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カレッジ授業報告2010秋2

最初の授業の日、Sember先生は2分遅れで教室にやってきた。
一応ネクタイに背広姿。
でもちょっとくたびれたオヤジっぽくて、とぼけた雰囲気は、ジョージブッシュ(息子のほう) にも似ている。

コースの説明をざっくりとしたあと、先生はおもむろに、2枚の新聞記事の切り抜きを、前のほうに座っていた2人の学生にそれぞれ渡した。

1本目の記事は、26歳の女性教師が未婚のまま妊娠した、という話。彼女の勤務先がカトリックの私立校だったのだが、彼女が、校長先生に 「おなかの子の父親とは結婚するつもりはありません」 と言ったため、2日後、解雇された、という話。

「さあ、みんな、どう思う? 彼女は解雇されるべきだったか。あるいは、解雇は不当であるか」

議論大好きなアメリカのティーンネイジャーたちは、早速挙手する。
「絶対にありえないわ。結婚しないで出産するなんて、いまどき当たり前じゃない」
(アメリカでの同棲カップル率は、日本の比ではないほど多い)。
「だいたい、この女性が結婚するかどうかは、学校に関係ない話よね」

一方で、こんな反論も。
「でも、カトリックだろ。最初に雇用されるときの契約書に違反するんじゃないか?」
「違反するって何よ? 契約書に、『未婚のまま妊娠すれば、解雇される』 とか書いてあるってわけ?」

まあ、そんなこんなで大騒ぎ。

さらに、Sember先生が引っかきまわす。

「おい、君? そう、赤いシャツの君。名前は? ジェイン。OK、ジェイン、君に問題だ。君がもしも厳格なカトリックの家庭を築いた母親だったとする。え? カトリックじゃない? まあ、たとえば、って話だからね。君は娘をカトリックの学校に行かせているとする。カトリックの家庭は、どうして年間3万ドルくらいのバカ高い授業料を払ってまで、カトリックの学校に行かせるんだろう? そうだよね。カトリックの教えをきちんと学び、カトリックの考え方に沿った教育を受けさせてやりたいからさ。そんな学校で、娘の先生が未婚のまま、子どもを生むという。君ならどうする?」

「彼女の雇用契約書には、カトリックの教えを逸脱せず、教えに沿った教育に携わります、みたいな項目もあったんだ。だから、君の言うとおり、契約書を根拠に解雇されるのは当たり前かもしれない。でも、考えてごらん。君が同じ立場だったら、君は解雇されるか? そうだよな。男だったら解雇されなかったはずだ。となると、これは男女差別ではないのか?」

「未婚の母はダメだという。ならば、彼女が『堕胎します』といったらどうかね。これまたカトリックの教えに猛烈に引っかかるわけだ。生むべきか、生まざるべきか、どっちにしても解雇ってわけ」

こうして、議論は、1つの点に集約していく。
つまり、女性の権利と、信教の自由と。
いったい、どちらが優先されるべきなのか?

ある程度、論点が見えてきたところで、あえて結論を出さず、次の新聞記事に話題を移す。

ある男性が、別の女性から卵子を提供してもらい、自分の精子とで受精卵を作り、それを代理母に生んでもらった、という話。男性は数百万円の報酬を代理母に支払い、契約を交わし、その上で、三つ子が生まれた。ところが代理母は出産後、子どもたちを父親に手渡すのを拒否し、そのまま自分の手元に引き取って育ててしまった。
父親は当然、子どもの親権が自分にあることを主張し、訴訟を起こした。

「さあ、君たちなら、どう思う? 子どもたちは、父親のもとに返されるべきか。それとも生んだのは代理母なのだから、彼女の元にいるべきか

こちらのほうは、さっきより、議論が割れなかった。
圧倒的に、「父親がお金を払って契約したのだから、子どもは父親のものである」 という意見が多かったからだ。

それを見ると、Sember先生はこう引っ掻き回す。

「ほっほう。契約、ねえ。だいたい、前の新聞記事では、契約がどうであろうと、女性の教師が解雇されたのは女性差別だ、って言ってたくせに、今回は契約のほうを重視するのかい?」

「つまり君たちは、契約さえあれば、人間の売り買いをしても良いって言うわけだ。奴隷制度と同じように、『金で買ったんだから』 ってね」

そのうえで、少しだけ事実の種明かしをする。

「実はこの父親、代理母が出産した後、病院に少しも顔を出さなかったらしいんだ。それで、代理母が、自分の生んだ子があんな無責任な男に育てられるのはかわいそうだ、って家に連れ帰ったんだな。ところで、訴訟だが、当然結論が出るのに時間がかかる。この件では、2年かかった。その間、父親は父親で、子どもたちに名前をつけていた。つまり、だ。三つ子の子どもたちは、自分を生んでくれた『母親』のもとで、2年間も養育されてきて、名前だってちゃんとつけてもらっていてた。もしも、2年後、訴訟の結果、父親のもとで暮らすとなると、3人の子どもたちは、まったく知らない男と、これまでとまったく違う名前で、生きていかなきゃいけないってわけだ」

こうなると、「やっぱり父親ではなく、代理母に育てられるべき」 という生徒がぐぐっと増えた。

さらに、Sember 先生は付け加える。

「ちなみに、この代理母のほうも、父親を相手に訴訟を起こしたらしい。『養育費を渡せってね』」

このあたりでもう、教室は騒然。
教室が大騒ぎなのを、しみじみと満足げに見ていた Sember先生は、こんな風に授業を締めた。

「つまり、これが政治なんだ。何が正しくて、何が間違えているか。そんな答はありえない。ただ、政治のあちこちで、価値観のぶつかり合いがある。代理母のもとに生まれた子どもたちのように、人々はそのぶつかり合いの中でもみくちゃにされる。それに決着をつけていくのが、政治ってやつだ」

1時間15分の授業のあいだ、エネルギッシュに、そしてものすごい早口で、大声で、先生は話し続けた。
何かに似ているな、と思ったら、観客の関心をひとときもそらさない、勢いのある、Stand up Comedy って感じ。
なるほど、アメリカの10代に一番人気の授業というのは、こういう授業だったんだな。

え?
私?

なにしろね。手を挙げなくても、指されて、発言を求められる授業なもんで。
思わず、「当てられませんように、当てられませんように」 と心中祈っちゃったよ。
情けない~。
「こっちが正しい、いや、こっちだ」 などと黒白はっきりさせる論調って結構苦手なので、「こう考えるとこっちを支持したいけど、こういう見方をするとこちらを切り捨てるのはおかしいし、でも、こういう立場で考えると……」 などと、ああでもないこうでもないと言ってしまいたくなるあたり、ディスカッションの訓練を受けてない、日本人のツラサかなあ。

まあ、少しずつ発言の機会を増やしていこうと思った初日なのでした。


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プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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