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カレッジ授業報告 セグリゲーションを越えて、の巻

先週の月曜日の授業は、まず、ABCテレビのプライムタイムが1991年に制作した 「True Colors」 という番組の映像からスタートした。

白人のJohnと、アフリカ系アメリカ人のGlenが、同じ街にやってきて、新しく生活を始める。その様子を隠しカメラが追う、という設定。デパートやCDショップに行けば、Johnには店員がにこやかに話しかけてくるのに、Glenには、店員はまるで万引きしないか監視しているかのような眼差しを送るだけで、話しかけようともしない。
店員募集のポスターを掲示したクリーニング屋に、2人が順々に出掛け、「雇ってもらえますか」と聞けば、Johnには 「まだ職は残ってるよ~」 と愛想良く言ってくれるのに、Glenには 「残念だが、もう、職の口は埋まってしまった」 という言葉が返ってくる。
アパートを借りようとしても同じ。Johnには愛想の良い家主が、Glenには 「部屋はない」だもの。

この番組では、キャスターの女性が 「どうして2人に違う対応を取ったのか」 と突撃取材までする。動揺するカーディーラーや家主にカメラを向け、釈明まで求める。
最初に思ったのは、「身分を偽っての取材とか隠しカメラとか、これを日本でやったら、NGだなあ……」 ということ。テレビの世界のことはよくわからないけれど、たぶん、家主やらクリーニング屋の店主やら、そういった人の顔にモザイクをかけ、誰も個人特定されないような配慮をした上でしか、番組にはできないんじゃないかな。

この番組について少しディスカッションした後、次のテーマは投票権における人種差別について。
米国憲法の修正第13条で奴隷制度が廃止され、修正第14条で元奴隷の市民権の保護がうたわれ、修正第15条で選挙権に関する人種による制限の禁止が追加されたのが1870年までの流れ。ところがこの後、特に南部州では、投票から元奴隷を閉め出すため、読み書きテストを課したり、投票税を課したりした。ところが、黒人だけを閉め出そうとしたはずが、読み書きできない白人やら、投票税を払えない白人がたくさんいたため、さらに今度は彼らを救済するため、「祖父が市民だったら読み書きできなくても、投票税が払えなくても、投票できる」 という条項まで作った、というような歴史について、ざざっと説明を受けた。

と、ここまでが月曜日の授業。
先週水曜日のテーマは、より身近なテーマから。
題材となったリーディング、ちょうどリンクがあったので、張っておきます。

Why Are All the Black Kids Sitting Together in the Cafeteria?


これは非常におもしろかった。
「なぜ、黒人の子どもたちは学校のカフェテリアで一緒に固まって座るのか?」。
確かにそうなのだ。
小学校のころは、人種や民族にそれほど関わらず、仲良しグループができるというのに、ミドルスクールあたりから仲良しグループが人種や民族ごとに分かれ始める。カレッジのカフェテリアでさえ、黒人の若者は黒人同士で、アジアンはアジアンで、ラティーノはラティーノでいることが多い。お互い英語でしゃべっていたとしても、やっぱりそういう傾向は残る。つまり、言葉の壁だけの問題じゃないのだ。

学校から帰ってくる高校生たちも、まさに人種・民族ごとに分かれているグループがとても多くて、それを見る度、いわゆるセグリゲーションの残がいか、なんて否定的に思っていたのだけれど、この論文を読んで、あらためて、よーくわかった。思春期に、アイデンティティーを形成していく過程で、同じ人種・民族のグループに交わり、そこで受け入れられる経験というのは、やっぱり思った以上に大切なことなんだ。
というか、なんだかんだいって、やっぱり白人優位の、というかWASP優位の文化の中で、そうではない人種・民族的な背景を持つ若者が、アイデンティティを確立するのって、日本では思いもつかないような難しい問題がたくさんあるのだろう。もっとも、そうやって人種的民族的アイデンティティを形成してきた経験を持っているゆえの、この国の若者の知恵というのは絶対にある気がするのだけれどね。

ちなみに、うちの息子の小学校の仲良しグループは、両親がインド出身で本人はサウジアラビア生まれの男の子と、ボリビアから来た移民家族の子と、アメリカ生まれの白人と黒人がそれぞれ1人ずつと、日本人という構成。こんな彼らも、ミドルスクールに進学すると、ばらばらになっていくんだろうか、とふと思う。子どもたちが、自分自身を人種や民族といった枠組みでとらえ始めるのは、ミドルスクールに行ってからなんだそうだ。

この論文の中で一番心に残ったエピソードがこれ。
白人優位の小学校にいた黒人の女の子が、ミドルスクールに行ったあたりから、愕然とするのは、周囲の男の子たちのガールフレンドの対象から、自分だけが排除されているのに気付く時だという。白人の女友だちが、カレシとのデートの話で盛り上がる時、自分だけがそこに入れないこと。それが肌の色ゆえと知ること。これを自分なりに咀嚼していくのは、どれほど大変なことだろう。黒人優位の学校に過ごすのとはまったく違う難しさがあることは、容易に想像がつく。

特に異性を好きになる、ってことは、もう、頭ではどうにもならないことだから、最も人間のホンネが出る分野なのだろう。
白人優位のミドルスクールで、こういうキツイ思いをするのは、黒人の男の子より、黒人の女の子だと書いてあったけれど、たぶん似た理由で、キツイ思いをするのが、アジア人の男の子なんじゃないかな、と漠然と思った。

そんなわけでディスカッション。
「黒人の子がカフェテリアで固まって座るのは、これも人種差別が原因か? 無理に介入してでも、desegregation を進めるべきか」
というのが本題だった。

まず黒人の女の子が、
「やっぱりね、comfortability の問題だと思うのよ」
と言ったので、私もついでも発言しておいた。

「comfortabilityっての、私もよく分かります。私はこの国で、素敵な友人もできたけれど、でも、それでもなお、時々日本人の友人と会話しないとダメ。日本人の友人としゃべる時は、間違った言葉を使って、誰かを傷つけたり、レイシストだと言われる恐れもなく、誤解される不安もなく、人種や民族、宗教といった、touchyな話題にも恐れず触れられる。すごく楽。ストレス解消。この歳になってもそうなんだから、思春期の、もろい年頃に、同じ人種・民族の peer group の中で、微妙な思いを共有したり、受け止めてもらったりする経験は、不可欠なんじゃないかしら」

これ、ほんと、実感だもの。
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おもしろいですね

またまた興味深い授業レポート、ありがとうございます。
一昨年にVirginia Techで起こった乱射事件の背景も、人種ゆえに女の子にもてない悩みがあったのではないかって報じられていましたよね。頭で考えてどんなに最善を尽くしたとしても、おカネとイロの悩みは最後まで人間を解放してくれないのかもしれませんね。

補足

あ、「イロ」の悩みっていうのは、視覚的な方の色じゃなくて目がハートになる方の色ってつもりでした。紛らわしい書き方すみません…

難しいよね。。。

ほんとにほんとに難しい問題です。
今日娘は 高校のAP US History の時間、メディア・センターに行って、一人別のことをさせてもらうようにしたようです。この数日パールハーバーを習っていて、娘はクラスにいろことが耐えられないから、と、自分で先生に頼んだそうです。
歴史は 語られる時、片側の立場からしか、あるいはある側面しか語られないことが多いです。
また、高校において先生は絶対的です。
因みに 3000人もいる高校で、日本人は うちだけです。
涙をこぼす娘に 私がやるべきことは、、、と悩みまくります。








プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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