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★渋谷 (著・藤原新也)

★渋谷 (著・藤原新也)

最初の手に取った時、装丁を見て「あ、鈴木成一デザイン室だ」と思った。「渋谷」にもあえて、「白」を持ってきたんだなあ、としみじみ。

渋谷を舞台にした、2人の少女と1人の元少女の物語。
彼女たちの言葉のかけらの一つひとつが、自分自身が女の子たちのインタビューの中で掬い上げたことのある言葉だったりして、過去に取材した何人かの女の子たちを思い返してしまいました。

「私をさがして」とかね。

しかし、写真とは、写真を撮るとはすごいもんだなあ、と思った。
例えば藤原さんのこんな文章。

シャッター音は僕の声と同じなんだ。
それでいいよってエミの今ある心の状態を肯定してあげた声なんだね。
僕は何度も何度もエミの一瞬一瞬にOKを出した。
(中略)
撮影が終わるとエミは目に涙をためていた。
それは面接したあのときのような冷たい涙じゃなかった。
なぜだろう。
ときどきそういうことがあるんだ。
ただ撮っただけなのに涙が出てくる。
不思議だよね。
だけど薄々僕は感じている。
たぶんそこに心が生まれたからじゃないかって。


これを読んだ10代、20代の少女や若い女性は(特に私が取材してきたような少女たちは)、絶対に思っちゃうだろうな。
「ああ、私も藤原さんに撮ってほしい……」って。
この文章を読んだ時の私の感想は、なんというか「まいったなあ」だった。

144ページ目に、「眼で見る」は「現実肯定だ」という話が出てくる。でも「眼で肯定した現実を思考に戻した」瞬間に、醜悪な現実となって襲ってくることがある、と。
そしてアフリカのある光景を例示する。

広大な芝生、庭園。赤や黄に輝くカンナの花。青空。白い雲。楽園のような光景に藤原氏がシャッターを押した瞬間、裸のマサイ族の人達が現れ、白人の神父が見守る中、地べたをはいずるように雑草を抜き始める。
「労働搾取によって成り立つ支配者の悦楽」を目の当たりにした藤原氏はいったん、「眼(天国)と思考(地獄)」に引き裂かれ、しかし、「カンナの花の輝きは白人神父のものでもなければ、マサイ族のものでもなければ私のものでもない」という思考に至り、最後にこう書く。

私はシャッターを押したことを悔いなかった。

私は写真を撮らないけれど、誰かをインタビューする時に、似たような感覚に陥ることがあるので、ドキッとした。でもきっと、カメラの眼はきっと、撮られる側はより明確に、撮り手の「肯定」を伝えられるのかもしれないなあ。
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全東洋街道 下 (2) (集英社文庫 153B)

チベット山獄寺では家畜用の餌の様なフスマ(チベット僧の主食である粗末な食べ物)を喰らい、ビルマでは金色塔から発せられる電波によって黄金の催眠術に身を浸し、上海では上海蟹の惨劇に遭遇・・・。全東洋街道道中での日々の中で語られる人間模様。国籍・歴史・境遇・・

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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