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民族アイデンティティーと思春期

この手の話は、息子のプライバシーに関わるので、書くまいと思っていたんだけど。
異文化とか、民族アイデンティティーとか、そういうテーマに関心のある私には、自分の子どもの話でなくても極めて興味深い出来事だったので、やっぱり書き留めておこうと思う。

後日、もし息子がこれを読んで、「どうして俺の恥をさらす?」 と詰め寄ってきたら、

・モデル料500円やるから、それで手を打て。
・母ちゃんはこの件について、あんたが恥じねばならぬような話ではない、と考えている。

の2点で乗り切ろうと思う。
よし。
準備オーライ。

久しぶりに息子の学校の話である。
のんびりした学校で、アメリカのわりには、プロジェクト系の宿題や課題が少ない小学校なのだけれど、最近息子がやっているのが、ライティング (作文) のプロジェクトだ。

まず、テーマを選ぶ。
それについて、何を書くかアイデアを見出す。
作文の形式はどんなものでも良い。

物語でもよければ、長めの詩でも、芝居の台本でも、スピーチ用原稿でも、自叙伝でも、手紙形式でも、歌の歌詞の作詞でも。
そして、文章で誰にどんなことを伝えたいかを具体的に考える。
たとえば、政治家達を説得する文章でもよければ、クラスメートに聞かせる物語でもいい。家族を大笑いさせるとんち話でもよければ、新聞や雑誌の編集者相手に経験を伝える投稿文、という設定であってもいい。

最初に学校からの配布物を見た時は、なかなかの難題だなあ、と思った。
昨年の、「国を作り、地図を作り、挙げ句の果てに国歌まで作り、そして歌う」 に比べたら、ずっと地味だけれど、その分、英語の不自由な生徒にはごまかしようがない。

すぐに私なり、英語の家庭教師に泣きつくかと思ったら、意外なことに違った。
「大丈夫。学校の先生もいろいろ助けてくれるし、自分独りでやれるから」 と言って、どんなものを書いているかすら教えてくれない。
それでも。
案外息子がこのプロジェクトを楽しんでいることだけは、傍目にも分かった。

どうやらナンセンス物語を書いたらしい。
テーマは、Tuna Roll。 つまり本人の好物の、鉄火巻きだ。
何度頼んでも見せてくれない。
そのくせ、「部屋のどこかに隠したから、見つけたら読んでもいいよ」 などという。
恥ずかしいけど、ちょっと自信作なんだろう。

息子の目を盗んで、こっそり読んだところ、こんな話だった。
(翻訳・おぐに)

それは、いつもと同じフツーの日に始まったんだ。
突然、僕の身体が変わり始めた。
足が全部なくなって、代わりにたくさんのヒレが出てきた。
気づいたら、僕は大海を泳ぐ魚になっていた。海を泳ぐマグロ。

マグロになって1カ月が過ぎたころのこと。大きな影が僕らの上を横切った。
僕は何が起こったか分からなかったんだけど、仲間のマグロたちはみな、狂ったように泳ぎ始めた。
「いったい何?」 と僕。
「漁船が俺等を捕まえにきた!」
マグロたちが口々に叫んだ。
僕らは必死で泳いだ。すごいスピードで。
でも、船はもっと速かったんだ。
僕らは海中を泳いだけれど、結局捕まってしまった。
僕は気を失った。

次に気づいたら、僕は、大きな水槽の中にいた。
周囲を見渡し、気づいた。僕は、僕の大好きな場所にいるらしい。
寿司屋だ!
人間時代の僕は、寿司が大好きだったのだ。
それから気づいた。ああ、そうか、僕は、マグロ。
鉄火巻きになるんだな、きっと。
悪い気はしなかった。
だって鉄火巻きは、僕の大好物だったからね。

板前さんが僕を使って鉄火巻きを作っている間、僕は辺りを見渡して、驚いた。
だってそこには、僕がいたから。
人間の僕は、うれしそうに、鉄火巻きを注文した。
人間の僕は言った。
「鉄火巻きが食べられるなんてうれしいな。すごくお腹が空いてるんだ。早く来ないかなあ!」
ついに、鉄火巻きは出来上がった。
すごくおいしそうだ。
人間の僕は、一口で鉄火巻きの僕を食べた。
「おいしい~っ!」
僕はそう叫びそうになった。
ほんとにそれは、素晴らしいごちそうだったんだ。

そして、次の日。
僕はまた、魚になっていた。


つまり、永遠に輪廻していくナンセンス物語、ってわけだ。
妙に奇妙な、味のある話で、私は一目で気に入った。
英文のほうは、先生にかなり直してもらったんだろうが、発想はまさに、息子らしいものだったから。

そんなわけで、息子の久しぶりのプロジェクト系課題は、親も英語の家庭教師の手も借りず、あっさり自力で完成し、めでたし、めでたし、となるはずだった。
ところが……。

きのうの夜、息子が突然、こう言った。
「明日は学校に行かない」

「行きたくない」 ではない。
「行かない」。もはや、宣言、である。
理由を尋ねたが、どうもよく分からない。
そうこうするうち、涙目になり始めた。

それでもどうにか聞き出したところによると、明日とあさって、学校で、それぞれの生徒が書いたライティングプロジェクトのプレゼンがあるらしい。
自分の書いた文章について、2分間、クラスメートにプレゼンする、というわけだ。
最初は、息子が例のごとく、人前でしゃべるのを嫌がっているのかと思った。
あるいは、英語でどんな風にプレゼンしていいか分からず、不安がっているのかと思った。
でも、本人はどちらも否定する。

「今回の作文を書く時、先生は、それを最後に、みんなの前で発表する、なんてことを言わなかった。だから俺は、このテーマを選んだんだ。もしも、みんなの前で発表するって分かってたら、こんなテーマなんか選ばなかったもん。絶対に、俺嫌だ。絶対に、俺、発表なんかしない」

Tuna Roll というテーマを披露するのが嫌なんだ、という息子の主張を聞いて、ドキリとした。
思ったより、これは、根が深い問題なのかも、と。
とりあえず、その夜は、
「本気でそのテーマで話せないと思うなら、先生にそう説明しなさい。どうして話したくないのか、相手を説得してみなさい」 と息子に説いた。

さて、翌朝。
息子は、しばらく 「学校に行かない」 宣言を繰り返していたが、最後は覚悟を決めたのか、暗い表情で朝ご飯を食べ始めた。
「先生に、絶対発表しないと主張することにした」 という。
そうか、自分で結論を出したか。

学校に送り出す時に、一応聞いてみた。
「親の手助けがあったほうがいい? 先生にメールを送るくらいのことはできるよ。その代わり、私が先生にメールを出すとしても、『息子に発表させないでください』 とは書かない。
親から先生に伝えられるのはせいぜい、あんたにやる気がないわけじゃない、と抗弁することくらいだよ。
『息子は人前で話したくないのではなく、そのテーマをクラスメートの前で話すのが嫌だと言っています。だから、あと1~2週間息子に与えてやってください。代わりのテーマで、本人は努力して別のものを書き直すと思います』 という路線ならば、口添えもできるけど、どう?」 と。
息子は一言、「それ、お願い」 と言った。

「じゃあ、母ちゃんにもちゃんと、どうしてそのテーマで話したくないのかを、分かるように、きちんと言葉で説明してよ」 と促すと、ちょっと困ったような表情で、息子は、こう言ったのだった。

「なんかさ。俺、
クラスメートの前で、今、
あんまり日本のこととか話したくないんだよね」


たぶん、そういうことなんだろう、と予想していたから、「了解了解」 と息子を送り出したのだった。
息子は私と別れ際、こう強調した。

「俺、あの作文をみんなの前で話すのは嫌だけど、廊下の壁に掲示されたりするのは別にいいんだ」

このあたりがアンビバレントなところだ。
クラスメートの前で、あまり日本のことや、日本人であることを強調したくない。でも、自分の書いた文章には愛着があるし、それを恥じる気持ちもない。
私は、それはそれでいいじゃん、と素直に受け止められた。

大急ぎで、ライティングの先生にメールした。
先生に、メール一本で連絡できるのが、アメリカの学校のホント、助かるところだ。

事情をかいつまんで説明した上で、

「だから、息子は今回に限っては、人前でしゃべるのが嫌、ということではなく、そのテーマをアメリカ人のクラスメートに話すのが嫌ということのようです。今はあえて、日本のことや、日本人であることを、みなの前で強調したくない、ということだと思います。
この手の反応というのは、多くの外国人の生徒がアメリカになじんでいく過程で、よく見られるもののように思います。成長の一段階と、親としては理解しております。こんな風に心を揺らしながらも、将来的には、より安定した、自信に満ちた民族アイデンティティーを獲得していくことと信じます。
何か発表する必要があるようならば、息子に1~2週間の時間を下されば、別のテーマで書くと本人も言っております。その時にも息子は、きちんと努力して、別のものを仕上げると思います」

先生からはすぐに返事が来た。
(授業中でも返事をくれるから、助かる)

「おっしゃること、了解です。
息子さんが話したくないことを、クラスで話す必要は一切ありません。
スピーキングの点数は、詩の朗読だとか、好きな本からの短い引用だとか、そういうものの発表でも構いません。
息子さんと、話してみますね」

すっと理解してもらえたことに、ほっとした。
この先生自身、東欧系(たぶん)の移民一世だ。この国で子育てもしている。
当たり前のように、息子の思いを受け止めてくれたのには、そういう背景もあるのだろうか。

日本だったらどうかなあ。
「みんなやるんだから、あなたもやりなさい」 的な指導をする先生もいるだろうし、逆に、その生徒を哀れんで、「何も発表しなくていいわよ」 と言ってしまう先生もいるんじゃないかな。
「話したくないことを、無理に話す必要なんてないのよ」 と生徒に言ってくれる先生って、やっぱり、とてもアメリカちっくだなあ、と思う。

全然話は変わるが、たとえば、息子の5年生になって初めての社会の授業は、米国の憲法の修正第一項だ。

第1修正(信教、言論、出版、集会の自由、請願権) 
連邦議会は、国教を樹立し、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに人民が平穏に集会する権利、および苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。

息子の持ち帰った宿題には、こんな問題が載っていた。

「次のあなたの行為は、憲法修正第一項によって、それを行う自由が守られていますか?」

問題として挙げられたシチュエーションも面白い。

「あなたと友だちとの間で、イラク戦争に対する意見が割れました。その時、それぞれが自分の意見を主張する権利はありますか? それはなぜですか?」

「あなたは学校の方針に不満があります。その時に、先生に意見したり、地元の新聞に投書する権利があなたにはありますか? それはなぜですか?」

学校の授業で、「学校の方針に不満がある時は、先生に意見してもいいし、地元紙に投書してもいい。そういう権利が君たちにはあるんだ」 と教えるあたり、やっぱり、アメリカらしいなあ、とちょっと感服したのだった。

それはそうとして。
民族アイデンティティーの話。
この国に来て、いろいろな子どもを見てきた。
日本人だけに限っても、実にいろいろな子がいた。
あるいは、いろいろな時期があった、と言ったほうがいいかもしれない。
同じ子が、その時々で、少しずつ変わっていくのも見てきたから。

日本語でしか話そうとしなかった時期のあった子、なかった子。
英語を話そうとしない時期が長かった子、短かった子。
ママの作る黒々とした海苔で巻いたオニギリを、学校に持っていくのが平気な子、恥ずかしいという子。
日本のことが授業で取り上げられることを誇らしく感じる子、身を固くしてしまう子。
アメリカのことが全部嫌いになる時期のあった子、日本のことが全部嫌いになる時期のあった子。
日本で暮らしたことがほとんどないのに、日本人であるということが常に心の支えになっている子。
いつか日本に帰ることがもう、怖くて怖くて仕方なくなっている子。

年齢によって、性別によって、家庭環境によって、周囲の友だち関係によって、そしてシチュエーションによって、それぞれに事情があるから、どっちが成長途上にあって、どちらがより成長しているかなんてことは、一切一般化できないと思う。

たとえば息子はちょっと前まで、オニギリを持参するのは平気だったが、今年は 「ちょっとそういう雰囲気じゃないだよなー」 という。
学校には持っていけないオニギリを、野球の練習には、案外平気で持っていったりもする。
野球のチームメートに好きな選手を聞かれても、あえて日本人選手の名前を挙げない一方で、
ヤンキースの松井選手のワールドシリーズでの活躍に、根っから勇気づけられたり。
教室の壁に貼ってある年表に、広島に落とされた原爆のキノコ雲の写真を見つけて、その日の授業を今から不安がったり。
アメリカの友だちから、「日本語を教えて」 と言われ、わざと 「クリスマス」 と 「バースデーケーキ」 という日本語を教えてやったら、ビックリしてたぜ、と大笑いしたかと思ったら、
アメリカの友だちの前で、日本語で話しかけられるのを嫌がったり。

その時々に、あっちに揺れたり、こっちに揺れたりしながら、
この国の子どもたちは少しずつ、自分の民族アイデンティティーをつかんでいくんだろう。

息子が、鉄火巻きの話をアメリカの友だちの前でしたくない、と強く拒否することも、一方で、自分の書いた鉄火巻きの話に深い愛着を抱いていることも、どちらも息子にとって、たどり着くべき場所に向かっての大事なステップなのだと思う。
だから、私は今、息子に、「日本に誇りを持ちなさい」 なんてわざわざ言いたくないし、
言う必要も、ないのだ。
きっと。

息子に関しては、思春期の本当に難しい時期に突入する前に、日本に帰ることになるだろうから、とさしてその辺りについては心配していなかったのだけれど。
それでももう、11歳だもんなあ。


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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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