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カノジョをカレッジに連れてって

定年退職したアメリカ人のジイサンバアサンたちが、ボランティアでやっている図書館の英会話クラブに、週2回ほど遊びに行っている。
週刊誌連載のネタに困った時、格好の話題を提供してくれるのも、ここのボランティアたちだ。
ここが気に入っている理由はいくつもある。
ボランティアが多いので、ネイティブ同士の会話に割り込む技術を学べる。
でもお年寄りは比較的ゆっくりと英語をしゃべってくれるので、ちょうど良い会話の練習台になってくれる。
そもそも、実践的な英語を学ぶ一番のポイントは、先生的存在が1人だけではなく、複数いることだと思う。これを満たしてくれる教室って、案外ないものだ。
これで無料なんだから、利用しない手はないのだ。

おまけに、ここにいると、各国からの移民事情が分かって、とても勉強になる。
例えば、中国からやってきた30代くらいの移民夫婦は、たいていの場合、まだ幼い子を中国の実家に残して勉強 (あるいは仕事) に来ている。そもそも実家の親が子育てを協力する文化の国だから、子どもを手放して外国に来ることに、あまり抵抗がないんだろう。
一方、韓国からは、ママと子どもの組み合わせ。パパは自国で、子どもの教育費を必死で稼いでいるというパターンが多い。
ラテンアメリカから来た移民夫婦が、子どもを自国に残してきている場合もある。が、これは中国のパターンと違って、申請したものの、子どもにはビザが下りなかった、なんてケースが多いみたいだ。

忙しくなったり、学校に入ったり、仕事を見つけたりすると、すっと来なくなる人がいる。
逆に、渡米してもう何年にもなるのに、ほとんど英語ができない状態で、「今まで働くのに忙しかった。これからは勉強したい」 などとやってくる中高年の移民たちも少なくない。
やってきては、消えていくたくさんの移民たちを、私はずっとこの場で、ボランティアたちと定点観測してきたわけだ。

そんな、図書館の英会話クラブに、先週は、小さな嵐が訪れた。
やってきたのは、スレンダーな身体に、細身のジーンズをはいた、すごくきれいな女の子。
名前は、フマ、という。
さっそく自己紹介が始まった。
「ニューヨークに9年いました。パキスタンから来ました。母はイラン人、パパはパキスタン人の biracial です。先週、カレと結婚して、それでこの近所に引っ越してきたばかり。ニューヨークと全然違う雰囲気に戸惑ってます。よろしくね」

なるほどニューヨークに9年というだけあって、日常会話に困っている様子はなさそうだ。
とりあえず、初めて来た人に対する歓迎というわけで、みんなで、フマを質問攻めにした。

「結婚した相手はイラン人? パキスタン人? それともアメリカ人?」
「結婚したばかりだなんて、ハネムーンとか行った? やっぱ、ラブラブ?」
「ニューヨークでは、何をやってたの?」
「カレとはどれくらいの付き合い? どんな人?」

主にアジアのおばさんたちに囲まれた、あわれ、うらわかきパキスタン人の新婚娘……という構図。
しかし、フマは全然物怖じせず、すいすいと答えていく。

「結婚相手はインド人。アメリカにいる親戚の叔母による mannaged marriage よ」
「ニューヨークでは色々やってました。レストランで働いたこともあったし、最後はジムでエクササイズを教えてた」

なーるほど。
道理でスタイル抜群なわけだ。
managed marrige というからには、昔の日本の見合い婚みたいなものか、と思ったんだけどね。
さらに繰り出される数々の質問に、フマが淡々と答えていく。
この答えというのが、また、なかなか仰天ものなのだった。

「カレとの出会い? 結婚式よ」
「……?? 結婚式まで一度もカレと会わなかったの?」
「もちろん。だって結婚式の前に未来の夫とデートなんてしたら、パパに殺されるもの」
「……いつ結婚したっていったっけ?」
「だから、1週間前。結婚式の時はすごーく緊張しちゃった。どうかハンサムな人でありますように!って祈ったわ。そしたら、ハンサムだし、優しいし。パキスタンの男なんかより、ずーっといいわね」
「で、新婚まだ1週間、ってわけか」
「ええ、そうよ。カレのことを好きになろうって今、努力中」

いいよ、いいよ。
managed marriage だって、幸せになれればそれでいい。
ただ、私が、「いいよ、いいよ」 と言えなくなったのは、その後の話の展開だった。

最初にあれれ、と思ったのは私だった。
9年アメリカにいたという。でも、見た目も、話す内容も、20歳そこそこの若い子そのものだ。
でもアメリカで現地校に行ったことのある子なら、もっと英語が上手なはず。
この子って、いったいいくつなんだろう?

それで聞いてみた。
「ところで、フマ、あなた、いくつでアメリカに来たの?」
フマは言う。
「だから9年前。13歳だったわ」
「ってことは、ミドルスクール?」
「いいえ、私は学校には行ってないの。働くのに忙しかったし。パパも学校には行くなっていったし」

一瞬、絶句してしまった。
アメリカでは、高校まで義務教育だったはず。
だから、極端な話、不法移民の子どもであっても、高校までは、ビザのあるなしを問われず、教育を受けることができる。
教育費だって、原則無料だ。
それなのに、13歳で渡米して、学校にも行かず、働いてきたですって?

聞けば、フマのニューヨークでの暮らしはこんな風だった。
同じパキスタンから出てきた娘さん6人で、マンハッタン島の5thアベニュー(買い物で超有名な通りだ)のマンションをシェアし、ひたすらお金儲けしたこと。
結婚したら最後、夫に尽くさなきゃいけないから、遊ぶのは今のうち、と稼いだお金であっちこっち旅行に行ったこと。
ただし女同士で。
男性とは、デート一つしたことがないこと。
なぜなら、

「デート? 絶対にダメ! 私の周囲には、パキスタンにいるパパにつながる親戚や知り合いがいっぱいいるんだから。どこからどうパパに噂が伝わるかわかったもんじゃないわ。私はね、ニューヨークの大都市にいても、身体半分はパキスタンにいるような気持ちで生きてきたの。私が男とデートしたなんてことがパパの耳に入ったら、私はパキスタンに無理矢理連れ帰らされて、殺されるわ」

フマは大真面目にそう言う。
「殺されるわ」 という言葉だって、「パパに知られたら死んじゃう~」 みたいな冗談ではなく、本当に物理的に 「コロサレル」 というのだ。
「だって、パパはパキスタンの軍にもいたのよ。ある時期なんて、パパは私の将来が心配で、『パキスタンに戻ってこい戻ってこい』 と毎晩のように電話を寄越したわ。でも、その後で、ママからこっそり電話があるの。『パパの言うことを信用しちゃダメ。戻ってきたら閉じこめられちゃうから、絶対に帰国しちゃダメよ』 って。イラン人のママは、パキスタンの女性よりずっと開放的な考えを持っていたからね」

この辺りから、段々と、「お気楽なアジアおばさんたち」 の質問が途絶えがちになり始めた。
あまりに想像を絶する話に、びびり始めたのだ。

「私が勤めていたニューヨークのジムにも、パキスタンの女性が来たことがあってね。でも彼女の胸のあたりに大きなやけどのあとがあるの。私、すぐわかった。夫か、あるいは父親に、強い酸をかけられ、やけどさせられたのよ」

「そもそも、私があわてて結婚したのだって、パパの手から逃れるため。パキスタンに戻りたくない一心で、叔母に頼んで、結婚相手を探してもらったの。結婚したら、私の人生に責任を持つ男は、パパではなく、夫になるからね。これでもう、パパは口を出せないってわけ」

「それでも、つい数日前、パパからうちの夫に電話があったの。『女は外に出すとろくなことがないから、絶対に1人で出歩かせるな』 って言ったんだって。うちの夫は優しいからいいけれど」

でも、実際のところ、運転免許のない彼女は、ほとんど1人で出歩けない。
公共交通網で事足りた便利なニューヨークのマンハッタン島と、メリーランド州とでは事情が全然違うのだ。

「私、これまで働いてきたでしょ。今が勉強する時だと思うの。だから、カレッジに行って勉強したいんだ~。高校卒業の資格がないから、まずはGED (大検のアメリカ版、といおうか) をパスしなきゃ。運転免許も取りたいし。でもネックは、英語かなぁ……」

これには、その場にいたみなが驚いた。
「あんた、英語、しゃべってるじゃん。全然OKじゃん」
その後の、フマの答えを、誰が予想しただろう。

「話せるんだけどね。読み書きはほとんどできないの」

思わず、胸にかっと来てしまった。
こんな意欲的な子が、どうして学校に行けなかったの?
むしょうに悔しくて悔しくて、しばらく口がきけなかった。
大学院への申請を終えたばかりの娘を持つ台湾人オバサンのヘレンが、「私、来週、絶対にカレッジのGEDプログラムの説明書を持ってきて上げるから、あんた、絶対に来週もここに来なさい!」 と力強く言った。
いつもは大人しいヘレンが、こんなに強い口調で話すのは見たことがない。
お節介アジアンおばさんの 「カノジョをカレッジに連れてって」 プロジェクトがぶち上げられた、って雰囲気。

私はどっちかというと、例えば、イスラム女性がヘジャブを被る云々について、それを安易に 「女性差別だ」 とかいうアメリカの人たちが苦手だったりする。西洋の常識やら、文化を、そう押しつけてどないすんねん、と思うことも多い。

でも今回のはダメだ。
教育を受ける権利、というのは、私のツボのようだ。
夫に頼んで、車に乗っけてもらわないと、図書館にも来られないという。
来週も来るかな。フマ。
来週も来てね、フマ。

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すごくいい環境をみつけていい体験しているな、と思って読み始めたら、驚愕な展開で!遠い日本からもフマを応援しているよ。Desert flowerみたいな世界がアメリカでもあるのねー。

同僚にパキスタン人がいるのですが、彼女は今月末から2ヶ月ぐらい里帰りして、長男(アメリカで生まれ育った)のお嫁さんさがしをするんです。同僚は息子には見合い結婚じゃなくてもいいのよ、っていっているのに息子さんは「お母さんがいいと思う人なら自分もいいから」ってすごいマザコン(笑)。

私は逆にフマが一人で?パキスタンから来たことが驚きです。とても封建的な文化なんで、そんな小さな子供を父親が手放すって(しかも女の子)ちょっと考えられない。(実際に電話をかけてきて女を一人で出歩かせるなっていっているくらいなのに、娘をアメリカなんかに生かせるのは不思議)

フマが勉強できて、車の運転もできるように早くなれますよね。
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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