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カレッジ授業報告 集団おさぼり事件の巻

これは1週間くらい前の話。
カレッジの授業で、ズーク先生が、いよいよ、affirmative action を取り上げるという。
リーディングの課題は、マーティン・ルーサー・キング牧師の、Why We Can't Wait。
これを読んで、affirmative action がスタートするより前に亡くなったキング牧師は、affirmative actionのような政策にどのような考えを持っていたのかを考察してみよう、というのが授業のポイント、のはずだった。

前夜。
リサーチペーパーの締め切りとほぼ同時期に、本なんか読めるわけないだろー、状態。
というか、本なんか手に入れてません、状態。
とりあえず、日本語で、キング牧師とアファーマティブアクションについてあれこれ調べ、彼の著書 Why We Can't Wait というのは、保守論客がアファーマティブアクション廃止を唱える時、根拠として、引っ張ってくる文献らしいことが見えてきた。
中身が段々読みたくなってきて、結局、google book search (ほんと、世の中便利になったモンだ!)で該当本を検索し、一部、ネットで読める部分だけざっと読んでみた。

語句を一つひとつ取り上げて解釈し始めたら、聖書の分析みたいな世界で、どうとでも解釈可能な部分もいっぱいありそうで、そんな面倒な作業はとても今さらできないわ、と結局、すべてあきらめて、授業に臨んだ。
最後の最後まで、実は、さぼってしまいたい誘惑に駆られた。
どうせ分からない議論ならば、家でレポートを書いていたほうがいいんじゃないか、とか。
おまけにこの日は、息子は春休み。
私がカレッジに行っている間、自宅に一人残していくしかなかった。

どうしよーかなー。
やめとこーかなー。

弱気になりつつも、結局、最後、カレッジに足を向けてしまったのは、やっぱりトピックがaffirmative actionの話だったからだ。
少しでも、知っておきたかったからね。
若い人たちの色々な見方を聴かせてもらえるだけでも、勉強になると思ったのだった。
(もっとも、聴き取れれば、の話なんだけど)。

ところが。
授業開始10分前、教室の前に着いてみれば、クラス唯一の男の子が、おとなしくてこれまで一度も発言したことのないラティーノの女の子と、イラン人娘の片割れと3人で、なにやら相談中。

「キング牧師の本読んだ?」
「まさか~、全然!」
「もう、オレ、いいよ、この授業落としても」
「さぼるか?」
「いいね~」
「本読んでないし、議論してもつまんないもんねー」
「でも、欠席になっちゃうよ」
「いいよ、ズーク先生って出欠を取ったりしたことないだろ」

そこで、3人で顔を見合わして、不安げにしてるから、ついつい老婆心で、

「そりゃホントだよ。ズーク先生はこれまで一度も出欠を取ってたことはないよ」 と口をはさんでしまった。ははは、おさぼり計画の背中を押しちゃったというわけ。

今回の 「おさぼり事件」 の首謀者は、この白人青年だ。どう考えても、この手の授業では妙に肩身が狭いだろうし、おまけに、奴隷政策や civil right movement など過去の歴史の話ならばともかく、affirmative action は今の、自分たちの問題だ。
これを議論するとなると、それぞれの置かれている立場が鮮明となり、もっとキツイ。
なんとなく、授業をおさぼりしたくなる気持ちがあったんじゃないか、と思うな。

さて、ここに西海岸出身の超厳格なカトリックのプライベートハイスクール出身の女の子がやってきた。ユダヤ人少女の次に成績優秀、と思われる、まじめな子だ。
みんなの 「おさぼり」計画に、一瞬、えええ!という顔をする。

「ねえ、一緒にさぼろうよ~」
「ええ……でも困るわ。私、リサーチぺーパーのことでズーク先生と話があるし」
「そんなのいいじゃない。先生にはメールで相談しなよ」
「でも、先生は、なかなかメールのチェックしないかもしれないし……」

といった押し問答の末、イラン人娘に、「わかったわよ。じゃあ、ジャンケンしましょ。私が勝ったら、みんなでおさぼり。あなたが勝ったら、ここに残りなよ」 と押し切られた。
なんで、こうなるのか、よく分からないけど、個人主義アメリカでも、やっぱりティーンエイジャーのピアプレッシャーというのは強いのだ、と再確認。

で、ジャンケンの結果は、イラン人娘の勝ち。
ちょいと迷惑そうな顔をしながらも、西海岸娘も 「おさぼり」計画に合流することにしたみたい。
なーんだ、こういうシチュエーションで、NOと言えないのは、日米共通か~。
ちょっと笑ってしまった。

「楽しんでね~」 と手を振って少年少女たちを送り出したら、「先生に絶対に言わないでね」 とイラン人娘が返してきた。「当たり前じゃん。というか、説明のしようがないでしょ」 と苦笑いしたら、大笑いしてた。

みなが立ち去った廊下で、一人ぽつねん。
おいおい、もしかして、私と先生のマンツーマンになっちゃったら、どうしよ……。
一瞬、びびってたら、クラスでオピニオンリーダー的な黒人娘と、成績トップのユダヤ人娘の2人が現れた。
「あれれ、どうして誰もいないの?」
と聞かれたが、答えられるわけもなく……。

さらにそこに、ズーク先生、登場。
生徒が3人しかいないのに驚いて、気の毒なほど動揺して、カレッジのホームページをチェックし、何か大イベントでもあるのかも、なんて確認したりして、ものすごーく黙っていることで罪悪感に駆られた。
まいったなあ。
「楽しんでおいで」 なんて訳知り顔のオバサンっぽく送り出したけど、人間、ウソをつくのって、すごいストレスフルなのだ。

そんなわけで、この日の授業はほとんど成立しなかった。
ズーク先生は、「今日はaffirmative actionのことを話し合うのはやめておこう。コレは本当に大事なテーマだし、みなで話し合うことが大事だからね」 と。
その気持ち、思いは、本当によく分かった。
「じゃあ今日は特別に、出席してくれた3人に、出席ポイントをダブルでプレゼントしよう」 とズーク先生。私自身、今の計算だと、5ポイントくらいでA評定かB評定かギリギリ、というような所にいると思われるので、せこい話だけど、ちょっとありがたかったのだった。

でも、出席ポイントをもらえたことより、今日、一番面白かった体験は、この国の若者が授業をさぼるにあたって見せてくれた関係性のダイナミクスみたいなものだったりして。
世界中を見渡しても、集団への同調性が高いといわれる日本人と、逆に、その対極と思われているアメリカ人。でも、やっぱり若者に限っては、なかなか同調圧力に抗うのはむずかしいんだな、ということを実感する出来事だった。
これじゃ、日本人の中高生が苦労するのは当たり前だよなぁ。

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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