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あなたにとって、100ドルの寄付とは?

3日後に迫った、Sing Out For Japan (東日本震災支援コンサート) の準備で学んだこと第4弾。

ある日、我が家に知らない人から封書が届いた。ビリリと封書を破って中身を見ると、小切手が入ってる。額面は、100ドル!
「友人からあなたとあなたたちのコンサートの話を聞きました。喜んで寄付します」 とメモが入ってる。
この友人というのが、先日、別のエントリーで宗教について書いた、ユダヤ人の友だち、なのだった。
どうやら、宗教に関するいろいろな思いを越えて、あっちこっちの人にメールを出してくれたらしい。
ありがたい話だ。

とはいえ。
まったく見知らぬ人から100ドルもの小切手をいきなり送りつけられて、慣れてない私は、おののいたよ。
具体的に、なににおののいたかというと……。

1、これ、コンサート当日までに失くしちゃったらどうしよー。
(現実には、小切手なので、送り主は損をしないが、寄付されないので、被災地に迷惑もかかるし、なにより、寄付したいという送り主の気持ちを裏切ることになる。責任重大!)

2、見知らぬ相手に100ドルもの小切手をさっさと郵送してしまえるもんなんだな。

3、アメリカのしっかりしてるようで案外だらしない郵便事情から、封書が途中で消えてたら、フォローのしようがないじゃん!

4、領収書とか、いらんのだろーか。

5、そもそも、100ドルというのは寄付金額として一般的なものなのか。

などなど。
普段、

アメリカでは、寄付しやすいような税制度が充実しているので、個人寄付が集まりやすい」 

とか、

アメリカ人の個人寄付は年額約20兆円 (1ドル100円で計算してるから、今だともっと多くなる)。これは日本人の個人寄付額の100倍で、日本の税収のなんと半分以上!」 

とか、知識としては知ってたけどね。
いわゆる大掛かりな募金活動なんてしたことなかったので、渡米3年目にして初めて、他人さまからの100ドル小切手を手にすることになっちゃった、というわけ。
やっぱり、見知らぬ人から託された100ドル、というのは、重いもんなのだ。

まだまだ分からないことも多いけれども周囲の方々に聞いたところ、アメリカでは、「国に税金を納めるくらいなら、私の応援したい活動に寄付するわよ」 とばかりに、寄付先を常に探してるようなところがあるらしい。

日本で確定申告をするときの、あの煩雑な作業を考えると、「だけど、年間に寄付したことを証明する書類を集めるだけで大変なんじゃないの?」 と思いたくもなるが、アメリカではいたって簡単らしい。

「小切手を書くじゃない? すると、写しが手元に残るよね。極端な話、それだけで十分なの。領収書? んなもん、いらんわよ」
「申告するとき、書類がなくても、口頭で、どこどこにいくら、あそこにいくら、って言っただけで、OKだったわ」
「4月15日が毎年申告の締め切りなわけ。となるとだいたい、クリスマス時期から、『このままじゃ国に税金もっていかれるから、ちょっと頑張って寄付しないと!』 ってムードになるのね。クリスマス時期の寄付ラッシュは、そういう背景もあるのよ」

なるほど確かに。
税金として支払ったら最後、日本だって、自分が支払う税金が、子どもたちの教育やら、保育園の拡充やらに使ってもらえるのか、わけのわからん地方空港建設なんかに使われるのか、わかんないわけで。
だったら、税金の控除を受けるべく、自分なりに納得できる団体に寄付したほうが、ずっと、自分の支払うお金に責任を持てるじゃん! ってわけ。

この手の納税者意識というか、自分の税金の使い道に対して徹底的に責任を持とう、敏感でいよう、という意識は、アメリカで学んだことの一つだったりするのよね。

日本で、「募金」 というと、なんとなく、駅前の募金箱にチャリーンというイメージだった。
チャリーン、だから、つまり、小銭、ってわけだ。
アメリカで、私が知る範囲で、コインの寄付って滅多にないのではないか。
(いや、美術館とか空港とか、公共の場においてある箱の中には、案外コインも多いかもしれないけど)。

こちらで donation というと、最低でも20ドル紙幣から。
今回、私が、「コンサートに行けないけど……」 と預かった小切手の額面に、75ドル、という妙にハンパな金額があって、これを日本人の友だちに話すと、「あ~、私も私も!」 と彼女がいう。
なんと、彼女の場合、アメリカ人ばかりの趣味グループに参加しているんだけど、「あんたに小切手渡すから、しかるべきところにちゃんと寄付してよね。アメリカの団体に寄付するより、あんたに託したほうが、ちゃんと日本に届くでしょ」 ってなわけで、何人ものアメリカ人の友人から、寄付の小切手を押し付けられているらしい。

「その額で一番多いのが75ドルなのよー」。


うむむ。
75ドル、という数字に、なにか意味はあるんだろうか?
不思議だ。

彼女は、自分が別途寄付するときに、日本大使館を通じて寄付しようかな、といっていた。
ちなみに、日本大使館では、アメリカ人にとって、税控除にもならない。
それでも、彼女の周囲のアメリカ人たちが、彼女に 「あんただったら日本にちゃんと届けるルート知ってるでしょ」 と小切手を手渡した、ってことは、このケースの場合は、税控除目的、というわけでもなかった、ってわけだ。

まあ、なんというか。
こちらの、寄付に対する敷居の低さには驚かされるばかりだ。
何しろ、震災の翌日にはもう、募金イベントが始まってたような感じだった。
今なお、DC界隈だけでも、ほぼ毎日どこかで募金活動が行われているような具合だ。

正直に告白すると。
私は日本にいたころ、たぶん、寄付や募金をむしろ苦手としていたと思う。
なんとなく、「身体を動かすことこそが尊い。お金で解決しようなんて、自己満足だ」 みたいな思いもあったし、また、その寄付金のうちどの程度が募金団体の諸経費や人件費に向けられるのか、どの程度が本当に必要としている人の手元に届くのか、なんてことをあれこれ考え始めると、寄付するのもまた、無責任な気がして……。

それでも、日本では、阪神大震災などを経て、本当に必要とされている支援は何なのか、長い目でみると、寄付金って、一番汎用性のある、どうにでも役立てる、支援なのではないか、特に被災地が何を必要としているかという細かなニーズに対応できないような人にとっては、最も有効な支援手段ではないのか、というような認識が広がったとは思う。

とにかく、私は昔っから、寄付するのも苦手だし、寄付しました~、という人も苦手だった、んだよね。
寄付するとき、「寄付くらいしかできないけど……」 とつい言い添えてしまう、そんな気持ちは、今だってある。
でも、周囲のアメリカ人を見て、しみじみ思うのは、寄付って、「寄付したわよ」 と胸張ったりするほどのことでもなければ、「寄付くらいしかできない」 と卑下することでもなく、もっと自然な、日常の営みの中の一行為であってもいいんだなあ、ってこと。

文化も違うし、なにより税制も違うから、日本もそうあるべき、とは思わないけれど。
自分の出したお金に責任を持つ、という意味合いでは、私には、税金よりも、寄付のほうが、肌に合う、とそういう気はしたのだった。

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No title

私は日本にいるときは赤い羽根の共同募金ぐらいしか寄付したことなかったです(ってまだ社会人のひよっこだったしね)。なんか父は私に子供が生まれる前から海外の子供基金みたいのに毎年寄付してたって聞いて驚いたのですが、アメリカにきたらおぐにさんのおっしゃるよう、寄付することは特別なことではない、というのが身についてきました。(ただし税法が変わったから、寄付による控除を受けたかったら領収証は必要だそうですよ)

見知らぬ人から100ドルを寄付されたことはないけど、親戚の人が寄付してくれたり、地震のニュースを聞くたびに、一度寄付してくれたのにまたお金を送ってきたりで申し訳ないぐらいです。

私はカタリナのときは、その年に見た演劇の舞台のチケットの半額分を寄付しました。今年はジャイアンツの試合を見に行くたびに同額の(チケット1枚分)寄付を息子の学校にしようと思っていたのですが、日本の震災のほうにいまは気が回っています。

でもね、寄付する先はやっぱりそのお金の使い道が明確じゃないと困りますよね。先週の60 Minutesでの放映ではアフガニスタンに学校を作ろうと団体を作って、本も書いた人(three cups of teaだっけ)が主催するNPOの不透明さを暴露していました。60 minutesはおぐにさんには必見の番組ですよ~。
プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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