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遠くにいて

書いては、消し、書いては、消し、しているのだけれども。
いまだ、うまく、言葉にできない。
震災のこと、日本のこと。
遠くにいて、自分に何ができるのか、とそればかり考えている。

アメリカの友人たちの反応はびっくりするくらい早かった。
震災が起こった半日後にはもう、あっちこっちからお見舞いのメールが届いた。
自宅の電話も随分鳴った。中には、すっかり縁遠くなっている人なんかからも電話がかかってきて、驚いた。
「あなたの家族は、友人は、大丈夫?」 と。

2日目にはもう、Red Cross に義援金を送りましょう、という呼びかけを、facebook あたりで目にするようになった。私の元にも 「今私ができることは何かしら?」「あなた自身が困ってることはない? 私はあなたと、あなたの国を助けたい」 などのメールが届くようになった。
被災したのが日本で、彼らにとって知っている日本人が私だったから。

オロオロしているうちに数日間が過ぎて。
ようやく重い腰を上げて、あちこちからいただいたメールにお返事を書いた。
特に英語で書く返事には、時間がかかった。
だって、日本語でだって、いまだに自分の思いを言葉にできていない状態なのだから。

遅ればせながら、アメリカの Red Cross に自分で寄付してみた。
ああ、これなら、簡単だし、友人たちにも声をかけてみよう、と思うことができた。
そしたら数時間後、アメリカ人の友人が、日本赤十字に直接クレジットカードで寄付できるよ、と広く呼びかけているのに行き会った。
私がアメリカの赤十字に寄付したのと同じ日に、
アメリカ人の彼女が日本赤十字への寄付を呼びかけてることに、
少しだけ、心が落ち着いた。

どこに行っても、アメリカの友人たちから、「家族は? 友達は? みんな大丈夫なの?」 と聞かれる。

おかげさまで、仙台の義父母は、比較的海から遠いところに住んでいて無事なのよ。まだ、ガスも水道も止まっているけれどね。何しろ戦中派だから、本当にたくましいわ。73歳の義父なんて、6キロもの水を背負って、片道40分歩いちゃうのよ。停電で、やることがないから、って、時にはビールを飲んだりして、上手にストレスも解消してた。地震にも慣れてるからね。「大丈夫、あと2週間くらい停電しても私は平気よ」 って義母だっていうの。まいっちゃうわよね、ふふふ。

そんな風に答えてるんだけど。
友達らから、「良かった! あなたのお母さんお父さんが無事で、本当によかった!」 などと握手されたり、ハグされたりするたび、実は心のどこかが苦しくなる。

「良かった」 じゃないのよ。
だって、町ごと消えちゃったんだよ。
今も、なお、行方不明の人がどんどん増えてる。
救助されて、避難所にたどりついたというのに、そこで命を落とす人すらいる。
オムツが、ミルクがない、と赤ちゃんをかき抱くお母さんがいる。
原発の原子炉は、どうやってもなかなか冷えてくれない。
人体に影響があるほどの放射能の中で、もはやどんなテレビカメラも、衛星写真でも追えない、見守れない場所で、働いてる人がいる。
それを案じる家族がいる。
だから、「良かったね!」 とハグされるたび、どうしていいのか、分からなくなる。
確かに私の肉親は助かったけれども。
でも、やっぱり、「良かった!」 じゃないのよ、と。

アメリカにいて、毎日、Ustream で日本のニュース映像を見続けて、情報ばかりが降り積もっていく。
仙台の義父母と初めて電話で連絡が取れたとき、義母は 「あら、あやちゃん、どーもねー」 って明るく言った。
あまりに普段通りの声だったから、逆に、胸を衝かれた。
少し話して、理由が分かった。
停電し、テレビも見られず、乾電池が切れ、ラジオも聞けなかった義父母は、完全に情報から遮断されていて、津波が来たことも、たくさんの町が流されたことも、何百と言う遺体がすでに打ち上げられていたことも、何も知らなかったのだ。

仙台にいる義父母より、アメリカにいる私のほうが、たくさんの情報を、簡単に得られてしまうという事実が、とてもショックだった。
遠くにいて、できることは何だろう。
そんなことを、ずっと考えていた。

考えても考えても、「寄付することくらいしかできない」 って結論に落ち着いた。
自己満足で何かするんじゃなく、被災した人にとって一番役に立つように使ってもらおうと思ったら、結局、やっぱり、現金が一番いいんじゃないか、と思ったから。
だから、寄付した。
「私に何かできることはある?」「寄付したいんだけど」 とメールをくれたアメリカの友人たちには、赤十字の窓口を連絡したりもした。

アメリカ人の一人の友達に、初めて打ち明けてもみた。
「あのね。仙台のご両親が無事でよかったね~、って好意で言ってもらっていても、『良かったね』 といわれるとさ、私は英語も下手だし、なんか、語彙も少なくて、ただ、『うん、本当に。ありがとうね』 とか言うことぐらいしかできなくて。でもものすごい違和感があるんだよね。それが苦しいんだよね」
って。
友達はちょっとびっくりした後、「こんな風に話をすることで楽になれる? 地震の話をするのはつらいかと思って、こっちから聞かないほうがいいかな、とか思ってたんだ」 と言った。
そうだったんだ……。
私は言った。
「ありがとう。聞いてもらえたほうがいい。言葉にしたほうが、私、落ち着くみたい」 
ほんとに、その日から、少し前向きになれた。

先日、合唱の練習があった。
いつもなら張り切って、練習の前には必ず自宅で1時間、発声練習をするんだけど、さすがに今日ばかりは気持ちがついてこなかった。
今まさに生死の瀬戸際にいる人たちがいるのに、趣味で歌を歌っていていいのか、みたいな罪悪感がわいてきて、練習1時間前になると、ベッドにもぐりこんで、起き上がれなくなってしまったのだ。
それでも、どうにか時間ギリギリで起き出した。
安全な場所にいて、この体たらくじゃ、あまりに情けないからね。

案の定、自宅で発声練習すらせずに参加した全体練習では、まともに声も出るはずもなく、とっても情けない思いをしたわけだけれど。

そんな時、合唱の指導をしてくださっている先生が、「義援金を呼びかけるチャリティーコンサートをしませんか?」 と呼びかけてくださった。
ああ、と不意を突かれた感じ。
日本から遠く離れて、私にできることなんか、寄付することくらい、と思ってたけど、
そっか。
自分が寄付するだけでなく、周囲に寄付を募る方法については、もう少し選択肢もあったのね。
歌を歌うことで、寄付が集まるならば、そんなありがたい機会はない。

みんなで歌の練習をした。
「故郷 (ふるさと)」 を歌っては、泣き、
「上を向いて歩こう」 を歌っては、泣き、
「家路 (Going Home)」 を歌っては、また、泣き。
全然練習にならないのだった。

そもそも声が出ないところに、泣いて、鼻水ずるずるで、まったく戦力にならなかった私は、もう、ひたすら反省。
人は、「泣く」 という行為で、ストレスを軽減できるらしい。
一方、歌は、泣いたら、歌えない。ちっとも美しい響きにならないから。
つまり、歌いながら泣く、というのは、美しい響きを聴き手に届けられないばかりか、自分のストレス軽減にしかならないんだな。
自己満足にしか、ならないんだな。

チャリティーコンサート、という企画自体だって、自己満足といえば自己満足かもしれない。
それでも今回は、どんな手段であっても、結果的に、日本でそれを必要とする人に、いくばくかの義援金を届けられるのであれば、私はそれにトライしてみようと思う。

んなわけで。
自分で自分と約束した。
歌いながら泣くのはやめよう。
本番では、絶対に泣かない。
できるだけ、あたたかい、やわらかい響きを、美しい音色を、
聴き手に伝えられるよう、がんばってみる。
うん。
がんばろ。
仙台のパワフル戦中派夫婦なんかに、気合で負けてたまるかってんだ。

息子が中学校から帰ってくるなり、「寄付しておいたから」 という。
学校でようやく、日本支援の義援金集めが始まったらしい。
一口1ドル。
少ない小遣いから、5ドル出してきたという。
ははは、そういえば、昨夜、息子から 「寄付が始まったから、お金出してね」 とか言われてたっけ。
自分のことに必死で、すっかり息子の学校のことなんて忘れてたよ。
でもまあ、息子は息子の場所で自分で考えて行動したんだもんね。

私は私で、今いる場所で、今できることを、1つひとつ探してみよう。

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ご無事なにより

 仙台のご家族無事で何よりでした。三陸での死亡行方不明は2万人をこすわけですから、私は連絡を取るのを止めました。東京から40人くらいが現地に入り、記事が送られ始めました。とはいえ、原発の制御はいまだかなわず、暗澹たる思いです。どのテレビを見ても辛いニュースばっかり。12チャンネルのノーテンキな旅番組が一番気が休まります。

お久しぶりです

おぐにさんお久しぶりです。以前「ベイビーパッカーで行こう」を読み涙を流し、静岡のイベントに行き握手を求めた者です。
とある育児雑誌の企画
「子育てのヒントをくれた1冊 ママとパパの本棚」
で、おぐにさんの
「ベイビーパッカーで行こう」を紹介させていただきました。
4月7日発売ですので、ご住所お変わりなければアマゾンなどから
ご自宅へと思ってます。
~というメールを送ろうと思ったのが地震前です~
それから地震が起こり、私も親戚が宮城にたくさんいるので
おぐにさんの日記と同じ気持ちでいます。
今は無力さでいっぱいですが、今何もできなくても、
半年後、1年後、東北へ旅行へ行ったり、その地域の物を
買ってみたり、長い目で出来る事をしていこうと思います。
では、コメント欄にながながと失礼いたしました。

奇遇です

お久しぶりです。私の実家は仙台で、80歳の老母が一人ぐらし。やはり家が高台の方だったので津波は大丈夫でした。3日ほど前から電気が通じ、電話でも連絡できるようになりました。給水は運んでもらっているようですが、近所のスーパーに買い物に行ったら2時間も並んだとのことでした。同じ国の中にいても、そこまで行って手伝うこともできていません。
石巻もかつて住んでいたことがあり、親友がいます。昨日ようやく避難所で連絡がとれました。家族も無事だったようですが、家は流されたそうです。
今できることは限りがありますが、被災した町、そこでのこれからの暮らし、そして原発のことなど、何年もかかるいろいろな課題が出てくることでしょう。
そんな中で、おぐにさんがジャーナリストとしてご活躍されることを心からお祈りしております。

冷奴さん。

少しずつ、テレビなども元に戻りつつあるみたいですね。アメリカで緊急対応として、NHKや民放がUstreamでも番組を流してくださっていたのも、ほぼ終了したみたいです。

佐々木さん。

おおおおおお、ご無沙汰しております!
コメントありがとうございました。
「住所」変わってます。転居したので。
非公開コメントか何かで、メールアドレスをご連絡いただけますか? 
情けないことに、古いパソコンから新しいパソコンに変える時、メールアドレスを移しそこなってしまったの(涙)。
ご連絡、お待ちしております~。

楢木さん。

……ってもしかして、径書房の楢木さん??
きゃああああああああ。ご無沙汰しております!
お元気でいらっしゃいますか。
まさか、こんな風に再会できるとは!

楢木さんも、そうでしたか、仙台がご実家でしたか。今回の復興、あるいは復興支援は、みんなが忘れたころが大事なんだと感じてます。
息子にも、「一気に募金して終わり、じゃなくて、長く、長く、募金も含め、やれることを考えよう」と話しています。
今は、アメリカですら、あっちこっちに募金箱があるようなありさまです……。
プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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