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孫正義さんと佐々木俊尚さんの対談

Key hole TV だけでも十分驚いていたのに。
昨夜は、ソフトバンクの孫正義さんと佐々木俊尚さんの対談をウェブで見つけてつらつらと見てしまった。
アメリカでこんなものを見られるなんて。いい時代になったなぁ。
どうせならリアルタイムに中継されているのを見たかったけれど、普段からアンテナ立ててない私のこと、こりゃもう、仕方ない。

お話の内容については、そもそも私はたぶんよく分かってない。
国費ゼロで離島まで「光」が届くのか。
って以前に、「光」ってどこまで速いのか。
そんなことも実感がわかない。
って以前に、私とネットとの関係において、「光」がもたらすかもしれない恩恵ってなんだろ、とか。
そもそも、「光」が我が家に届いた途端、私とネットとの妙にアナログな関係がガラリと変わったりするもんなのか、とか。
思わず、「猫に小判」 とか 「豚に真珠」 とか、自分で思っちゃうもんな。
いや、私と比べられるんじゃ、猫も豚も気の毒か。

「どこでもWiFi飛んでます~」 というアメリカにいて、この前も、「ちょっとメールチェックしたい」 と思えば、その辺のどこにでもあるマクドナルドの駐車場に車入れて、店内の無料WiFi使って……みたいな暮らしをしている私は、もうすっかり、無線ちゃんの信奉者。
でも、この国、便利といえば便利だけれど、Comcast のサービスの悪さから年末年始に3週間もテレビなしネットなし状態に突き落とされたりもしている我が家としてみれば、ネットに対する期待値は 「とりあえず、つながっていればOK」 だもんね。

それはそうとして、本題。
こんな私なので、実際の対談のテーマよりも、対談のなりたちや、開かれ方のほうが、ずっと心に残った。
実は、佐々木さんは、毎日新聞社時代、誰よりお世話になった人の一人で、長い時間、机を並べていたこともあって、もっと正直に言ってしまえば、まだまだ原稿をまともに書けなかったある時期、私はデスクに原稿を出す前に、佐々木さんに全部手直ししてもらっていた、なんて恥ずかしい過去もあったりする。

当時からネット社会への造詣が深く、でも、当時の 「パソコン得意です、俺」 みたいな人と圧倒的に違ったのは、ネット社会のあり方からコンピュータに関する技術的なことまで、語る相手に分かるように言葉を選び、伝えられる人だったことだと思う。
何しろ、若干 「機械アレルギー」 気味だった私にパソコンのハードとソフトの区別を理解させようとして、

「おぐに、分かるか? この小さな箱の中に、こびとがいると思え。パソコンから漏れるカタカタという音は、ハードディスクというこびとさんが、必死で働いているんだよ」

と説明してくれた人だもの。
今から考えてみたら、伝える相手を意識し、伝えたいことを100%伝えるため、言葉を選び、磨き、自分を開いていく、という能力そのものが、ジャーナリストの根っこだもんなあ。

(ちなみに、私の愛機の中のこびとは、今や、カタカタではなく、がたがた、ギリギリと音をたてる。どうやら、こびとさんたちは、埃にまみれ、あっちこっちに引っかかっているらしい。熱が生じて、こびとさんは汗だくで、やけどでもしそうだ……って、まずいよねえ、この状態)。

そんなわけで、懐かしいお顔を拝見できて、しみじみしてしまった。
話が脱線してしまったわけだけど。

なるほど、今の時代、誰かとの対談を人々に伝えるのに、もっとも多くの情報量 (それこそ、話の内容はもちろん、しゃべる時の間合いや表情、何を飲み、何を食べ、いつトイレに行くかまで) を伝えられるのが、今回の形だったんだと思う。
私は思わず、自分が誰かを取材する時に、それがリアルタイムに公開されることを想像して、すごくワクワクしたし (先にワクワクするあたりが、脳天気だ……)、ドキドキもしたし、それから、「ちょっと待てよ。英語でインタビューなんかしてるところは絶対に他人に見られたくないよな」 などと思い至り、「いやはや、こりゃ、鍛えられるわ」 としみじみ思った。
ここで、ひるんじゃ、ダメだよなあ、とも思った。

それから、今度は逆の立場になって考え得てみた。
私の場合、もちろん、「公開される側」 になることも多少あるだろうけれど、むしろ、今回のように 「視聴者」 であることのほうがずっと多い。
私たち 「受け手」 は、こんな風に情報にアクセスできるようになった今の時代、どんな風にすれば一番上手に 「鍛えて」 もらえるんだろう? って。

佐々木さんの口調や、相づちの打ち方や、人の話の受け止め方は、「昔懐かし」 という部分もあったけれども、でも、随分と遠くなっちゃったなあ、とも思った。
それは、昔、同じ職場で机を並べていた距離感と、今、日本と米国にいて、まったく別の仕事をしている、という距離感とを比べて、「遠くなった」 という話ではなくて、今、この人に見えている世界は、私が見ている世界と全然違っているんだろう、ということの 「遠さ」。

私は常日頃から、しみじみと、ネット時代に感謝している。
そもそも、子どもがいて、超短時間勤務でいながら、それでも自宅で原稿書いたり、メールで出稿できたり、アウトプットの量を減らさずに済み、ずっと働き続けていられること自体、それがなくては敵わなかった。
今、アメリカにいても、日本に半身を置いて、日本の読者を意識して、雑誌に書いたりできるのも、これのお陰だ。
でも、「近さ」 の恩恵に甘えちゃってるよなー、と思うことはいっぱいあるのよね。

アメリカにいながら、日本での話題の対談をリアルタイムに見られる 「近さ」。
いわゆる 「双方向」 ゆえの 「近さ」。
でも、今回 「近さ」 より 「遠さ」 のほうをむしろ強く意識できたのは、それだけ新鮮な話だったし、新鮮な形での対談だったし、昔馴染みのあった人のお話だったからなんだろう。

今回考えたのは、この 「近さ」 をきちんと活用しつつ、この 「遠さ」 をどれだけ意識できるか、ということ。
うまく言えないけど、開かれれば開かれるほどに、問われるのって結局中身なのよね。
「遠さ」 のほうをきちんと自覚できないと、「近さ」 のまばゆさに目がくらんで、ムダに小躍りしたり、力んだりしてしまう。
でも、ますます問われるようになった中身できちんと勝負できるようになるには、「近さ」 を喜んでいるだけじゃダメなんだろう。
ツールとしての 「近さ」 なわけで、「近さ」 そのものが目的じゃないもんねえ。

というわけで、大変刺激を得られた対談でありました。
話してのお二方はもちろん、ネットでの中継を実現たらしめるため、楽しんで仕事しまくってくれたのだろう多数の方に、感謝感謝。こちらも大変、楽しみました。

追伸 : 野球話の中編、後編はしばしお待ちを~。書き始めたら、恐ろしく長くなり、今必死で他人様に読んでいただける状態にしようと格闘中でございます。

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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