スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

★包帯クラブ(著・天童荒太)

★包帯クラブ(著・天童荒太)

傷ついた場所に包帯を巻いていく。
ここに確かに傷があり、血が流れたのだということを確認するために。
傷を傷とみとめてあげるために。
包帯を巻いた光景を見ると、なぜか癒されていくという。
まさに、リストカット的世界ではあります。

主人公は16歳の女の子。両親が離婚て以来、彼女が自分について抱く将来像は、「年齢だけは大人になり、中身のない何人かの男とHして、もういか、焦るのもみっともないしって年頃で結婚し、最初は子どもも可愛いけど、だんだん言うことをきかないからキーキー言って、旦那が若い女を作ったから離婚して、やっぱり子どもは可愛いから引き取って、ひとりで育てるのは大変で、苦労して働いて、子どもらにかわいそうだから許してやろうなんて思われて、どんどん年とっていくんかなぁ……」なのである。

この小説、今どきの若者の風俗を詰め込みすぎなくらい詰め込んでいるし、おまけに、くどくうざったいほど説明調過ぎる。思春期の読者向けの「ちくまプリマー新書」と思えば許せるけれど、でもやっぱり、鼻にはつきます。

若者の間では地方の方言を会話に織り交ぜるのがはやっているとなれば、小説でも、主人公とその仲間に方言で会話をさせ、その理由をわざわざ主人公たちに「決まった場所のものでもない言葉を使うことで、決まった場所に属している住人になりたくない」と説明させる。

主人公に「わたしたちは明確な動機とか理由を失っている」と語らせ、若い子が殺人や自殺をするたびに動機探しをするテレビや新聞に対し、「だれもが納得するような立派な理由があって、みんな行動してんのかな」とも語らせる。
ちょっとありがち。

包帯と傷についても。
「わたしは、包帯を巻いて心が軽くなるのは、傷が治ったわけじゃなく、<わたしは、ここで傷を受けたんだ>と自覚することができ、自分以外の人からも、<それは傷だよ>って認めてもらえたことで、ほっとするんじゃないかと思った」と主人公に、説明過剰なほど説明させる。

そもそも、ここまで言語化できる16歳なら、そこまで悩まないぞ。
包帯を巻くのだって、どうしようもない苦しい思いに「傷」という名前を与えてやる行為なわけで、悩みや思いを言語化できないから、包帯という形あるものに頼るしかないわけなのに。

とまあ、説明過剰のあれこれが鼻につく部分はありますが。
それでもなお、興味深く読めたのは、主人公たちが、「包帯を巻いて傷を癒す」という行為だけに埋没せず、そこからたくさんのことを学び取っていくからです。

包帯を巻いて傷を癒す、という行為自体は、リストカットなどの自傷行為ととても似通っているけれど、大きな違いがいくつもある。

それは、主人公たちは一人じゃないということ。
仲間と包帯を巻く。
包帯を巻き合う仲間がいる、ということ。
それから、彼らは誰かほかの人のためにも包帯を巻く、という行為をしようとしたこと。おさないなりに、他人の心の傷を癒したいと行動したこと。

だから、主人公はある時、ちゃんと思い至るんだ。

「わたしって傲慢だ。傷つくのは自分だけ、傷つけて苦しむのはわたしだけ、知らぬ間にそんな風に思っていたところがある」

「(包帯は)すべての傷に効くとは、いまはまだ思えない。ほかの子も、すべての傷を人に明かすわけじゃないと思う。それにはまた別の勇気が必要で、お互いのあいだに別の信頼も要るように思えた。そしてきっとそんな勇気や信頼は、自分ひとりで治した傷をいっぱい持ってなきゃだめなんじゃないかって気がした。孤独のなかで、じっとかさぶたができるのを待った傷……その傷痕の多さが、これまでとは別の勇気、別の信頼を、だれかとのあいだに持てる可能性を、あたえてくれるんじゃないかって」

「自分以外の人の、どうして傷ついたかという話は、わたしたちの世界を広げてくれる。自分が一番傷つきやすく、一番繊細だって、知らないうちに自己チュー、高ピーになっていた内面のこわばりを、人々の傷や痛みが、いつのまにかほぐしてくれる」

一人ぼっちで自傷している限り、この回路にはなかなか乗れない。
自傷をやめるきっかけとして、あたらしい場所、あたらしい環境、あたらしい人間関係が必要というのも、こういうことなのだろう。

筆者の天童さんが、思春期の子どもたち向けに書いたこの小説を、ここまで説明過多にしてしまったのは、やはり、どうしてもこのことを子どもたちに伝えたかったからなんだろう、と思った。

でも、「この小説はおとぎ話だからね」と若い読者に伝えておきたい気はしてしまう。この小説を読んで、今苦しんでる多くの子が間違いなく「私もこんな仲間がほしい」と思うだろうから。
そして、主人公たちと同じように自分の「傷」をぶちまけて、ぶちまけ続けて、目の前の現実の友人がそれを十分に受け止めてくれなかったら、「本当の友達はどこにいるの?」という回路に落ち込んでいく。
でもね、良く読んでごらん。
この小説の登場人物たちは、友だちとの距離感をきちんと保ち、一人で癒すべき傷は一人で引き受けてる。自分を丸ごと受け止めてくれる相手を探そうなんて少しもしてないんだよね。

本題とはそれるけど、この主人公の女の子、高いところに昇るのが好きだ。高いところに昇りたくなる理由は「わたしがいま立っているところを目にして、これから先、自分には本当に居場所があるのかどうか確かめたく」なるからだ。
これは、なるほど、と思った。

何を隠そう、私はこの年にしてなお、高いところを見れば全部昇りたくなるタイプ。特に高校、大学時代はその傾向が顕著で、確か大学生活初日の自己紹介の時に、「高いところに昇るのが好きです。とりあえず、大学で一番高そうなあの時計台の上に昇りたいと思ってます」としゃべったら、そこにいた先輩学生たちの爆笑(失笑?)をかった。
あとで聞いたら、時計台を占拠しようとした学生が警察に捕まった、なんて出来事の後だったからだそうだ。
それからしばらく、「時計台に昇ると宣言した女の子」といわれ続けた。
なぜ、高いところに昇りたかったのか。
うーん。
「居場所を確かめるため?」
違う違う。
単に、やっぱり、高いところって気持ちいいじゃん。
この仕事を始めて、一度だけ取材用のヘリコプターに乗ったことがあるけど、実は今でも「もう一度乗るまでは会社を辞めないぞ」と密かに思っているのである。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント


>でも、「この小説はおとぎ話だからね」と若い読者に伝えておきたい気はしてしまう。この小説を読んで、今苦しんでる多くの子が間違いなく「私もこんな仲間がほしい」と思うだろうから。
そして、主人公たちと同じように自分の「傷」をぶちまけて、ぶちまけ続けて、目の前の現実の友人がそれを十分に受け止めてくれなかったら、「本当の友達はどこにいるの?」という回路に落ち込んでいく。
でもね、良く読んでごらん。
この小説の登場人物たちは、友だちとの距離感をきちんと保ち、一人で癒すべき傷は一人で引き受けてる。自分を丸ごと受け止めてくれる相手を探そうなんて少しもしてないんだよね。



なんかいままでずっと、この答え(?)を探していたような気がします。
大人になるということの中にある言葉だなと、おぐにさまの言葉にリアルを感じました。
この小説はこの間少し立ち読みしたのですが、面白い反面なーんかなあ(この歳の子そんなこと言わないよ、みたいな)と思っていました。
現実の大人の人の感想にこそ、なんだか得られるものがあるように思えました。
うん、小説は小説で嘘だから。
おぐにさまの現実的なツッコミの方がメッセージ性あるかと思いました。


ところで、おぐにさまのおもいでがなんか悔しいな(笑)

みちさん。

若いころ、小説の世界にあこがれて、しばらく戻ってこられない、という体験をした人は決して少なくないと思います。小説の中の冒険や、青春にあこがれているうちは良いですが、小説の中に登場するような友人がほしい、人間関係がほしい、というのは無理がある気がします。
小説から大切なメッセージを得ることはとても多いけれど、小説そのものの人間関係を得る、というのは不可能だと思ったほうがいい気がします。
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
RSSリンクの表示
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。