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「みんな」 に合わせるということ

コーラスに夢中だ。
誰かと何かを一緒にやる、ということ自体が、私にとってはすごく新鮮。

思えば、他人と何かをやるのがいつも下手だった。
大学時代、まともなサークル活動をした記憶がない。渡米前に、大学時代の友人たちと久しぶりに再会して飲んだら、「あやちゃんはいつも言い出しっぺで、でも気が付いたら、みんなを残して、もういなくなってるんだよねー」 と指摘された。
恐ろしいことに、そんな記憶、私にはまったくないのだった。
でもそういえば、……そうだったかも。

会社に入っても、いわゆるチーム取材というものの経験が少ない。
独自路線、といえば聞こえがいいが、はっきりいえば、隙間産業。人があんまりいないところを、いつもフラフラしてたような気がする。だから、いわゆるキャンペーン記事にも縁がなかったし、大きく社会を揺るがした経験もたぶんない。

一人のほうが気楽だし。
一人のほうが面倒じゃないし。
自分のことなら、自分が努力すればいい。
誰かに無理矢理引っ張られるのも嫌だし、誰かを気長に待つことも嫌い。
ま、はっきりいえば、自分勝手なんだろう。

そんな私が、いきなり、コーラス、なのだった。
コーラスは一人では練習できない。
もちろん、譜読みやら、練習の予習復習や、暗譜なんかは自分でやるべきことだけど、本当に美しい響きを出すためには、みんなで練習しなきゃいけない。
どんなにきれいな声でも、飛び出しちゃだめ。
一番大事なのは、みんなと響きを合わせること。
それぞれのパートの音をきちんと聞いて、母音の響きを合わせ、子音の響きを重ね、ハーモニーを作っていく。
だからみんなの響きを聞かなきゃ、練習にすらならない。
一人二人が練習を休むと、そのたび、響きが変わる。パートごとのバランスが崩れれば、そのたび、修正が必要になる。
自分の欠席が、みんなの足を引っ張る。
自分が、自分の声に酔って、思い切り歌っちゃったら、ハーモニーは台無しになる。

先生はいつも言う。
「自分の声は、内耳を伝わって響いてくる声だけで十分。それ以上大きな声なんていらない。ほかの人の声を聞いて。響きを合わせて」

悪戦苦闘する中で、はたと気付いたのだった。
「あ、あたしって、『他人と合わせる』 って努力、実はほとんどしたことないじゃん」

いや、「したことはない」 は嘘だな。
中学や高校時代は、クラス内の同調圧力に従い、慎重に慎重に暮らしてきた。
嫌われないように、はじき出されないように、飛び出さないように、浮いちゃわないように。
それに、ほとほと疲れたし、今から思えば、クラス内の同調圧力なんかより、「同調せねばならない」 と思いこんでた自分の心の中の 「圧力」 のほうが、実はずっと強かったんだろうな、とも思う。

大学に入って、何やら気持ちが解放され、会社員になった後も、「おぐには、まあ、仕方ないよな」 と言われるような妙なポジションをすんなりいただいて、その後は随分と一人で気楽にやってきた。
結局、私はこれまで、「他人に合わせる」 ということに、ほとんど価値を見出してなかったんだと思う。

でもねえ。
今、コーラスを始めて見ると、これは本当に楽しい。
「他人に合わせること」 が今はつらくない。嫌じゃない。
もちろん、人間、そう簡単に変われない。
他人に追いつくよう必死で努力する時は楽しいのだけれど、他人を待つのは今でも苦手。譜読みに戸惑ってる人を見て、「譜読みくらい予習してから練習に来てよねー」 と思っちゃう自分は、未だ、いる。
それも、誰より初心者で、下手くそな自分自身を棚に上げて、そんな風に思っちゃうんだから、私の「自分勝手」 は相当に重症だ。

それでも。
コーラスは、一人じゃできない。
一人ひとりがしっかり自分で歌えないと完成しないけれど、一人だけでもダメなんだ。みんながお互いにもたれかかるのではなく、一人ひとりですっくと立って、だけど、心も響きも合わせる努力を積み重ねていかなきゃいけない。

「みんな」 を毛嫌いし、「一人」 に慣れていた私には、一つひとつの作業がとても新鮮なんだ。
自分の響きが、「みんな」 に合った時は、涙が出そうになるくらいうれしい。
なんだ私、40歳過ぎるまで、みんなと何かをやる喜びを知らずに来たのかい? と自分が滑稽になるくらい。

先々週、自分の声についての心配を先生に打ち明けた。
「発声に地声が混じってる、と昔から声楽経験のある妹に指摘され続けてるんです。一人で歌うならともかく、みんなの響きを乱してたらどうしよう……」
先生はすぐにピアノのそばで私の発声をチェックしてくださった。
そして、
「高音は大丈夫。合唱の発声になってます。でも、低音部分になると、胸声が混じっちゃうの。高音を出す時と同じ発声で低音まで出してごらん」
と、発声の練習方法まで教えてくださった。

それから2週間。
自分の発声に気を遣い、
みなの響きに耳を傾け、
飛び出さないように、
響きを重ねるように、
ほんとうに大事に大事に歌うことを心がけた。

そしたら今日ね。
「胸声がほとんど混じらなくなってる。すごく良くなったじゃない!」
と先生がほめてくださった。
これにはもう、ノックアウト。
声や発声がうんぬん、という以前に。
「あたしも、みんなと、何かできるんだっ!」
そんな風にうれしくなった。

一人は今でも好きだし、気楽だけど。
「みんな」 は、楽しいことだったんだ!


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私は反対に「みんな」にあこがれ続けてウン十年です。
一人が気楽、なときも確かにある。人に合わせるのは苦手、なところもある。私の自分勝手さもかなり重症なんだけど。でも一人がいい!ってなかなか思えなくて、「みんな」に合わせられない、集団の中で浮く自分が嫌い。この年になってもまだ、自分と戦ってます。

小國綾子さま

元気でいいなぁーーひとりと、みんな、か。おれなんか、いまは、ひとりきり、女房がアルツで昨年正月に、いわゆる<特養老人ホーム>入りしたっきり。やることは、買い物(寒いから週に一度くらい)、ホンヤク、お風呂。

あとは、NHK-TVぐらいと、毎日新聞読み(近ごろは大して念読?しない)、もっぱら、ホンヤクに絞っている。夢のなかでまで、なんでこんなストーリーが割り込むんだーーなどと悩んだりする。ブログで宣伝に努めたが、集英社は、まだいい顔を見せてくれない。

合唱ーー羨ましい。そのなかで、ここまでいろいろと考える。気性が実によく分かる。発見ーー「改行の頻用」。新聞記事じゃ、こうは行かない。(小生も、13,4年、共同通信、外信だけ)。歌と言えば、組合主催ののど自慢で、三等だかをもらった。賞品は卓上電気スタンド。歌ったのは、ロシア民謡「ここは遠きブルガリア、ドナウの彼方」、ロシア語だったか、日本語だったか。

ごめんなさい。長すぎた。あしたは、夜に入って雪の予報です。
  では、また、読ませていただくーー達文の見本を!
担任の先生は、女性でしょうね。合唱は、アメリカ語?

                        工藤 幸雄拝


プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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