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読書日記4~6月・前編

溜め込みすぎて、4月分から。
イチオシ!は、日本人闘牛士の半生記。

情熱の階段 日本人闘牛士、たった一人の挑戦 (著・濃野平)


たいていの人が楽しめる本だと思うので、ぜひぜひ。

「園芸少年」も素敵なヤングアダルトでした。

■「塔の思想 ヨーロッパ文明の鍵」

 東京スカイツリーの取材に関連して、手に取った本。1972年の本なんですが、塔と人間に関する本としては、今なおナンバーワンではないか、と思う名著でした。いや、一部意味不明に思えるところもあるんだけど。
 テーマは、人はなぜ塔を建てるのか。塔を見上げるのか。塔に登るのか。塔とは人にとって何なのか。そんな感じ。
 高所衝動(著者によると「人間の本性と肉体の有限性によって当然おこってくる障害を、あえてのりきろうとする純粋な精神力のこと」)。そして、塔に登った時に体験する「センセーション」(訳者は「戦慄(センセーション)」と訳されてますが、戦慄、というのは日本語の使い方として、ちょっと違う気がします)。つまり、とらえどころのない無限な空間を前にすると、人間は不快や不安を抱くものだけれども、塔はそこに「孤独な道標」のように、「人に地震と慰安を与える仲介者」のように、「形のない空間の脅威に対して、確実な定点を示す」と。だから、人は塔に登ると、「無限の空間と接触しているのだという旨をしめつけられるようなセンセーションにおそわれる」のだと。
 ヨーロッパの中でも国や地方によってまったく塔のありようが違っている、というのも面白かったです。たとえばギリシア芸術には、「塔を建設しようといういっさいの内的衝動を欠いている」とか、「なぜローマ建築は塔を持たぬのか」とか。
 あるいは、パリのエッフェル塔より高い建築物を建てようと、マンハッタンに高層ビルが次々と建った時、なぜそれが塔ではなかったのか、とか。著者は、マンハッタンの高層ビル群が塔と共通して持っている唯一の要素は「競争心」である、と。「アメリカは塔を必要としなかったからそれを建てなかった」「アメリカは、凌駕したいという自分の欲求を芸術的なしかたで解決し、表現する必要がなかったのである。無限への願い、逸脱したいという衝動は、そこでは日常生活の中で、物質の中で、技術的領域で、完全に満足のいう方法で解決されている」と。
 アメリカのことはなーんとなくわかるのですが、なにしろ欧州は、挙げられている多くの都市に行ったこともなく、そこの塔を見て回ったこともないだけに、今ひとつ実感としてわからないことも多かったです。
 一度この本を片手に、あちこちの街の塔を見て回りたい気持ちになりました。

■「塔」 梅原猛

 西洋の塔と東洋の塔との対比が面白かった。「ヨーロッパの塔が、限りなく上昇する生への意志を示すものであるとすれば、仏教の塔は、生と死とのたえざる争いの上に生まれると言ってよいかもしれない」だそうです。
 また、薬師寺の東塔の写真を掲載し、「薬師寺の塔を見て、われわれの眼にとびこんでくるのは、やはり横線である。(略)この多くの平行線が、何よりもこの建物に安定感を与えるのである」と書き、一方で「西洋の塔は、何よりも高さへの意志をあらわす。高さへの意志をあらわそうとする西洋の塔は、何よりも縦線を強調する」とも。

■「ヤングアダルト パパ」 山本幸久

 タイトルだけみて、ヤングアダルトコーナーから数冊借りてきた本のうちの1冊。面白いものがあれば、息子にも読ませようと思ったんだけど、「中学2年生の少年が、年上の女性と同居することになってしまい、自由奔放な女性に淡い恋をし、言い寄られるままにセックスして、いきなり父親になったところで、女性が出奔しちゃって、少年一人で子育てする羽目になっちゃった」という設定(あまりに無理があるじゃないか!)を見て、一瞬にして却下。
 少年自身が、そもそも親の自覚がほとんどないような父親と母親の間でそだち、おまけに両親の離婚で一人暮らしを強いられる羽目になった身の上で、それゆえに、赤ちゃんを「自分の唯一の本当の家族」として必死で愛そうとする姿は、痛々しくも悲しいけれど、とはいえ、赤ちゃんを一対一で育てるというのは、こんなきれいごとじゃないぞ、と思ってしまうよ、経験者としては。
 24時間365日、丸ごと、一人で赤ちゃんの責任をみたことのある人だったら、こういう作品にならなかったんじゃないかなあ、という気もした。とはいえ、主人公の周囲の友達たちもよい味を出していて、さわやかといえばさわやかな作品。

■情熱の階段 日本人闘牛士、たった一人の挑戦 (著・濃野平)

 これはすごいです。何がすごいって、即、異色のスポ根マンガ化決定、みたいな。
 スポ根マンガの設定って、かなり無理あるじゃないですか。主人公が無茶な挑戦して、それが見事にはまったり、でもその直後に大きな落とし穴が待ち受けていたり、でもそれを汗と涙と友情で乗り越えちゃったり、それでもさらなる試練が待ち受けていたり……読者はそのたび、何度も「ありえねーーーーっ!」と叫びながら、それでもついつい読んじゃう。
 はい、まさにそんな感じ。
 スポ根マンガと唯一違うのは、こちらの主人公は本当に現実を生きている一人の人間だってことです。だから、なんというのかな、ドラマ仕立てとしての典型的な浮き沈みが描けない。
 たいていの挫折と成功のドラマって、
 「マイナスからのスタート。暗中模索 ⇒ 思わぬ小さな成功 ⇒ 順風満帆かと思われたところで思わぬ苦難 ⇒ 葛藤、模索 ⇒ どん底 ⇒ 友情、家族愛あるいは努力 ⇒ もうだめか、と思ったところで最大の山場の末成功 ⇒ 感動の嵐」
 みたいなパターンじゃないですか。
 やっぱり最大の山場はぐいぐいと引っ張った最後に取り置いておく、みたいな。
 でも、こちらはノンフィクション。生身の人間ですから。最大の山場が思ったより早くきたり、そのあともやっぱり再び、どん底が来たり……ドラマのようにはうまく構成されてません。でも、だからこそ、リアリティーがあります。
 この作品の最大の魅力は、やはり、書き手の濃野さんのリアルな生き方と、その挑戦にあります。でも彼に伴走し、この本を書かせた編集者さんも、良いお仕事をされているなあ、とかんじました。

 以下、心に残った点を列挙。
*(7ページ)闘牛において、牛と向い合っている時は恐怖を感じない。むしろ恐怖を感じるのは、闘牛の前と、それから後だ、ということ。
*(50ページ)闘牛の賛成派・反対派のそれぞれの意見。「食べる目的ではなく、娯楽目的で動物を殺すのは残虐で許せない」という反対派の意見に対し、「動物の士点にたってみれば、理由はどうであれ、人間に一方的に殺されることには変わりない」と。
*(57ページ)闘牛は、なぜ闘牛と呼ばれるか。スペイン語では、コリーダ・デ・トロス(牡牛を走らせること)。これが外国語で、bull fightingと訳され、それを経て日本語で闘牛になったんだろう、という話。「闘牛は闘牛士と牛との闘いでは決してない」とも。そもそも、牛が死ぬことは最初から決まっているのだから、もしも闘牛に「闘い」という行為があるとしたら、それは牛との闘いではなく、自分の恐怖、自分の内部、自分自身との闘いなのだ、と。
*闘牛に使う牡牛は、1度しか使えない、というのも知らなかった。10分もすると牛は学習し、あのピラピラした布みたいなもの(ムレタ)ではなく、闘牛士の身体を狙うようになるんだって。だから、一度使った牡牛はもう、闘牛には使えない。となると、闘牛士の最大の問題は「練習台」(生きた牛)がなかなか確保できない、という点だという。
*(174ページ)著者は、生活を支えるために、オレンジの収穫の仕事をする。きつい肉体労働。多くの労働者が、要領よく手を抜くが、著者はそれができない。「その時の私にできた唯一のことがオレンジを切ることであった以上、せめてそれに全力で取り組みたかった。オレンジを切れば切るほど、よりマタドール・デ・トロスに近づけるのだと自分に言い聞かせていると、時には作業に熱中するあまり、高揚感に酔いしれて涙することまであった」。この一文、この心境はすごい。ここまで来られる人は強い。
 想像してみてほしい。オレンジを切る、という単純かつきつい労働の中で、高揚感に酔いしれて涙しちゃうのだ。でも何となく分かる人、多いんじゃないか。私は、たまらないほど、分かる気がしました。
*(182ページ)闘牛士はギャラをもらって闘牛しているのかと思ってたけど、違うのね。むしろ、多くの闘牛士は、金を払って出場機会をもらっているんだって。おまけに、スペインにおける闘牛の人気は凋落するばかりで、いわゆる伝統芸能の先細りから、闘牛する機会自体がどんどん減っているのだとか。知らなかった。
*(185ページ以降)進退窮まった著者が、「日本人でただ一人の闘牛士」という、ある時にはメリットに、別の時にはデメリットになる「希少性」をどう活用したのか。
*(253ページ)「日本人である私の存在そのものが唯一無二の個性だといえた。『優劣』ではなく『違い』で勝負してみよう」。このあたりからの、彼が「日本人であること」にこだわりながら道を切り開いていく道のりは、示唆深いです。
 お勧め。

■「園芸少年」(魚住直子)

 5年前の本だけど、見落としてたなあ。すごくいい。
 カルタだ、書道だ、と「文系部活青春路線」大人気ですが、この作品、ひと味違う。主人公たちが「しゃべり過ぎない」、あるいは著者が「書き過ぎない」。だから逆に胸に染みる。一言ひとことが、逆に生きてる。
 新聞記者が学ぶべきは、これだよなあ、と思ったりしました。……いや、これを新聞記事でやっちゃうと、読者を選ぶかなあ。
 最後の主人公の言葉「なるようにしかならない。でも、なるようにはなる」が、ぐっときました。投げやりではなく、達観でもなく、なんというか、信じること、待つこと、努力すること……みたいな。とても好きになりました。
(男子校に通う息子を持つ母としては、この小説だったら、共学じゃない、男子校を舞台にしちゃっても良かったんじゃないかな~、と思いましたが。どこかにないかねえ。男子校が舞台の素敵な作品)。

■ジェノサイド 高野和明

 このミス1位と聞いて、帰国直後に予約を入れて、図書館で順番が回ってきたのが今だもの。たいした人気だ。えらく長い本で、連休でもなかったら読めなかった。仕事の逃避&息抜きに読むにはちょっと重いかな。おまけに、ちょっとこの設定、反発食らってんじゃないかな、とアマゾンの書評を見てみたら、案の定、反韓国な人たちだけでなく、「右でも左でもないですが、日本人として気分が悪い」という人たちからも、叩かれまくってた。読後感=疲れた~。途中で命を落とした、きっと幼少期の被虐待経験を持つに違いない風に描かれている日本人傭兵、もちょっと彼自身が心揺らしたり、迷ったりする場面を書き込んでやってほしかった。あれじゃ、あまりに浮かばれないよね。

■大学キャリアセンターのぶっちゃけ話 沢田健太

 今や、就職実績で大学を選ぶ学生(というか親、か?)が多いそうで。鍵を握る大学キャリアセンター側からの情報発信本が、結構話題になっているようです。

*大手企業の説明会がショー化している(p112)……熱い自分語り、就職内定者の体験談、熱っぽい雰囲気の中で「弊社は、不安感を抱えたみなさんのシューカツをお手伝いしますよっ!」というメッセージがガンガンに伝えられるんだそうで、クライマックスには涙声で「がんばろうぜっ!」なんて展開すらあるらしい。が、企業側の思惑は、「企業イメージをアップしたい」に加え、「将来の商品のお客さんをつかまえたい」にあるらしい。おまけに、主催する企業の人事部の担当者にしてみれば、集まってくる学生の人数で、対前年比評価されるわけで……。

*キャリアセンターの職員には正直に言えないことがある。それは大学格差について。(182p)……「うちの偏差値で一部上場なんて甘い夢を見るな」と本音ではいいたくとも、それをいったら、大学格差を認めることになるので、表立ってはいえない、のだそうだ。そこは汲みとってほしい……というのが本音、らしい。

*インターンシップについて(p207)……実態として、1日だけの社会見学(ならぬ、会社見学)化しているので、やっても無駄なものも多いそうだ。こんな話を聞くと、「米国の実態と比べると、日本のインターンシップって結局、うまく機能しないんだなあ」とか思いたくもなるけど、実際米国でよく聞いたのは、「キャリアとしてアピールできそうなインターンシップの口をつかむのに、どれほどのコネや金が必要か……」というような話だったっけ。

*もしも自分がシューカツ生の親ならば……(p232)この章、結構衝撃でした。筆者はいうのです。「まず町の補習塾にでももぐりこませます」と。ちまたで高いカネを採ってる就活塾のような所に行くことに、筆者は懐疑的だという。大した中身でもないのに、何十万も金を取ったりするところもあるそうで。ちなみに、なぜ「補習塾」かというと、企業の筆記試験で問われる中高レベルの国語と数学の基礎学力すらない大学生が圧倒的に増えているから、だそうで。うーむ。

*もしも親なら……2(p239)子どもを会社の飲み会に連れていく。部下や同僚との飲み会に参加させると、案外社会人の先輩たちは、同僚の子どもに対し、あれこれ熱く語ってくれる、らしいのだ。それもかなり本音で。これが、OB/OG訪問では体感できない、集団力学を学ぶ格好のチャンスともなるらしい。なるほど。

*もしも親なら……3 最低限、四季報くらいは買い与えてやる、ともかいてあった気がします。確かに、ネットで企業研究するのもいいけど、四季報とか、日経テレコムとか、もうちょっとニュートラルなほうが、それぞれの特徴や立ち位置を確認しやすいもんなあ、と素直に納得。

■アート少女 根岸節子とゆかいな仲間たち 花形みつる

 どうやらシリーズ第二作、だったようで。一作目から読めばよかったのかも。
 文章がちょっと私には軽すぎて、ぴんとこなかった。同じ文化系部活青春ものでも、好き嫌いが当然出てくるんだなあ、とあらためて納得。
 中高生の女子なら、楽しめるんじゃないか、と思いました。

■放射線医が語る被ばくと発がんの真実 中川恵一

 一部の人からは「御用学者」とか言われちゃってるんだろう。でも、私は、しごくまっとうな説明として受け止めました。どこまでが「科学的に証明されているのか」をきちんと理解した上で、そこから、「まだ証明されていないけれども……」な部分については、自分なりの選択をしていけば良いのだと思うので。
 原爆投下された広島市に関する項で、「入市被爆者の平均寿命を調べると、日本の平均より長い」「広島市の女性の平均寿命をみると、日本一長い」(p84)というところで、ある人の顔が思い浮かびました。うちのばあちゃん、入市被爆者で、原爆手帳持ってます。今年で99歳になる予定。まだまだ元気。……きっとばあちゃんみたいな人がいっぱいいて、「平均」を押し上げてんだろな。みんながみんな、そうでもないんだろうけど。「平均」って難しいなあ、と時々思う。うちの母は53歳で死んでるわけで、私は46歳なわけで、おいおい、53+46=99かよ、とか。いや、ここで足し算するのはまったく意味ないんだけど。

■最期のキス 古尾谷登志江

 俳優、古尾谷雅人さんの自殺の後、妻登志江さんが書いた本。「家族が自死した遺族の心持ちを学ぶのに良い本」と聞き、読んでみました。
 入り組んだ家族関係の難しさやら、あれこれ考えさせられる本でした。本を書くことで、色々な気持ちを整理していったんだろう妻登志江さんはたぶん、根っこの太い方なんだと思います。むしろ、2人のお子さん(どちらも芸能界入り)が今どうされているのかなあ、と心配になってしまうのでした。

■ヤバい経済学/超ヤバい経済学 スティーヴン・レヴィット、スティーブン・ダブナー

 最初数項は楽しく読んだのですが、いかんせん忙しい最中だったので、とても全部読む気になれず、完読しないまま、図書館にお返しします。暇な時の頭の体操には良いかも。

■<つながり>の精神史 東島誠

 時期的な事情と、タイトルにひかれ、読み始めたのですが。歴史学の素養のない私には、ちゃんと理解できない感じ。教養不足の自分にとほほ。

■「社会的うつ病」の治し方 人間関係をどう見なおすか」 斎藤環

 これは内容があまりに濃いので図書館でいったん借りたものの、購入決定。
 あとで読みなおしてチェックが必要なメージ数を、自分のための備忘録としてここにメモ。
38、63、70、75,88,107,114,118,124,128,136,137,146,153,158,160,167,188,194,221,230,233,235,237。

■ぞわざわした生き物たち 金子隆一

 トライしたが、なんかぞわぞわして、読み込めなかった。ははは。

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東京都の探偵:第一信用総合調査

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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