スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カレッジの授業、始まる

久しぶりにカレッジでまた授業を取ることにした。
前期は、引き受けた翻訳仕事が忙しくて、ほとんど受験生のように机にかじりついていたため、カレッジはひとまず中段していたんだけれど、これに目処がついたので、ようやく、学生生活再開、ってわけ。

今回、選んだのは政治学分野で 「アメリカ政治と人種・民族問題」。
本当は、社会学分野における 「人種・民族問題」 を取るつもりだったんだけれど、自分のスケジュールに合った時間帯に授業がなかったせいで、今回は政治学のほうを選んでみたわけ。

さて、今週から授業が始まったのだけれど。
ふたを開けてみたら、30人定員の授業なのに、登録したのは12人! す、少ない!
アメリカでは 「初のアフリカ系アメリカ人の大統領誕生!」 なんて大騒ぎしていたくせに、いざ、この手の授業となると、実はあまり学生が集まらないらしい。
おまけに登録した12人のうち、授業にやってくるのは8人だけ。
全員、女。
男は、先生だけ。
これ、いわゆる、ハーレム、ってやつ?

登録者12人の名前を見る限り、そもそも男は 「マイケル君」 だけだった。逃げ出す気持ち、ちょっと分かるけどねー。

さて、この8人。
外見だけで人種分けすると、黒人2人、白人5人、アジア人 (つまり私) 1人、となる。
が、いざ、先生の 「自己紹介してくれるかい? 名前と、そうだな、自分が unique な点を」 という一声で自己紹介が始まってみると、

「ハーイ。私、ラハ。unique な点は、ペルシア人で、両親はイラン出身ってことかな。Farsi (ペルシア語)なら少ししゃべれるわよ」
「私は、ラナ。私もペルシアンよ」

ってな具合で、私には 「白人」 と見えた2人の女の子はペルシア人だったりするのだ。
ほかの2人も、1人はカナダ出身、1人はユダヤ人で祖父母はホロコーストの生き残り、もう1人は西海岸から来たばかり、という。

さらにさらに。
黒人の女の子クリストラとステファニーの2人は、どちらも、「クレオールよ」 という。
隣にいた女の子が、「クレオールって何? 国の名前?」 と聞き、クリストラが 「違うわ」 とだけ答えた。
「ってことは、クレオールの言語もしゃべれるの?」 と私が聞き、クリストラが 「フランス語系のクレオールを少し」 と教えてくれた。

「クレオール」 というのは、そもそもは 「植民地で生まれたヨーロッパ人系の子ども」 を意味する言葉で、ほんと、それぞれの地域においての使われ方や定義が全然違うもんだから、日本から来た私なんかにはひたすらわかりにくい概念だったりする。
それでもまあ、アメリカでは主に、例えばフランスの植民地だったルイジアナ州あたりで生まれた黒人とのbiracial とか、カリブ海のフランス植民地で生まれた現地の人との biracial のアメリカ移民を指すことが多いと思うんだけれど、そういう理解で良いのかしらん。

ただ、彼女たちの 「クレオールよ」 という言葉の響きには、いわゆる 「アフリカから連れてこられた奴隷たちの子孫というわけじゃないのよ」 的な説明のニュアンスがあった感じがした。
実際、ルイジアナ州なんかに多いクレオールたちは、奴隷解放前は、白人より豊かな冨を築く人も多かったというし、いわゆる上流階級っぽい文化を共有していた、とも聞くし、黒人奴隷解放後、逆に南部の白人たちの反感の矢面に立ってしまい、没落したクレオールが多かった、ともどこかで読んだことがある。
「クレオールよ」 という言葉を聞くたびに、誇りやら自負がうかがえるのは、そのためかもしれない。

いずれにせよ、例えば日本でその辺のコミュニティーカレッジ (いわゆる地域の短大、かな) で、これだけの人種・民族の多様性が存在するなんてことはありえないわけで。
これだけの多様性を抱えたクラスで、人種・民族のことを学びましょう、というような環境は日本では絶対に得られないよなあ、としみじみ思う。

でも一方で、多様性がありすぎ、とも思う。
米国におけるマイノリティーっぽい民族的背景を持つ子が多すぎ、と思う。
ほかのクラスでは普通にいる、この地域に生まれ育った白人の男の子や女の子が1人もいないってどういうこと? それに、黒人奴隷を祖先に持つ人もまた、クラスにはいなかったりするのだ。
当事者性のある授業を、カレッジで軽い気持ちで受けられるわけはない、ってことか。
前回の社会学の授業の後、自らもこの国ではマイノリティーである先生が、「人種問題を授業で扱うと、授業から足が遠のいたり、提出用紙に何も書いてこなかったり、どうしてそういう授業をするのかなどと意見してくる子が一定数いるのよ」 と言ってたっけ。
やっぱり、いろいろな意味で、人種・民族は、この国では今も、ビミョーな問題なのだ。
だからこそ、前回の社会学の先生は私に、「この国をホントに理解したいなら、人種・民族の勉強が欠かせない」 と言ったわけだし、私もそう思ってこの授業を取ったんだけど。

さて。そんなこんなで、月曜日が最初の授業だったんだけどさ。
ヒジョーにショックなことに、

「センセの言うこと、ぜーんぜん、聴き取れなーい!」

これは参った。
前回の社会学の授業では、先生自身が外国人だったお陰で、英語は非常に明確で、いわゆるネイティブでない人の英語らしく、イディオムもあまり使わなかった。だから先生の話が聞き取れない、という苦労は一切なかったのだ。
もっとも、いざディスカッションが始まると、できるだけ最初の、テーマが明確な段階で一言何かしゃべっておかないと、議論がどんどん進展するに従い、ティーンエイジャーのむちゃくちゃ早い英語が全然聴き取れず、最後はテーマすら分からなくなり、一切ディスカッションに切り込めない、ということはよーくあったけどね。
しかし。今回はそもそも先生自体の英語がなんというか……むちゃくちゃ早い~。
おまけにモゴモゴしゃべり。

この先生、私より弱冠若いくらいの白人男性で、家にはテレビもなく、携帯電話も持たない主義。フィラデルフィア出身で、最初に参加した社会運動は、両親と一緒に歩いた 「核兵器反対のデモ」 というから、かなり変わった、極めておもしろそうな人物であることは確か。
でも、例えば西海岸出身も、メッチャクチャ明るくて、おしゃべり好きの女性なんかの英語に比べたら、100倍わかりにくいのだった。

「先生。あなたの英語、すごくわかりにくい。もっと口を大きくあけて、ゆっくり話せませんか?」

とは、さすがの私も、言えないのだった。すごーく言いたかったけどね。
それで仕方ないので、みんなが名前と民族的背景程度しかしゃべってない自己紹介で、もう、こっちの事情を洗いざらいしゃべることにした。

「私は、あやこ。言いにくかったら、あや、でも何でもいいよ。ほかの人と違う点といえば、これはもう、あなたたちより思い切り年を取ってるってことよね。あと、問題は英語。去年、アメリカに来て、社会学の授業を取ったんだけど、あの時は、先生自体が外国から来た人だったお陰で、すごーくゆっくりしゃべってくれて (ここで、先生をちらりと見る)、お陰で授業は理解できたけれど、それでもクラスメートのディスカッションとなると、ほとんど何も理解できなかったの。とにかく聞き取りがダメなのね。今回は正直言って、先生の話す内容も半分くらいしか分からない状態 (ここで、思い切り申し訳なさそうに、でもしっかり、先生と目を合わす) なの」

「大学は、それこそ20年前に卒業してるから、今さら単位はいりません。パートタイム学生です。社会学の先生の助言もあって、この国をもっと理解するために、今回、このクラスを取りました。そもそもの仕事はジャーナリスト。20年近いキャリアがあります。今も日本の雑誌や新聞に記事を書いてます」

「ということで、みんなについていけるか、かなり難しそうだけど、頑張るのでよろしくね」

大演説終わり。
日本語でしゃべるのの3倍の時間がかかるのよ、私の英語。
それでも、授業に入ったら、先生の英語が弱冠、クリアなしゃべりかたになっていた……気がする。
まあ、それでも、分からないところ、むちゃくちゃあったんだけどね。
モゴモゴしゃべりも天敵なんだけれど、私の場合、イディオムを多用されちゃうと、つらい。

come about, come out, come across, come at, come down....

こういうの、全部、もうちょっと難しい1語の動詞で言ってくれると、分かるんだけどなー。
普段の会話なら、ニュアンスでなんとなく想像できても、授業でこの手の言葉を乱用されると、厳密な意味を計りかねて立ち往生しちゃう。
おまけに前回の社会学の授業は、ある意味、すでにどこかで習っていたような内容ばかりだから、知識に余裕があったんだけど、人種問題となると、日本で勉強したことないもんねえ。
悔しいので、もちっと勉強することにします。

それでもまあ、授業自体は、おもしろい! (理解できる範囲内で、だけど)。

今回は導入、ってことで、 「オバマ大統領誕生で、アメリカは本当に post-racial になったと言えるか」 をテーマに簡単にディスカッション。
とりあえず、テーマが分かってるうちに、と早い目に発言しておいた。
「だいたい、平均寿命自体が黒人より白人のほうが長い。乳児死亡率も貧困率も黒人は白人の2倍以上。確か、黒人の7割の子どもはシングルペアレントの元に生まれてますよね。どこまでが人種問題で、どこからがsocioeconomic な問題か、線引きするのは難しいとは思うけれど、それでも post-racial とはどうやっても言えないと思う」

あーあ、日本語で書くと、なんと簡単な意見なんだろ。
でもこれ、英語で明確に言うと、結構一苦労なんだよね。
もちっと、思ったことを英語で明確に言えるようになればいいのになあ。

さて。今回の授業は「人種」について。
いきなり先生がスライドに映したのは、ダーウィンの写真だった。遺伝についての説から入ったというわけ。さらに、ノアの箱船で有名なノアが自分の末息子に裸を見られて、それに怒って、末息子とその子孫を 「奴隷として生きろ」 と言った聖書の話とか(予備知識がないから、いまいち意図がよくわからん)。
その後、スライドに映したのが、類人猿から人間までの進化図。
ほら、博物館やら教科書でよく昔みたやつ。
左端は、サル。右端は、人間。
左から右へ、段々と直立歩行になり、体毛が減り、脳を収める頭がでかくなり……っていう進化の過程を描いた例の絵が紹介された。

先生は言う。
「でもね。実は科学者の手もとにあった情報は、骨格だけだったんだ。だからこの絵の体毛だとか、肌の色なんかは、全部想像でしかないんだよね。見てごらん、左から右へ、進化にしたがって、肌の色が漆黒から白い色へと、どんどん薄くなっているだろう?」

これには、なるほどー、と思った。
進化とともに、肌の色は薄くなる……という偏見が、この絵を描いた人のどこかにあったんだろうし、それを疑問も持たずに何度も見てきた私たちは、どこかでそういう 「進化」 の方向性を刷り込まれてきたってわけだ。

と、ここで思わぬ反応が……。
私の席の後ろに座っていた、唯一のいわゆる 「フツーの白人」 の西海岸出身の女の子が挙手すると、こう言ったのだ。

「先生……あの……、その絵って、私が高校で習ったのと、全然話が違うんですけど。私のいた、小さなクリスチャンの私立学校では、なんというか、ape (類人猿) から人になる、なんて話とは全然別の話を教わったんですが」

おおお。
なんか素直に感動。
厳格なキリスト教徒の親は、学校が自分の子どもに進化論を教えるのを嫌う、とか、進化論を教えない学校もある、とは知識としては知っていたけれど、実際に目の当たりにすると、なるほどなあ……って感じ。

次に先生がスライドに映し始めたのは、ナチスドイツのころの史料。
ドイツで、両ほお骨の間の長さやら、あごとほお骨の間の長さを計っている例の写真とか、それぞれの人種で顔の骨格がどう違うかを示した当時のポスターとか。

先生はいう。
「こんな風にして、ある人種・民族を、人より劣る存在だとか、理想的なタイプとは異なる存在だとか、違いを強調していったわけです。さて。多くの人は、ナチスドイツがしたことは、あの時代の、ヒトラーという極端な人物の存在ゆえに起こったと理解しています。でも本当に、ドイツだけで起こったことなんでしょうか?」

次に先生が見せたのは、アメリカ国内ではられたポスター。
20近い人種・民族の顔写真が優劣順に並べられている。

さらに、Human Zoo の写真。
私、全然知らなかったのだけれど、欧米の大都市ではかつて、植民地で捕まえた人を自国に連れてきて、檻に入れ、見世物にする、なんてことが普通に行われていたのね。
多くの場合は、類人猿から、「進化した我々白人」までの途中に位置する存在、として展示してたらしい。
先生が紹介したのは、中でも特に有名な1906年のブロンクス動物園の写真
23歳の女の子が 「展示」 されてる写真だった。

非常に、先生の意図したいところが明確な、分かりやすい授業だった。
学問的に云々という前に、生徒たちが無自覚に身につけてきた人種・民族に絡む偏見やらステレオタイプを、少し揺るがして、できるだけディスカッションを積み重ねさせたい、ということなんだろう。
10代で、こういう授業を受けたら、すごーくスリリングだっただろうなあ、とふと思った。

40歳を越えた私にとってどうかといわれれば、切り口や視点がさほど新鮮とは思わないけれど、伝えたいことを明確に持った授業というのは好ましいなあ、という感じ。それより、ただひたすらに、英語についていくのが必死……といった状態でありまして、いやはや。
でも、「なるほど、この手の授業なら、私、言いたいこと、いっぱいあるわ」 という思いと、「案外、人種問題となると、日本で身近に感じてこなかった分、自分の言葉で語るのが難しいもんだなあ」 という思いとの両方を感じたのだった。

さて、次の授業まであと数日。
今度は60ページくらいの本の一章を読んで、ディスカッションするという。
授業の終わりに、「60ページでもね、私にとっちゃ、24時間くらいかかるのよ」 と半ば冗談めかして言ったのに、その若いズーク先生は、

「だったら、本なんか読まなくていいよ。僕はいつも生徒たちに言ってるんだ。課題の本を読み終えられなかったから、って授業に出てこないようなことはするな、って。本を読むより、授業に参加して、ディスカッションに参加することが大事なんだ、って。だから、読まなくていいよ」

……。
そういうつもりで言ったんじゃないんだってば。
まったくもう~。

センセ、若者には本をちゃんと読ませましょう。
「読まなくていい」なんて教育者が言っちゃダメダメ。

ちくしょー、活字で仕事する者の意地だわ。
絶対に全部読んで行ってやる!
などと心に誓った、40代不惑の学生なのだった。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

人種・民族の講座

うーん、面白そうな授業。こうみえてもああ、みえないか、アラカンの小生の卒論は「黒人問題と教育」なのであります。英語もできないのによくやったと思いますが、ご帰国の際はぜひ”あや”先生の授業を受けたいのでしっかり勉強してきて下さいね。
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
RSSリンクの表示
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。