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カレッジ授業報告2010秋4

忙しくて、忙しくて、書いてる暇がないのだけれど。
カレッジ授業は恐ろしいくらい面白い。
試験対策も兼ねて、取り急ぎ、何本かに分けてご報告します。

今回は、「忠誠の誓い」 について。

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America,
and to the Republic for which it stands,
one Nation under God,
indivisible,
with liberty and justice for all.


たとえばうちの息子は、アメリカの学校に通うようになってから、毎朝、規律して、胸に手を当て、これを唱える日々を送ってきた。最初は、ぎょっとした。
そもそも、日本では、国旗に敬礼、とか、国歌斉唱、とか、国旗掲揚、とか、そういうことだけでも色々と議論が起こるというのに、この国では、毎朝、小学生が、国に忠誠を誓っちゃうんだもの。

当然、色々な議論も起こる。
今一番有名なのは、under God の文言の扱いだと思う。

ちなみにこの、under God とういう文言自体は、1950年代に加えられたものだ。
折りしも当時は冷戦まっただ中。
敵国ソ連が無宗教国歌だってんで、「あいつらと俺らをしっかり区別しようぜ」みたいな動きが起こり、この文言が採用された。
後に、無神論者がこれを 「修正第一条に抵触する」 と訴え、第一審では、「under God は違憲」 という判決が出たもんだから、さあ、大変。国中からこの判決に対し、批判が巻き起こったんだそうだ。
現在、最高裁で係争中。

under God の扱いについては、こんな話題もある。

「ペプシが、ある時、瓶に 『忠誠の誓い』 全文を印刷したバージョンを売り出した。ところが、『誰も傷つけないように』 と配慮して、あえて、under God の文言だけを削除していることがわかって、ペプシには逆に抗議が殺到。結局、ペプシはそのバージョンの瓶を全部回収することになった」

という話。
Sember先生もこのエピソードを授業中に使ってたんだけど、あまりに面白すぎるわりには、ニュースソースがうまく見つからない。実は都市伝説じゃないか、なんてことを書いてあるサイトまである始末だ。

これについては、後日、Sember先生に、「都市伝説じゃないか、なんて話もあるようですが」 と質問にいった。
彼曰く、
「いえね、僕も、ニュースソースは見つけられずにいるんだ。でも、あれは本当にあった話なんだよ。なぜなら、僕自身がその現物を見たことがあるからね。あああ、今思えば、あの瓶を取っておけばよかったなあ。たしか10年くらい前の話だったと思うんだけど……」

だって。
ははは、生き証人、でしたか。

ちなみに、忠誠の誓いに関して有名な判決が2つある。
一つは、1940年のMinersville School District v. Gobitis。
「エホバの証人」を信仰する家庭の子どもが、学校で、アメリカの国旗に対して敬礼し、忠誠の誓いを唱えることを拒否したため、学校から放校処分を受けた、というケース。
エホバの証人は当時、国旗への敬礼を拒否するのが公式の教理になっていたらしい。
この子どもが通う学校というのが、90%がカトリックで、すでにエホバの証人との間で緊張が高まっていたときだったから、激しいいじめや排斥運動につながっていったらしい。

おまけに、最高裁は、「公立学校が子どもに強制的に忠誠の誓いを唱え、星条旗に敬礼させることは合憲」 と判決を出したもんだから、これを機に、エホバの証人に対する排斥運動は全米に広がっていったんだって。

ところが、この3年後。
West Virginia State Board of Education v. Bamette のケースで、最高裁は前の判決を覆した。
簡単に言っちゃうと、「宗教や国家や政治の問題において、何が正しいとか、無理にこれをしろ、とか、生徒に無理強いすることは許されてはいけない」 というような判決。
これで、とりあえず、「忠誠の誓い」 の時間に、生徒は、誓わなくても、立たなくてもいい、ということが認められたわけ。

もちろん、長いものにはとりあえず巻かれる我が家の息子は、文言の意味がまったく分からないうちから、モゴモゴと適当に口を動かしていたそうだけど。

Sember先生は、Minersville の学校のケースをとりあげ、あえて最高裁判決を隠した状態で、学生たちにディベートさせた。

「公立校で子どもは忠誠の誓いを唱えねばならないか?」
「ここはアメリカなんだから、星条旗に忠誠を誓うのは当たり前だし、英語をしゃべるのも当然だ!と思うか?」

幼いころから、忠誠の誓いを毎日毎日唱えてきた学生たちなのだから、案外、「YES」という生徒が多いのではないか、と思ったら、こればかりは違った。
忠誠の誓いを唱えなかった子が、退学処分を受けたのは当然だ、としたのは教室で一人だけ。
(1人だけでも、堂々と手を上げる姿は、これまたなかなかすがすがしく、なかなか日本では見られない光景だと思った)。
「処分は行き過ぎでも、ここはアメリカなんだから、忠誠の誓いを唱え、英語をしゃべるのは当たり前」 と答えた人も、5人 (4分の1以下)しかいなかった。

これはちょっと意外だった。
毎日毎日忠誠の誓いを唱え、国歌の前奏が聞こえてくれば反射的に立ち上がって胸に手を当てるように育っている学生たちでも、それを自分がするかどうかと、それを他人に強いるかどうか、は別モノなのだと、分けて考えていることがよく分かったから。

私の目には、忠誠の誓いは、なかば洗脳にも見えるわけだけど、ところがどっこい、子どもたちはもっとしたたかというか、伸びやかというか、ちゃらんぽらんというか、デコボコなのかもしれない。
毎日唱えてきたはずの学生たちなのに、唱えさせてみたら、すでに忠誠の誓いの文言があやふや、って子がいかに多かったか!
おいおい、あんたたち、毎日これを唱えてたんでしょ? と笑ってしまった。
私なんか、幼稚園、小学校、中学校、高校までの校歌の1番の歌詞なら、全部歌えるぞ……。
(という、私みたいなタイプが、一番洗脳されやすいってこと???)

いずれにしても、人間というのは本当におもしろいと思う。
たとえば、スポーツの試合だの、行事だののたびに、国歌を誇り高く歌っているように見えるアメリカ人なのに、調べてみると、意外や意外、歌詞をきちんと覚えている人は多くはなかった、というような調査もあったはず (出典が見つからないけど……)。
そのくせ、5年ほど前だったか、スペイン語版のアメリカ国歌が登場したときは、えらく批判が集まったり。

Sember先生によると、「僕らは、実は、国歌の歌詞を正確に覚えているわけでもないのに、どうしてその歌詞がスペイン語に訳されたとき、反発してしまうんだろうか?」 という問いかけで授業をしてみると、結構面白いんだそうだ。
ぜひ、その授業シーンを見てみたいもんだ。

Sember先生はよく、「リベラルが強いメリーランド州の、それも人種・民族の多様性の豊かなモンゴメリー郡のカレッジだけあって、恐ろしくリベラルな学生が多い」 と笑うけど、実際にそうなんだろうな。
ちなみに、Sember先生はかつて南部州で高校教師をしていたとき、忠誠の誓いの 「Under God」 という文言を、「under Constitution」 と言い換えてもいいよ、と生徒に指導しようとしたことがあったらしい。
「でもねえ、南部の保守的な学校では、これはなかなか難しくて。逆にあれこれ批判が出てきそうだったから、結局、おとなしくしてたんだよ」 と茶目っ気たっぷりに授業で話していた。
なるほどなあ。

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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