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カレッジ授業報告 フィールドリサーチ編

これまた1カ月前の話ですが。
たまりにたまったカレッジ報告、今回は「フィールドリサーチ」編。
ライティングの課題として出されたのが、コレだった。

「自分がマイノリティーとなるような宗教的な場所、すなわち教会とかシナゴーグとかモスクに行って、そこでの体験をレポートする」

なかなか面白い課題なのだった。
が、問題は、「宗教絡み」という点だ。
なにしろ、私は平均的な日本人。
初詣は神社で、結婚式は教会で、葬式は寺で。
ナンミョーホーレンゲキョウとナムアミダブツの区別すら付かない。
こんな「無宗教」な私は、どこに行っても、マイノリティー。
でも。
日頃から自分が信仰している宗教がない、ということは、どこに行ってみたところで、それを比較したり判断したりする基準となる「自分の日頃の体験」もない、ということだ。
こりゃ、書くのが相当むずかしそう……。

結局選んだのは近所のルーテル教会。ここでは、英語による礼拝と、中国語による礼拝を行っている。この両方に出れば、さすがにいくら宗教オンチな私でも、どうにかこうにか書けるだろう、という安易な計画なのだった。
念のため、前もってこの教会に行ってみた。
そしたら、中国人のルー牧師がニコニコと迎えてくれた。
「いや、信仰心とかとまったく無関係に、カレッジの宿題なので、英語と中国語の両方の礼拝に参加させてもらいたいんだけれど……」と頼むと、「この場はすべての人に開かれています。あなたの信仰心の有無などは問いません。ぜひおいでください」と、猛烈にウエルカムなのだった。

さて。当日。まずは英語の礼拝から。
いやはや、緊張した~。
扉を開けたら、100人以上もの信者たち。妙に厳かな雰囲気。聖歌隊がいて、オルガン弾きがいて、牧師さんがいて、ずらり白人ばかりの信者が、珍しくフォーマルな着こなしで並んでいたのだった。
第一印象は、「ひえええ、この人たち、クラシックのコンサートでもジーンズはいてるくせに、教会では結構フォーマルな服装でやってくるのねえ」。

その日の進行表みたいなのをもらったので、字面を追っていたら、驚いた。
なんとなんと、そこには牧師のセリフはもちろん、私たち参加者のセリフも書いてある。つまりは、「台本」だ。

例えばこんな感じ。Pは pastor牧師、Cは congregation信徒の略だ。

P:Now is the acceptable time, now is the day of salvation.
May the frace of God, through Christ our salvation, be with you all.

C:And also with you.

これらの台本に加え、座ったり立ったりする場所や、十字を切る場所まで、全部書いてある。こりゃすごい。私でも、ついていけそう!
というわけで、気付けば、必死で台本の英語を読み上げていた私なのだった。
なんか、教会というより、英会話教室で教科書を読んでる感じだ。
そうこうするうちに、賛美歌を歌う段になった。楽譜か何かないかな、と探したら、机に巨大な賛美歌の本が置いてあるじゃないか!
喜び勇んで、ページを開き、一緒になって賛美歌を歌ったのだった。

基本的に楽譜を見ると「初見で歌ってやる~」という征服欲が自動的にムラムラと沸いてきてしまう私は、賛美歌を歌うのにはつくづく向いてないと思う。
全然心洗われることなく、それどころか歌詞を頭で吟味する余裕すらなく、ただただ征服欲だけで歌い上げ、それなりに歌えたからって、妙に征服欲が満たされ、満足しちゃうって、どう考えても、賛美歌の目的から大きく外れちゃってるもんね。

まあ、そんなこんなで、今度は牧師のsermonが始まった。
これが何というか、激しいんだわ。
もっとも、オバマ大統領がかつて通っていたという教会のライト牧師みたいに、God damn America! みたいな強烈な激しさはないけれど、でもやっぱり、なんというか、すごーいアジテーション。
「神の目は見てるぞ。我々を見てるんだぞ! この世は今、神が望んだ世の中なのかっ! この世を神の目が見てるんだぞっ!」と繰り返し怒鳴られてもなあ。
それを、夫婦が、親子が、肩を抱き合い、頬を寄せ合い、切実そうな顔で聞いているのを見ていると、ああ、私はこの国のことを全然分かってなかったなあ、と改めて思うしかない。

やっぱりアメリカは宗教国家なんだよなぁ。
憲法で国教の制定を禁じる一方で、大統領はいっつも「May God bless America」って言うわけだし、でも、大統領の口にする「God」がどの宗教の神かは、「それは突っ込まないのがお約束」というわけだし、なんというか、アメリカって、「信仰心を持つこと自体を信仰してる」みたいなところがあるなあ、としみじみ思う。

ま、それはそれとして。
一番、困ったのは、その後の sharing of the peace というのが始まった時だ。

牧師が「The peace of the Lord be with you」といい、信徒たちが「And also with you」と言ったその瞬間、バタバタバタっと信徒たちが立ち上がったかと思うと、感動的なほど陰りのない笑顔で、お互いに握手を交わし始めたのだ。よくよく聞いてみると、「Peace be with you」とか言ってるみたい。

途方にくれていたら、突然、目の前の女性がクルリとこちらを振り向き、まるで私のことを10年前から知ってるみたいなうれしそうな満面の笑顔で、「Peace be with you」というと、握手を求めてきたのだ。
思わず凍り付く私。
怖いよー。
なんなんだよー、これ!

それでも、どうにかこうにか、「Peace もごもごもご with you...」みたいな言葉をどうにか猿真似で言い、握手をし、作り笑いで乗り切った。
肩でゼイゼイと息をしそうなほど緊張してたら、おっと、今度は左から敵が攻めてきた。
ひええええ、今度はじいちゃんだ。
孫を見るような温かな目で、握手を求めてくるよー。
あーん、次は後ろの家族連れ。
勘弁して、怖いよー。

……というようなわけで、あまりの緊張と恐怖とでぐったりしてしまった。
何が怖いって、理由も分からないのに、無垢な笑顔を浮かべてしまえる人が怖い。
私の名前も、私のバックグラウンドも何も知らないまま、知ろうともしないまま、平気で 「Peace」 を私とシェアしよう、という、その真意がただただ気持ち悪い。
これが宗教的良心だ、とか言われたら、そりゃそうなんだろうけれど、でも私の知ってる人間関係は、こういうんじゃない。

まず相手を知るところから、フツー始めるだろ?
ついつい思ってしまう。
そもそも、あんたたち、私に興味ある?
この教会から一歩出た道ばたで、「見知らぬアジア人」の私を見ても、同じような笑顔をくれますか?

だから私、宗教への苦手心があるんだろうなあ。

次は The offering。
いわゆる、寄付みたいなやつ。前のほうから、大きなお皿みたいなのが回ってくる。みんなは小切手だか何かを入れて持参してきた封筒を、順々にそこに置いていく。でも、よく観察すると、何も置かないまま、次の人に回している人もいっぱいいた。よかった~。
正直いって、全員がもしもむき出しの10ドル札をポンポン出してたら、私、その場の雰囲気に抗えず、自分も10ドル出してた気がする……。
ピア・プレッシャーに弱い日本人の典型なのよね。

さらにお次は、みんなが次々に席を立ち、牧師さんの前にひざまずき始めた。
ひええ、これ、私もやるの?
よくよく見ると、こりゃ全員参加みたい。
覚悟を決める。周りに合わせて、同じ行動を取るしかないよなあ。
とうとう順番が回ってきた。隣の人について前に出て、隣の人と同じようにひざまずいた。そしたら、差し出した手に、牧師さんが薄っぺらい紙みたいなのをくれた。これをみんな食べている。
うまいのか?
まずいのか?
考える余裕もなく、私もパクリ。
全然うまくないが、食えないものではない。
と、次に小さなコップに水が回ってきた。
観察していると、断る人もいれば、受け取って飲む人もいる。
さあ、どうしよう。
……って迷った時は、とにかくトライ!
やったことのないことは、とりあえずやってみるほうが楽しい、と世の中決まってるのだ。
小さなコップを受け取り、水を飲む……って、おいおい、これ水じゃない。

白ワインだーっ!

思わず、「おかわり」と言いそうになった。
結構、うまかった。

なんか妙に居心地が悪かったし、すごーく緊張したけれど、白ワイン飲めたし、まあ、いいか~、ってな感じで礼拝が終わった。

それから20分後、今度は中国語の礼拝に参加した。

こっちは、なんというか、むちゃくちゃアットホームだった。
何しろ、人数は30人。そのうち10人は子どもだ。
実質、大人は20人というわけ。
みーんな中国人で、見た目は私と変わらない。
黙ってたら、溶け込んじゃう。

ところが、だ。
礼拝が始まってみたら、ホントに何も分からない。
賛美歌を歌おうにも、中国語だと、歌詞が全然読めない。
おまけに中国の楽譜って、数字で音階を書いてあるものなんかもあって、結構苦しい。「ラ」が「1」として……と、頭で数学しなきゃ、音が取れない。
それでも、しかたないから、ルルルで全曲、歌ってやったぜ。
結局、新しい楽譜を目にすると、征服欲が先に立って、歌わずにいられないのだ。こりゃほとんど、病気だなあ。

中国語の礼拝は、人数が少ないためか、それとも中国の教会の礼拝様式にならったものなのか、よくわからないけれど、とにかくとってもシンプルだった。賛美歌をいくつか歌ったら、あとは、むちゃくちゃ長い牧師さんのsermon。
全部、中国語ですから。
分かったのは、どうやら「神の愛」について語っているらしい、ということだけ。
途中で、「中国人も、日本人も、アメリカ人もない、神の愛はうんたらかんたら」というようなことを言っていた。そこだけビミョーに聴き取れた。
そっか。ルー牧師には一度挨拶をしたから、ちゃんと彼は私を覚えていて、私がいるから、「日本人」と言い足したのだ、と分かった。

変なもので、言葉は英語のほうがずっと分かるのに、中国語の礼拝のほうが妙にリラックスできる。それって、ルー牧師を前もって知っているから?
それとも同じアジア人だから?

なーんてことを考えていたら、いきなり、彼が「日本人」と言うのが聞こえた。
私のわかる中国語は、旅行で使う片言だけだが、さすがに「日本人」と言われれば、それくらいは分かるのだ。
それから、彼はいきなり英語になり、「ちょっと自己紹介してくれますか」と私に言ったのだった。

ひええええ。
予期せぬ展開!
周囲がみんな、「ええっ! 彼女、中国人じゃなかったの? 日本人だったんだ!」という顔をしている。
ええい、と覚悟を決め、思わず片言の中国語で自己紹介してみた。
といっても、私が言えるのは、
「私の名前は、小国綾子といいます。大小の『小』、中国の『国』と書きます。大学時代、少し中国語を勉強したけれど、ぜーんぶ忘れてしまいました」。
ここまでで、ギブアップ。

あとは英語に切り替え、大学の課題でここに来たこと、宗教には無縁に暮らしてきたこと、でも、この場に参加できてとてもうれしいと思っていることを簡単にしゃべった。

そしたら、笑顔がぱーっと広がって、あちこちから日本語が飛んできた。
「こんにちは!」
「ようこそ!」
「かんげいします!」

なんかあとはもう、ほとんど、「おぐに歓迎会状態」で、礼拝が終わったのだった。
人前で自己紹介させられたのには参ったけれど、でも、自己紹介した途端、すーっと身体の固さが取れて、リラックスできたのが自分でも分かった。
だって、人間関係ってフツー、そうじゃない?
まず挨拶して、名前を言い合って、お互いの小さな共通点を見つけては喜びあって、そんな風に知り合っていくうちに、笑顔が自然と沸いてくるもんじゃない?

相手のことをまったく知らなくても、相手が誰であっても、同じ無垢な笑顔で平和をシェアするのは、私には、少々無理が過ぎた。
もっとも、これは英語をしゃべる信徒たちと、中国人の信徒たちの差というよりは、信徒の数にも左右される礼拝の全体の雰囲気の差でもあるし、そもそも、私が前もってルー牧師には挨拶をしていた、というのも大きかったんだと思う。

英語での礼拝の中で自己紹介の機会を与えられなかったとしても、私にその気があれば、礼拝の後で、何人かの信徒たちに自分から挨拶することはできたわけで、そうすればきっと、彼ら彼女らも、今度は私に心からの笑顔をくれたに違いない。

その日の結論。
宗教ってどこか排他的なものだ、という思い込みがあった私だけれど、そういう私の考え方自体もまた、案外排他的だったよな、ということ。
宗教はたぶん、他者を排除したり、segregateする根拠にもなりうるけれど、一方で、他者をuniteすることもできるのかもしれないなあ、ということ。
(たとえば、今回参加した教会は、夏に中国文化紹介みたいなサマーキャンプを実施していて、中国の子どもたちと、白人の子どもたちが一緒に中国の食べ物や踊りを楽しんだりもしてるらしい。)

要は、どこまで想像力を働かせて、宗教の枠組みを乗り越えて、他者を知りたい、と思えるかなんだろう。

ほら、マザーテレサも言ってたじゃん。
愛の反対は、無関心だって。

ちなみに、この教会突撃レポートには後日談がありまして……。
このレポートの提出日だった授業で、ズーク先生が「それぞれの体験を少しここでシェアしてみようか」というので、久しぶりに発言しておこう、と手を挙げた。

とりあえず、日本の宗教事情を軽く説明し、とある新聞の世論調査に対し、75%が自分は無宗教だと答えていること、でも一方で、仏壇や神棚を持っている人の数は日本人の人口の2倍近くに上り、つまり、両方とも持ってる人がかなりいること。仏壇や神棚を持っていても、平気で「無宗教」と自分で答えるのが日本の宗教事情なんだ、という説明をした後で、私は教会での体験をしゃべってみた。
何かというと、sharing of peace の話。

「突然、私の回りの信徒たちが立ち上がったかと思うと、握手を交わし始めたの。なんだ、これ、とあわててたら、突然、目の前の人がこっちを向いて、ものすごくイノセントな笑顔で、握手を求めてくるわけ。次から次へと、ものすごい笑顔で握手を求めてくるんだもの。その時の私ったら……」

で、思わず、ホンネで言ってしまった。

I was so TERRIFIED !

そしたらね、へへへ。
クソ面白くもない顔で聞いてた若いクラスメートが一瞬、どどーーーーっと大笑いしたの。机を叩いて笑ってる子もいた。
わ、ウケちゃったかも!
ちょっと……うれしいかも~。

かつて私は、アメリカ滞在中の目標の一つとして、「アメリカ人たちを自分の英語で腹がよじれるまで大笑いさせてやる」というのを掲げたことがあった。
エントリー「最初のカレッジ授業」の一番最後の部分参照)。

予期せず、それをちょっぴり達成してしまったというわけ。
思わず、心の中で小さくガッツポーズしちゃったのだった。
……ってまあ、笑ってもらえてものすごいうれしい場面、ってわけでもなかったんだけどさ。

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サイト運営し始めた者なんですが、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://hikaku-lin.com/link/register.html
こちらより、相互リンクしていただけると嬉しいです。
まだまだ、未熟なサイトですが、少しずつコンテンツを充実させていきたいと思ってます。
突然、失礼しました。
XgyyTACV

No title

私は教会、中国系も白人系も100回以上ぐらい行ってるから、当たり前のことに、すごくびっくりしている様子がとても新鮮で笑えました。 ↑に書いてあることは、どこの教会でもデフォルトでするよ。やっぱり「隣人を愛せよ」だからね、クラスメートの反応は、ちょうど日本人が 大衆浴場で真っ裸になった日本人に囲まれてビビるアメリカ人を見て笑うのと同じようなものだろうね。 ただ、私はクリスチャンじゃないけど、他の宗教については、否定したり非難したりすることなく、自分と違うものとしてアクセプトする、という姿勢をもっていたいと思います。

>小切手だか何かを入れて持参してきた封筒
これは、来年に税金控除ができる特別なものなんだよね
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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