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歌いたい音色は見えてるのになあ

声楽のレッスンで新曲として与えられた、Lascia ch'io pianga が、延々と頭の中で響き続けていて、一瞬もお休みしてくれない。
壊れたレコード状態。
あーん、まいった。

そもそも、このヘンデルの歌曲の全体像を、私は見たことも聴いたこともない。
だから、歌曲全体の流れの中でどうとか、位置づけがどうとか、そんなことはちっとも知らない。
それでも、ただただ、歌いたい方向だけは見えてきた。

とらわれの身で歌うこの曲は、実に悲しい曲なのだけれど、それでも神さまと向き合う歌でもあるから、ただただ悲しい、と歌ってはいけないのだと思う。
深い悲しみゆえに、神に語りかけ、でも神に語りかけることで心の平静を取り戻すさまだとか、我が身が解き放たれることへのかすかな希望が、まっすぐに表現されなければいけないのだと思う。

だから、e che sospiri la liberta という何度も出てくるフレーズは、毎回、少しずつ、たぶん、違う。
最初は、鳥が飛び立つように、ひたすらあこがれを歌い込んで。
途中、歌い重ねる部分では、切実な感じで。
でも、間奏を経て、中間部を経て、再び同じテーマに戻ってきた時には、もっともっと神さまに近いところで、もっと純粋な心持ちで、神を信じているがゆえの喜びのようなものを、こんなに悲しい境地にありながら、それでも希望のようなものを、歌い込まねばならないような気がする。

でも、最後の最後には、たぶん暗い洞窟のような、明かり一つない場所に閉じこめられた我が身を再びみつめ直し、それでも深い絶望の底から、小さな小さな光りを見出すように終わらなければならない気がする。

そんな風に歌いたいのになあ。
イメージまで見えているのになあ。
歌いたい音色はもう耳に、響いているのになあ。

いざ自分が歌い始めると、まったく違う地平で 
(それこそ、声がかすれるとか、響かないとか、そういう 「問題外!」 のレベルで)、
悲しいくらい平板で、無神経な自分の声が出る。

まったく~。
Lacia ch'io pianga (私を泣かせてください)、どころか。
こんな私の声をどうにかしてください、と泣きたい気分だ。
カードゲームのポーカーで、カードを総替えするかのように、自分の声を総替えできないか、と思ってしまう。

心の中で響いているのと同じ音色の声が、自分で出せるようになる日なんて、
本当に来るのかなあ……。
楽器相手ではなく、相手が自分の身体だけに、むちゃくちゃ悔しい。

プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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