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「公の場における宗教的表現」

移民に関する授業をとる予定だった春期のカレッジだが、途中で長期欠席しなければならない事情もあって、結局、今季はお休みすることにした。
そんなわけで、ここ数カ月は、カレッジの代わりに、DCのあっちこっちの研究所なんかの主催する講演会とかシンポジウムとかを聴きに行く、ということにした。
レポート提出も、宿題も、成績もないとなれば、きちんと出掛けていくモチベーションを維持できるかどうか、ナマケモノ志向の私としては、かなりビミョー。
でもまあ、通い慣れたカレッジとは違う、別の場所に出掛けていく、というのは大事かな、と思って。

本日は、ブルッキング研究所で行われた、「アメリカの公的な場所での宗教的表現について」。
このタイトルを聞けば、とりあえず身近なところで、たとえば、

・学校で聖書や神について教えることの是非
・学校の子どもたちが毎朝言うことになっている 「忠誠の誓い」 におけるGodの扱い
・市役所前の広場なんかに、たとえば、12月にクリスマスの飾り付けをすることの是非

くらいは思いつくわけだけど、ほかになにか、あるのかしらん、という程度の知識で出掛けた。
いやはや。
やっぱり、この手の話は、きちんと下準備しないと、専門用語バシバシで、おまけに宗教用語もバシバシで、なんとなく分かるけど、厳密に理解できたことはほとんどない……というような悲惨なありさま。
言語の壁も厚いけど、知識の壁はなお厚かった~。

憲法修正第一条の専門家だとか、公教育における宗教の自由についての専門家だとか、あるいは、キリスト教、ユダヤ教などを背景にした専門家がずらっと並んで、何をやったかというと、共同声明の発表。
共同声明、というからには、「宗教的表現は公の場では、こうであらねばならない!」 的な主義主張声明かと思ったら、全然違った。

あくまで、現在の法的解釈で何が許され、何が許されないのか、何が違憲で、何が合憲なのか、「法がどうあるべきか、という判断はあえて加えず、現在の法解釈がどうなっているのかについての共同声明」 なんだって。
で、そういう声明を出す目的は、「まだまだ結論の出てない問題も多いが、少なくとも、すでに法的に決着がついている問題について、あれこれ現場で議論が混乱しないようにするため」 だそうで。
実際のところは、「法がどうあるべきか」 なんて所まで踏み込んだら、「共同声明」 という企画自体が瓦解してしまうほど、意見の分かれる問題だった、ってことなんだろう。
ことほどさように、宗教国家アメリカで、信教の自由 (信教しない自由も含む)と、宗教の自由とを、きちんと守っていくのは大変で、気が遠くなるほどの議論がすでに重ねられてきているのだ。

声明は、Q&A方式になっていて、いくつか面白いテーマもあった。
たとえば、身近なところでは、

・宗教活動のために個人および団体は政府の施設を使っても良いか?
・自治体は、季節の飾り付けとして、宗教的な要素を含むものを飾って良いか?
(クリスマスツリーやサンタクロースなど)
・季節の飾り付け以外の意味合いで、自治体が、宗教的な像や聖書の一節を掲示して良いか?
(たとえば、裁判所に「モーセの十戒」を展示するなど)
・硬貨に 「In God We Trust」 と刻印されていることは、違憲ではないのか。
・雇い主は、従業員が宗教上の礼拝などができる場所を職場に設置すべきか。逆に、従業員は、職場で宗教活動を行って良いのか。
・公立の小中学校が宗教を教えて良いのか。
・Under God という言葉を含む 「忠誠の誓い」 を公立学校の生徒に唱えさせることは許されるのか。

などなど。
いちいち、結論をここに書けないけれど、これらの項目について、最高裁判決ではこうだったとか、色々な説明があって、それはそれで、現状を認識するよいテキストとなりそう。

たとえば、市が、年の暮れに、季節の飾り付けとしてクリスマスツリーを飾った場合、それが、キリスト教の布教を目的としたものであったり、キリスト教を支持すると表明するようなものであれば違憲だけれど、全体として特定の宗教を推進するような内容と判断できないものであれば、合憲、とか。
「モーセの十戒」 の展示については、同時期にまったく結論が逆の判決が出ちゃってるとか。
「忠誠の誓い」 については、まだまだ議論の余地の残るところなんだとか。

へええ、と思うことしきりの声明ではあった。

印象に残ったことが一つ。
質疑応答の時間に、ある男性が 「実に色々な宗教を代表する立場の方が加わり、共同声明を出されたことに敬意を表しますが、それならば、信教をしない立場の団体、たとえば、American Humanist Association とか数多くの団体があるわけですから、そういった立場を代表する人をワーキンググループに参加させるべきだったんじゃないでしょうか。そうすれば、内容も若干変わったのではないか、と思いますが」 と発言したこと。
実は彼の発言で始めて、そういう団体があることを知った私。

しかしまあ、これだけきちんと議論を詰めていく、という姿勢は、やっぱりすごいよなあ、と思った。
日本で、公共施設にクリスマスツリーを飾る時、こういう議論って、行われるのかなあ。
やっぱり、アメリカにおける宗教、人種・民族、銃所持の3点セットは、相当勉強しないと、日本人がきちんと理解するのが難しいテーマだなあ、としみじみ実感したのだった。

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無神論

私は東京で「懐疑論者」のグループに入っているわけなんですが(今後は娘との関係で神道を選択するかも知れないけど)、まあ、とにかく、現在は特にアメリカでは「懐疑論」は「世俗的人道主義」「代替医療」と3点セットなのです。「代替医療」は反疑似科学からの流れなんですが、世俗的人道主義の理由は、言わずと知れた進化論です。ダーウィニズムをよしとすると、半ば自動的に無神論を選択して、secular humanistになるしかないようなんですね。
「日本人はいいよね、無宗教で」と、よく言われます。
http://www.centerforinquiry.net/japa/local_resources
ここは日本語になっているので、ざっと見て見てください。私自身もこんなことになっているとは知らなかったんですけどね。
こんな解説もあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ID%E8%AB%96
プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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