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カレッジ授業報告 リサーチ・ペーパーの巻・後編

前編に続き、リサーチペーパーについて。
以下が、英文で書いたペーパーを、思い切り意訳し、あちこち小難しいところは細かい部分を略し、さらに、細かい引用部分を削除し、日本語訳し、さらにブログ風文章にした 「ブログ」版です。
英文でちょうど3600字くらい。
3冊の本からの引用が義務づけられていたりして、かなり疲れる作業でした。
途中、先生に 「思い切り、アカデミックなものを要求してます? つまり、主語を I とかにして、主張がいっぱい入ったようなのは、リサーチペーパーとして認めない、とか言います? そういう先生もいるので念のため」 と聞いたら、「僕は、アカデミックなものより、主義主張が入ってるほうがいいな。もちろん、I を主語に何でも書いて」 と言われたので、内容も、全然アカデミックじゃありません。

*********リサーチペーパー・ブログ版************

アメリカに来て、気軽に使えなくなった言葉が一つある。
「アメリカ人」 という言葉。
日本じゃ、あんなに気楽に使ってたのにね。
今、ぶち当たった大きな問題はコレ。
「『アメリカ人』 って誰?」

アメリカに来て以来、何度も聞かれた。「アメリカの市民権取って、『アメリカ人』 になる気がる?」 と。本当にびっくりした。だって、逆はありえないもの。
日本で良い仕事に就き、日本語を学び、日本人と結婚し、たとえ日本国籍を取ったとしても、やっぱり、日本という国では 「日本人」 になれないんじゃないかな。
せいぜい 「親日派の外国人」 ってところだろう。
これは日本だけじゃない。
たぶん、中国でも、イギリスでも、やっぱりそうだと思う。
でもアメリカは違う。
もしも本当にそれを望めば、この国じゃ、誰だってアメリカ人になれるのだ。少なくとも、理論的にはね。そして、それこそが、アメリカという国の一番の魅力なんだと思う。

ならば、いったい、何が人を 「アメリカ人」 たらしめるのだろう?
市民権の取得、というのを別にすれば、結局のところ、やっぱり、英語をしゃべる、ということなんじゃないかな。
英語を話す、ということは、この国では、自由という価値観を信じることと同じくらい大切で、この2つのことが、これほど多様な民族・人種の集まるこの社会を、一つにまとめているようなところがあるんじゃないかな。
そういう意味では、英語を話す、ということは、アメリカという国のアイデンティティーと深く関わってる。
移民が英語を習得することは、この国では、単なる言語の習得以上の意味を持つことなんだ。

数年前、こんな話を聞いたことがある。
もう10年くらい前のことじゃないかな。
知人がアメリカに駐在していたころ、小学生だった娘さんが、なかなか現地校になじめなかった。
サイレントピリオド (英語をしゃべろうとしない時期) は2年を突破した。娘さんは間違いなく英語を理解していたのに、それでも、教室で、一言の英語もしゃべろうとしなかったらしい。
そんな時、校長先生が知人夫婦を呼んで、こう問いただした。

「お父さんやお母さんが、家庭で英語をちゃんと使ってますか?」

知人夫婦はびっくり仰天。「は?」 である。
なんで、家族全員日本人なのに、わざわざ英語を使わなきゃいけないわけ? と。
そしたら校長先生はこう言った。

「家庭で英語を使わないのは、児童虐待です。子どもの、英語を学ぶ権利を侵害しているのです」 と。

知人夫婦の戸惑いっていったらなかった。
だって、例えば、アメリカ人の家庭が日本に駐在したとして、どこの小学校の先生が 「家庭で日本語を使ってない? 英語をしゃべってる? それは児童虐待ですっ!」 というだろう。

実は私も似たような経験をしている。
息子のサイレントピリオドが半年くらい続いていたころ、アメリカ人の友人が 「家庭で英語しゃべればいいじゃん」 と言ったのだ。同席していた別の友人が、「いや、アヤコの家庭の場合は、数年で日本に帰るんだから、そりゃまずいよ。こっちに永遠に暮らすんじゃないんだから」 と反論した。
でも、もしも私たち一家がずっとアメリカに暮らしていくつもりなら、家庭で英語をしゃべるのが一番、と2人とも思っている様子だった。
ちなみに2人とも、すごーくリベラルで、移民受け入れ自体には寛容な人たちだ。
「俺のばあちゃんは、家庭で英語をしゃべってた。だからうちの両親はすぐに英語を習得できたんだ。俺はまあ、こっちで生まれたからネイティブだしな」 という彼は、おばあちゃんの母国語だったイタリア語を、まったく話せない。
話せないことを、みじんも悲しんでもいない。

これらの体験を通して、ふと思い出したことがある。
1980年代、この国を席巻したEnglish Only という運動だ。
実は日本でもちょこちょこと報道されたこともあったんだけど、少なくとも、その当時、そういう記事を読むたび、「はは~ん、どうせ白人主導の移民排斥運動ね」 という理解を私はしていた。
でも、少なくとも、私に、あるいは知人夫婦に、「家庭で英語をしゃべれば?」 と言った人たちは、移民にむしろ寛容な人たちだった。
だからこそ、親身になって、「英語を家庭で話さなきゃ!」 と励ましてくれたわけだ。

この国に来て、移民への嫌悪感とはまったく無縁のところで、「アメリカに来たからには、英語を話せるようにならなきゃ」 と主張する人にたくさん会った。
英語を話せない移民が増えることを、極端に不安がる人にも。
たぶん、English Only という運動があれほど広く、大衆の支持を得たのは、アメリカという国のアイデンティティーが揺るがされているような不安が、広がっていたからなんだろう。

English Only という運動は、そもそも、移民に彼らの母国語を話させないことを目指したものだった。
それは、運動を推進したハヤカワ氏という日系人の元上院議員が 「ヒスパニックがアメリカに同化するのを拒否し、スペイン語などの外国語を維持しようという攻撃的な運動は、不健康で行き過ぎだ」 と述べてたことでも明らかだ。

でも、じゃあ、誰がこの運動を支持したか、といえば、案外、いろいろな人が広範囲にわたって支持していたことも確かみたいだ。
言語的なマイノリティーグループの74%がこの運動を支持してた、なんて世論調査もあるくらいだ。
例えば、カリフォルニア州の Proposition 227 (俗に 「English for the Children」 の名でも知られている) なんかが典型例だ。
学校でのバイリンガル教育を禁じようとしたこの提案を、当初、84%のラティーノたちが賛成したという。投票時点では、その支持は37%までに落ちたにしても。

でも、このPropositionの文面を読んで、しみじみ、これに賛成したラティーノたちの気持ちがよく分かったよ。
「子どもは思いきり英語にさらされたら、もっと流ちょうに英語を話せるようになるはずだ。それができてないのは、学校の責任だ。移民の子どもたちができるだけ早く、流ちょうな英語を話せるように、学校は努力しろーっ!」
と言ってるわけだから。

自分自身が英語の壁に苦しんでいるだろう親たちの誰が、この提案に反対できるだろう。
だいたい、この国は、英語を話せればそれでいい、というだけじゃないらしい。もちろん、英語は単なる言語で、発音より、会話のコンテンツのほうが大事だ。それは本当。
でもね。
たとえば、こんな研究だってある。
ディズニー映画のキャラクターを調べてみたら、外国語のアクセントを持つキャラクターの4割が、映画の中の悪役だったんだって。ちなみに、アメリカ英語のアクセントを持つキャラクターのうち、悪役だったのは2割だけ。その差は歴然!

幼いうちから、現地校で、アメリカ英語に触れさせて、自分たちみたいなスペイン語のアクセントを引きずらない英語を学んでほしい、というのが、親心なんだろう。
子どもたちに、自分たちが今しているような苦労をさせたくないから。

インターネットでこんな面白い調査を見つけた。
「英語を話すことは、『アメリカ人になること』 に不可欠な要素だと思いますか?」 という質問。
これに、Yes と答えたアメリカ人の英語ネイティブスピーカーはわずか35%。
一方、英語以外が母国語の人の62%が、Yesと答えてる。
(実は、中でも、アジア人の中で、Yesと答えた人の割合が極端に高いらしい。興味深い話だけれど、それ以上の分析はこの調査の中にはなかった)。

この国に暮らす移民は、多かれ少なかれ、英語を話すことがこの国に暮らす上で持つ意味を、肌身に滲みて感じているのだ。

もちろん、English Only に反発する動きがまったくなかったわけじゃない。
1985年ころには、English-Plus という運動が主にラティーノ移民たちの側から生まれた。

「私たちがほしいのは、English Only じゃない。English plus math であり、English plus science であり、Plus equal educational opportunities なんだ!」 と。

English Only ほど大きな運動にはなりえなかったけれど、それでもこの考え方を反映して、いくつかの州で新しい法が生まれたりもした。
「このアメリカという国の強さの根っこのところにあるのは、人々の多様性じゃあないか!」 という主張は、私にはすごーく説得力があるんだけどなぁ。

実際のところ、英語教育はむずかしい。
どういうやり方が一番、効果があるか、なんて一概に言えるわけないのだ。
何歳でこの国に来たのか、母国の文化はどんなか、どんな環境の学校に入ったか、近くに同じ母国語を話す友人がいるか、などの条件に加え、これが一番実は大きい気がするけれど、その本人がどういう性格か、というのも左右する。
例えばうちの息子の場合、週数回のESOLで英語を習うほかは、英語での各教科の授業にどっぷり、というやり方よりも、むしろ、望めるものなら、日本語によるバイリンガル指導を最初の2カ月くらい受けられたら、飛躍的に適応は早かった気がする。
何しろ息子にしてみれば、英語を教えてくれてる先生のしゃべってる英語が、まーーーーったくわからなくて、それが怖くて怖くて仕方なかったんだから。
「子どもは言語習得が早いから、Sink or Swim 方式で大丈夫」 というのは、いささか乱暴だよな、というのが実感。

それより、むしろ私が気になったのは、母国語の維持のほうだ。
特に、子ども時代にアメリカにやってきた世代がとても気になる。
大人になってからアメリカに移住した移民たちの間では、心の病の発生率はむしろ低いんだそうだ。それが、その子どもの世代に、急に高くなり、そして、さらに次の世代で、落ち着く。
なぜかって、やっぱり、子ども時代にアメリカにやってきた世代が一番、アイデンティティ形成途上で苦しむからだろう。
ほとんどの人が、「子どもは早いよー。英語なんかすぐペラペラよ」 と言うけれど、本当はそんなに簡単なことじゃないのだ。

例えば、ラティーノ家庭で一番よく言われるのは、こういうパターンだ。
ラティーノの家庭では、比較的お父さんの権威が強い。決断するのはお父さん。お父さんは尊敬されるべき存在。
ところがところが。
アメリカに来る。お父さんは英語をしゃべれない。あんなに強かったお父さんが、アメリカではしゅんとしてしまっている。言語習得は、概して女性のほうが早いから、お母さんのほうが気づけば主導権を握っていたりする。
英語をしゃべる場面ではしゅんとしているお父さんが、家庭の中でスペイン語をひとたびしゃべり出すと、いきなりエラソーになる。

一方、子どもはどんどん英語をしゃべれるようになっていく。
親の片言英語が恥ずかしくなったりもする。
思春期になって、あれこれ悩みがあっても、スペイン語ではもはや親にうまく話せない。英語でしゃべったら親に分かってもらえない。
深いところで会話できる言語が、家庭の中で失われてしまう。

学校に行けば、アメリカ文化。
家庭にいれば、別の文化。
両方をどうにかこなしながら、大人になっていかねばならない。

かつてこのブログでも紹介したけれど、ワシントンポストの記事で、12-17歳のラティーノの少女の4人に1人が自殺を考えたことがあり、15%が試みたことがある、という調査があった。
これは結構衝撃だった。
だって、この手の問題は、むしろ、ミドルクラスの白人家庭に多いものだと、多くの研究者が心のどこかで思っていたから。
ことほどさように、子どものころにアメリカにやってきた移民たちは、むずかしい思春期を過ごすもんなんだ。
多くの研究によって、母国語の維持や、母国の文化への誇りこそが、難しい思春期の中でアイデンティティを形成していく若い移民たちを支えてくれるのだと、明らかになっているという。

English Only という流れは、実はとてもとても危険なんだ。
「英語をしゃべれることが、アメリカ社会で成功する近道で、だから、下手に母国語維持などさせず、英語漬けにすることこそが、本人のためなのだ」 という主張には、実は、大きな落とし穴があったのだ。

正直なところ、アメリカって国は、何も、英語という言語がないと、バラバラになってしまうほど、やわには見えないんだけどなぁ。
つまり何がいいたいかというとね。
むしろ、この国で、色々な人と話してみて、一番、この国を一つにまとめているものって、自由への信念とか、多様な人々であふれる国のありように対する誇りだとか、そういうものなんじゃないかな、ってこと。

******************

なーんて感じかな。
かなりはしょってありますが。
それにしても、引用なしで、おまけに日本語で書く作業って、なんと簡単なんだろう!
やっぱり私は、アカデミックなのより、フツーのエッセイのほうが書いてて楽しいわ。
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No title

English Onlyの流れ、びっくりです。ヨーロッパ、EU圏ではちょうど逆の現象が進行中ですよね。少数民族の尊重というか。多言語使用が義務づけられたりして。それで、少数言語が保護されたりしてるかと思います。

言語と文化

アメリカで生まれ育ち、地元ポトマックのキンダーに通う娘の言語教育をめぐり、日々、苦悩している母です。コラムを読んで、共感する部分が沢山あり、妙に嬉しくなりました。言語の奥に潜む「文化」については、どう考察していますか?興味あります。

映画のおすすめ

Spanglishっていう映画観てみてくださ~い。もちろんハリウッド映画なんで現実とはかけ離れていると思うけど、なんとなくアメリカに住む移民の心情がわかると思います。
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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