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カレッジ授業報告 リサーチペーパーの巻・前編

もはや2週間以上も前の話なのだけれど。
カレッジで受けている 「アメリカ政治における人種・民族問題」 という講義のリサーチペーパーの宿題の締め切りがあった。
課題は、こんな感じ。

「アメリカの人種・民族問題に絡む政策を一つ取り上げ、その政策を推進すべく活動した個人あるいは団体の主張を説明し、その政策が各人種・民族グループにどのような影響を与えたか、利益や不利益を得たのはどういう人種・民族グループだったか、などを分析し、さらに、自分なりに、より良き政策を検討せよ」

ははは。
一番困ったのは、
「私、アメリカの政策なんて、ほとんど何にも知らないじゃーん」
ということ。

それでも、たまたま、ゼポリアとの対話の中で出てきた、English Only Policy を取り上げてみることにした。

English Only は、1980年代、移民の大量流入 (具体的には、スペイン語を話す中南米からの移民たちの流入) を背景に、「このままでは、英語の危機だ」 「一つの国に一つの言語、の原則を守ろう」 などという国民感情を原動力にして、勢力を伸ばした政治運動だ。
この運動を推進した団体、U.S.English は、実は日系人のハヤカワという上院議員が、議員を辞めた後、立ち上げたんだそうだ。

1960年以降の公民権運動の高まりを受けて、移民の子どもたちの教育を受ける権利を後押しするような動きや最高裁判決もあって、その当時は、あちこちの州で、「バイリンガル教育」 が実施されていた。日本人にとって、バイリンガル教育、というと、何か、幼い頃から、英語漬けにして、日本語と英語の両方を将来話せるようにしましょー、というニュアンスがあるけれど、アメリカにおけるバイリンガル教育は、ちょっと違う。
スペイン語しか話せない子どもたちに、英語で算数や理科や社会を教えるのは、これらの子どもたちの学ぶ権利を侵害している、という考え方に基づいて、外国人向けの英語授業と同時並行で、スペイン語による算数や理科や社会の授業を行い、子どもたちがスペイン語で内容を理解したのを確認しつつ、その都度、英語でそれらをどう表現するのか、教えていきましょう、というかなり画期的な教育のあり方だったのだ。

1980年代のEnglish Only運動は、ある意味、これらのバイリンガル教育に対する反発、という側面が強かった。一言で言ってしまうなら、「アメリカに来た限り、英語を話せよ」 である。

よく、日本人の駐在家庭が、アメリカの小中学校のESOLあるいはESLのプログラム (外国人生徒のための英語授業) に触れ、「さすがはアメリカ!」 と感心する姿を見る。
確かに、日本でこれと同じことをしているかといったら、全然していない。外国人の生徒がよほど多い学校でもなければ、基本的には、「ほったらかし」 だ。
そんな日本に比べると、アメリカの 「手とり足とり英語を教えてあげましょう」 的な学校の雰囲気は、確かに外国人家庭にはとーーーーーってもありがたい。

でも、最近ようやく分かってきたのだけれど、そもそも、言語に対する概念が日本とアメリカでは違うのだ。
例えば、日本にやってきた外国人一家に、日本人が 「日本に来た限り、ちゃんと日本語しゃべりなさいよ」 と言うかといえば、絶対に言わない。
「仕方ないよー。ガイジンさんだもの~」 というのが平均的な反応じゃないかな。
もしも、フランス人同士が街角でフランス語で盛り上がっているのを見たとして、「何だよ、あいつら、日本語でしゃべれよ」 と思う人なんて、ほとんどいないんじゃないかな。

でも、アメリカは違う。
主に白人からよく聞く 「ラティーノ批判」 に、「どうしてなんだろうね。俺らだって、全員、移民の子だよ。でも、家庭ですら母国語をしゃべらず、英語をしゃべってきた。英語をしゃべろうと努力した。だから成功できたのさ。どうして、ヒスパニックの奴らは、英語をしゃべろうとしないのかね。数ばっかり多くて、だからスペイン語だけで生活できて……。これじゃ、アメリカがバラバラになってしまう」 というのがある。
今回、リポートを書くにあたって引用した本の中に、「実は、現在の中南米からの移民たちの英語習得スピードは、かつて欧州から来た移民たちの習得スピードとほとんど差はない。それでも 『ラティーノは英語をしゃべろうとしない』 と言われるのは、ひとえに、英語をしゃべれない新しい移民が今なお、間断なく、流入し続けているからに過ぎない」 という分析があって、なるほどなあ、と思ったのだけれど。
これをもって、「ラティーノ批判」する友人に何度か反論を試みたけど、たいていの人は 「本当かなぁ。やっぱり、彼らは英語をしゃべろうという意志がないように見える」 と言うのよね。

ま、何はともあれ。
とにかく、アメリカという国は、「英語をしゃべりなさいよ」 プレッシャーが強い。

とどのつまりは、移民国家のアメリカで、人をアメリカ人たらしめるのは何か、という問題なんだろう。
私自身、アメリカに来て一番驚いたことの一つが、「あやこは、将来、ここに暮らして、アメリカ人になるつもり? それとも日本に帰るの?」 という質問を何度も受けていること。
ひええええ、と卒倒しそうになったもの。
「あ、あたし、アメリカ人になれるのか~っ」 って。

私がそんなことにビックリしたということ自体に、アメリカ人の友人たちはビックリする。
だから彼らに時々、説明する。
「日本でもしもあなたが結構いい仕事を見つけて、日本に何年も住んで、日本人と結婚して、たとえ日本国籍を取ったとしても、多くの日本人にとって、あなたは 『日本人』 ではなく、せいぜい 『親日的な外国人』 だろうね」 って。

ならば、「アメリカ人」 って何なんだろう。
実はこの問いって、アメリカ人の学者自身が、何度も何度も繰り返し議論してきた問いでもあるんだよね。色々な人が色々なことを言っていて、「英語をしゃべり、アメリカ的価値観を習得すること」 が人をアメリカ人たらしめる、なんて説明をする人も多いわけだけど。
いずれにせよ、この国で 「英語をしゃべる」 というのは、単なる言語習得以上の意味を持っているってことだけは、間違いないと思うな。

だからこそ、English Only という運動が生まれたわけで、国民の間に広く共感を得もしたわけ。
この運動をきっかけに、州レベルやカウンティーレベルで新しい規則や法律が生まれた。
例えば、あるカウンティー(郡)では、交通標識が英語とスペイン語の両方の表記だったのが違法とされた。投票の仕方を説明するリーフレットのスペイン語版を、ラティーノたちに配ることすら違法とされた。
ある州では、バイリンガル教育が違法とされ、学校で先生がスペイン語などの外国語をしゃべったら、それだけで法律に触れるような自体になっちゃった。
……とここまでならば、「白人主導の移民排斥運動か」 なんて誤解されるかもしれないけれど、この手の法律が住民投票でどんどん可決されていったのよね。
特にバイリンガル教育を否定するようなルールは、むしろ、当事者のラティーノ・コミュニティーから支持される傾向があったんだって。

せっかく、移民たちに良かれと思って、充実がはかられてきたバイリンガル教育が、それを享受する側から、否定されてしまった、というわけ。

なぜか。
何年も、バイリンガル教育を受けていたんじゃ、英語がちっとも上手にならない、と親たちが反発したからだ。「どっぷり英語に漬けてくれ。早く英語をしゃべれるようにしてくれ。ラティーノのアクセントが残らないように、幼いうちに英語漬けにしてくれ」 と。

これはこれで、本当に切実な声なのだった。
なぜって、親の世代は、みな、英語ができないから、スペイン語のアクセントが強いから、良い仕事を得られない。社会に受け入れてもらえない、という思いが強くある。
せめて子どもにだけは、スペイン語のアクセントのない英語をしゃべれるようになってほしい。
だから、学校でスペイン語の授業なんて、しないでほしい。

そんな、「英語」をめぐる短い歴史が見えてきて、ああ、これをテーマにレポートを書こう、と思ったのだった。
ということで、何を書いたかについては、後編につづく。
内容が、前編と一部重複するけれど、お許しを。






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No title

はじめまして。以前からちょくちょく拝見させていただいています。
English Only運動という言葉、初めて聞きました。
その背景も。
私はいまカナダにて語学留学中ですが
ご存知の通りこちらもかなりダイバースで、
ラテン系、中国系の移民の方たくさんいます。
その中でも母国語を使っている人をよく見かけます。
わたしも心のどこかで、「移民してるのに英語を使わないんだなぁ、でもカナダ国民はどう思っているんだろう」とか
ぼやーっと考えていたのでなんだかこの記事を読んで
なるほどーとえらく感心しました。
つまり、なぜコメントしたかというと、
勉強になります!
という事です!
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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