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カレッジ授業報告 試験終わった

アメリカの結婚・家庭の社会学、という授業がすべて終了。
本日は期末試験がありました。
選択問題と、言葉の定義を書く問題、論述問題の3部構成で、案の定、「定義書き」 に今回も苦労しました。わずか1~2文で、社会学的な概念を 英語で 説明しろ、というのは、私にとっちゃ、社会学のテストというより、まさに、英語のテストだもんなあ。
それでも、論述問題は大変楽しく回答できたし、まぁ、今回も、A評定は固いな、がっはっは。
(……って、40代半ばにして、たかだかコミュニティーカレッジの成績がAだといって、胸を張ってしまう自分がちょっと情けないけど)。

今回のコースは、思いの外、役に立つ内容が多かった。

前回の、「アメリカ政治と人種・民族」 という授業は、あまりに私のほうに人種問題に関する基礎知識が足りなすぎて、また、アメリカという多民族社会の事象のあれこれを、日本の現状とストレートに比較することもできなくて、新しい知識を得たという意味では大変興味深かったし、人種や民族というテーマをこれだけ真正面に授業で扱えるんだ、という意味でも新鮮だったけれど、直接自分の仕事に結びつくようなことには、なりづらい部分もあった。
(とはいえ、人種・民族絡みの話題を、週刊ポストにも、学士会報にも、書いたっけな)。

一方、今回のコースは、アメリカの家庭や結婚に関するデータがたくさん拾えたし、日本社会とアメリカ社会を比較することもできれば、日本人と、日系アメリカ人の比較というのもできそうだったし、また、人種や民族という問題を、家庭や結婚レベルから検討する機会も得られた。
実におもしろかった。
そもそも、家庭とか結婚とか、私自身に興味があって、日本の現状やデータをある程度把握している分野だったから、アメリカのデータに触れるたび、日本との違いや共通点がすぐに見えて、アメリカとともに、日本をも知る結果になったんだと思う。

家庭とか結婚とか、身近なテーマを社会学する授業だからこそ、生徒たちも随分と自分の家庭での体験を語ってくれたと思う。たとえば、児童虐待についての授業の中で、児童虐待の件数と人種・民族との関係なんてデータが出てきて、アフリカン・アメリカンの家庭の虐待件数が、白人家庭のより、多い、という話になった時のこと。
ある黒人の男の子が、本当に本当に戸惑った表情で、「うちのオヤジ、子ども時代に、確かに俺を殴ったこともあったけど、それは俺が本気でまずいことをやったからで、あれなんかは、虐待って言わないよね」 とサントール先生に質問する場面があった。
なかなか日本の授業なんかでは出会えない場面だと思った。
「さあ、サントール先生、ここでどう答える?」 と私は思わず、先生の対応に注目してしまった。
サントール先生は、「そうだね。虐待かどうかは文脈の中で考えるべきで、そう簡単に線引きできないものなのかもしれない。むにゃむにゃむにゃ……」みたいな答え方をしていた。
全然焦ってなかったところを見ると、案外、これまでも似たような授業をし、似たような質問を何度もすでに受け慣れていたのかもしれない。

いずれにせよ、この国では、教育分野であろうと、家族・結婚という分野であろうと、雇用・就労の分野であろうと、すべてのデータは、白人、黒人、ラティーノ、アジアン (多くの場合)など人種・民族別に提示されるわけで、これらの背景について議論したり、考察したりする授業は、どの分野においても、常に人種・民族問題を考える授業にならざるをえない、ってわけだ。
おまけに、先生の力量によっては、生徒の偏見やステレオタイプ化をより強化してしまう恐れだってある。
また、マイノリティーの先生が指導する側に立つ時には、生徒の側に必ず、「先生の授業は、マイノリティーゆえのバイアスがかかっているのではないか」 というような視点が混じる。これは、どうしようもない。

知り合いのマイノリティーの先生なんか、「オンライン授業のコースを教えるほうがずっと楽なのよ。生徒にも私のエスニシティーが分からないし、私の目にも生徒の人種や民族的背景が見えない。だから、そのあたりのステレオタイプ化や偏見を、お互いに廃することができるの」 と話していた。
なるほどなあ、と思ったもんだ。

まあ、何はともあれ。
試験が終わったのは、めでたい。

今回の試験には、最後の最後に短い問題がついていた。
サントール先生は試験前に、こう言った。

「今回は、エクストラポイントを君たちにあげるために、おまけの問題を最後につけておいたからね。それが解ければ、2ポイント追加してあげる。せいぜい2ポイントなんだから、無理しなくていいよ」

どんなに分からない問題であっても、白紙で解答用紙を出すのが嫌いな私は (これ、間違いなく、共通一次世代の特徴だよなぁ)、そう言われると、解かずにいられないのだった。

さて、問題はこんな感じ。

アメリカとカナダの国境あたりで、飛行機が墜落事故を起こしたとしよう。
多くの犠牲者が出る、悲惨な事故だった。乗客は、さまざまな国からやってきていた。
彼ら被害者はいったい、どの地に埋められるべきだろうか。


最初にこの問題を読んで、思い出したのは、実は、「えひめ丸事件」 だった。そもそも船体引き上げをするつもりもなかったアメリカと、遺体捜索を強く望んだ日本の遺族側とのいきさつが、当時、とても印象に残っていたから。
それぞれの国、文化、宗教などによって、死をどのように受け止めるかも、遺体にどのような意味を持たせるかも、まったく違う。そんな違いから生じるすれ違いや意見対立は、事故であれ、臓器移植であれ、色々な場面でよく見られるものだ。

そんな事例をあれこれ挙げた上で、それぞれの乗客の遺族感情を出来る限り理解し、それぞれに応じて対応すべきだ、みたいな答を書き始めて、あれれ、と鉛筆を止めた。

victims という単語の綴りを間違えないように、念のため、問題文で確認しようと思って、もう一度問題文をよく読むと、私が victims と書いてあると思っていた場所には、代わりに、survivors と書いてある。

「生存者は、どの地に埋められるべきだろうか」

は?
なんだ、この問題?

もしかして、survivors(生存者)という単語には、私のまったく知らないような、時には、死者を意味するような場合もあったりするのか。それとも何か文学的な比喩表現なんだろうか。
悩んでも悩んでも、よく分からない。
それで仕方なく、解答するのをあきらめ、答案を先生に提出する時に、質問してみた。

「これ、解こうとしたけど、問題文の意味がよく分かりません。survivors って、まだ生きてる人ですよね? buried ってこの場合、埋葬されることを意味してますよね? それって問題文として間違えてませんか? victimsとか書いてあれば分かるんだけど」

そしたら、サントール先生、困った笑いを浮かべつつ、「うーん、君は、right track にいると思うよ。うん。つまり、答はどういうことになる?」

禅問答のような先生の答に、余計に分からなくなった私は、思わず、「えひめ丸」の話まで持ち出し、「だからね、ここの言葉が victims であれば、すごく書きたいことがあるんです。遺体をどのように扱うべきか、というのは、実に、それぞれの国で、文化で、宗教で、異なるわけだから……」 と持論を展開せざるをえなくなった。

サントール先生、ますます困った顔で、「いや、まったく、ほんとに君に言う通りだ。でも、この問題文の場合、答はどうなるのかな?」 と言う。

おい、あんた、問題文の誤字をごまかして逃げる気?
思わず、怒気を含んだ声で、
「だって、生きてる人間は、埋めちゃだめでしょう!」
と言い返したら、サントール先生、降参したよ、という顔で、一言こう言ったのだった。

「うん。だから、それが答なんだ」

………。
おいおいおいおい。
こっちは真面目に、社会学の試験だと思って、問題に答えようとしてたのに、最後の最後にきて、ただの引っ掛けクイズかい?

ちなみに、私がサントール先生とひそひそ声でこの問答をかわしていた時、その教室にまだ居残って、テストと格闘していたのはわずか3人。でも、この3人にはきっと、私の 「生きてる人間は埋めちゃダメ!」 という怒りに満ちた声は届いていたと思うし、みんなそろって、2ポイントの追加点をもらえたと思うよ。
ああ、疲れた。

いまだもって、ああいうテスト問題ってありなのか、と納得いかないよ。
だって、相手は、一応、カレッジの学生さんたちなのに。

あまりに呆れたので、息子にこの話を披露した。

「でね、母ちゃんは、くそまじめに答を書こうとしたんだけどさ、victim って単語の綴りを間違えないように、って問題文をもう一度確認したら、そこに survivors って書いてあったのよ。なんだ、これって思って……」

とそこまで私が話したら、息子が、即答。

「じゃあ、『サバイバーは埋めちゃダメ』 ってのが答じゃん。
 小学生でも解けるよ、そんな問題」


だって。
小学生でも解ける、というか、
小学生にしか解けない、というか。
とにかく、授業も試験も無事終了。
あー、疲れた。

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No title

はぁ~だね? そんな謎謎みたいな問題、全然社会学に関係ないよね、、なんつうか・・・苦笑 もしかしたらタイポで、それを認めたくなくてそう言ったのかもね??
プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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