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読書日記7〜10月・中

エントリー「中」は、たぶん、8月あたりに読んだ本です。
イチオシ!は、「大陸へ アメリカと中国の現在を日本語で書く」著・リービ英雄。


■謎解きはディナーのあとで(東川篤哉)
 あんまりだ。
 本屋大賞だというし、アメリカにいた間に流行った本を一応読まなきゃ、と図書館で予約したら、順番が回ってくるまでに、真面目な話、1年かかったのだ。1年待った本がこれかよ。
 結局、4分の1も読めなかった。あまりにつまらなく、薄っぺらで。書店員さん、本当にこれがあなたの売りたい本なのですか。
 なんというか、45分で犯人のつかまるテレビドラマの脚本以前のアイデア書き、って感じ。なぜこれが売れるのか、さっぱり分からない。

■春から夏、やがて冬(歌野晶午)

 図書館で借りたため、本の帯もなく、謳い文句も知らず、おまけに、この著者がかの有名な「葉桜」の人だということも完璧に失念し、なんの先入観もないまま読めたのは、よかった。まあまあ楽しめました。でも、ちょっと設定に無理があるかな。

■毒婦 木嶋佳苗100日裁判傍聴記(北原みのり)
 話題作、ですね。佐高さんの作品と比較し、「女性だから書けた」などとよくいわれる本ですが、女性なら誰でも書けたかといえば違うと思いました。女性性にこだわり続けてこられた北原さんならではの視点、切り口、思い入れ、たくさんありました。女性だから、ではなく、北原さんだから、書けた作品だと思います。

 「毒婦は諸刃の剣だ。性的魅力のある女は愛され、ない女は女としてみなされないが、セックスを売ったり、性的魅力で男を利用したりする女は容赦なく侮蔑され、激しく憎まれる。女は、毒婦のように魅力的であれ、しかし毒婦にはなるなと、言われ続けているようなものだ。そんなことを、佳苗の裁判を通して感じた」(198ページ)

 こりゃ、絶対に私には感じ取れない視点だなあ、と痛感。

 この事件が「新しかった」のは、木嶋被告の背後に、彼女とにた女の子たちがたくさんいたからだ、と北原さんは指摘する。男へのいらだち、男へのドライさ、を挙げる。高年収の男性と結婚することを目指す「新・専業主婦」と、援助交際する女の子との狭間で、女としての魅力を最大限に利用し、男たちと交渉し続けた、とも。
 売春=自分を大切にしない行為、という図式とも違っていた、という指摘は面白い。木嶋被告は最初から最後まで自分を大切にし続けた、というのだ。

 そんなわけで、大変興味深く読んだ作品でしたが、この作品のあとがきで、木嶋被告が朝日新聞に長文の手記を寄せ、それがすでに掲載されていたことを知りました(どうして私、見落としていたんだろ)。これをネットで検索し、読んでみたら……。いやはや。どんなノンフィクションの書き手も真っ青の、迫力です。「本人の手による手記」にまさるものなし、なのかもしれません。

■コラム道 (小田嶋隆)

 大変尊敬しているコラムニストの小田嶋さんが、コラムについて書かれた本、と聞けば、読まないわけにはまいりません。
 以下、気に入った部分を列挙。

*107ページ スポーツ新聞の世界で、最後の一行を全体の要約で終える手法が蔓延していることについて、「一種の思考停止だ」。(例: 黄金の左足がサムライブルーを救う。/宿命のライバルが、いよいよ最終決戦の舞台に挑む。など)

*文章の最後に、映像換気的な情景描写を1行添えると、文章全体に、叙情的な色彩が加わる。(と小田嶋先生はシニカルに書いているわけで)。「これは、非常に効果的だが、同時にどことなく卑怯な方法で、やりすぎるとイヤミになる」とも。

*主語のない新聞文体(例: なりゆきが注目される。/幅広い議論を要望したい。など)について。小田嶋さんより、現実に近い実例を挙げられちゃうわよ、私。たとえば「議論を呼びそうだ。」「波紋を広げそうだ。」いずれも、記者が問題だ! と思っているわりには、あんまり社会が動いてくれていない時に、使う言い回しです。反省。
小田嶋先生曰く「とにかく、紋切り型には『何も考えない』という偉大な知恵が宿っている」。

 やっぱり、ああ、面白かった!
 最後に、小田嶋先生の名言を一つ。
 「良い文章は、95パーセントの普遍性に5パーセントの個性を付加したぐらいのバランスの上に成立している」
 ひたすらこれを自分に言い聞かせる日々です。

■モテたい理由 (著・赤坂真理)

 興味深かった点を以下に列挙。( )内はページ数。 

*社会が戦争を「考えてもいけない」禁止原理主義をとれば、男の価値は下落していく。古今東西、男の価値を究極的に担保してきたのは戦争だったからだ。(8)

*2006年。「モテ」は卒業、これからは「愛され」じゃなくちゃ。(29)
 モテ=出し抜き
 愛され=オンリー化(33)

*家を、「ハコ」の側からとらえるか。……男
 それとも「人」の側からとらえるか。……女(75)

*男に、好きな女のタイプを聞いて回ったとき、あまりにしばしば出くわす名前があることから、私は考えこんでしまった。誰だと思います? 漫画『タッチ』の浅倉南と、『めぞん一刻』の音無響子さん。(158)

*戦争とアメリカと私、という章(211より)
……「東京プリズン」を読む上で、とても大切な文章。ぜひ併せて読むと良いとおもいます。以上。

■ピエタ (著・大島真寿美)
 読者レビューでもとても評価が高いし、おまけに音楽も絡むとなれば絶対に好きになれると思ったんだけど……私にはピンときませんでした。そっち系の感性が鈍いんだろな、私。

■昭 田中角栄と生きた女 (佐藤あつ子)

 田中角栄の本としても、母娘関係の本としても読めます。一気に読んでしまいました。
 著者の佐藤さん、高野悦子さんの「二十歳の原点」を読んで、自傷していた場面が心に留まりました。いや、それがメインのノンフィクションでは全然ないんだけど。すみません。

■野田聖子さんインタビューのために読んだ本。
「生まれた命にありがとう」「この国で産むということ」「私は、産みたい」「不器用」

■「大陸へ アメリカと中国の現在を日本語で書く」著・リービ英雄
…… 図書館で借りて読んで、購入決定。以下、おもしろかった点。

*CHANGE WE CAN BELIEVE INという選挙スローガンについて。「不思議な言葉で、変化をするかどうか、以上に、本当に変化をすると信じられるかどうか、が問われているようにも聞こえた。信じる人たち、あるいは信じたい人たち、あるいは信じられると確認できた人たちが、就任式の翌日のMストリートの歩道に溢れて、単なる政権交代ではなく、ある種の『解放』を祝っているような明るさが滲んでいたのであった」。あの場所にいた1人として、よく分かる。でもスローガンにそんなニュアンスがある、あるいはそう感じ取る人がいたことを、私は知らなかったなあ。(25)

*オバマ当選について書いたヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアが11月4日の当選の日に書いた文章 <オバマがその「黒さ」を自由に「着る」ことができる「ポスト/モダン」の人種アイデンティティを持っている><ミシェルとペアになったことによって近代文明の深層にある非差別を「抱きしめて」、その歴史と「結婚」してしまった>について書いていること。この新聞、この記事、あの日切り抜いたなあ、と思い出した。(41)

*中国で筆者は、<「農民」はむしろ、身分のようなものである。>という。都市民のタクシー運転手から聞かされた言葉「農民は、昼会えば素朴で可愛い。だが夜になると虎、虎とまで言わなくても狼、狼になるのだ。だから夜の農村の中は走りたくない」というのを聞いた時、筆者は、<黒人街の「怖さ」を語るアメリカの白人の口調をぼくは思い出さずにはいられなかった。しかし、「農民」はマイノリティではない。「農民」は大陸の人口の七割なのである。都市を離れて、107を十分でも走ればその事実が明らかになるのだ。> と書く。この中国の様子を、<大きさというよりも広さと「奥行き」にぼくは何度も驚かされたのである>とも。分かるなあ!(64)

*中国で漢字を見た時、日本語で読んだりしてしまう。故郷アメリカに戻ると、途中で日本語で考える瞬間がある。中国語も操る筆者の、3ヶ国語の間のなんというか往来がものすごく素敵。

*中国の都市にある裏路地について。<古い路地は、元々みずぼらしいところではない。一九九〇年代初めまであった「普通の町」が、二〇〇〇年代の初めには「貧民街」と化した。「発展」という名のラディカルな変質の中で、ただ取り残された、これが二十世紀の大陸の都市の様子だった。>。これ、2012年夏に中国・青島に旅行にいって、しみじみと思いました。裏路地を歩いて、まだ残ってるじゃん、昔と変わってないじゃん! と思ったあの裏路地は、昔(私の場合、中国をよく旅した1889年ごろ)は普通の光景だったのに、今では貧民街、だ。私もいつか、こんな風に一文で表現できればいいのに、と思った。(74)

……以下多数。省略。

■ラバー・ソウル 井上夢人
 気味の悪いストーカー小説だと思った。それくらい気味悪かった。でもって、最後にまあどんでん返しもあるわけだけど、やっぱり私には、それはそれで気味悪かった。ごめん。

■望遠ニッポン見聞録 ヤマザキマリ
 映画「テルマエロマエ」がとても楽しかったので、漫画を読む前に、漫画家さんのエッセイを読んでしまうというヘンテコな順番。
 子どもを海外に出すことを躊躇しないというよりは、より積極的だった両親のお陰で、絵の勉強のために17歳でイタリアに渡った著者さんは、あまりの貧困生活ゆえに、賞金目当てで漫画を描き始めたというんだから、人生不思議なもの。中東、ポルトガルを経て、現在シカゴ在住というから、海外から日本を見つめるということをずーーーっとやってこられたわけですね。

*日本のビールのテレビコマーシャルについて
 「日本のものほどエネルギッシュで爽快感が弾けるものは他国ではなかなか見かけない」という。そうかなあ。アメリカで、クアーズライトとかのコマーシャル、思い切り馬鹿馬鹿しいのが多かったけれど、爽快感もあったような……。船が難破し、無人島に流れ着いた集団の中が、漂流物の中から瓶ビールの箱を見つけて……みたいなストーリーとか。でもまあ、あの、プハーーーーーーッみたいな音が聞こえてくるコマーシャルって、日本独特なのかもしれませんね。

*食卓での家族の会話について
 イタリア人の夫と著者さん、息子さんの3人でご飯を食べていて、親子喧嘩になったという。妻、つまり著者さんは漫画のネームをぐるぐる考え中で、息子さんはテスト期間中で頭が悶々となっていたら、旦那さんが「なんで誰も何もしゃべらないんだよ!」とキレたそうな。「イタリアではご飯といえば家族の大事な交流の場じゃないか! 僕は会話がしたいんだ、いや会話じゃない、ディスカッションがしたいんだ!」と。で、矛先は日本人全体に向き、日本の人たちは会話の中でも「へえ、そうなんですか」とか受け入れてしまって、言い争うことを楽しまない、と指摘されたってわけ。
 筆者は書く。「日本での会話術というのはできるだけ波風立てず、できるだけ相互の意見を理解し合うことで懐を広げようという思いやりと働きかけが生じるのが常だ」と。筆者は、イタリア語でしゃべる時は声が低く、攻撃的になるらしい。これ、まったく私の身におきた変化と同じで笑ってしまった。私もアメリカでは声が低くなり、かつ、日本にいる時よりも討論好きになる。声が甲高いと感情的にしゃべってる感じがしちゃうし、低く落ち着いた感じで意見を述べたほうが説得力がある気がするから。ニュースを読む女性の声も、アメリカでは、圧倒的に低い。かしこまった場所になると、声のトーンが一段上がる(高い声=丁寧、礼儀、のニュアンスまであるという研究もあります)というのは日本の文化であって、あれをアメリカでやると、ガキっぽくなるだけだし。

 とまあ、彼女の体験した cultural bumps が結構面白く、楽しく読めました。

■ジョージとタカオ
 映画をまず見たいです。2011年3月だから、私が帰国する前の公開だったんですね。こちらの本は、その映画を撮った井手洋子さんの手によるもの。書くことがご専門の方ではないこともあって、本のほうはちょっと物足りないです。映画を見て、それからこの本を読む、という順番を守るべきだった〜と悔しい気分。布川事件で被告とされていた2人が仮釈放され、再審請求が認めあれ、無実判決が出るまでをこつこつと追い続けたドキュメンタリーフィルム。あああ、見たい。どこかでアンコール上映しないかなあ。

*被告と支援者は、主に手紙や詩などの作品で交流を続けているわけで、仮釈放直後の蜜月期を終えた後、色々と人間関係のきしみが見えてくる、というあたりを描いているのは興味深かったです。たとえば、ジョージさんが「詩のイメージと違う」と支援者に言われてショックを受けたとか、タカオさんが支援者の前で「優等生」であり続けることが窮屈で、ちょっとはめを外しては顰蹙かったり……みたいなこととか。あと、2人だから支え合えた部分があると同時に、2人ゆえに、支援者からお互いを比べられ、相棒だったりライバルだったりする微妙な関係があったことなども、なるほどなあ、と考えさせられました。

*撮り手の側からの思いを吐露されているのも興味深かった。仮釈放とか、その後の結婚とか再審請求とか、そういう「事件」ばかりでなく、普段の暮らしを軸に撮影していても、いわゆる絵になる「出来事」は決して多くなく、また、しばらくは再審請求を出す見通しすら立っていなかったわけで、1人で現場に立ち、1人でものづくりする孤独に耐えかね、段々とジョージさんやタカオさんを撮影のために訪ねる回数が減っていった、ということを正直に書いておられる。これに好感を持ちました。たぶん、映画の中だったら、編集することで、2人の撮影頻度が減っていったことなどごまかすこともできたはずなのに、これをこの本の中に正直に書いてくださったことで、私はとてもそれをしみじみと受け止めることができました。
 私も、新聞社の仕事とは別に、自分でテーマを決めて、コツコツと1人で取材することが多かったし、実際に薬物依存やリストカットでは本にまとめていますが、その何倍も、形にならなかったテーマを追いかけてきました。知れば知るほどに書けなくなったり、まとめようがなくなったり……そういうことも少なくありません。新聞社の社会部あたりでチームでキャンペーン取材するのとは全然違う質の孤独がいつもありましたから。そういうことをふと思い出しました。
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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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