ。

けど。
彼が産まれた日の報道はなんかやっぱり変だったよな。
私はNHKしか見てなかったけど、愛育病院の病室の見取り図がニュースに出てきた時は、「すわ、発砲事件か」と思った。だって、テレビニュースに病院の見取り図が出るなんて、それこそ殺人事件やら発砲事件でもない限り、まずありえないもん。

そして、「ご出産」のテロップ。

あとはもう、「おめでとう!」の嵐。
サラリーマンが、おばさんが、子連れの若い母親が、若者が、とにかく「おめでとう! おめでとう!」と我がことのようにうれしがっている。

ところが私の周囲はそうでもないんだ。
会社に行けば、「なんかさー、男子男子男子って、ニュース見てるだけで気が重くなったから、ちょっとふけるね」といつもは元気印の同僚女性がトボトボと出て行ってしまうし。
「雅子さん、大丈夫かなあ」というトピックのほうにこだわる人も多いし。跡継ぎプレッシャーの中で娘を生み続け、夫実家に嫌味を言われた、なんて人もいるし。

20060913233119.jpg


私自身は?といえば、黄体ホルモンの不足ゆえ、なかなか妊娠できない体質に生まれつき、「普通の妊娠は無理です」と医者に通告されたこともある身としては、自分でも情けないけど、やっぱり、思ってしまう。

「結局、産める女が強いのかよ。ちぇっ。私ももう一人、産みたかったなあ……」

私の周囲は圧倒的にママ仲間が多いから、こんな感じだけれど、産んでない女性たちは女性たちで、思うところもあったんじゃないだろうか。

でも、テレビの中の「日本」はお祝いの嵐。
バンザイバンザイ。
不思議だなあ。
だって私の周囲は全然「おめでとう!」一色じゃないよ。

一人ひとり色々な思いを抱えながら、複雑な気持ちと向かい合いながら、それでも、小さな一つの命には「おめでとう」と素直に語りかけたいとも願い……。
そんな女たちの思いを一つひとつすくい上げる報道があったっていいんじゃないだろうか。
そう思わずにいられなかった。

で、先日の編集会議。
とりあえず、「『おめでとう』ばかりじゃなかったよね」という極めてソフトタッチなタイトルで企画案を出してみた。
「テレビの中の空気と、私の周囲の空気が、あまりに乖離してます。その間をうめる記事を書きたい。声なき声をすくい上げたい。出産当日ならともかく、少し日をおいた今ならそれが書けると思う。命の誕生に『おめでとう』という気持ちを大切にしながらでも、それは書けると思う」と。

でも今回のプレゼンは、どうも思いを伝えることに重点を置きすぎたらしい。もうちょっと具体的な記事の構成とかコンセプトなんかを説明していたら、案外、うちの編集局ではあっさりと企画が通った気もするんだけど。
ちくしょー、今回は誰のせいでもない、私の力不足。
出直すぜ。

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あっ。これかぁ

新しい命の誕生を見て
なんか、「切ない」って気持ちもあって
それは、私だけが物事を斜めに見てるせいかなぁって思ってました。
みんな喜んでるのに、喜べない私。
私の持って生まれた「ひねくれ根性」のせいかなぁって。

でも、そればかりではなくて「めでたいじゃないか」って言いたい気持ちもあって。
(ここらへんは大人になったなぁっても自分で思うんですけど)

なんかもやもやしてたんです。

こうやって言葉にしてもらえると、すぅって心に入ってきて整理して考えることができて。
ちょっとすっきりした気分♪

まったく同感

いつもブログを読んでますが、今回は、書きたくなりました。
まったく、同感するから。


「男子、男子、おめでとう!」に、何だ、日本はまったく変わっていないんだ、と。
キコ様の妊娠がわかるやいなや、皇室典範の改正を棚上げした首相。
正直、この時から、私は、今回の妊娠がおもしろくなかった。

昨日、ノルウェーの男女平等にかかわる施策や法律の仕事をしたこともあり、なおさら、日本の現実が悲しくなる。

雅子様と年齢が一つ違い。不妊治療の末、雅子様より少し早く、女の子を授かったこともあるのか、今回の騒動には、違和感を感じてる。

「おめでとう、おめでとう」、で片付かないよう、おぐにさんには、ぜひ記事を書いて欲しい。

以前、英字新聞で記者の経験がある人間としても、ぜひ、期待します。

確かに…


編集会議お疲れ様でした。残念でしたね。次頑張ってください!!(>_<)

確かに一つの命が生まれたことはとても「おめでたい」こと。でも、それが「皇族」の「男児」だから「おめでたい」っていうのは、間違ってる気がします。

賛否両論になるかもしれませんが、私は、この悠仁君報道バブルを見ていると、少し食傷気味になります。

性格がひねくれてるせいですかな?

おぐにさん、はじめまして。おぐにさんにはお会いしたことがないのですが、某畑の会員として、岩室先生と一緒に働いていたこともあるものとして、一度お会いしたいなあと思っています。

ところで、
今回の報道について、というか、あまりに絶妙な妊娠出産について、
ずっと違和感を感じていました。
「結局、産める女が強いのかよ、ちぇっ」とは、まさに私の気持ちだったんだと、膝を打ちましたね。
そして
あまりにも単純な、「男子」大歓迎ムード。これで皇室は安泰??
あと40年たったら、皇族は彼一人になってしまう(いいけど)事に、気づかないふりをしているのかしら。
それはともかく、この違和感の正体を、ぜひ、おぐにさんの取材と筆で、すっきり描き出してください。
企画、楽しみにしています。

世の中にはそうでない方もいらっしゃるのに…
雅子妃の言葉です。
そうでない方と言われた人たちの気持ちを垣間見た思いです。
でも、みなさん。あなたがたがこれからまおしくはこれまでに妊娠、出産なさったとき、
義理の姉妹が、近隣の奥さんが、すれちがった通行人が、あなたのことを
「妊娠なんてしやがって」「ちぇっ」「おめでとうには違和感」って思いながら眺めていたら、
みなさんはどんなお気持ち?
男子だからではなく、皇室だからでもなく、生命の誕生はひかりのさすような嬉しい慶事。それを誹るような精神状態…。
わたしはそんな気持ちをみじんも持たなかった自分自身を嬉しく思います。
世の中にはそうでないかたもいらっしゃるのに。

毎日のサイトで、憂楽帳を読み、ここに来させていただきました
小国さんのようなかかれたような意見はことはいくつかのブログでも見かけたような気がします
それらに対してどうしてもいくつかの疑問を持たざるを得ません
一つには男児であれ、女児であれ、子供が生まれたことを素直に喜ぶのはいけないことなのか?
確かに世の中には不妊や男児ができないこと、あるいはその逆で女児ができないことに悩んでいる方は多いのでしょうし、その心中は他人にはわからないものがあるのかもしれなせん
だけど子供が生まれたとき、その人たちに気を遣って仏頂面をしていなくてはならないのでしょうか
小国さんがお子さんを生んだとき、「ちっともめでたくない」といった人がいましたか?

もう一つは紀子さまはいくら傷つけ、中傷してもいいのかということです
雅子さまが「おかわいそう」だから子供なんか生むな 、次男の嫁のくせにというようなことをどうして平気で言うのかということです
親王が生まれたおり陛下の述べられ感想の中に「さまざまな心労を重ねた10ヶ月であったと思いますが、秋篠宮夫妻がそのすべてを静かに耐え」というくだりがありました
紀子さまはいつもにこやかに公務育児に励んでおられますが、今回の懐妊出産に対する
批判や中傷も含め(女性誌や一部手テレビで雅子さま擁護とからめ露骨でした)今までたくさん辛い思いもされてきたのだと思います
それでもおめでとうとはいわず「めでたくない」というべきなのでしょうか

長くなってしまいましたが、小国さんはテレビの中とと周辺の乖離をかかれたように、私も小国さんと私の考え方の乖離を書かせていただきました

>ところが私の周囲はそうでもないんだ。
>会社に行けば、「なんかさー、男子男子男子って、
>ニュース見てるだけで気が重くなったから、ちょっとふけるね」
>といつもは元気印の同僚女性がトボトボと出て行ってしまうし。
>「雅子さん、大丈夫かなあ」というトピックのほうにこだわる人も多いし。
>跡継ぎプレッシャーの中で娘を生み続け、
>夫実家に嫌味を言われた、なんて人もいるし。

小国綾子の周りには、とても同じ女性とは思えない
酷い人がいっぽいるってことでしょう。
小国綾子は記者なのに、公平さがないのですね。
雅子さんだけ気を使って「大丈夫?、大丈夫?」と記事を書いて、
上の投稿者も書いてるけど、紀子さまはいくら傷つけ、

単なるコメント

小国さん。毎日のサイトを読ませていただきました。
自分は数度流産して、子供は今もいませんし、小国さんのなさったような経験を具体的には申し上げませんが、私もしてきたことがあると思います。
このたびの紀子様のご出産は自分のこと以上にうれしかったです。
あなたの記事を読んで、あなた様の周りの方々、あなたご本人に哀れみを感じます。そして大変不愉快に思いました。あなたの記事を読んで不妊治療をしたことのある女性みんながあなたのように感じるかのように思う読者もいるのではないでしょうか。そう思わせようとしているのですか。あなたはお子様もいるというのに、うえから雅子様のことを見て哀れんでいるようなコメントすら書かれています。一体何様なんでしょうか。あなた様の職場の方々もみなさんそのようですね。変わった職場の方々と毎日お仕事されているのですから、考え方が偏るのも当然なのかもしれませんね。もっと他の世界もごらんになったほうがいいですよ。

どの新聞社ですか?

こんばんは、初めまして。
丙午とは3歳違いの酉年生まれの女です。
37歳で子供はありません、結婚して15年になります。
黄体ホルモンも異常はありませんが、どうやら旦那の種が自分の体には
異質になるらしく「相性」の違いで子供が出来ません。

ですが、私の周りの不妊ママも「雅子様の気持ちは如何なんだろう」とか
産んだもの勝ちだよね、なんて事を言う人は一人も居ませんでした。
オメデトウ、本当に良かった。としか思えません。
不妊治療を体験した自分からすれば、前置胎盤で命がけで産んだキコ妃に対して
命がけで不妊治療をしている自分や周りは「本当に無事で良かった」との感想しか
出ませんでした。私の周りが間違っているのですか?私が変ですか?
産めないからこそ、産まれてきた命に純粋に感動するのは変ですか?
不妊だから、産んだ人に対してねたみを持たないと駄目なのでしょうか?

そうなら、愛子様を授かっている雅子様も3人のお子さんの母のキコ様も妬ましく
思わないとオカシイですよね。
あなたが勤めている新聞社が、あなたの思うようなプレゼンが通って、それが記事になっていたら私は辛くて泣いていたでしょう。

もし人を思う気持ちがあるなら、どうか周りを見てください。
特に、ジャーナリストなら人を傷つけない中立な記事を書くようにして下さい。
これ以上、マスコミを信用出来なくなる様な記事を書くのを止めてください.
産む、産まない、新しい命、そんな生命の根源に勝手なレッテルを貼るのは止めてください。

私も記事を読み、書かずにはいられず、書かせてもらいます。
記事の中に、「なかなか妊娠できず病院に通った日々の切なさがよみがえり」
とかかれていましたが、今あなたの記事によって、
紀子様が切ない思いをし傷つかれたのではないですか?
そしてきっと雅子様をも傷つけてしまうのではないですか?
人からかわいそうだと、哀れみを持って見られていると、知りたくはないでしょう。
私には、あなたみたいな意見を持つ人達こそが、かわいそうで哀れな人だと思いますよ。
きっと小国さんの周りにいる人達は、小国さん自身の妊娠、子供の誕生も
上辺だけの薄っぺらんな祝福しかしないような人達でしょうね。
紀子様、雅子様がこの記事を読まれることがないように願うだけです。

もし女の子だったら

産まれてくる子どもは、心から祝福してあげたい。男でも女でも。

でも、今回、もし事前の予想を裏切って女の子だったら、誰か小さい声で呟かなかっただろうか「また女か・・・」そしてしょうがい児を持つ母を身近に持つ身としては、そこにもドキドキしてしまった。

何よりも引っかかっているのは、そこ。本当に無事で男子で良かったと思わざるを得ない現実。子どもの誕生を喜ぶだけではなく、女の子ではなく、しょうがい児でもなかったことでほっとしてしまう自分。女の子でもしょうがい児でも同じくらいお祝いムードになっていたと確信できていれば、こんな切ない思いはしなかったはず。

そういうものがちっとも変わっていないことが実感されてしまったから、ちょっと悲しかったのだと思う。

みなさんは、親王様が女の子でもしょうがい児でも大きな声で心から喜べましたか?メディアも妙な沈黙に陥ったりせず、「めでたいことはめでたい」と言えたでしょうか。

それであればこの国は何の心配もないと思うのです。

憂楽帳

私も毎日のサイトで、憂楽帳を読み、ここに来させていただきました。
女の子でも男の子でも障害があろうがなかろうが
赤ちゃんの誕生はおめでたいことだと思います。
私は結婚10年で子供もおりませんが、今回の事は
素直に「おめでとうございます!」と思いましたよ。
こういう記事を書く事で紀子様はもちろんの事、雅子様をも
傷つけてるとは思いませんか?
こういう発想しかできない人に
教育やらなんたらを語ってほしくありません。

性別も、障碍の有無も、生まれてくる子供の全てを受け入れたいというのが秋篠宮ご夫妻の考えだったという報道を目にしましたよ。
学生時代から手話を習っている紀子さん。これまでにも様々な施設や催しで、国民に心を寄せている姿が見られました。幼少時義務教育の時代を英語圏、ドイツ語圏で過ごし、帰国子女の生きていく難しさもご存知でしょう。(雅子さんは小1から高校2年まで日本にいらっしゃいましたけれど) また、公務と子育ての傍らで大学院に通い、心理学の修士資格を取られました。確かに紀子さんは、精神的に強いしなやかな人なのかもしれません。でも、そんな人はいくら努力していても、貶めていい対象となるのでしょうか?心を病んでいない人に苦しさはわからない、だからどんないわれのない罵詈雑言を浴びせかけても平気でしょ?だって、雅子さんも私たちも弱者なんだから!というのが小国さんのスタンスなのですか?
弱いのだから、病気なのだから…。もちろん、周りがやさしい心遣いをこころがけるのはいいことであると思います。でも、その人のそばに存在する人は幸せになってはいけないのですか?そのひとと同様に苦しんで苦しんで、気をつかって耐え忍んで、そしてその人をこの先も支えながら微笑んで働き続けなければならないのですか?
これから雅子さんに男子が恵まれたとき、小国さんはやはり「おめでたいなんて違和感」とか、「みんなよろこんでなかったよね」と新聞記事に書くことができますか?
現皇室典範下では、秋篠宮家にも男子の跡継ぎが必要です。東宮家に男子が生まれれば、秋篠宮家の新親王は藩屏としてその男子を支えていく存在となるでしょう。
親族に赤ちゃんが生まれるのは素直に嬉しいと思いませんか?小国さんご自身の息子さんの笑顔を見ていて、「この子が生まれたことで嫌な気持ちになった人がいる」「この子を生むなんて○○さんにとって酷いことをしてしまった」とお考えになりますか?

いろんな意見があることを認めることが大切

このたくさんの皆さんの書き込みを見て思ったのが、
やはり「いろんな意見がある」ということです。
私も私なりに思うことはありますが、大切なのは、
「思想信条の自由」の保証された国に生きていることの幸せ、だと思いました。

「ある一つの考え方」しか許されない、これは言論統制、ファシズムへの道かと思います。

私自身は、あのばか騒ぎの報道を、とくにNHKの報道に「おかしさ、危険さ」を感じました。
そのことが「言える」ことが大切かと思います。


上で書き足りなかったところを、もう一つ。
私自身は、あのばか騒ぎの報道、とくにNHKの朝の報道に「おかしさ、気持ち悪さ、言論統制(反対意見を封じている)」を感じました。
「気持ち悪い」と思ったら、そのことが「言える」社会であることが大切かと思います。
また、そのことをプロとして実践していくのがジャーナリストの仕事の一つだとも思っています。

雅子妃はご病気だからしょうがない、妃殿下を批判することは悪。
TDLを部分貸し切りで遊び、予定をオーバーしてご滞在されるのも妃殿下のためになるなら是。終戦記念日にテニス、日本赤十字総会を体調不良で欠席してテニス、お祖父さまの訃報を聞いた当日もテニス、喪中であっても世界ランキング1位のテニス選手は接待。歌会始体調不良で欠席し乗馬。他国の皇太子の東宮訪問にご対面はできずとも同じ日に人込みの恐竜博は行ける。それもこれもご病気の雅子さまのお心のままになさるのが是。
私自身は、この一連の雅子妃の行動と、おかわいそうだから、ご病気だからとすべてを容認するのが当然だというマスコミの風潮に「おかしさ、気持ち悪さ、言論統制(反対意見を封じている)」を感じています。
「気持ち悪い」と思ったら、そのことが「言える」社会であることが大切だと、あなた同様、私も本当に心からそう思います。
また、そのことをプロとして実践していくジャーナリストのお仕事をどうぞ広い視野に立って、偏狭な拘りを持つことなく(もちろん信念はもって)おつとめ下さいませ。

たくさんのコメント、ありがとうございました。
今さっき、コメントに対するお返事も兼ねて、新しく今回の記事についてのエントリーをアップしました。
今回のことでは、すっごく勉強になりました。感謝です。

異なる意見に耳を傾けたい

記事に対する批判を書かれている方のコメントは確かに正論です。
が、自分以外の人が自分と異なる感情を持つことに対して、もう少し寛容さがあってもよいのにと思わずにはいられません。
「おめでとう」以外の感情が湧いてしまうことは罪悪なのでしょうね?
さまざまなブログを見て、批判するのは簡単なことだけれど、異なる感情、異なる意見に耳を傾けるのは難しいことなのだと、常々感じています。

私自身は、無事出産のニュースを知った時、「あ~、よかった」と喜びました。
この「おめでとう」の感情だけが心に満ちたなら、私はどんなに幸せなことだったでしょう。でも、悲しいかな、もやもやしたものを感じてしまいました。よからぬ感情が湧き起こった私は非難されるべき人間なのでしょうね。

もやもや感は複合要因により発生するものと考えますが、私自身のもやもや感の主因は2つに大別できると思います。
ひとつは、「私も子どもが欲しい!」という欲望に基づくもので、、母性に起因しています。
私自身はできることなら4人でも5人でも子どもを授かりたいと願っています。まだ存在しない子ども達と会えぬ悲しみがもやもやの発生源なのだと思います。
友人知人の出産の際も今回も、心から「おめでとう」と思います。でも、もやもや感が沸き起こるのです。情けなさとぼんやりした悲しみでなんだか涙ぐんでしまいます。
このもやもや感はある程度の年齢になれば治まるものなのでしょうか?
心穏やかに受け止められる日が来ることを心から祈っています。

もうひとつのもやもや感は、あからさまな男尊女卑に対するものです。
誕生する子どもの性別の有無よりも、女である自分の存在を否定されることに、もやもやというより嫌悪感を抱きます。いわば、愛子さまの立場同様、女の子として生まれたことに起因しています。

さまざまな媒体で雅子様派と紀子様派が対立するような記事が見られますが、私は、どちらがかわいそうなのではなく、どちらも同じ問題に苦しめられていると考えています。
どちらも、素敵な女性であり、かわいいお子さんを授かっているのにも関わらず、結婚以来、「男児を生め!」と有言無言の圧力をかけ続けられ、心穏やかに幸せな時を過ごせずいるのではないでしょうか?
年齢、家族構成、職業等々、さまざまな要因によって、それぞれの立ち位置がことなるため、同じ問題として認識しにくいけれど、雅子様派と紀子様派が対立するようにしむけ、巧みに、眼を逸らさせているのではないと感じます。
女の敵は女にしておけば、安泰なのは誰なのでしょうか?問題の本質をよくよく考えたいと思います。

おぐにさんの今後の記事を楽しみにしています。
希望としては、さまざまな要因に基づくもやもや感を整理しながら、話をすすめていただきたいと思います。

R子さん。

貴重なご指摘、感謝です。

>どちらも、素敵な女性であり、かわいいお子さんを授かっているのにも関わらず、結婚以来、
>「男児を生め!」と有言無言の圧力をかけ続けられ、心穏やかに幸せな時を過ごせずいる
>のではないでしょうか?

そうですよね。
今回、駅売りの夕刊紙の宣伝文句の写真をこのエントリーに掲載してしまったのも、「紀子さん」や「出産」の文字よりも「男子」の字が目立つ風景に、気が滅入ったからでもあります。
「男子」ということがニュースだということはわかるけれど、むしろ「出産」のほうを祝福しようよ、と。

>希望としては、さまざまな要因に基づくもやもや感を整理しながら、
>話をすすめていただきたいと思います。

すみません!
努力しているんですけれど。「もやもや感」を言葉に言い表せないことが多くて、何度も言葉を替えて書き連ねているうちに見えてくるものを探している感じです。



別に心の中でおめでたいと思わなくともいいし、友達とあれやこれやおしゃべりしてもいいんだと思うんですよ
おめでとうという言葉の裏の温度差があることなんて当たり前だし、そんなこと誰でもわかっています
ただ、姑に嫌味いわれるとか、生んだものの勝ちだということをメディアを通して公にしてどうするんだよと思うのです
それは画面や紙面を通して紀子様にも直接伝わる可能性は高いのです
だから結局紀子様に対して面と向かって直接
「お前のせいで姑に嫌味を言われるじゃないか、どうしてくれる」
「雅子さまがかわいそうだから、お前なんか子供生むなよ」
「男児生みやがってムカツク」
と罵倒するのと同じことなのです。

ここで多くの方が紀子さまは傷つけていいのかという意見を書いていらっしゃいますが、どうやらそんな意見を書く意味がおわかりではなかったようですので、あえてちょっとオーバーな表現になりました
でも本質はその通りではないですか?
男尊女卑だの男女平等だのはあとづけの言い訳ではないですか?


前の方の意見で「女の敵は女にしておくと安泰なのは誰か」という意見がありましたが、安泰はともかく女の敵は女だと決め付けているのは、どうやら女のようですね

かなり辛らつな意見になってもうしわけありませんが、どうも批判する意見とそれに対する
お答え(小国さんに同調する意見も含め)がかみ合っていないという気がしましたので、ストレートな表現にしてみました
プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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