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声楽レッスン覚え書き Lascia ch'io pianga編

Lascia ch'io piangaに悪戦苦闘中。
どうも、これは1カ月とかの単位でじっくり取り組もう、という気持ちになっている。
この曲に関しては、昨日が2回目のレッスンだったのだけれど、1回目からして、なんというか、「なはは」状態だった。

ああでもない、こうでもない、と、Lascia ch'io pianga の歌詞の意味を調べまくって、音源を聞きまくって、自分なりのイメージをすっかり作ってしまって、こういう響きで歌いたい、という地点も薄らボンヤリと見えていて、でもそこに到達する技術はとうていなくって、ああ、仕方ないから、もう、躊躇せず、思い切り歌いましょ~~、というのが1回目のレッスンでの出来事だった。

歌い終わったら……。
きっと、あれは間違いない。
先生は、あきらかに困っていた。
一言、「えっと……。音によって、色々なポジションで歌ったりしてしまっているので、コンコーネでやっていることを忘れずに、同じ発声で歌えるようにやってみてください」。
困っている顔を見て、「ああ、またやってしまった」 と思った。
東京で習っていたピアノの先生が、同じ顔をよくしていたから。

ピアノ曲の場合はこんな感じ。
新しい曲をもらう。
うれしくて、舞い上がって、興奮しちゃって、まともに弾けないくせにCDとか聞きまくって、耳ばっかり 「お腹いっぱい状態」 になって、それでも技術はもちろん全然ともなわなくて。
最初に先生に聞いてもらうレッスンにて、思い入れたっぷりに弾いたら……。
先生はホント、困った顔をして、
「うーん。まあ、歌いたい方向がみえてるってことは、素晴らしいことですよね」 などとフォローしてくれたのだったっけ。
それから、「でも、気持ちを込めるのはしばらくお預け」 というお達しが出て、片手練習、部分練習、あらゆるドリルに、リズム練習。
数週間を経たころになって (発表会の曲なんかの場合、1カ月以上が過ぎたころになって)、ようやく先生から、ゴーサインが出るのだ。

「さあ。もう、おぐにさんの解釈で弾いていいですよ」

そのたび、「ああ、気持ちだけじゃ、何にも表現できないんだ」 と思い知り、訓練と練習の必要性をいたくいたく感じてきたわけだけれど、それでも、新曲をもらった時の、それも、すごく好きになってしまった曲をもらった時の喜びというのは、何にも勝るもので、結局、新曲をもらった時の最初のレッスンでは、またしても舞い上がり、好き勝手に思い入れ、技術の何の支えもない状態で、気持ちに任せて弾いてしまう。
何度も同じことを繰り返してきたのよね。

でもって、先日のLascia ch'io pianga の一回目の、声楽のレッスン。
まさに、同じ 「困った顔」 の先生が目の前にいたのだった。
ああ、先生、ごめんなさい。
あたし、ちゃんとやりますから……。

それから、2週間。
とりあえず、ピアノの時にやったことを思い出し、やってみた。
練習時間は圧倒的に不足していたのだけれど、必要なことを順番にやってみたつもり。

いったん、音源を探して聞きまくるのはやめ、発声練習をできるだけ丁寧にやり、発声とコンコーネをやらずに Lascia ch'io pianga をまず歌う、ということを一切禁じ、コンコーネの発声のまま歌えるように繰り返し練習。

あ、の母音だけで歌ってみたり。
子音をはずして、母音だけでレガートを確認してみたり。
ドレミの音階で歌ってみたり。
歌詞で歌う練習まで、なかなかたどり着けなかった。
歌詞をつけたら、途端に、響きが落ちていく感じがした。
これはもう、どうしたことか、って感じ。

それでも、時間はようしゃなく過ぎるわけで。
気づけば、レッスンの朝はやってきたのだった。
そういえば、Lascia ch'io pianga は ABAの曲構成になっているので、最後のAの部分はもっと自由に変化をつけて良いですよ、と言われていたのだったっけ。

あわててネット上であれこれ音源をあらためて聞くのだけれど、どれもあまり気に入らない。
むちゃくちゃ上手な人は、これでもか、これでもか、と装飾しまくって、いやはや見事なんだけれど、そんなこと私がやっても仕方ないし、聞き苦しいだけ。
それで、自分なりに考えてみた。

ABAの最後の部分 (キーはF major)。
一番最初の ch'io を Dの音に乗せて、内に秘めた思いの強さを少しだけ見せる。
でも、次の la dura sorte は変化させない。
ここは、いかようにも飾れる場所だし、多くの歌い手さんが、一気に飛翔しちゃったりすることも多い。そこまでしなくても、sorte だけ優しく飾る手はあるとも思う。
でも、個人的にはやっぱり、ここは、「あれれ」 と思うくらいシンプルに歌うほうが、辛い運命をもはや受容しつつある、信仰心の篤い女性を表現できるんじゃないかな、と思う。

で、e che sospiri の pi の音でCの音に下ろさず、pi だけGの音に残すことで、「溜め息をつくようなあこがれ」 に何か、もう少し意志の強さと信仰心に裏打ちされた確信のようなものをこめる。

で、次。
e che sospiri, eche sospiri とたたみかけるところは、ははは、実は朝のうちには意志決定できなかった。だから、テキトー。今なお、歌うたび、違う。

ただ、最後のフレーズについては、
やはりここも、la dura sorte を絶対に揺らさず、素直に歌い、次の e che sospiri ではいつものように so の音で上昇するのではなく、 che で上昇しておいて、so は最初からGの音で上から、ありったけの思いをこめて、大事に大事に歌い、あまり無理せず、できる範囲で装飾する。

というところまで、決めたところで、ほとんど練習する間もなく、レッスンへ。
練習不足がたたり、最初に先生の前で歌った時は、ほとんど変化をつける余裕もなく終わってしまった。
ははは、やっぱり、練習したようにしか歌えないもんです。反省。
それでも2回目は、ほぼ思っていたような変化をつけられた。
e che sospiri とたたみかけるところをどうするかを、もう少し検討することが課題かな。

もっと上手だったら、あれこれいじりたい所はもっとあるけれど、やってみたところで、耳に汚かったので、あとはもうやらない。上手になったら、少しずつ付け足すかもしれないけれど。

以下、忘れてしまわないうちに、レッスンの覚え書き。

・Lacia であっても、レガートに。
・Lacia や pianga の後の休符に音楽を創る。(これは意識してたつもりだったけれど、「ぽとん」 と消えるように歌うのでは、他人には何も伝わらないのだ)
・e che sospiri は、so で上っていくところより、むしろ、pi で音が降りるところが大事。ここを不用意に歌うわず、むしろここで音楽を創る。(これは目から鱗だった。この日一番の大発見!)
・liberta を一つの言葉として意識し、大事に歌う。(そりゃそうだ。こんなに溜め息が出るほどあこがれているのが、「自由」 なんだものね)。
・あとはもう、高音を歌う時の発声。力を背中のほうに、後ろに後ろに引っ張る感じ、というのだけれど、どうもこれが体得できてない。これは長期戦。
(あとは発声や発音についても多数)。

ここまで歌ってみての感想だけど。

まず、どうも最初がうまくいかない。
Lacia を祈るように歌いたいのだけれど、La と歌ったところで、自分の声に絶望したくなる。
cia は発音を気にすると、音色が貧しくなり、音色を気にすると、発音ができない。
あと、中間部の中の、pieta という言葉が全然思うように歌えない。
よくピアノの先生が、「思った音色を出せないのは、本当の本当の意味で、目指す音色が頭の中で鳴っていないからです」 と言ってたっけ。
あれに近い状態なんだと思う。
思うように歌えない、のではなく、本当のところ、「何か違う」 ということしか見えないのだ。
前途多難。
でも楽しいから、いいか。

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プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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