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声楽のレッスン・覚え書き1

コーラスは実に楽しい。
響きが重なるのも、重なったところに、不思議と別の響きが生まれるのも、聞いていて、ほんとに不思議な世界だと思う。
どうして、3声の音色を重ねただけで、5重も6重もの膨らみが生まれるのか、そういう仕組みはちっとも分からないけれど、でも、そんな風に音色が膨らみ、震え、広がっていく瞬間があって、あれは絶対に一人ぼっちでは到達できない世界なんだと思う。

生まれてこのかた、「誰かと一緒に何かやる」 ということにことごとく失敗してきた私には、この喜びって、かなり新鮮なのだった。
おまけに1年半近く一緒に活動してくると、仲間の一人ひとりにもものすごく愛着が沸くってもので、誰かの送別会に号泣したり、同じ舞台に立てることの幸せにクラクラしたり、ちょっと調子が悪い時に誰かのそばでその人の声を聞いているだけで心が落ち着いたり、そういう世界が広がってくる。

もしかして、中学生とか高校生が体育会系の部活なんかをやると、こんな境地にたどりつけるのかしらん。
私は40歳過ぎて、初めて、こういう世界を知った気がするのだった。

そんなわけで、もう一歩、歩みを進めてみることにした。
どうせなら、ちゃんと自分も歌えるようになりたい、ということ。
響きを耳で楽しんでいる時、自分のささくれだった声を聞いて、悔しい思いをするのはもう嫌なので。
あるいは、自分なりに音楽性を表現しているつもりで、全然周囲と溶け合わない声を出すのは、もうやめてしまいたいので。
名付けて、「私もちゃんと上手になりたいぞ」計画。
コーラスの先生に、個人レッスンを受けることにしたのだった。

初のレッスンでは、主に、発声練習とconcone。
目標は、とりあえず、高校生の音楽の教科書に載っていたイタリア歌曲の 「Caro Mio Ben」 が歌えるようになることだ。へへへ、高校時代から、歌い始めて四半世紀のこの曲。
ああ、何度、酔っぱらって大声でうたっては、周囲にひんしゅくをかったり、友人をなくしたりしたことか。生後6カ月の息子を連れ、スペインに行った時、アンダルシアの海岸で、波の音にまぎれて歌ったのも、この曲だったっけ。

発声練習でまず、自分の欠点がはっきりした。
レガートに歌えない。
音程にこだわるあまり、一つ一つの音程を歌ってるだけで、音階を歌えない。
これに、姿勢やら呼吸法の難が加わり、なんかもう、身体はバラバラ。

Conconeでは、この欠点が、さらにさらに明確になる。
ドレミファソラシドでまず歌う。子音の処理が下手。母音の響かせ方がなってない。一つひとつの音をうまく歌いきれずにいるだけで、すでに頭が大混乱しているのに、これをレガートで、息の流れを変えないように、一本のまま歌いきらねばならない。
これは困った。

合唱では、みんなと響きを合わせることに主眼を置けばよかったから、それぞれの音域で少々、響かせる場所をかえたり、なんというか声の出し方を変えても、とりあえず、みんなで響いていれば良かったんだと思う。
でも一人で歌うということは、この部分が許されない、ということなんだなぁ。
これは新しい発見だった。

とにかく、Conconeをドレミの音階で歌っているあいだじゅう、「ドとかレとかミとか子音や母音を気にするだけで精一杯なのに、ここに呼吸だの、響かせる位置を変えないだの、音色だの、レガートだの、全部を気に掛けて歌えるわけないじゃん! 全部、『ア』 で歌えれば、楽なのに!」 と思い続けていた。

そしたら先生が言った。
「では今度、全部 『ア』 で歌ってみましょう」

絶対に、そっちのほうが簡単だと思っていたのに。
信じられないことに、「ア」 では歌えなかった。
響かせたいところが響かない。
もどかしいくらい声が出ない。
いったい何が起こったのか、と思った。
ただただ、発声練習みたいに 「アーーー」 って歌ってるだけなのに。
ア だけでフレーズを大事にしたり、レガートで歌ったり、響きを大事にしたりするのが、ここまで難しかったとは!
「子音なんてなんと面倒なんだろう」とか、「母音がころころ変わるのってなんと難しいんだろう」なんて思ってきたけれど、実はなんてことない、私はこれまで結局、子音や母音の変化に頼って、文字通り口先でごまかして歌ってきただけだったのだ。
ああ、愕然!

欠点がそのまま、見えまくる。
絶望的なくらい、薄っぺらい、私の 「ア」。
途中で嫌になって、やめたくなったほど。
いやはや、恐るべき 「ア」 の世界……なのだった。

やっぱり、きちんと、基礎から正しい呼吸、姿勢、発声を学ぶことが大事なんだなあ、と痛感した。
思えば、Caro Mio Ben に初めて出会ったのは、高校時代の音楽の授業で、このころ、私の高校には、バリトンの声楽家、金丸七郎先生がおられて、この授業というのが飛びきりおもしろかった。
やっぱりホンモノの先生の授業は、かくも楽しいのか……と、私はこの先生の授業に、ハマった。
だからって、何も、四半世紀も、この授業で習った曲を、酔っぱらうたびに思い出し、歌わなくてもいいのにね。

Caro Mio Ben とか、椿姫の中で父親が「プロヴァンスへ帰ろう」と歌う曲(曲名、忘れた)とか、フィガロの結婚の「ヴォイケサペーテ」(たぶん曲名は「恋とはどんなものかしら」。自信なし)とか、ほかにも、曲名は全然思い出せない曲多数。でも、今も歌える。
ああ、三つ子の魂百までも。
無性に懐かしくなって、金丸先生の名前をぐぐりまくってしまったら、あら、見つけてしまった。
NHK文化センターの大阪教室で、こんな講座や、こんな講座を指導しておられる。
そっか、金丸先生、高田三郎さんの作品の指導をされてるんだ、と思ったら、これまた不思議なご縁だなあ、としみじみしてしまった。
私も去年、今年と、今のコーラスグループで、コーラスの先生に高田さんの作品をご指導いただいていたものだから。
音楽のご縁というのは、たいてい、こんな風に、ぐるぐる回って、どこかで一つにつながって、そういう偶然みたいな出会いにいつも励まされたり、心を打たれたりするもんなんだ。

それはそうとして、レッスンに話に戻ると。
最後に、この、いわくつきの、Caro Mio Ben も聞いていただいた。
歌い継いで早四半世紀。強弱記号の隅から隅まで暗譜している曲でも、大事にしてきた曲だからこそ、ちょっぴり緊張したりするもんだ。

思ったようには歌えなかったけれど。
何より収穫だったのは、「思ったような歌い方」 以前に、もっともっと細かく大切に歌っていくべき点が、山ほどもあって、それを一つひとつ埋めていくことで、「思ってなかったような歌い方」 がきっと見えてくるだろう、と思えたこと。

毎日、声を出していたなら、呼吸を意識しながら暮らしたなら、乗り越えられるのかなぁ。
ピアノにはまっていたころ、「声楽っていいよなあ。相手は楽器ではなく、自分の声や身体なんだから、もっと自分の思い通りに響きを自在に表現できるだろうに」 と思ったことがあったっけ。
ああ、なんと浅はかだったことか!
ピアノは、私がどんなに下手でも、風邪をひいていても、すくなくとも決まった音程で、音を出してくれるもんね。
声はとても、そういうわけにはいきません。
自分の思い通りにならない身体に対するいら立ちというのは、ピアノを前にして思い通りに動かない指に対するいら立ちの、何というか 3.8倍くらい大きい感じ。
3.8、という数字には意味がないんだけれど。
つまり、小数点で表現したくなるくらい、なんとも情けない気分になっちゃうのであります。


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プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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